-
爾佐加志能爲神社(松江市島根町野井)
爾佐加志能為神社(にさ かし のい じんじゃ)は 明治期に野井浦の氏神「日御碕神社〈現 爾佐加志能爲神社〉」相殿に境内の御神木「加無利明神(かもりみょうじん)〈古代の爾佐加志能為神社の系譜を引く〉」を合祀した後 社名を「爾佐加志能為神社」に改称し 今日に至ります
-
川上神社(松江市上本庄町)
川上神社(かわかみじんじゃ)は 大巳貴命が 千酌地方の神々を鎮めようと山を越された時 腰を下ろされた川辺の石が 後年 大洪水の中で赤々と輝くのを見た里人が その石を御神体として祀ったと伝わります 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「川上社(かわかみ)のやしろ」とされます
-
長見神社(松江市長海町)
長見神社(ながみじんじゃ)は 武蔵坊弁慶の生誕地の産神で 出雲を出立する時に自筆で納置した「弁慶願文」(べんけいがんもん)〈1168AD.〉が今でも残ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「長見社(なかみ)のやしろ」とされます
-
横田神社(美保関町下宇部尾)
横田神社(よこたじんじゃ)は 大己貴命(おほなむちのみこと)を祭神とします 『出雲國風土記733AD.』所載の島根郡 神祇官社「横田社(よこた)のやしろ」の論社とされますが 美保関町森山にも横田神社があり こちらも論社になっています 又 一説には「門江社(かどえ)のやしろ」であるとも云います
-
横田神社(美保関町森山)
横田神社(よこたじんじゃ)は 大己貴命(おほなむちのみこと)を祭神とします 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「横田社(よこた)のやしろ」の論社とされますが 美保関町下宇部尾にも横田神社があり こちらも論社になっています
-
爾佐神社(松江市美保関町千酌)
爾佐神社(にさじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に「伊差奈枳命(いざなきのみこと)の御子 〈御祭神の〉都久豆美命(つくつみのみこと)が この所で生まれたので 都久豆美というべきであるが 今の人はただ 千酌(ちくみ)と号している」と記される千酌浜(ちくみのはま)に鎮座します
-
伊奈阿氣神社(松江市美保関町北浦)
伊奈阿気神社(いなあけじんじゃ)は 元は 北浦の東側 円錐形をした麻仁曽山(まにそやま)172m山頂に鎮座したと伝わります〈古には「大島」 隠岐 知夫島の渡津から出雲 千酌を目指す船の目印となった島〉『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「伊奈阿氣社(いなあけ)のやしろ」です
-
伊奈頭美神社(松江市美保関町北浦)
伊奈頭美神社(いなずみじんじゃ)は 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る古社で『出雲國風土記733 AD.』に稲上浜(いなあげはま)にある稲積島(いなづみしま)と記される地に鎮座します 昔は島であったが 今は陸に続いています 島根郡 不在神祇官社「伊奈須美社(いなすみ)のやしろ」に比定されます
-
仏経山〈曽枳能夜神社 奥宮の跡地〉(出雲市斐川町神氷)
仏経山(ぶっきょうざん)は 『出雲國風土記733 AD.』出雲郡に「神名火山(かんなびやま) 曽伎能夜社(そきのやのやしろ)が 坐(ま)します 伎比佐加美高日子命社(きひさ かみたかひこのみこと のやしろ)が この山の嶺にある 故に神名火山(かんなびやま)という」と記されています
-
長浜神社(出雲市西園町上長浜)
長浜神社(ながはまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』意宇郡の総記に 御祭神の八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の国引き神話が書かれ「その引いた綱は 薗の長浜(そののながはま)」とあるその地に鎮座します 出雲郡 神祇官社「出雲社(いずも)のやしろ」の論社でもあります
-
大宮神社(大社町鵜峠)& 大歳神社〈大宮神社の境内社〉
大宮神社(おおみやじんじゃ)は 『神國島根』に出雲風土記 延喜式記載とあり 社伝には 神名樋山(かんなびやま)の「烏帽子岩石神」の一部と考えられています 大歳神社は〈社伝によれば 天応年間(781~82)の創設 元は越目にあったが遷座〉とあり どちらも1200年の時を超えた古社です
-
御井神社(斐川町直江)
御井神社(みいじんじゃ)は 『古事記』因幡の白兎に登場する八上姫神が懐妊され出雲に来られた時 鏑妻〈正室〉の須勢理毘売神(スセリビメノカミ)を畏(おそ)れて その生まれた御子を木の俣にさし挾んで〈因幡に〉引き返しになられたので 木の俣の神 と申し またの名は 御井(みい)の神とも申す と伝わります
-
阿吾神社(斐川町阿宮)
阿吾神社(あぐじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に記されている4つの神奈備山の一つ 仏経山の東南に鎮座します 出雲郡 神祇官社「阿具社(あぐ)のやしろ」とされ 出雲郡 不在神祇官社「支比佐社(きひさ)のやしろ」も合祀されています
-
都牟自神社(斐川町福富)
都牟自神社(つむじじんじゃ)は 『出雲國風土記(733 AD.』によれば 祭神 薦枕志都沼値命(こもまくらしつぬちのみこと)がこの地にいらっしゃったので漆沼(しつぬ)というとあります 風土記所載の出雲郡 不在神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」の論社です
-
都牟自神社(斐川町直江)
都牟自神社(つむじじんじゃ)は『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」とされます 御祭神 天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこのみこと)は 神魂命の御子神で 別名⇒薦枕志都沼値命(こもまくら しつぬちのみこと)とされ 漆治郷の由来となっています
-
伊波神社〈上直江八幡宮の境内社〉&上直江八幡宮(斐川町上直江)
伊波神社(いはじんじゃ)は 元々は西方の岩野山上に鎮座されていたが 寛延年間(1750年頃)今の上直江八幡宮(かみなおえはちまんぐう)境内に移転鎮座となったと伝わります 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「伊波社(いわ)のやしろ」の論社です
-
波知神社(斐川町三絡)
波知神社(はちじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「波禰社(はね)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』所載の出雲郡「波知神社(はちの かみのやしろ)」とされます 江戸時代には「須多禮(すだれ)大明神」「八社明神」とも呼ばれていました
-
伊佐賀神社(斐川町大字出西)〈伊保神社〉
伊佐賀神社(いさかじんじゃ)は 阿菩大神(あぼのおおかみ)が 大和三山の争いを聞かれ”自分が行っていさめよう”と旅立れたが 播磨国の揖保(いぼ)まで行かれたとき 争いが止んだと聞かされ いぼをふられた(不満に思う)ので 伊保神と伝わります 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「加佐伽社(かさか)のやしろ」です
-
伊甚神社(松江市宍道町伊志見)
伊甚神社(いじんじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「伊自美社(いしみ)のやしろ」です もとは今の神社より西南の奥にあったが 古く他の二つの社を合わせて三社明神と名づけ 今の社地に移したものと伝わります
-
鳥屋神社(出雲市斐川町鳥井)
鳥屋神社(とりやじんじゃ)は 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「鳥屋社(とや)のやしろ」とされます かつては 建御名方命(タケミナカタノミコト)が 投げられた千引きの岩が内海に立ち そこへ多くの鵠(白鳥)が群った その岩の上にご鎮座されていたとの事