天太玉命神社(橿原市忌部町)〈『延喜式』太玉命神社四座〔並 名神大 月次 新嘗〕〉

天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ)は この地に忌部宗家が斎部氏を称し土着 自らの祖先と斎部氏に縁故ある神霊を祀ったのが当社の起源 式内社 大和國 高市郡 太玉命神社四座〔並名神大月次新嘗〕(ふとたまのみことのかみのやしろ よくら)又 同じく式内社 天津石門別神社(あまついはとわけのかみのやしろ)の論社

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天太玉命神社(Ameno futotama no mikoto shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

奈良県橿原市忌部町153

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天太玉命(あめのふとたまのみこと)
   大宮(おほみやのめのみこと)
   豐石窓命(とよいわまど゛のみこと)
   櫛石窓命(くしいわまどのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

天太玉命神社

祭神 天太玉命 大宮売命 豊石窓命 櫛石窓命

当社の祭神 天太玉命は、斎部氏の祖神て、『記』『紀』によると天孫降臨の節、天児屋根命とともに、扈従して祭祀のことを掌って朝廷に奉仕したとある。その孫 天富命も天種子命とともに神武天皇に仕えて祭祀を担当して橿原宮の造

営にも当たったが、当 忌部の地に居住して一族の宗家となり、斎部氏を称した。その後代々の子孫永くこの地方に土着、自らの祖先と斎部氏に縁故のある神霊をまつったのが当社の起源である。

現地案内板より

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【由  (History)】

『奈良県史』に記される内容

境内社 杵築神社について「土地では一説に元、天石門別命神社の所在地という字一本木に祀られていた社を現在地に遷して牛頭天王を祀る杵築神社と改称したという」と記しています

【抜粋意訳】

第3章 神社解説 7 橿原市 5、金橋地区

太玉命神社 四座 並名神大 月次新嘗

 JR桜井線の金橋駅の東南東約八○○メートルの位置に鎮座する。主神の太玉命は、斎部氏の祖神で、『記』『紀』には天孫降臨の節 天児屋根命と共に従って祭祀のことを掌ったとある。その孫 天富命も天種子命と共に神武天皇に仕えて祭祀を担当、橿原宮の造営に当ったが、当 忌部の地に居住して一族の宗家となり斎部氏を称し、自らの祖神をまつったのが当社の起源とされている。大宮売命は太玉命の御女で、豊石窓命・櫛石窓命は同体異名の神として強力無双の手力雄命の別号で太玉命の御子である。

 中臣氏が飛鳥・白鳳期以来 政治の実権を握って勢力を張ったのに対し、斎部氏は中臣氏におされて衰え、その姓を忌部氏と変えるに至った。平城天皇の御代、忌部宿禰広成は『古語拾遺』を録して朝廷に奉って家運の陸勢を図ったが効なく、清和天皇のころ忌部宿禰高善は忌部の氏姓を斎部と改めたもののますます衰え、南北朝期以後は国史上全く記録を絶ち、嘉吉のころ(一四四一  四四)には藤原氏と自称する人も出たという。

『興福寺官務帳』に「太玉神、在高市郡 忌部 供僧号蓮光寺。社司一人神人三人。祭所 忌部連 遠祖天太玉命」とあるが藤原氏による春日大社の繁栄に比し、当社の衰えの程がしのばれる。

 『三代実録』に貞観元年(八五九)正月二十七日太玉神に従五位上を奉授、『延喜式』神名帳には「太玉命神社四座を式内名神大社として登載された古代著名の神社であった。

 例祭は十月十五日・十六日で、座祭は十月一日。当屋では素木の屋形に榊の依代をまつって杉葉で囲ったお仮屋を建てて神霊を迎え座祭を行ったが、今は既製のお仮屋に神迎えするようになった。

