下総国 式内社 11座(大1座・小10座)について

(しもさのくにの式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される  11座(大1座・小10座)の神社です

下緫国(しもふさのくに)について

(Shimofusanokuniは  令制国の一つ東海道に属する
現在の千葉県北部茨城県南西部埼玉県東辺東京都東辺(隅田川東岸)

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古は 総国(ふさのくに)よき麻の生きたる土地の意
『古語拾遺』によれば
斎部氏(忌部氏) 阿波国〈徳島県〉から部民を伴い海路ここに至った

総国(ふさのくに)
7世紀後半 上・下に分けられ
〈・上総国かみつふさのくに)・下総国(しもつふさのくに)が成立

国造(くにのみやつこ)は
『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』(平安初期)には
印波(いんば)国造、下海上(しもつうなかみ)国造
『日本後紀(にほんこうき)』(840)には千葉(ば)国造とある

鎌倉時代初期
千葉常胤が 石橋山の戦いに敗れて安房国に逃れた源頼朝を迎え 鎌倉幕府創立に協力
その結果 鎌倉時代から室町時代にわたり 千葉氏が守護としてを支配した

徳川家康 江戸に入ると 千葉氏の支配は終

江戸時代
佐倉生実 (おいみ) 関宿結城古河高岡小見川多古臼井などの小藩が分立

明治4年1871)7月 廃藩置県 各藩が県となった
明治4年1871)11月 印旛県と新治県に合併され
明治6年(1873印旛県は 千葉県に編入された
明治8年(1875)新治県は 茨城県に編入された

下緫国(しもつふさのくに) 11座(大1座・小10座)

大社1座は 1社大社1社は 名神大社
小社10座は 10社
 計11座は 11社

※座は神の柱数 社は神社数

郡として 7郡〈延喜式神名帳に記載〉
香取郡千葉郡匝瑳郡結城郡岡田郡葛飾郡相馬郡

目次

香取郡(かとりの こおり) 1座(大)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

香取神宮(名神大 月次 新嘗)(かとりの かむのみや)

・香取神宮(香取市)下総国一之宮

〈経津主大神の荒御魂(あらみたま)を祀る〉香取神宮 奥宮(香取市)

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千葉郡(ちはの こおり) 2座(並小)と論社について

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寒川神社(さむかはの かみのやしろ)

・二宮神社(船橋市三山)

・寒川神社(千葉市中央区寒川町)

蘇賀比咩神社(そかひめの かみのやしろ

・蘇我比咩神社(千葉市中央区蘇我)

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匝瑳郡(さふさの こおり) 1座(小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

老尾神社(をいをの かみのやしろ)

・老尾神社(匝瑳市生尾)

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印播郡(いんはの こおり) 1座(小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

麻賀多神社(まかたの かみのやしろ)

・麻賀多神社(成田市台方)

・麻賀多神社 奥宮(成田市船形)

・麻賀多神社(佐倉市鏑木町)

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結城郡(ゆふきの こおり) 2座(並小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

髙椅神社(たかより かみのやしろ)

・高椅神社(小山市)

健田神社(たけた かみのやしろ)

・〈旧鎮座地〉健田神社旧跡(結城市結城)

・〈合祀先〉健田須賀神社(結城市結城)

岡田郡(をかたの こおり) 1座(小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

桑原神社(くははら かみのやしろ)

・桑原神社(常総市国生)

葛飾郡(かとしかの こおり) 2座(並小)と論社について

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茂侶神社(もろの かみのやしろ)

・三輪神社(吉川市三輪野江)

・三輪茂侶神社(流山市三輪野山)

・茂侶神社(松戸市小金原)

・茂侶神社(船橋市東船橋)

意富比神社(いふひ かみのやしろ)

・意富比神社〈船橋大神宮〉(船橋市宮本)

・〈船橋大神宮の旧鎮座地 神明宮を合祀〉日枝神社(船橋市夏見)

・〈船橋大神宮の本宮〉入日神社(船橋市海神)

相馬郡(さうまの こおり) 1座(小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

蛟蝄神社(あつちの かみのやしろ)

・蛟蝄神社 奥の宮(利根町立木)

・蛟蝄神社 門の宮(利根町立木)

東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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