物忌奈命神社(神津島村)〈『延喜式』物忌奈命神社〔名神大〕〉

物忌奈命神社(ものいみなのみことじんじゃ)は 六国史『續日本後紀』『文徳實録』に載る 延喜式内社 伊豆國賀茂郡 物忌奈命神社〔名神大〕(ものいみなのみことの かみのやしろ)です 『三宅記』には「三嶋神の本后 長浜の御前(阿波命神社の祭神)が神集島(神津島)に置かれ 生まれた長子「たゝない王子」が物忌奈命神社の祭神です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

物忌奈命神社(Monoimina no mikoto shrine

【通称名(Common name)】

明神様(みょうじんさま)

明神(さだめだいみょうじん)

【鎮座地 (Location) 】

東京都神津島村41

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》物忌奈命(ものいみなのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

村重宝(建造物) 物忌奈命(ものいみなのみこと)神社

所在 神津島村一番地

指定 昭和四十五年一月十日

 祭神物忌奈命は三島明神事代主命の嫡子で永浜神社に祀る阿波咩命(あわのめのみこと)は御母である。天孫瓊瓊杵尊に出雲国を譲り、事代主命と共に東に下り、伊豆諸島の開祖として居を定められ、以来村民の心の支えとなってきた。

 本殿は覆堂形式で中宮を内臓している。中宮は元 本殿として文化七年(一八一〇)に造営され、高さ五メートル余、入母屋造りの大建築で、棟から向拝にかけて美しく流れる曲線は、重厚な唐破風となって拝者を威圧する。御神体を内蔵する宮殿として尊厳性を備え、格調が高い。

 各種の組物は功を尽し、殊に舞鶴の彫刻と唐破風の檜皮葺は妙技を極わめ、堂宮建築の技法が優れ貴重なものである。覆殿と拝殿もこれに準じて古く、重要な文化財である。

昭和四十五年 建設
神津島村教育委員会

現地案内板より

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由緒

今按 續日本後紀 承和7年9月乙末 伊豆ノ国言ス 賀茂ノ郡有造作島本名上津島。此島 坐阿波神ハ是三島大社本后也。又  物忌奈命即前社御子神とあるを思うに 物忌奈命は三島大社の本后にます阿波咩命の御子神とみえたり。
式社考證に古き上梁文に長濱大明神 輿奉申御神者 當鎮守神集島 定大明神 御母神也とあるにも明かなるを思うべし。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由 緒 (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇束京府 伊豆國 大島神津島一番地

府社 物忌奈命神社

祭神 不詳

社は一に定明神と云ひ、三島神の阿波咩神に御娶坐て 生坐る子 物忌奈命を祀るといふ、

仁明天皇 承和月此神島を造り給ひし霊験あるの故を以て 無位より從五位下を授けらる、
文徳天皇 嘉祥月従五位上を加へ、同年十一月官社に列り、齊衡元年月正五位下に叙され、
醍醐天皇 延喜の制 名神大社に列す神祇志料神社覈録

 續日本後紀に「承和月乙未伊豆国言、賀茂郡有造作島、本名上津島此嶋坐阿波神、是三島大社本后也、又坐物忌奈乃命、即前社御子神也云々」とある是なり。其他詳かならすと雖古社なること著し、

明治十一月府社に定めらる。
社殿は本殿、拝殿を具へ、境内三千百二十五坪(官有地第一種)を有す、社域は島の西北にあり。

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

物忌奈命神社 本殿

平成12年(2000)の災害で本殿倒壊 平成18年(2006)に再建

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物忌奈命神社 幣殿 本殿

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物忌奈命神社 拜殿

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・〈拝殿向かって右手〉神輿庫・薬王殿

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・神輿庫

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・薬王殿

薬師如来を安置する薬王殿は 毎年1月8日にだけ御開帳される

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・〈境内向かって右〉「江半之助翁 頌徳碑」

江半之助氏は明治19年 神津島における郵便集配請負人に就任し 島の連絡と物流(通信事業)を支えた多大なる労苦と地域への多大な貢献を称え 後に頌徳碑が建立されました