 本殿左右の境内社は左が春日神社(天児屋根命)、右が玉依姫神社(玉依姫命)である。

 境内の前庭西側に東面する小祠は、社前の石灯籠に「寛政九丁巳年(一七九七)」「岡本天王社」とあり、牛頭天王(素戔嗚命)を祀る境内社 杵築神社と称されているが、土地では一説に元、天石門別命神社の所在地という字一本木に祀られていた社を現在地に遷して牛頭天王を祀る杵築神社と改称したという。一本木は当社の東方曽我川の東岸にあって一本木塚の名があり、古来社前を騎馬で過ぎると、神の祟りで落馬したと伝え、また岡寺に詣でる人はまずこの社に賽し、仏果を得るよう祈ったと伝える(『高市郡神社誌』)。

【原文参照】

『奈良県史』奈良県史編集委員会 編集 名著出版

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈中央〉天太玉命神社 本殿

・〈本殿の向かって右〉玉依姫命神社
・〈本殿の向かって左〉春日神社

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天太玉命神社 拜殿

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・〈境内社〉杵築神社岡本天王社

延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社

〈境内社〉杵築神社 又は天太玉命神社に合祀とも云う
『奈良県史』に「土地では一説に元、天石門別命神社の所在地という字一本木に祀られていた社を現在地に遷して牛頭天王を祀る杵築神社と改称したという」と記しています

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・二の鳥居

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・石燈籠

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・境内

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・社頭〈社号標・手水舎・鳥居〉

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

京畿七道諸神 惣二百六十七社と共に 大和國 太玉命神に神階 從五位上が奉授

【抜粋意訳】

卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

○廿七日甲申

京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社 奉授く

淡路國 无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品吉備都彦命二品

・・・〈中略〉・・・

大和國
從一位大己貴神正一位
正二位葛木御歳神 從二位勳八等高鴨阿治須岐宅比古尼神 從二位高市御縣鴨 八重事代主神 從二位勳二等大神大物主神 從二位勳三等大和大國魂神 正三位勳六等石上神 正三位高鴨神 並に從一位
正三位勳二等葛木一言主神 高天彦神 葛木火雷神 並に從二位
從三位廣瀬神 龍田神 從三位勳八等多坐彌志理都比古神 金峰神 並に正三 位
正四位下丹生川上雨師神 從三位
從五位下賀夜奈流美神 正四位下
從五位下勳八等穴師兵主神 片岡神 夜岐布山口神 並に正五位上
從五位下都祁水分神 都祁山口神 石寸山口神 耳成山口神 飛鳥山口神 畝火山口神 長谷山口神 忍坂山口神 宇陀水分神 吉野水分神 吉野山口神 巨勢山口神 葛木水分神 鴨山口神 當麻山口神 大坂山口神 伊古麻山口神 並に正五位下

從五位下和爾赤坂彦神 山邊御縣神 村屋禰富都比賣神 池坐朝霧黄幡比賣神 鏡作天照御魂神 十市御縣神 目原高御魂神 畝尾建土安神 子部神 天香山大麻等野知神 宗我都比古神 甘樫神 稔代神 牟佐坐神 高市御縣神 輕樹村神 天高市神 玉命神 櫛玉命神 川俣神 波多井神 坐日向神 卷向若御魂神 他田天照御魂神 志貴御懸神 忍坂生根神 葛木倭文天羽雷命神 長尾神 石園多久豆玉神 調田一事尼古神 金村神葛木御縣神 火幡神 往馬伊古麻都比古神 平群石床神  矢田久志玉比古神 添御縣神 伊射奈岐神 葛木二上神 並に從五位上

无位水越神 從五位下

 ・・・〈以下略〉

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

天石戸別神に神階の授奉が記されています

【抜粋意訳】

卷二十七 貞觀十七年(八七五)三月廿九日壬子晦

○廿九日壬子晦


伊豫國 從二位 大山積神正二位 正四位上 礒野神
近江國 正四位下 三上神 從三位

和國 正五位下 天石戸別神從四位下

美作國 從五位上 高野神正五位下 從五位下 御鴨神 從五位上
因幡國 正六位上 神前神
伊豫國 正六位上 風伯神 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭

