高椅神社(小山市)

高椅神社は 日本料理の祖神磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)」を祀り「料理の神様」として信仰を集めます その創始は古く2000年程遡ります 長元2年(1029には 社域に掘った井戸から大きな鯉が出て天皇に献上し「禁鯉の宮(キンリノミヤ」と呼ばれ この地域では鯉をお鯉様と呼び 食さないのは勿論 五月節句の鯉のぼりも立てないそうです

目次

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

高椅神社Takahashi Shrine) 
(たかはしじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

鯉の明神さまKoi no myojin sama)

【鎮座地 (Location) 

栃木県小山市高椅702

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)
   国常立尊Kuni no tokotachi no mikoto)
   天鏡尊Ameno kagami no mikoto)
   天萬尊Ameno yorozu no mikoto)

《合》木花開耶姫命Konohanasakuyahime no mikoto)
   経津主Futsunushi no mikoto)
   高龗神Takaokami)
   火産霊命Homusubi no mikoto)
   豊受比売Toyokehime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・料理の租神(調理師守護)Guardian deity of the cook

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

・景行天皇41年( AD 111年頃)創始
・天武天皇12年(684)創建

髙椅神社
(たかはしじんじゃ)

日本に於ける料理の祖神 各家庭に於ける台所の神 日本書紀に「磐鹿六雁命は、景行天皇東国御巡視に供奉、海路淡水門を渡られた時、白蛤と鰹魚で膾を作って献上したところ、天皇いたく賞味せられ、膳臣を賜り云々」とあり、料理の始祖神として、当社はその本宗をなす。御分霊が下呂温泉、飛騨高山等に奉斎されている。

祭神/磐鹿六雁命、国常立尊、天鏡尊、天萬尊
創建/景行天皇41年

栃木県神社庁HPより http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=783

【由  (history)】

当社の創立は、景行天皇の41
日本武尊が御東征の折、現在の白旗丘(当社北方約1粁)に御旗を立てられ、国常立尊、天鏡尊、天萬尊の三柱の神を勧請して戦勝を祈願されたのが起源であると伝えられる。

その後、
天武天皇の12年(684)祭神の後裔 高橋朝臣が氏祖神 磐鹿六雁命を合祀して、高椅神社と尊称するに至った

延喜式の神名帳(927)に登載されている古社である。

磐鹿六雁命は、崇神天皇の御代、各地に派遣された四道将軍の1人である大彦命の御孫に当られる御方で、
景行天皇が、御皇子 日本武尊の御東征の戦跡を御巡視なされた際、膳臣としてお供をなされ当地まで来られたが、老令のため お許しを得てこの地にとどまり、以後 代代豪族としてこの地方を支配した

天武天皇の12年、朝廷より高橋朝臣の姓を賜わり代代 高橋朝臣を襲名した。

「高椅」の地名も高橋朝臣よりとったという

後一条天皇の長元2年(1029)社域に掘った井戸から大きな鯉が出たため奇異であるとして、時の神主が都に参上、その由を奏上したところ、誠に霊異なことと思召され、「日本一社禁鯉宮」の勅願を賜わった
以来氏子民は、鯉を食うこと及び鯉絵のついた器物等の使用を禁ぜられたが、今日までこの禁を犯す者がなく、鯉を食べないことは勿論、五月節句の鯉のぼりも立てない風習が現存している。
当社が「鯉の明神さま」と親しまれているのは、この由緒によるものである。
境内の南端にある神池には、氏子、崇敬者の奉納した鯉が多数放流されている。結城代代の城主の崇敬殊に厚く、政朝、政直、政勝、晴朝、秀康の各城主よりの寄進状、祈願文、修行留等二十余通神納され現存する。
殊に秀康公が、越前福井へ国替になった後も代々例度の代参を欠かすことがなく、明治維新まで続けられた。
明治5年郷社となり、同10年7月県社となる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

拝殿向かって右手

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左側から

天満宮(テンマングウ)《主》菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)