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・〈境内向かって右〉裏参道

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・〈拝殿向って左手 境内社〉

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・〈境内向って左手 御神木〉目神様(めがみさま)

巨樹のタブノキが目神様として祀られ 島の人々から 目の病気が良くなると伝えられ信仰されています

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・〈神輿庫前〉御神木

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・手水舎・社務所

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・手水舎・藤棚〔樹齢100年

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・境内

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・隋神門

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・参道

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・〈二の鳥居脇 境内社〉大六天神社

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・〈参道石段上〉二の鳥居

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・〈参道石段〉石燈籠

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・〈参道入口 大鳥居〉一の鳥居

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台風で倒壊した大鳥居について

大鳥居の礎石

 神社に使われている階段石は海側からの表参道 八十八段と裏賛同四十七段の階段石もふくめ、島の神津沢の上流から氏子の奉仕作業により、人力で運び出されたと伝えられています。

 この大きな礎石も、その時、切り出された石で造られた物忌奈命神社の表参道入口にあったみごとな大烏居の一部で、平成十二年七月一日発生の震度六弱の大地震の後、まもなく台風の強風をうけ倒壊しました。

 当時の、島の自然石で烏居まで造リ上げた島民の気迫が伺える証しです。

平成二十年七月一日 神津島村教育委員会

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・〈港から見える〉一の鳥居

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

火山活動を神意・神託として記したもので 伊豆国賀茂郡の「上津島(かみつしま)」〈神津島〉の異変を報告火山噴火 を「神の造営」として描写した記事となっています
自然災害などの鎮静と政治儀礼が 
古代における 神階授与(神に位階を授ける制度)と深く結びついていたことがわかります

記事文中の「神院」とは 阿波命神社を指すとされています

又 東南角有新造院とあるのは「日向神社(神津島村多幸湾)」であろうとされていますが 往古の社域は墜没して 現在は海となつているとの事です

【抜粋意訳】

〔現代文意訳
卷九 承和七年(八四〇)九月乙未廿三

賀茂郡に新しく形成された島がある
もとの名は上津島〈神津島〉という

この島には阿波神が鎮座している これは 三嶋大社 の本后である
また物忌奈乃命も鎮座している これは前者の御子神である

そこには新たに神宮四院が造られ 石室二棟 建物二棟 暗室十三基ができていた

上津島〈神津島〉そのものは草木が生い茂り 東 南 北の三方は険しい岩壁で 人も船も近づくことができない
わずかに西側に船が泊まれる浜があったが 今ではその場所も焼け崩れ 海が陸地となり 砂浜が約二千町も広がっている

島の東北の端には新しく造られた神殿がある
その中には塚のような高まりがあり 高さは約五百丈 土台の周囲は約八百丈ある
形は伏せた鉢のようである

東側の斜面には四段の階段があり 青 黄 赤 白の砂が順に敷かれている

その上には楼閣のような建物が一つあり 高さは約四丈である

さらに南の海辺には二つの石室があり それぞれ長さ約十丈 幅四丈 高さ三丈である
内部には五色の角ばった石が屏風のように立っている

岩壁は波を切り 山や谷は雲を貫く
その姿は実に神秘的で 言葉では表しがたい

その前には絞り染めの帳のようなものが垂れ その前に美しい浜が広がっている
浜は五色の砂で整えられている

さらに南には一つの磯がある
立てた屏風のような形で その三分の二は黄金色に輝いていた
まばゆい様子は とても書き尽くせない

また東南の端には新たな神殿があり 二重の垣が白土で固められていた
それぞれ高さ約二丈 幅約一丈である
南側には二つの門があり その中央にはまた塚があった
周囲は約六百丈 高さは約五百丈である

