二宮神社(三宅島 坪田)

二宮神社(にのみやじんじゃ)は 現在の鎮座地には 元は「管原神社」がありました 昭和29年(1954)に「二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)」を合祀して神社名が「二宮神社」と改称され 同じく 昭和29年(1954)には 坪田集落周辺の「4つの式内社の論社」が合祀され 現在に到っています

目次

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

二宮神社Ninomiya Shrine)
(にのみやじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

東京都三宅島 三宅村坪田

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊波乃比咩命Iwanohime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社の合祀先

【創  (Beginning of history)】

現在の鎮座地には 元々は「管原神社」がありました
しかし 昭和29年(1954)に 二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)を合祀して神社名が「二宮神社」と改称されました
同じく 昭和29年(1954)には 坪田集落周辺の「式内社の論社」が合祀されました

にのみやじんじゃ
二宮神社

「伊波乃比咩命神社」として延喜式内社に数えられます。御笏神社の御祭神の姉にあたり、その第二王子さまもお祀りすることから「二宮」とよばれているといわれます。
現在坪田地区の中心にご鎮座し、多くの合祀社・境内社があります。かつてのご鎮座地は大路池の近くです。毎年正月に御刀様が巡る若菜祭では、二宮神社を訪れ直会が開かれています。
<御祭神>伊波乃比咩命(いわのひめのみこと)
(大明神の御后神)

神主・壬生家が運営する
公式HPよりhttps://miyakejima-jinja.jimdofree.com/

【由  (history)】

二宮(にのみや)神社

この神社には、事代主命(ことしろぬしのみこと)の后・伊波乃比呵命(いわのひめのみこと)が祀られている。

三宅島記には「次女 ましましき、かの島のひつじの方(南西)に置きまいらせ給う。この御腹に王子二人ましましき。」とあり、伊波乃比眸命とその第二王子(二宮)を祀る神社であることから「二宮神社」と呼ばれている。

さらに三宅島記によれば「次女おば 坪田にある水海(湖)の並びに峯あり、それに斎(すま)いまいらせべし」と記されており、その昔 坪田村(旧村)は古澪池(大路池)の近く小倉山附近に位冒していたものと思われ、古地図には古澪村と記された記録も残っている。二宮神社もそこに祀られていたのであるが、集落ともどもこの地に移転したのがいつの頃であったか定かではない。

三宅村

境内案内板より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

覆屋が3つ建ちます

1つは 本殿横に鎮座〈不明〉

1つは その横 剣を持つ仏像 〈不動明王のように見えます〉

1つは 「太子堂」〈聖徳太子であろうと思われます〉

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

三宅島は 活火山島のため 噴火により 神社は 遷座が繰り返されています
この神社には 4つの式内社を合祀していると伝わります

坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】から大路池の小倉山を合祀

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 伊波比咩命神社
[ふ り が な  ](いはひめのみことの かみのやしろ)
[How to read ]Iwahime no mikoto no kaminoyashiro)

➁ 二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)を合祀

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 加弥命神社
[ふ り が な  ](かみのみことの かみのやしろ)
[How to read ]Kami no mikoto no kamino yashiro)

③ 久良神社高山様(三宅島 坪田)を合祀

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 久良恵命神社
[ふ り が な  ](くらえのみことの かみのやしろ)
[How to read ]Kurae no mikoto no kamino yashiro)

御嶽神社(三宅島 坪田)を合祀

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 夜須命神社
[ふ り が な  ](やすのみことの かみのやしろ)
[How to read ]Yasuno mikoto no kamino yashiro)

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

 

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

当社に合祀されている
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)の論社について

三宅島は 活火山島のため 噴火による遷座が繰り返されています

①伊豆国(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
 伊波比咩命神社Iwahime no mikoto no kaminoyashiro)

・【当初】坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】

・【次に】二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)

・【合祀】二宮神社(三宅島 坪田)〈当社〉

・【論社】雲見浅間神社(松崎町雲見)

 

伊豆国(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
 加弥命神社Kami no mikoto no kamino yashiro)

・【当初】カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山
     ※原生林の奥の為 未参拝です

・【次に】二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)

・【合祀】カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀

・【論社】二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈当社〉

伊豆国(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
 久良恵命神社Kurae no mikoto no kamino yashiro)


・【当初】久良神社三宅島 坪田
 ※未参拝

  島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない

・【遥拝所】久良神社【出張(でばり)】

・【合祀】二宮神社三宅島 坪田 

伊豆国(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
 夜須命神社Yasuno mikoto no kamino yashiro)

・【当初?】嶽比良神社三宅島 伊豆
 ※掟により入山禁止の為 未参拝

・【嶽比良神社の遥拝所?】子安宮(三宅島 神着)