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中央に5社合殿

真剣神社《主》日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
・春日社《主》天児屋命(アメノコヤネノミコト)
・東照宮《主》徳川家康(トクガワイエヤスコウ)
・天建社《主》素戔嗚尊(スサノヲノミコト)
・健田社《主》健田大神(タケダノオオカミ)

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右側に3つの石祠
祭神 不詳

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本殿の裏側に3社

稲荷神社《主》倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)
中・大椙神社《主》大物主命(オオモノヌシノミコト)

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左・上宮神社《主》聖徳太子(ショウトクタイシ)

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本殿向かって左手

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5社合殿

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神明宮《主》大日孁貴(オオヒルメムチノミコト)
八幡《主》誉田別命(ホンダワケノミコト)
雷電神社《主》大雷命(オオイカヅチノミコト)

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日高神社《主》天鈿(アメノウヅメノミコト)
疱瘡神社《主》少彦名(スクナヒコナノミコト)
 疱瘡神社には 赤色の紙垂が垂れます

白幡神社《主》武甕槌神(タケミカヅチノカミ)

 

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

「高椅神社」の属する下総国(シモフサノクニ)結城郡〈栃木県結城〉 江戸時代の元禄年間に下野国(シモツケノクニ)都賀郡になるまで 下総国(シモフサノクニ)に属していま した

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下総国 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)結城郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 髙椅神社
[ふ り が な ](たかよりの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takayori no kamino yashiro)  

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

髙橋(タカハシ)氏の発祥 高橋朝臣(タカハシアソン)について

当神社「高椅神社Takahashi Shrine)」の社伝によれば 高橋(タカハシ)氏の発祥の地は この地であるとも読み込めます

「 高橋氏の氏祖神「磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)」が
第12代 景行(ケイコウ)天皇〈 AD71~130年頃〉が 皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の御東征の戦跡を御巡視なされた際に 膳臣(カシワテノオミ)としてお供をして
当地まで来られたが 老令のため お許しを得て この地にとどまり 以後 代代豪族としてこの地方を支配した」
とあり

さらに
天武天皇の12年(684)朝廷より 高橋朝臣(タカハシノアソン)の姓を賜わり 代代 高橋朝臣(タカハシノアソン)を襲名した
天武天皇の12年(684当神社に 氏祖神「磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)を合祀して 高椅神社と尊称するに至った」と伝わります

大和〈奈良〉にある 髙橋(タカハシ)氏の発祥地と 高橋朝臣(タカハシアソン)について

高橋神社(奈良市八条町)記事をご覧ください

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御祭神として「磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)」(料理人の神様)を祀る『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)関連の神社

山城國 愛宕郡 高橋神社
  北野天満宮京都市)境内末社 神明 

・【伊豆國 田方郡 高椅神社
  高橋神社(タカハシジンジャ)〈三島市〉

・【下總國結城郡 高椅神社】《当神社》
  高椅神社(タカハシジンジャ)〈小山市〉

・【安房國朝夷郡 高家神社
  高家神社(タカベジンジャ)〈南房総市〉

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

結城駅から 県道35号を北上 約6km 車15分程度
境内入口から北上する参道が まっすぐに延びていて 朱色の灯篭が100m余り連なっています

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高椅神社Takahashi Shrine)に参着

高椅神社(Takahashi Shrine)の入口から
境内とは反対側に さらに南に延びる参道があり その先に池が見えています

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千年の池鯉の里親』放流記念絵画 とあり次のように記されています

経緯

『千年の池・鯉の里親』事業参加にあたりまして、「鯉の明神池」の復活のため、地域の皆様とともに福良小学校児童として 何が出来るのかを考えました。
「大人は鯉・子供は鯉の絵」を、「福良のまちじまん」になるような絵を描くことになり、多くの喜びのため、沢山の鯉が泳いでいます。
千年・千匹の復活を祈念し、子どもたちの力作を是非ご覧になってください。