月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭(つきなみのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所

〇座別に以下のように 社ごとに幣帛(神への供物)を奉る

・絁(あしぎぬ)五尺
・五色の薄絁(うすぎぬ)各一尺
・倭文(やまとぬの)一尺
・木綿(ゆう)二両
・麻五両
・倭文・絁・布をそれぞれ刀の形にしたもの(まきかたなかた)各一口
・四座をまとめて一束 八座をまとめて一束とする
・弓一張、靫(ゆき)一口
・楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿
・鹿の角一隻、鍬一口
・庸布(ちょうふ)一丈四尺
・酒四升
・鰒(あわび)・堅魚(かつお) 各五両
・腊(ほしにく)二升
・海藻・滑海藻・雑海菜 各六両
・堅塩一升
・酒坩(かめ)〈酒を入れる壺〉一口
・裹葉薦(うらはこも)五尺
・祝詞(のとこと)を奏する座の敷物として短畳一枚

〇前一百六座(下位の神)への奉献

次に 前一百六座の神々(小社)は次の幣帛を奉る

・絁五尺
・五色薄絁各一尺
・倭文一尺
・木綿二両、麻五両
・四座ごとに一束 八座ごとに一束とする
・楯一枚
・槍鋒一口
・葉薦五尺

〇特別な奉献を受ける神々

これらの神々への祭祀は 祈年祭(2月)と同様に行うが 特に次の四神には馬一疋を加えて奉る

太神宮(内宮:伊勢神宮)
度会宮(外宮:伊勢神宮)
高御魂神(たかみむすびのかみ)
大宮女神(おおみやめのかみ)

ただし 太神宮と度会宮にはさらに「籠頭料(こもがしらりょう)庸布一段」を加える

〇祭の準備と執行

祭の五日前に 忌部(いんべ)九人と木工一人を召して 神に供えるための器物(供神調度)を作らせる
その監造者および清浄な衣 食の費用は 祈年祭の例に準じる
祭が終わると 中臣官(なかとみのつかさ)の一人が宮主および卜部らを率いて宮内省へ行き 神に供える「今食(いまけ=その日の御饌)」の奉仕者(小斎人(みのひと)を卜占によって定める

〇今食(いまけ)に供する品目

神に供える「今食(いまけ)」の品およびその料(材料)は次の通り

・紵(からむし)一丈二尺(御巾料)
・絹二丈二尺(篩(ふるい)料)
・絲四両(縫篩などの料)
・布三端一丈(膳部巾料)
・曝布一丈二尺(覆水甕料)
・細布三丈二尺(戸座襅(へさたまき)および褠料)
・木綿一斤五両(結ふ御食(みけ)料)
・刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚
・筥(はこ)六合 麁(あら)筥二合、明櫃三合
・御飯・粥料の米 各二斗、粟二斗
・陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶(かめ)各五口
・都婆波・匜(はふさ)・酒垂 各四口
・洗盤・短女杯(さらけ) 各六口
・高盤二十口、多志良加(に瓶のような器)四口
・陶鉢八口、叩盆四口、臼二口
・土片椀(もひ)二十口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口
・手洗二口、盤八口、土手湯盆(ほん)二口、盆(ほとき)四口、堝十口
・火炉二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚
・槲(かしわ)四俵、匏(ひさご)二十柄
・蚡鰭(えひのはた)槽(二隻:御手水用)
・油三升
・橡帛三丈(戸座服料、冬絁一疋、綿六屯、履一両)

〇供御の奉仕と終了後の処理

右に掲げた供御および雑物は それぞれ内膳主水などの司に付け 神祇官の官人が神部を率いて 夕暁(よひあかつき)〈夕方と翌朝〉の二度 内裏に参って奉仕する
供え終わった諸物は 祭が終わると中臣・忌部・宮主らに下賜され その取り扱いは 大嘗会(だいじょうえ) の例に準じて行う