その南の斜面には十二の暗室があり 八つは南向き 四つは西向きである
それぞれ周囲約二十丈 高さ十二丈ほどである

その上の東側には建物が一つあり 玉瓦のような瓦で葺かれていた
長さ十丈 幅四丈 高さ六丈
壁は白い石で築かれていた

南面に戸が一つある
その西側には別の建物があり 黒い瓦で葺かれ 壁には赤土が塗られていた

東側に戸が一つある
境内の小石や砂は みな黄金色であった

また西北の端にも新たな神殿があり まだ工事の途中であった
その中には二つの塚があり それぞれ周囲約八百丈 高さ六百丈
形は伏せた盆のようである

南の斜面には二段の階段があり 白砂が敷かれている
頂上は平らで美しい

北の端から南西方向まで約十二里 幅五里にわたり すべて砂浜となっている
また北西から北東方向まで八里 幅五里にわたって同じく砂浜である
これら二つの区域はもとは海だった

さらに山頂には神殿が一つあり 門が一つある
頂上には人が座っているように見える石があった
高さ約十丈
右手に剣を持ち 左手に矛を持っている
その後ろには従者がいて ひざまずいて主を仰ぎ見ていた

周囲は険しく 人が通ることはできない
その他にもさまざまな異様なものがあったが 火はまだ燃え続けており 詳しく記すことはできない

承和五年七月五日の夜 火が噴き出した

上津島の左右の海が燃え上がり 炎は野火のようであった

十二人の童子が互いに炬火を受け渡しながら海に降り 火を移しているように見えた
童子たちは潮の上を地面のように歩き 地中へ入るときは水に入るようであった

巨大な岩を揺るがし 火で焼き砕いた
炎は天に届くほど立ち上った

その様子はぼんやりとして異様で あちこちに火が飛び散った
この状態は十日ほど続き 灰が雨のように降って辺りを覆った

そこで祝や刀禰たちを集め 占って祟りの理由を尋ねたところ 神託があった

阿波神は 三嶋大社 の本后である
五人の子を生んだが その後 他の后たちは冠位を授けられた
しかし私はまだその栄誉にあずかっていない

だからこの怪異を示したのである
私にも冠位を授けよ

もし禰宜や祝がこの託宣を伝えなければ 激しい火を起こして彼らを滅ぼす
国司や郡司が努力しなければ 彼らも滅ぼす

もし私の願いをかなえるなら 天下は平安となり 国々は豊かに実るであろう

今年七月十二日 遠くからその島を望むと 雲や煙が四方を覆い 全く見えなかった
しだいに近づくと 雲霧が晴れ 神が造った神殿や山々の姿がはっきり見えるようになった

これはまさに神威が示した奇跡である

〔読下し文〕
卷九承和七年(八四〇)九月乙未廿三

○乙未

伊豆ノ国 言(もう)さく 賀茂ノ郡に造作(ぞうさく)する嶋あり 本の名は上津嶋(かみつしま)〈神津島〉なりと

此の嶋に坐(ま)す 阿波ノ神〈あはのかみ〉は 是れ三嶋大社の本后なり 又 坐(ま)す 物忌奈乃命(ものいみなのみこと)は 即ち前社の御子神なり

新たに作る宮四院は 石室二間・屋二間・闇室十三基なり
上津嶋〈神津島〉の本體は 草木繁茂す 東南北方 巖峻しく 人船到らず 纔(わず)かに西面に泊宿の濱有り 今 咸(ことごとく)に燒け崩れて 海と共に陸地 并びに沙濱二千許町を成す

其の嶋〈神津島〉の東北角に 新たに神院を造る 其の中に壟あり 高さ五百許丈 基の周り八百許丈 その形 伏鉢の如し 東方の片岸に階四重あり 青・黄・赤・白色の沙 次第に之を敷く 其の上に一つの閣室あり 高さ四許丈なり

次に南の海邊に 一つの石室あり 各々長さ十許丈 廣さ四許丈 高さ三許丈 其の裏に五色の稜石あり 屏風のごとく之を立て 巖壁は波を伐(き)り 山川飛雲 その形微妙にして 名づけ難し 其の前に夾纈(きょうけち)の軟障(なんしょう)を懸く 即ち美麗なる濱あり 五色の沙を以て修成す