・【合祀】二宮神社三宅島 坪田〈当社〉

・走湯神社(下田市大賀茂)〈論社〉

スポンサーリンク

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

三池港から 三宅一周道路を南下 約3.4km 車6分程度

坪田の公民館と郵便局の向かいに鎮座します
三宅一周道路に面して参道があります
二宮神社Ninomiya Shrine)に参着

一礼をして鳥居をくぐります

左手には由緒案内板 正面の石段を上がると 拝殿が建っています

拝殿にすすみます 扁額には「二宮神社」とあります
千社札(senjafuda)が勝手に張られていない とても綺麗です

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

本殿は 拝殿とは繋がっていません 奥に石段があり その先に建っています

正面が白色 後ろが朱色です

本殿の向かって 右側に境内社が並んで鎮座します お詣りをします

隣接する 海蔵寺には 奈良時代の仏像が祀られています(伝承では 三宅島への伝来は漂着とあります)

再び 拝殿の横に戻ります

参道を戻り 鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼をします

正面の郵便局の屋根越しに 見えている山のようなものは「御蔵島(Mikura Island)」です

スポンサーリンク

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『三宅記(miyakeki)』に記される 3人の后と八王子 の伝承

三島大明神が 箱根芦ノ湖辺の老翁の娘3人を三宅島に迎え 后として3人を置きました

長女后神社Kisaki Shrine)
《主》伊賀牟比賣命(Ikamuhime no mikoto)王子が4人

次女二宮神社Ninomiya Shrine)
  《主》伊波乃比咩命(Iwanohime no mikoto)王子が2人

御笏神社Oshaku Shrine)
  《主》佐伎多麻比咩命(Sakitamahime no mikoto)王子が8人
とされていて 王子は14人が記されています

この次の后(次女)〈伊波乃比咩命Iwanohime no mikoto)二宮神社Ninomiya Shrine)」のご祭神です
「未の方角(南南西 方向)」に置かれました その御腹には王子が 2人いらっしゃいました
1人は「うらみ子」といって 大明神の側を離れずにいらっしゃいます
又 1人は「二宮(にのみや)」といって母御前のもとにいらっしゃいました
と記されています

意訳

又 三島大明神は 見目に
「この后の姉たちは 何処へいらしゃったのか お捜しなさい」と言いつけられました
見目は御言葉に従って捜されると白根ヶ嶽(芦ノ湖と富士山の間にある白根山)におられました

「大明神の言いつけですので(三宅島に)お入りください」と申し上げました
「それは出来ないことです」と返事をされました
見目は様々になだめて 2人共に誘い参上されたので 大明神は大いに喜ばれて御寵愛になりました

こうして「ちゃく(嫡)女」〈伊賀牟比賣命Ikamuhime no mikoto)を 島の「酉の方角(西 方向)」に置かれました
その御腹には王子(名称不詳)が4人いらっしゃいました
この后は「みとくちの大后(新島の泊大后大明神)」を妬まれて 幼少の王子をお抱きになられて「いかゐ(イカイ)の海」(伊ケ谷の海)に飛び入られて石となって 海中にいらっしゃいます

あと2人の(王子の)うち 1人は「丑寅の方角(北東 方向)」で海中にお入りになりました
もう一人は 「辰巳の方角(南東 方向)」の渚で思いつめて亡くなられました
残った1人は 大明神に付き添われています

又 次の后(次女)〈伊波乃比咩命Iwanohime no mikoto)は この島の「未の方角(南南西 方向)」に置かれましたその御腹には王子が 2人いらっしゃいました 1人は「うらみ子」といって 大明神の側を離れずにいらっしゃいます 又 1人は「二宮(にのみや)」といって母御前のもとにいらっしゃいました

三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)は 三宅島の丑寅(うしとら)〈北東〉の方に置かれました
かまつけ(神着)という所です
その腹から8人の王子が 一度にお産まれになりました
1番は「ナコ」
(南子命)〈南子神社or后神社境内社〉
2番は「カネ」
(加彌命)〈カミイノ宮〉
3番は「ヤス」
(夜須命)〈御嶽神社〉
4番は「テイ」
(氐良命)〈神澤神社or湯船神社〉
5番は「イタヒ」
(志理太宜命)〈椎取神社or志理太乎宜神社(片瀬白田)〉
6番は「クライ」
(久良惠命)〈久良浜神社【出張(でばり)】〉
7番は「カタスケ」
(片菅命)〈片菅神社or若宮神社or片菅神社(片瀬白田)〉
8番は「ヒンスケ」
(波夜志命)〈峯指神社or走湯神社(下田市大賀茂)〉
と申します

又「ななはしら」と言うところでお育てになられました
ところどころに宮々を置かれました

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省

『三宅記(miyakeki)』に記される 三宅島の分配 伝承

三島大明神の遺言として 島を4つに分けて 末の代に后や王子たちにの宮処を定めるくだりがあります

三姉妹の次女が「伊波乃比咩命(Iwanohime no mikoto)」です

「次女は 坪田の水乃海(湖)「古澪(フルミオ)池(大路池)」の並びに峰があるのでそこにお祀り」と記されています
この場所が「伊波乃比咩命神社(Iwanohime no mikoto no kaminoyashiro)」の旧鎮座地です