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り 天皇がその年の新穀(しんこく)を神に供え みずからもこれを食して その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿

社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座

座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を

右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る

伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉

賀茂別雷神社一座 賀茂御祖神社二座 松尾神社二座 稲荷神社三座 貴布祢神社一座 鴨川合神社一座 御井神社一座 葛野月読神社一座 木嶋坐天照御魂神社一座 平野神社四座 梅宮神社四座 乙訓神社一座 酒解神社一座〈亦号山崎神、已上山城国、〉

 春日神社四座 大和神社三座 石上神社一座 多坐神社二座〈或号大社、〉 飛鳥神社四座 高市御県神社一座 気吹雷神社二座 大神神社一座 太玉神社四座 穴師神社一座 高屋安倍神社三座 大名持御魂神社一座 丹生川上神社一座 金峯神社一座 鴨神社二座 葛木御歳神社一座 葛木一言主神社一座 高鴨神社四座 高天彦神社一座 葛木火雷神社二座 片岡神社一座 火幡神社一座 広瀬神社一座 龍田神社二座 平群坐紀氏神社一座〈已上大和国〉

・・・〈中略〉・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

天太玉命神社(橿原市忌部町)は 2つの式内社の論社となっています

①大和國 高市郡 太玉命神社 四座〔並 名神大 月次 新嘗〕

②大和國 高市郡 天津石門別神社

・〈境内社〉杵築神社岡本天王社 又は天太玉命神社に合祀とも云う
延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社
『奈良県史』に「土地では一説に元、天石門別命神社の所在地という字一本木に祀られていた社を現在地に遷して牛頭天王を祀る杵築神社と改称したという」と記しています

①大和國 高市郡 太玉命神社 四座〔並 名神大 月次 新嘗〕

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)髙市郡 54座(大33座・小21座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 太玉命神社 四座 名神大 月次 新嘗
[ふ り が な ](ふとたまのみことの かみのやしろ よくら
[Old Shrine name]Futotama no mikito no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

②大和國 高市郡 天津石門別神社

〈境内社〉杵築神社岡本天王社 又は天太玉命神社に合祀とも云う

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)髙市郡 54座(大33座・小21座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 天津石門別神社
[ふ り が な ](あまつ いはとわけの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Amatsu ihatowake no kaminoyashiro

【原文参照】

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(いはとわけのかみ)」の呼称を持つ神社について

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)にいはとわけのかみ」の呼称を持つ延喜式内社は 12ヶ所あります

延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社
延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社
延喜式内社 近江國 伊香郡 天岩門別命神社
延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社
延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社
延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社
延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕
延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社
延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社

各々の論社について

①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕(あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)の論社について

・嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)

・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)

②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社について

・天津石門別神社(高市郡高取町越智)

・天太玉命神社(橿原市忌部町)
〈境内社〉杵築神社 又は天太玉命神社に合祀

③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社(あまの いはとはけの かみのやしろ)の論社について

・天石門別神社(茨木市元町)

④延喜式内社 近江國 伊香郡 天石門別命神社(あめ いはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社について

・森本神社(長浜市高月町森本)

⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について

・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)

・白河神社(白河市旗宿関ノ森)

・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
〈旧鎮座地とも云う〉

・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》

《参考》・石都々古和気神社(石川町) 

⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめいはかとひこの かみのやしろ)の論社について

・大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈石見國三之宮〉

⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)の論社について

・天石門別神社(美作市滝宮)〈美作國三之宮〉

延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について

備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社 どちらの論社に当るのか確定判別はできていません

・石門別神社(岡山市北区大供表町)

・石門別神社(岡山市北区奥田南町)

延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕(あまの いはとわけ やくらひめの かみのやしろ)の論社について

・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

・上一宮大粟神社(神山町)
〈一宮神社(徳島市)の元宮とされる〉

・一宮神社(徳島市)

延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社(あまの いはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社について

雨降神社(徳島市不動西町)

・龍王祠〈廃社〉

徳島市の徳島中央公園(城山)〉にあった竜王祠は 徳島城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀

