蛟蝄神社 奥の宮(こうもうじんじゃ おくのみや)は 現在の門の宮〔延喜式内社 下總國 相馬郡 蛟蝄神社(み(あ)つちの かみのやしろ)〕の場所が 水害や民家が近いという理由で 詳しい年代はわかりませんが 社殿を東の高台に遷座したものです 門の宮は取り壊すことなく 門の宮にもご祭神を分祀し今に至っています

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
蛟蝄神社 奥の宮(komo shrine okunomiya)
【通称名(Common name)】
・文間両社明神(もんまりょうしゃみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
茨城県北相馬郡利根町立木882
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》彌都波能賣命(みつはのめのみこと)
波迩夜須毘賣命(はにやすひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
蛟蝄神社の歴史
蛟蝄神社の始まりは、約2300年前(紀元前288年)に現在の門の宮(かどのみや)の場所に水の神様、罔象女大神を祀ったのが始まりといわれております。水害や民家が近いという理由で詳しい年代はわかっておりませんが、社殿を東の高台(奥の宮)に建てました。門の宮を取り壊すはずでしたが氏子崇敬者の声が上がり、御祭神の御魂(みたま)を分祀し門の宮にお祀り致しました。
明治42年(1909年)に立木地区にお祀りしていた「稲荷神社」「八坂神社」「天神社」「八幡神社」を合祀し、なお一層の御神徳をもって下総國相馬の郷を見守っておられます。
蛟蝄神社公式HPより
https://koumoujinja.jp/history/
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
○茨城縣 下總國 北相馬郡文間村大字立木
郷社 蛟蝄(ミツチノ)神社
祭神 水波能女神 埴山比賣命
利根川圖志に云く、式內相馬郡 蛟蝄神社は立木村の山上に在り、兩社にして西なるを角の宮と爲し、額に蛟蜩神社と標す、東を奥の宮と云ひ、專ら文間明神と唱ふと、創建は文武天皇三年にして、延喜の制 式内小社に列せられ、古来 武門武将の崇敬厚く、慶長三年八月、藤井信一社殿を増修し奉り、同九年三月、德川家康 社領五十石を寄せ奉る、後 享保元年八月神位正一位たられ、明治四年七丹郷社に列す。
社殿は本殿・拜殿、幣殿等あり、境内は奥之宮 九百拾七坪、角之宮 百七十五坪、共に官有地第一種たり。
境內神社
琴平神社 石神神社例祭日 十月十五日
神饌幣帛料供進 明治四十年五月二十日
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・蛟蝄神社 奥の宮 社殿

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・蛟蝄神社 奥の宮 拝殿

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・狛犬

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・境内

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・鳥居

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・社頭・参道石段

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下総國 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)相馬郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 蛟蝄神社
[ふ り が な ](み(あ)つちの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mi(a)tsuchi no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 下總國 相馬郡 蛟蝄神社(み(あ)つちの かみのやしろ)
・蛟蝄神社 奥の宮(利根町立木)
・蛟蝄神社 門の宮(利根町立木)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR成田線 布佐駅から利根川を渡り 北東方向へ約6.5km 車での所要時間は12~15分程度
蛟蝄神社 門の宮(利根町立木)の前の道を東へ進んでいくと 奥の宮の入口となりります

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奥の宮の入口は 急な階段になっていて中央に手すりがあります
入り口の右側(西側)には車道があり 上には境内の駐車場があります
蛟蝄神社 奥の宮(利根町立木)に参着

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石段を上がりきると 鳥居が建っています
一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて境内へ

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鳥居をくぐると 石畳みの境内参道があり 正面に拜殿が建つています
社殿 参道 社頭はすべて 南向きです

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿 本殿が一体となっています

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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石段を下ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 蛟蝄神社について 所在は゛布川庄立木村に在す、゛〈現 蛟蝄神社 門の宮(利根町立木)〉と記しています
【抜粋意訳】
蛟蝄神社
蛟蝄は美豆知と訓べし
○祭神 埴山姫命、罔象女命、〔地名記〕
〇布川庄立木村に在す、〔同上〕今 文間兩社大明神と稱す、
例祭 月日、〇惣國風土記百一殘缺云、蛟蝄神社、圭田三十九束三畝田、所祭罔象女也、天平二年庚午六月、始奉ニ 圭田、神事式祭等始也、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 蛟蝄神社について 所在は゛今 立木村に在り、文間明神と云ふ、゛〈現 蛟蝄神社 門の宮(利根町立木)〉と記しています
【抜粋意訳】
蛟蝄(ミツチノ)神社
今 立木村に在り、文間明神と云ふ、〔巡拝舊祠記、下総式社考、利根川圖志、〕
盖 伊弉冉尊の御身に成坐る 彌都波能賣神を祀る、〔日本書紀、古事記、蛟蝄社傳〕
此は即 水神也、〔日本書紀、〇按 本書 罔象女に作る〕
凡 毎年六月 九月十五日を例祭とす、〔下総式社考、利根川圖志、〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 蛟蝄神社について 所在は゛立木村(北相馬郡文間村大字立木)゛〈現 蛟蝄神社 門の宮(利根町立木)〉と記しています
【抜粋意訳】
○相馬郡一座
蛟蝄神社
祭神
罔象女神
埴山姫命今按 社傳 祭神かくの如くなるは 一説に蛟蜩の訓 水土とかよふによりて附會せしものならんと云へれど
和名抄に水神を和名美豆知とよめるを以て 思ふに蛟蜩神 即 水神にて書記に水神 罔象女とあるにもかなへば 社の説 據ありて聞ゆ 故今 之に従へり
祭日 六月十五日 九月十五日
社格 郷社所在 立木村(北相馬郡文間村大字立木)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
蛟蝄神社 奥の宮(利根町立木)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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