水尾神社(高島市拝戸)〈『続日本紀』『三代実録』三尾神・『延喜式』水尾神社〉

水尾神社(みおじんじゃ)は 元々は(河南社 河北社)二座がありましたが 現在は河南社に統合されています 河北社の祭神 振姫〔第26代 継体天皇の生母〕は 当社拝殿を産所として生まれたと伝わります 継体天皇 延喜式内社 近江國 高嶋郡 水尾神社〔並 名神大 月次 新嘗〕(みをの かみのやしろ ふたくら)です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

水尾神社(Mio shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

滋賀県高島市拝戸(はいど)716

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》磐衝別命(いわつくわけのみこと)〈河南社の祭神〉
〈第11代垂仁天皇の第十皇子『古事記』『日本書紀』では三尾君(三尾氏)・羽咋君(羽咋氏)の祖〉

《合》振姫命(ふりひめのみこと)〈河北社の祭神〉
〈垂仁天皇の7世子孫・第26代 継体天皇の生母

※かつて・猿田彦命(河南社)・天鈿女命(河北社)の2柱とする説があった

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・出世開運の神
安産、子授け、厄除けの神

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【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

延喜式内社 水尾神社

鎮座地 滋賀県高島郡高島町大字拝戸七百十六番地

御祭神
 磐衝別命 垂仁天皇第十皇子
 振姫命  継体天皇御母君

例祭日 五月三日

由 緒 

当社は、延喜式内社(平安時代)東山道の大社百八十中の、特に官幣大社五座の内二座を占め、祈年、月次、新嘗、例祭の年四回天皇より奉幣があり、又名神大社として臨時の大祭にも奉幣がありました。

当社の御祭神 磐衝別命は、当地の土俗神 猿田彦命の天成神道を学ぶ為に来住され、当地でなくなった為 その御子 磐城別命が背後の三尾山に葬り、父君をお祀りする水尾神社を創建されました。

それから約百年後に応天皇の御子 速総別命も来住され、 その四世孫 彦主人王は、磐城別命の五世孫 振姫を三国より迎えて妃とし、振姫は当社拝殿を産所として天迹部王、男迹部王、 太迹部王の三児を安産されました。太迹部王は後の継体天皇であります。当社は高島郡の総社として、又歴代の将軍家の尊崇を得、統治者、政治家、経営者等、出世の神として霊験あらたかであると共に、安産、子授け、厄除けの神として古来有名であります。

参道石碑文より

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水尾神社 滋賀県高島郡高島町拝戸

一、 祭神 磐衝別命 比咩神

一、 例祭日 五月三日

一、 由緒

本社創建は不詳で有るが既に天平神護元年(七六五)には神戸十三戸の奉充があった延喜式内の古社で東山道の官幣大社五座の中の二座(河南社 河北社)を占め社域は現在より相当広大であった 本殿(元河南社)には垂仁天皇の皇子である磐衝別命を祀り 河北社(現在は本殿脇の小祠)には継体天皇生母 振姫を祀っている

磐衝別命は此の高島の知を本拠として栄えた三尾君の祖であることは古事記 日本書紀に明らかである 姫宮である振姫は高島の別業高島宮に居られた彦主人王の妃で越前三国より迎えられ当社拝殿を産所として三児を出産されたと伝えられる 此の皇子の一人男大迹王が後の継体天皇となる 江戸期には八代将軍吉宗が神輿一基を奉納 九代家重公は社殿を再建 共に現存している 境内には鎌倉中期の石燈楼や供養塔の残欠が数多く残っている

 当社背後の杣山(三尾山)は古来より歌枕としても有名で万葉集をはじめ数々の歌が詠まれている

 五月雨に なほ川音も高島屋
    水尾の杣山 雲もなかれむ

        草庵集 頓阿

現地案内文より

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【由  (History)】

水尾神社 由緒

 水尾神社は水尾川(今の和田内川)を隔てて河南(かうなみ)社と河北(かうほく)社(現在は河南社境内に遷座)の2社有り、河南社本殿の御祭神は人皇十一代垂仁天皇の第10皇子 磐衝別命。また河北社本殿の御祭神は人皇二十六代継体天皇の御母君 振姫命であります。