クイズです。鯉は何匹が泳いでいますか?
数えてみてください。

小山市立福良小学校児童 平成二十二年十月九日

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どうやら この池は 高椅神社『鯉』の伝説~「日本一社 禁鯉宮」の元になった「鯉の明神池」を復元したのだとわかりました
小学生は それを記念して かわいい絵を贈呈したようです

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千年の池 鯉の里親名一覧があり 地元の自治会の人など多く人が寄贈した「鯉」が泳いでいます

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この池にまつわる伝説は 後で述べる「神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)」の蘭をご覧ください

千年の池を振り返ると 境内から真っ直ぐに南に延びる参道の先端にいると分かります

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社号標「延喜式内社 縣社 髙橋神社」が建つ 境内の入口まで戻りました
石灯篭の先には 朱色の灯篭が100m余り連なっています

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参道には 鳥居 その先に楼門が建っています

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因みに「楼門」は〈県指定文化財〉

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この楼門は 約1世紀ぶりに修繕され 完成を記念した竣工祭が2019/5/25に行われています
修繕の前後の写真をご覧ください

2015/2月 修繕前

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2020//8月 修繕後

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修繕で屋根の様子が変化しています 楼門について案内板には

高椅神社楼門(たかはしじんじゃろうもん)(建造物)
結城城主水野氏の寄進による再建とされ、宝暦四年(1754)起工、明和七年(1770)竣功、工事に際しては領内の人夫3900余人が動員されたと伝えられる。

三間一戸(さんげんいっこ)の楼門であるが、一階は扉を設けず、正面両脇間(わきま)には随身(ずいしん)をまつる。前後を唐破風(からはふ)とした入母屋造(いりもやづく)りで、屋根は、かつて茅葺(かやぶき)きであったものを現在は銅板葺きに改めている。組物は三手先(みてさき)、二階に切目縁(きりめえん)を張り出して高欄(こうらん)をまわす。すべて円柱で、中央の二本のみを通し柱とする。

装飾彫刻も随所に見られ、木鼻(きばな)を唐獅子(からじし)の丸彫とするほか、欄間(らんま)部分や妻飾りに透(すか)し彫が施されている。全体的に力強く、安定感もあり、典型的な江戸中期の楼門である。

指定年月日 平成7年8月22日
所在地 小山市大字高椅702番地
所有者 高椅神社
栃木県教育委員会

一礼をして 鳥居と楼門をくぐります
楼門には絵馬が掛けられています

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楼門の中からは 拝殿が見えています

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楼門をくぐり抜けた 境内には 境内社が多くありお詣りをします
朱色の灯篭は 拝殿迄続いています

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「料理の神様」として信仰を集めますので 参道の右手には 県内の調理師会が建立した包丁塚があります

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参道の旗には
「延喜式内社 高椅神社(たかはしじんじゃ)日本一社 禁鯉宮(きんりのみや) 鯉の明神さまと由緒が満載です

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拝殿にすすみます 扁額には「正一位 髙橋大明神」とあります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿は変わりませんが

2015/2月の参拝の時

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2020//8月の参拝の時

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社殿を時計回り 境内社にお詣りをしながら
本殿を仰ぎます

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境内を一巡して 楼門に戻ります

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楼門をくぐり抜けて 社殿に一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『新撰姓氏録(Shinsen Shoji roku)』815年(弘仁6年)に記される伝承

第12代 景行天皇(ケイコウテンノウ)から 膳臣(カシワデノオミ)の姓(カバネ)
第40代 天武天皇(テンムテンノウ)〈即位AD673~686〉から 膳臣(カシワデノオミ)の姓(カバネ)を改めて 高橋朝臣(タカハシノアソミ)を賜る と記されています

意訳

髙橋朝臣(タカハシアソミ)

阿部朝臣 同祖 大稲輿命(オオイネコシノミコト)の後也(スエナリ)