・竜王さんのクス(もと徳島城城山に鎮座した竜王祠〈廃社〉の付近)

・国瑞彦神社(徳島市伊賀町)

※式内社(阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社)の論社二つ

①境内社゛龍王神社゛〈現在は 廃社 本殿に合祀されている〉
※国瑞彦神社の境内社゛龍王神社゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされていた

②竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座

・豊玉比賣神社(徳島市眉山町)〈春日神社 境内〉

竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座

・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまの いはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について

・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)

・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR桜井線(万葉まほろば線)金橋駅からR165・166号経由で約1km 徒歩での所要時間15~16分程度

R166号の北側沿いに社頭が南を向いてあります
東側には曽我川が流れています

社頭には 社号標「式内大社 天太玉命神社・手水舎・鳥居が建ちます

天太玉命神社(橿原市忌部町)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて境内に進みます

境内の中程に4段程の石段があり その上が鳥居が建ち 社殿の建てられている境内地となっています

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二の鳥居をくぐり抜けます

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鳥居横には「太玉社」と刻字された石灯籠があり その先には玉垣に囲まれた境内社が祀られています

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この玉垣に囲まれた境内社は

〈境内社〉杵築神社岡本天王社

延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社
〈境内社〉杵築神社 又は天太玉命神社に合祀とも云う

『奈良県史』に「土地では一説に元、天石門別命神社の所在地という字一本木に祀られていた社を現在地に遷して牛頭天王を祀る杵築神社と改称したという」と記しています

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拝殿にすすみます

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割拝殿の壁には 絵馬が掲げられています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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割拝殿の扉は開きませんでしたので 扉の格子戸の隙間から 本殿を覗くと

・〈中央〉天太玉命神社 本殿
・〈本殿の向かって右〉玉依姫命神社
・〈本殿の向かって左〉春日神社

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

天太玉命神社(橿原市忌部町)は 2つの式内社の論社となっています

①大和國 高市郡 太玉命神社 四座〔並 名神大 月次 新嘗〕

②大和國 高市郡 天津石門別神社

・〈境内社〉杵築神社岡本天王社 又は天太玉命神社に合祀とも云う
延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社
『奈良県史』に「土地では一説に元、天石門別命神社の所在地という字一本木に祀られていた社を現在地に遷して牛頭天王を祀る杵築神社と改称したという」と記しています

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 太玉命神社 四座〔並 名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛忌部村に在す、゛〈現 天太玉命神社(橿原市忌部町)〉と記しています

【抜粋意訳】

太玉命神社四座 並名神大月次新嘗

太玉は布登多麻と訓べし

〇祭神明か也

忌部村に在す、〔大和志、同名所圖會〕

〇式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕大和國太玉命神社四座

神位
 三代実録、貞観元年正月二十七日甲申 奉レ授二 大和國從五位下 太玉ノ命ノ神二 從五位上

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 天津石門別神社について 所在は゛在所詳ならず゛よく分からないと記しています

【抜粋意訳】

天津石門別神社

天津石門別は阿麻都伊波止和氣と訓べし

○祭神明か也

○在所詳ならず

〇古事記、神代段常世思金神、手力男神、天石門別神、云々、次天石戸別神、亦名謂 櫛石窓神、亦名謂 豊石窓神、此神者御門之神也、
○姓氏録、河内國神別多米連、神魂命 天石都倭居命之後也、

類社
 摂津島下郡、美作國英多郡 天石門別神社、〔各一座

 近江国伊香郡 天石門別命神社、
 陸奥國白川郡 伊波止和氣神社、
 備前國御野郡 石門別神社二座、

神位
 三代實録、貞観十七二十九日壬子、授 大和正五位下 天石戸別神 從四位下、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 太玉命神社 四座〔並 名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛ 忌部村にあり、゛〈現 天太玉命神社(橿原市忌部町)〉と記しています