 磐衝別王は猿田彦命の天成神道を学ぶため猿田彦を祀る当地に来住され、朝夕 猿田彦命を祀る三尾大明神(今の永田村の永田神社)を遥拝されたので、この地を拝戸と称し、その御住居を土地の人は拝戸御所と云っていました。
磐衝別王は当地で亡くなったので、その御子の磐城別王は背後の三尾山の中腹杣山に葬り、父君を奉斎する水尾神社を当地に創建されました。

それから約百年後に、人皇十五代応神天皇の第11皇子 速総別王も天成神道を学ぶため拝戸に来住されて、その4世の孫 彦主人王は磐城別王の五世の孫 振姫を迎えて妃とし、振姫は当社の拝殿を産所として天迹部王、男迹部王、太迹部王の3児を同時に安産されました。太迹部王は後の人皇二十六代継体天皇であります。

河北社は三児出産の時、父の彦主人王が北の仮社を建てて北極星に安産を祈られた仮社跡に、天迹部王が両親を奉祀する三重生大明神を創建されたもので、後年これが河北社として比咩神(振姫命)のみを祀る社となりました。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

滋賀縣 高島郡 郷社

○滋賀縣 近江國 高島郡高島村大字拜戶村

郷社 水尾(ミズノヲノ)神社

祭神
 猿田比古(サダヒコノ)
 天錮女(アメノウズメノ)

祭神は 一に石別命を祀るといふ(神祇志料)、創祀年代詳ならず、稱天皇天平神護年九月 近江地十三戸を充て、神封とし(新抄格勅符)

桓武天皇 延曆三年八月從五位下に袋せられ (續日本紀)、
清和天皇 貞観五年六月、正五位下より従四位下に進められ(三代實錄)、

醍醐天皇 延喜の制 名神大社に列り、月次新書の祭に預る延喜式)、
降って  宇多天皇 弘安三年頃より佛家の侵す所なり、宗尊親王の御女 禪智院を仰いで主とせり、 數百年の變遷に載せて社記にありしも、正親町天皇の天正八年 兵燹に罹り、社殿什物く烏有にせり、めに社記の徹すべきものなきも、今 殘存せる文書によりて見れば、後光明天皇の貞治五年には社領安堵の綸旨あり、又 後小松天皇の應永九年には三尾社領の譲狀を受けしことあり、されど後柏原天皇の大永三年には三尾社知行處返のことあり、更に正親町天皇の天正年中には、従前の社領二百石を五十石に減せられ、次いでく停廢せらるるに至り、社運甚だ困難に陥りたること文書に見ゆ、當社は昔時頗る壯大なりしものと見え、一の鳥居の跡とするもの音羽村の川中にあり、又 同村大炊神社は同社の炊殿なりしと、其他 當社の遺址とするもの少なからず、されど天正以後 種々の困厄に逢ひて 社頭漸く衰類したりしが、
明治に及び、九年十月村社に列せられ、次いで郷社に昇格あり、寶物には應永二年光上皇の賜りし院宜など数通あり、

境内は千八百二坪(民有地第二種)を占め、垣内には、本殿、拜殿、社務所、神輿舍、水屋などあり、因に云ふ、舊と川を隔て、二社あり、河南社 河北社と稱す、其の間の水尾川 今はあせて唯跡を残すのみ。

例祭日 五月六日

神饌幣帛料供進 指定年月日 明治四十一年四月二十九日 告示九十三號
會計法適用 明治四十一年九月二十八日 告示第四百二十一號

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

水尾神社 中門 本殿

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・〈本殿の向かって右 境内社〉八幡社3社相殿

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〈3社は独立社であった 明治44年(1911)1殿に統合される〉
 八幡神社《主》誉田別命〔応神天皇〕,速総別王〔応神天皇の御子〕
 神明神社《主》天照大神,豊受大神
 秋葉神社《主》火産霊神

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水尾神社 拜殿

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・水尾庭園〔平成8年完成 純和風庭園〕

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・陰陽石

陰陽石

この素朴な陰陽石のいわれは霊験いやちこで特に女性には恋と子宝に恵まれると伝えられる霊水である
現地立札より

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・水尾神社 唱歌

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・磐座

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・社頭 二の鳥居

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・参道口 一の鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