次に南の傍らに 一つの礒あり 屏風を立てた如し 其の色 三分の二は悉く金色なり 眩曜(げんよう)の状 敢えて記すべからず

亦 東南の角に 新たに院を造る 周垣二重 堊(しろつち)を以て築き固む 各々高さ二許丈 廣さ一許丈 南面に二門あり 其の中央に一つの壟あり 周り六百許丈 高さ五百許丈なり

其の南の片岸に 十二の闇室あり 八基は南面し 四基は西面す 周り各々廿許丈 高さ十二許丈なり 其の上の階の東に屋一基あり 瓷玉(じぎょく)の瓦形を以て葺き造る 長さ十許丈 廣さ四許丈 高さ六許丈 其の壁 白石を以て立て固む 則ち南面に一戸あり

其の西方に 一屋あり 黒瓦を以て葺き作る 其の壁 赤土を塗る 東面に一戸あり 院裏の礫砂 皆悉く金色なり

又 西北角に 新作の院あり 周垣未だ作を究めず 其の中に二つの壟あり 基の周り各々八百許丈 高さ六百許丈 其の體 盆を伏せたるが如し
南の片岸に 階二重あり 白沙を以て之を敷く 其の頂 平らかにして麗し

北角より未申の角に至るまで 長さ十二許里 廣さ五許里 皆悉く沙濱となる
戌亥の角より丑寅の角に至るまで 八許里 廣さ五許里 同じく沙濱となる
此の二院 元は是れ大海なり

又 山の岑に一院一門あり 其の頂に人の坐する形の石の如きものあり 高さ十許丈 右手に劔を把り 左手に桙を持つ 其の後に侍者あり 跪きて貴主を瞻(み)る 其の邊 嵯峨として通達すべからず

自餘の雜物 燎焔未だ止まず 具(つぶさ)に注すこと能わず

去る承和五年七月五日の夜 火出づ 上津嶋〈神津島〉の左右の海中燒く 炎は野火の如し 十二童子 相接して炬を取り 海に下りて火を附く 諸童子 潮を履むこと地の如く 地に入ること水の如し 上なる大石を震かし 火を以て燒き摧く 炎煬天に達す 其の状朦朧たり 所々に焔飛ぶ 其の間旬を經たり 灰を雨らし 部に滿つ

仍りて 諸祝・刀禰等を召し集め 卜して其の祟りを求むと云う

阿波ノ神〈あはのかみ〉は 三嶋大社の本后なり 五子を相生み 而して後 后に冠位を授け賜う 我 本后として未だ其の色に預からず 茲に因りて我 殊に恠異を示す 將に冠位に預からんとす
若し禰宜・祝等 この祟りを申さずば 麁火(あらび)を出して將に禰宜等を亡ぼさん 國郡司 勞せずば 將に國郡司を亡ぼさん 若し我が欲する所を成さば 天下國郡平安にして 産業豐登せしめん

今年七月十二日 彼の嶋を眇望するに 雲烟四方を覆いて 都(すべ)て状を見ず 漸く比(ころ)より戻り近づくに 雲霧霽(は)れて朗らかとなり 神作の院岳等の類 露(あらわ)れて其の貌を見す

斯れ乃ち 神明の感ずる所なり

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

承和七年(八四〇)九月乙未廿三〉の條に基づいて 十月丙辰十四〉の條において 神階 從五位下の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷九 承和七年(八四〇)十月丙辰十四

○丙辰

奉授无位 阿波神 物忌奈乃命 從五位下

て 伊豆國 造嶋 靈驗也
〔伊豆国において島(新たに形成された島)の霊験・神威が顕著だったからである〕

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

伊豆國 伊古奈比命神 阿波神 物忌奈乃神が 從五位上

【抜粋意訳】

卷二 嘉祥三年(八五〇)十月壬子

○壬子

伊豆國 伊古奈比命神 阿波神 物忌奈乃神 從五位上
近江國 伊富岐神 從五位下
紀伊國 伊太祁曾神 從五位下

癸丑以 伊勢國 多度神 列於官社

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

伊豆國 伊古奈比女 安房 物忌奈 三神が 官社に列しています

【抜粋意訳】

卷二 嘉祥三年(八五〇)十一月甲戌朔

○十一月甲戌朔

詔以

伊豆國 伊古奈比女 安房 物忌奈 三神 列於官社

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

伊豆國 阿波命神 物忌寸奈命神 伊古奈比命神が 正五位下を加えられています

【抜粋意訳】

卷四 仁寿二年(八五二)十二月丙子十五

○丙子

ふ 伊豆國
 三嶋大神 從四位下
 阿波命神 物忌寸奈命神 伊古奈比命神 正五位下

 阿米都和氣命神 伊太豆和氣命神 阿豆佐和氣命神 波布比命神 從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉

