三輪茂侶神社(流山市三輪野山)〈『三代實録』茂侶神『延喜式』茂侶神社〉

三輪茂侶神社(みわもろじんじゃ) 三輪野山の北側に半円形状につき出た台地の中央に鎮座します 大和三輪の大神神社を勧請したものと伝わり 以前は地名にちなみ「三輪神社」と呼ばれていました 延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社となっています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

三輪茂侶神社(Miwa moro shrine)

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

千葉県流山市三輪野山5丁目619

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大物主命 (おおものぬしのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

茂侶神社

平安時代の神名帳にある神社。式内社(しきないしゃ)。祭神は大物主命(おおもの ぬしのみこと)。境内には、大国主の像 (おおくにぬしのぞう)や万葉歌碑(まんようかひ)などの石造物ががある。1月のヂンガラ餅神事は、市指定無形民俗文化財。

現地案内板より

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拝殿屋根葺替記念碑

 第六十代 醍醐天皇の御世は 後に延喜の治といわれる理想の時代であった

 当時の制度中に延喜式神名帳があって 全国から三千百三十二の神社が搭載されて 国の祭祀にあづかった
 この地方では、葛飾に坐す 茂侶神社と他の一社が載っている 茂侶神社について諸論説を検索すると 当神社が延喜式内社である

 古記録による幾度の神階昇叙や 境内に接した神宮寺跡地 神社前を南方に延びる旧参道西平井の鳥居跡 鰭ヶ崎塚之腰祭祀跡等の水路上陸地 或いは神奈備北浦の巨八本より八木郷の地名由因などから考察するに 広大な神域を有し 又江戸幕府からは毎年二十五石の祭祀料を捧げ或いは今伝わる神賀良餅の神祭その他によって盛大な祭典が偲ばれる

 創立年代は 式内社であり 又奈良時代・平安初期に大和地方から当地に部族の移動記録等により その時代と推察される

 御祭神は 大物主命 又の御名を大國主命とも大己貴神とも称える

 往昔 三輪山の台地のふもとは河川が洗い 水田も拓けて稲作が盛んであったことは 万葉集の葛飾早稲の歌でも知られる 陸地には畑作物が豊かに稔った

 朝に祈り夕に感謝の誠を捧げて祈耕一体の生活を営み その間いろいろな世を経て 神奈備の社を護り ときには社殿を繕い修め 或いは改め築いて今日に至った

 この度 拝殿屋根瓦葺替を執り行うに当たって 氏子一同心を協わせ浄財を捧げて 工を起こしここに竣工を見る
 仰いで神徳の弥高を拝し奉る
 竣工奉祝祭に際し 愈々 国の隆昌と世界の共存共栄並びに氏子の繁栄を祈り
 神社の栄久奉護を誓って記念とします
 平成十二日氏子謹んで誌す

現地案内板より

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【由  (History)】

延喜式神名帳(平安初期に作られた法令集)にのっている式内社で大和国

城山郡三輪野山(奈良県)の麓に祭れし大物主命の分霊を祈る。

毎年一月八日の新年祭に八升の鏡餅を神前に供えて之を氏子へ分割する

ンガラ餅」の神事がある

茂侶神社(三輪野山)

現地立札より

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茂侶神社

三輪茂侶神社は、以前は地名にちなみ「三輪神社」と呼ばれていました。三輪野山の北側に半円形状につき出た台地の中央に鎮座しています。

延喜式神名帳(平安初期に作られた法令集)にのっている式内社で大和国城山郡三輪野山(奈良県)の麓に祭礼し大物主命の分霊を祭っています。毎年1月8日には、茂侶神社の「ヂンガラ餅の神事」(氏子が総出で茂侶神社に参拝して八升の鏡餅(上が三升、下が五升)、8種類の野菜の煮物をお供えした後、参拝者全員で食べるため、8づくしがモットーとなっています)があります。この行事は流山市指定無形民俗文化財に指定されています。

祭 神

 大物主命(オオモノヌシノミコト)

縁 起

 下毛野君の始祖豊城命が茂侶神社と名付けたと言われる。貞観2年(860)、三輪神社唱える。大正7年(1919)、茂侶神社に改称
御朱印 江戸時代に寺領25石を拝領市指定無形民俗文化財 ヂンガラ餅神事石造物 庚申塔(立像、元禄4年/1691)、大国主命像(平成8年/1996)ほか万葉歌碑 高さ約1.2m、横幅約1.9m 建 立 流山市観光協会「にほとりの 東葛早稲を にへすとも そのかなしきを 外に立てめやも」※下総女の情愛の深さを見せた恋歌で、往時の民謡と考えられている。

流山市観光協会HPより抜粋
https://nagareyamakankou.com/tourism-information/moro-jinja/

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・茂侶神社ヂンガラ餅行事

茂侶神社ヂンガラ餅行事(茂侶神社)