三尾神に神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

延暦三年(七八四)八月壬寅庚子朔三

○八月壬寅

に 近江 高嶋郡 三尾神従五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

三尾神に神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷七 貞觀五年(八六三)閏六月廿七日戊子

○廿七日戊子

近江國 正五位下 三尾神從四位下

 

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭

月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭(つきなみのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所

〇座別に以下のように 社ごとに幣帛(神への供物)を奉る

・絁(あしぎぬ)五尺
・五色の薄絁(うすぎぬ)各一尺
・倭文(やまとぬの)一尺
・木綿(ゆう)二両
・麻五両
・倭文・絁・布をそれぞれ刀の形にしたもの(まきかたなかた)各一口
・四座をまとめて一束 八座をまとめて一束とする
・弓一張、靫(ゆき)一口
・楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿
・鹿の角一隻、鍬一口
・庸布(ちょうふ)一丈四尺
・酒四升
・鰒(あわび)・堅魚(かつお) 各五両
・腊(ほしにく)二升
・海藻・滑海藻・雑海菜 各六両
・堅塩一升
・酒坩(かめ)〈酒を入れる壺〉一口
・裹葉薦(うらはこも)五尺
・祝詞(のとこと)を奏する座の敷物として短畳一枚

〇前一百六座(下位の神)への奉献

次に 前一百六座の神々(小社)は次の幣帛を奉る

・絁五尺
・五色薄絁各一尺
・倭文一尺
・木綿二両、麻五両
・四座ごとに一束 八座ごとに一束とする
・楯一枚
・槍鋒一口
・葉薦五尺

〇特別な奉献を受ける神々

これらの神々への祭祀は 祈年祭(2月)と同様に行うが 特に次の四神には馬一疋を加えて奉る

太神宮(内宮:伊勢神宮)
度会宮(外宮:伊勢神宮)
高御魂神(たかみむすびのかみ)
大宮女神(おおみやめのかみ)

ただし 太神宮と度会宮にはさらに「籠頭料(こもがしらりょう)庸布一段」を加える

〇祭の準備と執行

祭の五日前に 忌部(いんべ)九人と木工一人を召して 神に供えるための器物(供神調度)を作らせる
その監造者および清浄な衣 食の費用は 祈年祭の例に準じる
祭が終わると 中臣官(なかとみのつかさ)の一人が宮主および卜部らを率いて宮内省へ行き 神に供える「今食(いまけ=その日の御饌)」の奉仕者(小斎人(みのひと)を卜占によって定める

〇今食(いまけ)に供する品目

神に供える「今食(いまけ)」の品およびその料(材料)は次の通り

・紵(からむし)一丈二尺(御巾料)
・絹二丈二尺(篩(ふるい)料)
・絲四両(縫篩などの料)
・布三端一丈(膳部巾料)
・曝布一丈二尺(覆水甕料)
・細布三丈二尺(戸座襅(へさたまき)および褠料)
・木綿一斤五両(結ふ御食(みけ)料)
・刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚
・筥(はこ)六合 麁(あら)筥二合、明櫃三合
・御飯・粥料の米 各二斗、粟二斗
・陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶(かめ)各五口
・都婆波・匜(はふさ)・酒垂 各四口
・洗盤・短女杯(さらけ) 各六口
・高盤二十口、多志良加(に瓶のような器)四口
・陶鉢八口、叩盆四口、臼二口
・土片椀(もひ)二十口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口
・手洗二口、盤八口、土手湯盆(ほん)二口、盆(ほとき)四口、堝十口
・火炉二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚
・槲(かしわ)四俵、匏(ひさご)二十柄
・蚡鰭(えひのはた)槽(二隻:御手水用)
・油三升
・橡帛三丈(戸座服料、冬絁一疋、綿六屯、履一両)

〇供御の奉仕と終了後の処理

右に掲げた供御および雑物は それぞれ内膳主水などの司に付け 神祇官の官人が神部を率いて 夕暁(よひあかつき)〈夕方と翌朝〉の二度 内裏に参って奉仕する
供え終わった諸物は 祭が終わると中臣・忌部・宮主らに下賜され その取り扱いは 大嘗会(だいじょうえ) の例に準じて行う

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り 天皇がその年の新穀(しんこく)を神に供え みずからもこれを食して その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

 

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿

社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

 

