正一位浅間神社(市川三郷町宮原御領土)〈『延喜式』表門神社〉

正一位浅間神社(しょういちいあさまじんじゃ)は 社記にれば景行天皇566 鹽海足尼 甲斐造として入國幣帛を奉ずと云う 往古は表門社  浅間神社 或は磐間宮(いわまのみや)とも称し 岩間庄内の鎮守でした 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社となっています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

正一位浅間神社(Shoichii Asama shrine

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

山梨県西八代郡市川三郷町宮原御領土1

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
 木花佐久耶比賣命(このはなさくやひめのみこと)
 天邇岐志 国邇岐志 天津日高日子番邇々藝命(あめにきしくににきしあまつひたかひこほのににぎのみこと)
 天津日高彦火火出見尊(あまつひこひこほほでみのみこと)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

正一位 浅間神社

 當社は、木花佐久耶比賣命(このはなさくやひめのみこと)邇々藝命(ににぎのみこと)(天邇岐志 国邇岐志 天津日高日子番邇々藝命)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)(天津日高彦火々出見命)の三神をお祀してあります。

 當初は第十二代景行天皇の御代 塩海足尼が甲斐の國造(くにのみやつこ)(現知事に當る)として 入國の際 幣帛(へいはく)を奉ったと云われ、往古は表門社  浅間神社 或は磐間宮(いわまのみや)とも稱し岩間庄内の鎮守として、又 後陽成院 第八皇子 良純親王御行宮の跡を里人尊崇し 浅間社中に神殿を建立して八之宮と稱し勧請したが、明治元年 暴風のため大破し浅間社へ合祀したとも云ふ。元来 朝廷武将並に一般庶民の崇敬篤く、有栖川宮家 祈願所として舊來 公祭として祭典の都度 天下泰平 五穀豊穣 産子安全を祈願し行政の執行に當り、或は治山治水に行政を扶け 子孫繁榮と操高き女の道を示された木花咲耶姫の神徳を仰ぎ、安産児育(こそだて)の神として一般信仰とを併せ 諸祭が執り行なはれて来た等 古くより神名帳に記載された名社である。

平成三年十月吉日 奉納 山本政徳
宮司 内藤吉光代 書者 井上勝

現地石碑文より

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【由 緒 (History)】

浅間神社(旧郷社) ■由緒沿革:

 景行天皇の御宇 国造 塩海足尼の創建になり、成務天皇五十六年 幣帛を奉り一名 磐間宮と称す。
大化年中 徳丸皇子祈願に依り社殿改築、神護景雲元年(七六七)冬 坂上田村麿 社殿改築、大同年中 甲斐守橘 安○祈願、後、甲斐守守次 神楽殿建立。
戦国時代兵火に焼亡するも再建され、朝廷武将の崇敬篤く天保八年 有栖川宮家より正一位の神階を賜り同家祈願所となり、中務郷部仁親王より「甲斐国正一位浅間神社」御染筆下賜される。明治六年供進使指定郷社。

山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/4058

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇山梨縣 甲斐國 西八代郡宮原村字御領土

郷社 淺間神社

祭神
 木花咲耶姫命
 天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇々藝尊
 天津日高彦火々出見尊

創立年代詳ならず、然れども社記にれば、景行天皇五十六月、海足尼 甲斐造として入國幣帛を奉ずと云ふ、「浅間明神 宮原村上門と云ふに在り、岩間葛籠澤、宮原 三村の産神にして、三ノ宮とせり、蓋し岩間庄内の鎮守なるべし、社地千六百餘坪、

 社記亦へて表門神社なりと云ふ、
祭禮十三日、神輿を山宮に移し、神樂を奏して祭る、河内神幸とて、古は東河内領十島より落居に、西河内領は、南部より箱原に至るまで、諸村より人夫を出して供奉し、神主も帯金より上の方九人集して、神樂を奏せしよし、其頃は公祭にて有志の警固あり、規存して今に岩間村 伊藤氏、其投を勤め、御幸の前駈しつ、之れを御奉名主と云ふ、十五 岩間宿を経て富士川の上に幸し、夏越の神事あり、又 二日中日を撰みて神樂を奏す(甲斐志〉当社を表門神社に擬てたるは他に徽証なきを恨む、而も國志の称する所にり、古社にして衆庶の崇敬を蒐めたる神社たりしことは確かに窺ひ知らるゝなり、明治年郷社に列す。

社殿は本殿、拝殿を具へ、境内九百八十三坪(官有地第一種)にして風色佳絶なり

神社
 良純社  妻稻荷神社 疱瘡神社 三宮司 天神
 稲荷神社 山神社 御崎大神社 若宮 道祖神社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)八代郡 6座(大1座・小5座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 表門神社
[ふ り が な ](うは〔へ〕との かみのやしろ)
[Old Shrine name]Uhato no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

式内社(うはとの かみのやしろ)の類社について

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)」は 甲斐國巨麻郡と美美濃國安八郡の二箇所に記されています