景行天皇が東国に巡狩(メグリミ)〈巡幸し〉

大蛤(オオウムキ)〈大きなハマグリ〉を調理献上し
その時 たいへな美味に天皇が喜び 膳臣(カシワデノオミ)の姓(カバネ)を賜われた

天淳中原瀛真人(アメノヌナハラオキノマヒト)天皇 おくり名は〈第40代 天武天皇(テンムテンノウ)〉の即位12年 膳臣(カシワデノオミ)の姓(カバネ)を改めて高橋朝臣(タカハシノアソミ)とした

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『新撰姓氏録』選者:万多親王/校訂者:橋本稲彦[書誌事項]刊本(後印) 文化04年[旧蔵者]教部省

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

髙橋氏は 大稲輿命(オオイネコシノミコト)の後裔と記されています

高椅(タカハシ)神社

椅と本椅
[ 姓氏 ] 高橋朝臣は 大稲興命の後(スエ)なり
[ 和抄 ] 髙橋郷

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院

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高椅神社『鯉』の伝説「日本一社 禁鯉宮」について

社伝には

後一条天皇の長元2年(1029)社域に掘った井戸から大きな鯉が出たため奇異であるとして、時の神主が都に参上、その由を奏上したところ、誠に霊異なことと思召され、「日本一社禁鯉宮」の勅願を賜わった
以来氏子民は、鯉を食うこと及び鯉絵のついた器物等の使用を禁ぜられたが、今日までこの禁を犯す者がなく、鯉を食べないことは勿論、五月節句の鯉のぼりも立てない風習が現存している。
当社が「鯉の明神さま」と親しまれているのは、この由緒によるものである」とあります

高椅神社(Takahashi Shrine)の南東900m程のところに 平成28年度末をもって閉校した「小山市立福良小学校」があり そのHPに地域の歴史・文化として 伝説「禁鯉の宮」の掲載がありましたので ご紹介します

禁鯉の宮(きんりのみや)

絹村の高椅(たかはし)に、高椅神社という古い神社があります 。

平安時代に つくられた「延喜式」(えんぎしき)という書物に記されているで 、10世紀のはじめころにはすでにこの地にあったことになります。

祭神はイワガムツカリノミコトといって 、ヤマトタケルノミコトが東国の平定に下ったとき、ヤマトタケルたちが召し上がる「お料理の係」として、付きしたがって来たとされています。

 むかしむかし、この神社の境内(けいだい)の井戸を掘ったときに、地中から大きなコイが飛び出しました。そこで、神主の持田兵部大輔は、はるばる京 都に上り、このふしぎなできごとを申し上げて 、そのコイを天皇に奉りました。天皇はたいへんお喜びになり、持田兵部大輔は天皇から「日本一社禁鯉の宮」と書いた勅額(ちょくがく)をたまわりました。それからは、大きなコイが現れた井戸は神泉として、一般の人々が水を汲むことを禁じ、また、神社付近のコイは神様の使いとして、捕らえて食べることがなくなりました。あるとき 、火事で神社が焼けそうになったとき 、そばを流れる田川にコイの大群が現れ、いっせいに水を吹きかけたので、神社もご神体も無事だったということ がありました。今日でも高椅から梁(やな)にかけて 、コイを捕る人はなく、網や釣り針にかかっても逃がしてやることになっているそうです。
小山市郷土文化研究会編著「小山の伝説」(平成4年 第一法規)より抜粋

小山市立福良小学校HP 地域の歴史・文化 伝説「禁鯉の宮」より

小山市立福良小学校HP kinnrinomiya

この時に 神様の使いの魚として 鯉を放った神池が 境内の最南端に残る千年の池と伝えられています

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高椅神社は 鯉の明神さまKoi no myojin sama)とも呼ばれ この地域では鯉をお鯉様と呼び 五月節句の鯉のぼりも立てないないそうです

高椅神社Takahashi Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

高橋神社(奈良市八条町)記事をご覧ください

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