前一百六座

座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を

右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る

伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉

・・・〈中略〉・・・

小野神社二座
日吉神社一座〈比叡神同〉
佐久奈度神社一座
建部神社一座
川田神社二座
御上神社一座
奥津嶋神社一座
伊香神社一座
水尾神社二座〈或水作三〉

已上近江國〉

・・・〈中略〉・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高嶋郡 34座(大2座・小32座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 水尾神社二座〔並 名神大 月次 新嘗〕
[ふ り が な ](みをの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name]Miwo no kaminoyashiro Futakura

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

かつて三尾神社〔水尾神社〕二座とされた 二つの社「河北社」「河南社」について

水尾神社二座は かつて水尾川を挟んで南北に各一社あり
・河南社(こうなみのやしろ 南本殿)
・河北社(こうほくのやしろ 北本殿)

この二社の内
「河北社」は 
社伝によると

「応神天皇の第十一皇子・速総別王は 天成神道を学ぶため当地に来住 その4世孫 彦主人王は 磐城別王5世孫の振姫を妃に迎えた 振姫は水尾神社の拝殿を産所として・天迹部王(あまあとべ)・男迹部王(おとあとべ)・太迹部王(おおあとべ:第26代継体天皇を指す)の3子を同時に出産したと云う その出産時 彦主人王は仮社を建てて安産を祈った のち天迹部王が その仮社跡に両親を祀る三重生大明神(みえなりだいみょうじん)を創建した これが「河北社」の始まりで その後「河北社」は 比咩神(振姫)のみを祀るようになったと伝えます」

河北社は昭和46年(1971)に倒壊し 河南社(現在地)に遷座ししていたが 現在は合祀されたか 現在は河南社の一社のみ

・〈旧鎮座地〉水尾神社 北本殿〈河北社〉の石碑

現在は 水尾神社の裏参道の入口に移転されています

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旧鎮座地は 水尾神社 河南社(現在地)現在地から北へ1km程の所にあったと云う

この辺りか?

・長田神社(高島市永田)

水尾神社(高島市拝戸)長田神社(高島市永田)の関係性について

水尾神社由緒には次のように記されています

磐衝別王は猿田彦命の天成神道を学ぶため猿田彦を祀る当地に来住され、朝夕 猿田彦命を祀る三尾大明神(今の永田村の永田神社)を遥拝されたので、この地を拝戸と称し、その御住居を土地の人は拝戸御所と云っていました

延喜式内社 近江國 高嶋郡 長田神社(なかたの かみのやしろ)

・長田神社(高島市永田)

・大炊(おおい)神社(高島市音羽)

大炊神社は かつて三尾神社〔水尾神社〕の大炊殿でした その旧址に建てられた神社です

大炊神社 御由緒

社伝によれば、本社は建久3年三尾神社の大炊殿の旧址に社殿を創建し、大炊殿の祭神を勤請して音羽村の産土とす

滋賀県神社庁HPより抜粋
https://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=1409

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR湖西線 近江高島駅から県道300号・296号経由で北西方向へ約3.5km 車での所要時間は5~6分程度

高島市拝戸にある三尾山の北麓に鎮座します
神社の北側の参道に着きました
境内の樹木が切られて 整地の状態でした この辺りの地肌は 白地の砂の様です

水尾神社(高島市拝戸)に参着

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境内案内図があります

案内図には 本殿の横に昭和46年移転「比咩社(ひめしゃ)」が記されていますが 参拝時2019/04/25の時点では在りませんでしたので 合祀されているものと想われます

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境内に石燈籠があり 正中の位置には竹が置かれています 石燈籠の脇を通り抜けて

拝殿にすすみます

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拝所は本殿前の中門に設けられていますので 拝殿を廻り込んで 中門へと進みます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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整地中の裏参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 水尾神社二座〔並 名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛下拝戸村 三尾山麓に在す゛〈現 水尾神社(高島市拝戸)〉と記しています