・・・〈中略〉・・・

 三嶋神社一座 伊古奈比咩命神社一座 物忌奈命神社一座 阿波命神社一座 楊原神社一座〈已上伊豆国〉

・・・〈中略〉・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

 

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)

[名神大 大 小] 式内名神大

[旧 神社 名称 ] 物忌奈命神社〔名神大〕
[ふ り が な ](ものいみなのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Monoimina no mikoto no kaminoyashiro

【原文参照】

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『三宅記(miyakeki)』に記される「伊豆諸島の命名・各后と御子」の伝承

〈『三宅記』は 原本は鎌倉時代末期に完成したと見られています〉

三島大明神によって 焼き出された伊豆諸島 各々の島の命名 又 三島大明神によって 各々の島に置かれたとする「后(きさき)」と その「王子(みこ)」の名が記されています

【抜粋意訳】

三島大明神〔三嶋大社の祭神〕は 考安天皇の二十一年に島を焼き始めました

・・・
・・・

明神は この島々に名前を付けられた

一番の島を はじめの嶋(はしめの嶋)〈初島〉と名付けて この島にタミの種を植えた
二番の島を 島々の中に焼き出した そこに神達が集まり 島々を焼き出す話しをしたので 神あつめ嶋〈神津島〉と名付けた

三番の島を 大きい島なので大嶋〈大島〉と名付けた

四番の島は 潮の泡を集め焼いた島の色が白かったので あたら嶋〈新島〉と名付けた
五番の島をば 家が三つ並ぶ様子に似ており 三宅嶋〈三宅島〉 と名付けた
六番の島をば 明神の倉にすると作り 御倉嶋〈御蔵島〉と名付けた
七番の島を はるかな澳にあるので 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉と名付けた
八番の島をば 小嶋〈八丈小島〉 と名付けた
九番の島をば 嶋の姿が王の鼻に似ており わ(お)うこ嶋〈青ヶ島〉と名付けた
十番の島をば としま〈利島〉と名付けた

大明神は この島に通って遊ばれた 中でも 大嶋 三宅嶋 あたら嶋 の三所に 常におられました

さもあらんと 三宅嶋〈三宅島〉に宮造りをされて大明神と申された

そして見目(みるめ)〔火戸寄神社の祭神〕と若宮(わかみや)〔若宮神社の祭神〕に申された
「后を作ろう 島々に一人ずつ置くとしよう」

見目と若宮は 申し上げて「天竺の「大明神のご子息の母御前〕はいかがですか」
「それは父の王の妻 できない 」

「それでは」と見目と若宮は出かけた どういう方かはわからぬが 五人の后を伴い 帰ってきたので
大明神は 大いに喜悦された

一人を 大嶋〈大島〉に置かれ その后の御名を はふの太后 と名づけた波布比咩命神社の祭神
その御腹に 王子が二人あって
一人は 太郎の王子 おほひ所 と名付けた大宮神社の祭神
一人は 次郎の王子 すくない所 と名付けた波治加麻神社の祭神

また 一人の后をば あたら島〈新島〉に置來らせ みちのくの大后 と申された〔泊神社の御祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人を 大宮の王子 〔大三王子神社の祭神〕
一人を 第三乃(ていさん)王子と申した〔大三王子神社相殿の祭神〕
この二人の王子には 剣の御子 を添わせた差出神社の祭神

神あつめの嶋〈神津島〉におさまる后の御名は 長濱の御前 と申し〔阿波命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば たたなひ 〔物忌奈命神社の祭神〕
一人をば たふたい と申した〔日向神社の祭神〕
この王子には 天竺から来た左大臣を付け置かれた 名前をば ぬく嶋の大別当 と申された その女房を ふとおまゑ(仏御前) と申した