「古澪(フルミオ)池」・古澪(フルミオ)・新澪(シンミオ)池跡は 現在の「大路池」周辺です
「爆裂火口地形(マール)」で 地質学では「古澪マール」と呼ばれて 2000年以上の昔に水蒸気爆発によって形成された火口湖とされています

例えば
『三宅記(miyakeki)』で 三島大明神が 3人の后に等しく 宮処を定めたのだと仮定すれば

次女には「坪田の水乃海(湖)」を授けるとなっており この湖が「古澪(フルミオ)池」と呼ばれています
「澪(みお)」の意味は《河川や海で船が航行する水路(航路)》を指しますので かつて溶岩流に閉ざされる前は 海に通じる水路を持った湖だったのであろうと推測できます

そうだとすると 文中の3人の后には それぞれ 外洋に対応した港を与えている それに相応しい地形「入り江」を授けていることになります
長女は 伊豆に入海《海が陸地に入り込んだ入り江》
三女は 神着に浦《海や湖の 波が静かな入江

とありますので 均等遺産の分配の遺言になっています
この3か所の入り江は どの風向きにも 外洋から 島の港として対応する機能を持ちます

意訳

又 三島大明神は 若宮 見目 壬生の館に
「この島を4つに分けて 末の代に后や王子たちにの宮処を定めようと思いますがいかがでしょう」とお尋ねがありました

「どのようにでもお計らいください」とお答えになりました

4つに分けられて
一つを 神着(カミツキ)とする

二つを 伊豆(イズ)と号す
三つを 阿古(アコ)と号す
四つを 坪田(ツボタ)と号す

嫡女(長女)は 伊豆に入海があるのでここにお祀りし
また 次女 は 坪田の水乃海(湖)の並びに峰があるのでそこにお祀りし
また 三女 は 神着に浦があって「シトリ」と名付けるので ここに祀り
また 阿古 は 末の代になってから 私の宮殿を造りなさい

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省

二宮神社Ninomiya Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】〈当初の鎮座地〉

 

二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)

 

各々の神社の記事をご覧ください 

母神 三島大明神の第三の后神
(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)祀る神社 

・御笏神社(Oshaku Shrine)

 

・祖師堂(Soshido)御笏神社の旧鎮座地 

 

椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉 

 

・両神社(下田市須崎) 

 

・波夜多麻和氣神社(下田市相玉) 

 

 

1番「ナコ」(南子命)祀る神社

・南子神社(三宅島 神着) 

 

・御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀 三ノ朔幣神社(南子神社の遥拝所)
 御笏神社の記事をご覧ください 

 

・三ノ朔幣神社(san no sakuheino Shrine)旧鎮座地(三宅島 神着)
 三ノ朔幣神社 旧鎮座地の記事をご覧ください 

 

・后神社(Kisaki Shrine)境内社の南子神社
 后神社(境内社の南子神社)の記事をご覧ください 

 

・南子神社(下田市 神子元島)

 ※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります

2番「カネ」(加彌命)祀る神社 

・カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀 

 

・カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)※原生林の奥の為 未参拝です 

・二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)〈当社〉 

 

二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈論社〉 

 

 

3番「ヤス」(夜須命)祀る神社 

・御嶽神社跡(三宅島 坪田)〈当社〉 

 

・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉 

 

・嶽比良神社(三宅島 伊豆) ※掟により入山禁止の為 未参拝 

・子安宮(三宅島 神着) 

 

 

4番「テイ」(氐良命)祀る神社 

・神澤神社(三宅島 伊豆) 

 

・湯船神社(三宅島 神着)〈論社〉
 湯船神社の記事をご覧ください 

 

・八王子社(下田市中
 八王子社の記事をご覧ください 

 

 

5番「イタヒ」(志理太宜命)祀る神社 

・椎取神社(三宅島神着) 

 

  ・志理太乎宜神社(片瀬白田) 

 

 

6番「クライ」(久良惠命)祀る神社 

・久良濱神社【出張(でばり)】 

 

・久良濱神社(三宅島 坪田)
 ※未参拝 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない 

・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉 

 

 

7番「カタスケ」(片菅命)祀る神社 

・片菅神社(三宅島 神着美茂井
  片菅神社の記事をご覧ください

 

 

・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
  御笏神社の記事をご覧ください 

 

・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
  后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください 

 

・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社
若宮神社(三宅島 伊豆)の記事をご覧ください 

 

・片菅神社(東伊豆町片瀬) 

 

 

8番「ヒンスケ」(波夜志命)祀る神社 

・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀 

 

・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)旧鎮座地 

 

・走湯神社(下田市大賀茂)

 

 

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.