 流山市指定無形民俗文化財第二号

 茂侶神社は大物主命を祀り、平安時代初期の書物「延喜式」にその名を記された神社であると考えられている。

 毎年一月八日(最近は最寄の日曜日)三輪野山地区のオビシャが行われる。神前には八升の御神酒、八升の餅、八種類の野菜の煮物が備えられる。祭典、 トウ渡し(年番の引継ぎ)、直会の後若衆が大きな供餅を引きちぎりあい、奪いあう「餅取り」を行う。
行事はかつては近郷から若衆が集まり裸で餅を奪いあうもので、 奇祭とよばれていた。餅の割れ方でその年の作柄を占ったと言われる。

流山市教育委員会

現地案内板より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられていま

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

下總 茂侶神神位が授けられと 記されています

【抜粋意訳】

卷二十 貞觀十三年(八七一)十一月十一日癸未

○十一日癸未


丹後國 從五位上 大河神 正五位下
下総國 從五位下 茂侶神 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO

【抜粋意訳】

卷卅六 元慶三年(八七九)九月廿五日壬子

○廿五日壬子


河内國 從四位下 建水分神 從四位上
下総國 正五位下 茂侶神 正五位上

是夜、鴨河辛橋火。燒斷大半。

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下総國 11座(大1座・小10座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛飾郡 2座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 茂侶神社
[ふ り が な ](もろの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Moro no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社

・三輪神社(吉川市三輪野江)

・三輪茂侶神社(流山市三輪野山)

・茂侶神社(松戸市小金原)

・茂侶神社(船橋市東船橋)

・二宮神社(船橋市三山)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

つくばエクスプレス 流山おおたかの森駅から西へ約1.9km 車での所要時間は6~7分程

県道52号と5号との交差点に 南を向いて社頭があります

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三輪茂侶神社(流山市三輪野山)に参着

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鳥居をくぐると右手に「三輪野山自治会館」があります

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参道の左手には石碑「記念碑」があります

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二の鳥居は 朱色の木製の両部鳥居です

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二の鳥居をくぐり抜けて
拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の後ろには ブロック塀の御垣に囲まれて 本殿が祀られています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 茂侶神社について 所在は゛栗ケ澤村に在す、゛〈現 茂侶神社(松戸市小金原)〉と記しています

【抜粋意訳】

茂侶神社

茂侶は假字也

○祭神 大日霊尊、月弓尊、素戔鳴尊、蛭尊、地名記

〇栗ケ澤村に在す、同上例祭 月日、

神位
 三代実録、
 貞観十三十一十一日癸未、授 下総國從五位下 茂侶神 從五位上、
 元慶二五日壬子、授 下総國正五位下 茂侶神 正五位上

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 茂侶神社について 所在は゛ 栗か澤村にあり、゛〈現 茂侶神社(松戸市小金原)〉と記しています

【抜粋意訳】

茂侶(モロノ)神社

 栗か澤村にあり、〔巡拝舊祠記、下總興地全圖、〕

清和天皇 貞観十三年十一月癸未、從五位下 茂侶神に從五位上を授く、
陽成天皇 元慶三年九月壬子、正五位下より正五位上を授く、〔三代実録〕〔〇按 本書 正五位下に叙されし年月、考る所なし、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 茂侶神社について 所在は゛三輪山村゛〈現 三輪茂侶神社(流山市三輪野山)〉と記しています

【抜粋意訳】

茂侶神社  三輪明神(明細帳三輪神社とあり)

祭神 大物主命

 今按 社號を茂呂と云は 三諸山のもろに由あり 村名を三輪山と云ひ三輪山と云ひ三輪明神と唱ふるを以て考ふるに祭神 大物主神なるべし 故今定めて記せり

神位
 请和天皇 貞観十三年十一月十一日癸未 授 下總從五下 茂侶神 從五位上
 陽成天皇 元慶三年九月二十五日壬子  下總國正五位下 茂侶神 正五位

祭日 正月八日
社格 村社

所在 三輪山村

 今 總國舊事考に 本社は千葉郡三明神なりとも 葛飾 意富比神社の末社とも  栗ヶ澤村にもありと云に 三輪山とを合せて四所あり その内三山は寒川神社なること上に云るが如くなれば 本社にはあらず 意富比末社と長島は疑はしければ取がたく 栗ケ澤は水戶源光圀の茂侶神社ならんかと疑はれしのみなるを 其神主の私に茂侶と云出しよりのことにて證あるにあらず
 されば三輪山村なる三輪明神 即本社ならんと云ひ 茂侶は御にて 古事記傳に御諸山は即 三輪山のことなりと云  國人 横田好が考にの近江を三輪と云ひ 土人説に往 大和国三輪の人来りて地を拓き 地を三輪山と名け三輪神を祭る三輪山 一に御山と云ひ 又 御母呂山とも云と云るが如く 村を三輪山と云ひ を茂呂と云ふも甚だ由あれば 今は此地と定めて記しつ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

三輪茂侶神社(流山市三輪野山) (hai)」(90度のお辞儀)

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