又 三宅嶋〈三宅島〉に置かれた后の名をば 天笠いま后 と申し〔富賀神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば あん祢ひこ(安寧子) 〔飯王子神社の祭神〕
一人をば まん祢いこ(満寧子)と申した〔酒王子神社の祭神〕

又 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉に置かれた后をば いなはゑ と申し〔優婆夷宝明神社の祭神〕
その御腹に 王子が五人あって
その后が亡くなると 長男と次男は手に手を取り合って思い死に終り 石となり おとあにの御子 として立っておられる
あと二人は まだ幼い頃に亡くなってしまった
それで 五郎の王子のみが 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉におられます〔優婆夷宝明神社の祭神〕

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用

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国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用

神津島の三つの神社について

『三宅記』によれば
神あつめの嶋〈神津島〉におさまる后の御名は 長濱の御前 と申し〔阿波命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば たたなひ 〔物忌奈命神社の祭神〕
一人をば たふたい と申した〔日向神社の祭神〕」とあります

延喜式内社 伊豆國賀茂郡 物忌奈命神社〔名神大〕(ものいみなのみことの かみのやしろ)

・物忌奈命神社(神津島村)

三嶋神が神集島(神津島)に置いた「長浜の御前(阿波命神社の祭神)」から生まれた長子が「たゝない王子(たたない王子)(物忌奈命神社の祭神)」

延喜式内社 伊豆國賀茂郡 阿波神社〔名神大〕(あはの かみのやしろ)

・阿波命神社(神津島村長浜

日向神社(神津島村榎木が沢)

三嶋神が神集島(神津島)に置いた「長浜の御前(阿波命神社の祭神)」から生まれた弟 次子が「たふたい王子(日向神社の祭神)」

神津島(神集島)長浜に鎮座 阿波命神社の分祀とされる式内社

延喜式内社 伊豆國田方郡 長濱神社(なかはまの かみのやしろ)

・長濱神社(沼津市内浦長浜)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

船から 神津島を望みます
山肌が崩れてるのが 天上山です

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船は 神津島港に近づきます

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神津島港内には
龍神様が祀られていますので 神津島上陸の御挨拶参りです

龍神社

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神津島港に

「天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」(平成天皇)

御製
 幾すじも 崩落のあと
 白く見ゆ はげしき地震の 禍うけし島

右手の上に 参道入口の鳥居が見えています

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神津島港(前浜)から徒歩で 参道入口までは300m程です

物忌奈命神社(神津島村)に参着

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鳥居の扁額には「物忌奈命神社」とあり
一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 石段を上がります

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鳥居脇の社号標です

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石段で急な斜面をを上がって行きます

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石段の上には 二の鳥居が建ちます

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二の鳥居をくぐると すぐ脇には〈境内社〉大六天神社が祀られています
石祠は 二つあります

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鳥居の先 隋神門までは 原生林に囲まれた参道です

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隋神門の手前 右側には石段が設けられていて かつての祭壇OR建屋址のようです

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隋神門の手前から 今来た参道を振り返ります
参道は西へと延びています

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石段を上がって 隋神門へ進みます

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隋神門をくぐると 石畳の参道が敷かれた境内となり 正面に拝殿 左手に手水舎と社務所があります

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社務所には「物忌奈命神社 令和八年行事祭典予定表」が掲示されていました

これによれば
明神さま)〈物忌奈命神社(神津島村)
・(長浜さま)〈阿波命神社(神津島村長浜)〉
・ 日向神社〈日向神社(神津島村榎木が沢)〉
・ 薬師様〈物忌奈命神社境内 薬王殿〉
・ 龍神宮〈龍神社(神津島港内)

神津島 島内の主だった神社の祭典を取り計らっています

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手水舎にて清めます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の向かって左側には〈境内社〉の合殿が二つ

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拝殿の向かって左側に 石段がありますが「これより先 立ち入りを禁止」とあり 神域を穢さないように但し書きがされています