【抜粋意訳】

太玉命神社四座、

 忌部村にあり、〔日本紀通證、大和志、神名帳考證髙皇尊の子 齋(イムベノ)宿禰(スクネ)のと遠祖 天太玉命 及 太玉命の子、大宮賣神(オホミヤノメノカミ)豐磐間戸命(トヨイハマトノミコト)櫛磐間戸命(クシイハマトノミコト)を祀る、
〔日本書紀、古語拾遺、日本紀通證、神名帳考證、〇按 大和國神名帳畧解に、盤間戸二神なく、太玉命 天比の理咩命とあり、太玉命と天太玉命と重複なれは取りかたけれど、天比の理咩命は、天比理刀咩命にて、此に由緣あり さらに盤間戸二神を一柱として、此 姫神を加ふべき歟、〕

此 四柱の神、蓋 皆 天磐屋戸に大功あり、
太玉命は祭祀の禮儀を掌り、〔日本書紀、古事記、古語拾遺、〕
大宮賣神は殿内に侍て、神意を和奉り、
豐磐間戸神 櫛磐間戸神は、宮門を守衛る事を掌りて仕奉りき、〔古語拾遺〕

清和天皇 貞観元年正月甲申、從五位下より從五位上を授け、〔三代実録〕
醍醐天皇 延喜の制、並名神大社に列り、祈年月次新嘗の案上官幣に預る、〔延喜式、名神二字、據名神祭式〕
飛鳥神の裔神也、〔類聚三代格〕

凡 其祭 九月十六日を用ふ、〔奈良縣神社取調書〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494

式内社 天津石門別神社について 所在は゛ 越智村の大西にあり、゛〈現 天津石門別神社(高市郡高取町越智)〉と記しています

【抜粋意訳】

天津石門別神社、

 越智村の大西にあり、〔奈良縣神社取調書〕

神魂命の子 天石都倭居命を祀る、〔姓氏錄、延喜式〕

清和天皇 貞観十七年月壬子、正五位下 天石戸別神に從四位下を授く、〔三代実録〕

 毎年十一月六日祭を行ふ〔奈良縣神社取調書〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 太玉命神社 四座〔並 名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛忌部村〔字 一の道〕(高市郡金橋村大字忌部)゛〈現 天太玉命神社(橿原市忌部町)〉と記しています

【抜粋意訳】

太玉命神社四座 並名神大月次新嘗 (天太玉命神社とあり)

祭神

 天ノ太玉〈アメノフトタマノ〉命
 豐磐間戸(トヨイハマトノ)命
 奇砮間戸(クシイハマトノ)命
 大宮賣(オホミヤノメノ)命

神位
 清和天皇 貞観元年正月二十七日甲申 奉レ授二 大和國從五位下 太玉ノ命ノ神二 從五位上

祭日 九月十六日
社格 村社

所在 忌部村〔字 一の道〕(高市郡金橋村大字忌部)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 天津石門別神社について 所在は゛越智村〔字大西〕(高市郡越智岡村大字越智)゛〈現 天津石門別神社(高市郡高取町越智)〉と記しています

【抜粋意訳】

天津石門別(アマツイハトワケノ)神社

祭神 手力雄(タチカラヲノ)

 今按 古事記 常世 思兼神 手力男神 天石門別神と三神の名を擧たるたる 次に天石別神 亦名謂 櫛石窓神 此神者 御門之神也 次 手力男神者 坐佐那縣也とあり 又 古語拾遺に令 天手力雄神 引啓其扉遷新殿云々 豊磐間戸命 櫛磐間戸命 二神守衛殿門〔是並 太玉命之子也〕とあれば 天石戸別神と手力雄神は別神なるを社説に手力雄神と云るは誤れるならむ

神位 清和天皇 貞観十七年三月二十九日壬子 授二 大和國正五位下 天石戸別ノ神二 從四位下

祭日 一月六日
社格 村社

所在 越智村〔字大西〕(高市郡越智岡村大字越智)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

天太玉命神社(橿原市忌部町) (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

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