【抜粋意訳】

水尾神社二座 並名神大月次新嘗

水尾は美乎と訓べし、和名鈔、郷名部三尾、假字上の如し

祭神 猿田彦大神、天鈿女命、

○下拝戸村 三尾山麓に在す

○式三臨時祭名神祭二百八十五座、〔中略〕近江國水尾神社二座、或水作三

 日本紀、垂仁天皇三十四年三月乙丑朔丙寅、喚 崎戸邊納 于後宮、生 盤衝別命、是三尾君之始祖包己、」
 古事記 垂仁天皇巻、石衝別王者、三尾君之祖、
○頭注云、郡内有 大河、件河南水尾 猿田彦神、名 河内社、河北 天鈿女神也、両社分 水尾川勧請也、
○與地志略云、水尾社 川を隔て二社あり、〔中略〕 両社の間 五町を隔つ、古昔は両社の間を水尾川流る、故に河南 河北の名あり、〔中略〕湖邊の出崎を三尾崎と云、〔中略〕土俗誤て、白蓮山長谷寺の鎮守也と云 歎息すべし、』
叉云、水尾川今は川なく知人もなし、

神位

 續日本紀、延暦月壬寅、叙 近江國高島郡 三尾神 從五位下、

 三代録、貞観年閏二十七日戊子、授 近江國正五位下 三尾神 從四位下

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 水尾神社二座〔並 名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛ 尾村に在り、水尾大明神と云ふ、゛〈現 水尾神社(高島市拝戸)〉と記しています

【抜粋意訳】

水尾(ミヲノ)神社二座、

〔〇 續日本紀、三代實錄、延喜臨時祭式、水尾を三尾に作る並同じ〕

 尾村に在り、水尾大明神と云ふ、〔神名帳頭注、和爾雅、國華万葉記、神名帳考、〕

其一は 今 三尾山の麓下 拜戸(ハイト)村 川を隔てて社あり、河南社 河北社と名く、〔近江興地志略〕

蓋 三尾君の祖 石撞別命を祭る、〔参酌日本書紀、古事記、舊事本紀、〕

稱徳天皇 天平神護元年九月丙申、三尾神に近江地十三戸を充て神封とし、〔新抄格勅符〇按 本書 三尾を尾三に作る時は、伊香郡なる乎彌神社とも疑はるれと、三尾を倒しまに寫し誤りしものなる事著し 故今之を訂す〕

桓武天皇 延曆三年八月壬寅、從五位下に叙され、〔續日本紀
清和天皇 貞観五年閏六月戊子、正五位下より從四位下を授け、〔三代実録〕〔〇按 本書正五位下に進み給へる年月詳かならず、〕
醍醐天皇 延喜の制、並に名神大社に列り、月次新嘗の祭に預る、〔延喜式〕

 每年三月中卯日を以て祭を行ふ、〔三才圖會〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 水尾神社二座〔並 名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛拜戸村(高島郡高島村大字拜戶)゛〈現 水尾神社(高島市拝戸)〉と記しています

【抜粋意訳】

水尾神社二座 並名神大月次新嘗

祭神 磐撞別命

今按 神名帳頭注に彼郡内 大河 件ノ河南  猿田彦 神名 河内ノ社 河北 ノ鈿女ノ神也 兩社 水尾川ヲ勧請也とあるに猿田彦ノ神 天鈿女ノ神を祭る云るは如何あ こは三尾君の始 磐衝命の御夫婦を祭れるにやあらん 垂仁紀に喚 綺戸邊ヲ納シ 干後宮  磐衝別ノ命ヲ是れ三尾ノ君ノ之始祖也 古事記に石(イハツクワ)ノ王者 三尾君之組とみえ 此氏人の近江にありしことは同書〔長谷ノ列本宮段〕袁本杼(ヲホドノ)命ヲ自ヨリ近淡海國(アフミノクニ) 坐(ノボリマサシメテ)面云々 また〔玉穂宮の段〕袁本杼ノ命云々 天皇(スメラミコト)娶(メシテ)三尾君等(ミヲノキミラガ)祖(オヤナ)(ワカヒメ)云々とあるは 近淡海國にます時ことなるを知るべし


 桓武天皇 延曆三年八月壬寅叙ニ 近江ノ國 高島 三尾ノ神 從五位下
 清和天皇 貞觀五年六月二十七日戊子授 近江五位下 三尾 従四位下


社格 村社(明細帳明治十五年九月許可(郷社)

所在 拜戸村(高島高島村大字拜戶

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

水尾神社(高島市拝戸) (hai)」(90度のお辞儀)

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