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拝殿の向かって右側の石段にも同様の但し書きがありました
隣の神輿殿の脇から 幣殿と本殿を拝します

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神輿殿の前には 地震で倒壊した大鳥居の礎石が置かれています
その向こうには 薬師様〈物忌奈命神社境内 薬王殿〉があります

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境内中央の御神木 根の周りが石で囲まれています

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境内を戻ります

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社殿に一礼をします

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隋神門を抜けて参道を戻ります

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二の鳥居を抜けて 西を向いて石段を下ります

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石段を下りきった所で参道は 南へと曲がり 一の鳥居は南南西を向いています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 物忌奈命神社〔名神大〕について 所在は゛神集島に在す、今 定大明神と称す、゛〈現 物忌奈命神社(神津島村)〉と記しています

【抜粋意訳】

物忌奈命神社〔名神大〕

物忌奈は毛乃伊美那と訓べし

〇祭神明か也

○神集島に在す、今 定大明神と称す、例祭月日、

○式三、臨時祭名神祭二百八十五座、〔中略〕伊豆國 物忌名命神社一座、

日本後紀、承和月乙未、伊豆國言、賀茂郡有造作島、本名上津島、此島坐阿波神、是三島大社本后也、又坐物忌奈乃命、即御前社御子神也、事は阿波神社の下に見ゆ

神位 官社

 續日本後紀、承和月丙辰、奉授伊豆國無位 物忌奈乃命 從五位下、以伊豆國造島霊験也、」
 文徳實録、嘉祥月壬子、伊豆國物己奈乃神從五位上、同年十一月甲戌朔、詔以物忌奈神列於官社、仁寿十二月丙子、加伊豆國物忌寸奈命神正五位下、又 齊衡元年月己卯、加伊豆國物忌奈命神正五位下、同位重出不審

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 物忌奈命神社〔名神大〕について 所在は゛今神津島に在り、定明神と云ふ、゛〈現 物忌奈命神社(神津島村)〉と記しています

【抜粋意訳】

物忌奈命(モノイミナノミコトノ)神社、

今神津島に在り、定明神と云ふ、〔神名帳考證、豆州志

三島神 阿波咩神に御娶坐て、生坐る子、物忌奈命を祭る、

仁明天皇 七年十月丙辰、無位より從五位下を授く、此神鳥を造給ふ、靈驗あるを以て也〔續日本後紀〕

文德天皇 嘉祥三年十月壬子、從五位上を加へ、十一月申戌朔、官外に列り、齊衡元年月己卯、〔文徳實録〕 

醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列る〔延喜式〕

四月六月十一月中酉日を以て祭を行ふ、

【原文参照】

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『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 物忌奈命神社〔名神大〕について 所在は゛神津島゛〈現 物忌奈命神社(神津島村)〉と記しています

【抜粋意訳】

物忌奈命(モノイミナノミコトノ)神社 名神大

祭神 物忌奈命  定大明神

 今按 續日本後紀 承和七年九月乙未 伊豆ノ國言ス賀茂ノ郡有造島本名上津島 此烏ニ 坐阿波神ハ 是三島大社ノ本后也 又 坐物忌奈乃命ハ 即前社ノ御子神也とあるを思ふに 物忌奈命は三島大社の本后にます阿波咩命の御子神とみえたり 式社攻證に古き上梁文に長濱大明神 奉申御神者 當鎭守 神集島定大明神 御母神也とあるにても明かなるも思ふベし

神位
 仁明天皇 七年十月丙辰 奉授ニ 伊豆國無位 物忌奈乃命 從五位下以ニ 伊豆國造島霊驗也
 文德天皇 嘉祥三年十月壬子 伊豆國 物忌奈乃神 授ニ 從五位上 十一月甲戌朔 詔以ニ 物忌奈神 列ニ 於官社 仁壽二年十二月丙子 加ニ 伊豆國 物忌寸奈命神 正五位下

祭日 四月六月十一月並中酉日
社格 縣社

所在 神津島

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

物忌奈命神社(神津島村) (hai)」(90度のお辞儀)

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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