粟神社(あわじんじゃ)は 『粟神社記』に「第6代孝安天皇の御代 平間山麓の百舌ヶ原に少彦名尊と高皇産霊尊が降臨し少彦名尊が祀られたのが粟神社 高皇産霊尊が祀られたのが兜神社(旦椋神社)とある」延喜式内社 山城國 綴喜郡 粟神社(あはの かみのやしろ)です

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
粟神社(Awa shrine)
【通称名(Common name)】
明神さま(みょうじんさま)
【鎮座地 (Location) 】
京都府城陽市市辺大谷68
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》粟神(あはのかみ)
又は
《主》少彦名命(すくなひこなのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
式内 粟神社
粟神社は、青谷川の南側、市辺大谷に位置する緑に囲まれた神社であります。
神社は式内社で、本殿は延享元(1744)年造営の間口二尺ほどの一間社流造の小社であります。
屋根は柿葺(こけらぶき)、早くから覆屋に入り当初材がよく残っています。小社の割には手の込んだ造りで、袖部は朱塗り、壁は胡粉(ごふん)塗り、組物・虹梁(こうりょう)・小壁を枢彩(すうさい)色仕上げになっています。
庇の蟇股(かえるまた)は斗・実肘木(さねひつぎ)を用いない佃性的な形で、内部に鳥の彫り物が飾っています。祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀り、毎年4月8日に「春祭り」の行事を執り行っています。
近年国道307号バイパスが整備され、粟神社のすぐ近くを通っていること、また、白坂テクノパークが開発され、多くの企業が進出し、身近に参拝できる神社として多くの方々から注目を集め、参拝される方も増えているところであります。
このようなことを踏まえ、周辺整備を行うもので、経費の一部としていただいた寄付金を充てています。
整備内容は、参道に石畳や駐車場の整備、休憩広場やベンチの設置、階段手摺や掃除収納庫など、皆さんに親しまれる神社を目指すものです
周辺整備事業寄付ー覧
株式会社 城南工建
京都山域白坂テクノバーク連絡協議会令和3年3月
令和2年度 氏子総代一同現地案内板より

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【由 緒 (History)】
粟神社
粟直の氏神社。山麓を利用した社叢を有する。祭神は少彦名尊。明治10年延喜式内になる。古代は今の社より東へ5、6町の松尾の鎮座屋敷というところにあった。
社殿の創立は不明だが、延亭元年(1744年)改築の棟札がある。(青谷村誌)
粟神社記には孝安天皇の御代、平間山麓の百舌ヶ原に少彦名尊と高皇産霊尊が降臨し少彦名尊が祀られたのが粟神社、高皇産霊尊が祀られたのが兜神社(旦椋神社)とある。
城陽市役所HP「梅まつり 見どころ案内」より抜粋
https://www.city.joyo.kyoto.jp/joint/0000008664.html
『山城綴喜郡誌』に記される内容
【抜粋意訳】
山城綴喜郡誌 第五編 神社寺院
村社 粟神社 延喜式内
祭神 不詳
綴喜郡、靑谷村大字市邊小字大谷にあり、祭神の考證未だ正確なるものを得ず、古記に據れば少彦名と録せり。
〔神名帳考云、姓氏錄 山城皇別 栗田朝臣 彦國葦命之後也、按戮埴安彦於泉河立卭之地云々〕
例祭 三月八日
【原文参照】

『山城綴喜郡誌』,京都府教育会綴喜郡部会,明41.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765995
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)
『粟神社記』に「第6代孝安天皇の御代 平間山麓の百舌ヶ原に少彦名尊と高皇産霊尊が降臨し少彦名尊が祀られたのが粟神社 高皇産霊尊が祀られたのが兜神社(旦椋神社)とある」
延喜式内社 山城國 久世郡 且椋神社(あさくらの かみのやしろ)
・旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)綴喜郡 14座(大3座・小11座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 粟神社
[ふ り が な ](あはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Aha no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「粟神社(あはの かみのやしろ)」について
粟神社(あはの かみのやしろ)は 2社が所載されています
延喜式内社 山城國 綴喜郡 粟神社(あはの かみのやしろ)
・粟神社(城陽市市辺大谷)
延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)
・大津神社(泉大津市若宮町)
〈大津神社に合祀 粟神社(泉大津市式内町)〉
・粟神社跡(泉大津市式内町)
〈大津神社に合祀 粟神社の旧鎮座地〉
『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載「(あはのかみのやしろ)」の音を持つ神社
延喜式内社 大和國 添上郡 率川阿波神社(いさかは あはの かみのやしろ)
・率川阿波神社(奈良市本子守町)〈率川神社 境内〉
延喜式内社 伊賀國 山田郡 阿波神社(あはの かみのやしろ)
・阿波神社(伊賀市下阿波)
延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 阿波神社〔名神大〕(あはの かみのやしろ)
・阿波命神社(神津島村)
延喜式内社 安房國 安房郡 安房坐神社〔名神大 月次 新嘗〕(あはのます かみのやしろ)
・安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉
延喜式内社 下野國 寒川郡 阿房神社(あはの かみのやしろ)
・安房神社(小山市)
延喜式内社 美作國 大庭郡 壱粟神社二座(いちあはの かみのやしろ ふたくら)
・二宮(真庭市社)式内社 四座が鎮座〈・壹粟神社二座・久刀神社・菟上神社・長田神社〉
〈二宮(真庭市社)境内に4社並んで鎮座する社の内 向かって右から2番目 壱粟神社〉
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR奈良線 山城青谷駅から東へ約2.5km 車での所要時間は7~8分程度
R307号のバイパスから脇道に入りすぐに社頭があります
社頭の鳥居は北西向きに建てられています
鳥居の脇には玉垣に囲まれた社号標「式内 粟神社」が立てられています
粟神社(城陽市市辺大谷)に参着

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鳥居をくぐり抜けて 細い参道を参道を進むと歌碑がありました

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参拝日は2017/4/8の午前中でした
〔帰宅後 調べると例大祭の日でした〕
拝殿が開け放たれていて 人の気配があり
神事の準備をしているような感じで 手際よく動かれている
お邪魔にならないよう 会釈をしますと どうぞと手招いて頂けたので
拝殿にすすみます

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祭事の御準備の中 拝殿に進み入ると 割拝殿となっていて 正面に本殿が鎮座し 本殿の御扉も開かれていました

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿の周囲は 白壁で覆われていて 普段は立ち入ることは出来ない筈で 本殿を拜せました事に感謝します

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一礼をして境内を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 粟神社について 所在は゛市邊村粟谷に在す、゛〈現 粟神社(城陽市市辺大谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
粟神社
粟は阿波と訓べし、和名鈔〔稲穀部〕粟、〔假字上の如し〕
○祭神 粟直祖神歟
○市邊村粟谷に在す、〔山城志〕
類社
和泉國 和泉郡 粟神社氏人
續旧本紀、寶龜七年六月甲子、近衛大初位下 粟人道足等十人賜ニ 姓粟直、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 粟神社について 所在は゛今 市邊村粟谷にあり、粟明神といふ、゛〈現 粟神社(城陽市市辺大谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
粟神社、
今 市邊村粟谷にあり、粟明神といふ、〔山城名勝志、山城志、〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 粟神社について 所在は゛市邊村粟谷(綴喜郡靑谷村大字市邊)゛〈現 粟神社(城陽市市辺大谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
粟(アハノ)神社 稱 粟大明神
祭神
祭日 三月八日
社格 村社所在 市邊村粟谷(綴喜郡靑谷村大字市邊)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
粟神社(城陽市市辺大谷)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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