又 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)と云います

延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社

・宇波刀神社(北杜市明野町上手)

・宇波刀神社(甲府市宮原町)

・宇波刀神社(韮崎市円野町)

・御崎神社(甲府市美咲)〈参考論社〉

延喜式内社 美濃國安八郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社

・宇波刀神社(安八郡神戸町神戸)

・宇波刀神社(安八郡安八町森部)

延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社

・表門神社(市川三郷町上野)

・熊野神社〈五社神社〉(甲府市右左口町)

・表門神社(甲府市白井町)

・正一位浅間神社(市川三郷町宮原御領土)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

jr身延線 甲斐岩間駅から東へ約1.7km 車での所要時間は3~5分程度

中部横断自動車道の六郷ICを降りて 県道43号を東へ500M程です

県道43号沿いに駐車場もあり 社頭は南向きです

正一位浅間神社(市川三郷町宮原御領土に参着

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社頭の社号標には「有栖川宮 御祈願所 郷社 正一位淺間神社」と刻字されています

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朱色の両部鳥居は 鳥居の笠木に瓦屋根が葺かれていて 神仏習合の歴史を色濃く残しています

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鳥居の扁額には「淺間神社」

一礼してから鳥居をくぐり抜けて境内へ進みます

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龍神の彫物が施された手水舎

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手水舎の後ろにある「堀」は 神楽殿の脇から 本殿などの神域を取り囲んでいるのように見えました

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堀を渡り 二の鳥居をくぐり抜けて

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の前には 由緒書きの石碑の他に 案内板があります

町指定文化財

宮原浅間神社壱番神輿

 本神輿は、山梨県における三大神輿の一つといわれ、文化十三年(一八一六)下山村大工石川七郎左衛門らによって建造以来 一八〇年を経過しているが、損傷個所も少なく優美精緻(ゆうびせいち)の状態を保つている。

 この状態を永く後世に残すため、昭和三十九年に別の神輿一基を建造し、例年四月十三日(近年は直近の日曜日)の例大祭は、新しい神輿を使用し、本神輿は、本殿に安置して参拝者の観覧に供している。

指定 昭和六十二年三月十四日
所有 浅間神社

市川三郷町教育委員会

現地案内板より

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 表門神社について 所在は゛市川郷上野村に在す、今 御崎明神と称す、゛〈現 表門神社(市川三郷町上野〉と記しています

【抜粋意訳】

表門神社

表門は宇波刀と訓べし、和名鈔、郷名部山梨西郡表門、

○祭神 倉稻魂命、名勝志、参考、

○市川郷上野村に在す、今 御崎明神と称す、同上

例祭 三日、十一月酉日、

國巨麻郡 宇波刀神社あり

社領
 當代御朱印高 四十一石余

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 表門神社について 所在は゛今 市川郷上野村にあり、御崎明神といふ、゛〈現 表門神社(市川三郷町上野〉と記しています

【抜粋意訳】

表門(ウハトノ)神社、

 市川上野村にあり、御崎明神といふ、

 三月三日、六月丗日、七月十五日、十月上酉日祭を行ふ、〔甲斐名勝志、山梨縣取調書〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 表門神社について 所在は゛上野村〔字町谷小路〕(西八代郡上野村大字上野)゛〈現 表門神社(市川三郷町上野〉と記しています

別説として
白井河原村 八乙女社奇石を以て積たる岩戶の内に鎭座す゛〈現 表門神社(甲府市白井町)〉
山梨郡春日井村の内 桑戶組の石塚明神

【抜粋意訳】

表門神社  御崎明神

祭神
祭日 三月三日 十一月酉日
社格 郷

所在 上野村〔字町谷小路〕(西八代郡上野村大字上野)

 今按 此地 往古は上戸村と號 市川大門村 上下大烏居村等あり て此社を市川明神とも 俗に市川文珠とも云り 上野村は一層高燥の地にて 一つの岡を成したる處なれば 往古 湖なりし卑濕の地に對して 上野とは云るなるべく 表門も上處(ウハト)の義にて上野と異なる意なしと云り されば表門神社 此地なるべし

 一說に
 白井河原村 八乙女社奇石を以て積たる岩戶の内に鎭座す此處をウハドと唱へて式内 表門神社と云へど疑はし
 山梨郡春日井村の内 桑戶組の石塚明神 明和七年の棟札に奉造營 宇波戶神社 石塚桑戶大明神 寶殿とあれど和名鈔 山梨郡に表門 郷名あるよりこの時 始て式内と唱へ出たるものと聞ゆ 此村もと賀茂村 賀茂明神の産子なりしを 三四年來 本社を産土神と崇むれど神社もいと小社にて 舊來 石塚明神と稱したりと云へば 式社にはあるべからず

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

正一位浅間神社(市川三郷町宮原御領土 (hai)」(90度のお辞儀)

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甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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