名神大社〈延喜式内〉

河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内゛京都で美人祈願゛〉

河合神社(かわいじんじゃ)は  下鴨神社 境内゛糺森(ただすのもり)゛に囲まれて 女性の女性の守護神・美麗の神様として知られる玉依姫命を祀ります 下鴨神社の第一摂社であり 延喜式内社 山城國 愛岩郡 鴨川合坐小社宅神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(かものかはひにます おこそへの かみのやしろ)とされる由緒ある古社です

賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈山城國一之宮〉

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は 本殿は東西二棟からなり 西本殿には 賀茂別雷神社の〈祖父神〉賀茂建角身命〈古代の京都をひらかれた神〉 東本殿には〈母神〉玉依媛命を祀り 賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉とともに賀茂縣主の氏神を祀り 平安京遷都以降は国家鎮護の神社として 皇室や朝廷からも篤い崇敬を受ける 山城國一之宮です

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)〈山城國一之宮〉

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は 京都最古の歴史を有する一社です 往古この地を支配した古代氏族゛賀茂氏゛の氏神を祀る・上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉で 賀茂神社〈賀茂社〉と総称されます 平安京への遷都後は皇城の鎮護社として祀られてきた 山城國一之宮です

〈元伊勢〉眞名井神社〈籠神社 奥宮〉(宮津市字大垣小字諸岡)

眞名井神社(まないじんじゃ)は 式内社 丹後國 與謝郡 籠神社(このかみのやしろ)(名神大月次新嘗)の発祥地゛奥宮゛で゛眞名井原゛と呼ばれる境内には 御神水゛天の眞名井の水゛が滾々と湧き出て 神代と呼ばれる時代から の姿を残す゛磐座(いわくら)〈古代祭祀場〉゛が 社殿の奥に祀られ坐します

〈元伊勢〉籠神社(宮津市字大垣)〈丹後國一之宮〉&天橋立

籠神社(このじんじゃ)は 宮司は83代も続く 海部(あまべ)家〈「国宝 籠名神社祝部海部直氏系図」あり〉その祖神゛彦火明命゛が゛籠船゛に乗り 海神の宮へ行かれた故事により゛籠゛の社名となります 正式名称は「丹後一宮 元伊勢 籠神社」一般呼称は「元伊勢籠神社」と呼ばれる由緒正しき古社です

葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)〈延喜式内社 名神大社〉

葛木坐火雷神社(かつらきにいます ほのいかづちじんじゃ)は 延喜式内社 葛木坐火雷神社二座(並名神大月次相嘗新嘗)(かつらきにます ほのいかつちの かみのやしろ ふたくら)です 創建は 神代とも神武天皇の御代とも云われ 二座の内 笛吹神社は 上古以来 朝廷が大事を卜定められる毎時 波波迦木を進献していたと伝わります

織幡神社(宗像市鐘崎)〈赤白二流之旗(あかしろふたながれのはた)をお祀りする神社〉

織幡神社(おりはたじんじゃ)は 海路守護の神 異国襲来守護の神として゛赤白二流之旗(あかしろふたながれのはた)゛をお祀りし 鐘崎の海辺に鎮座します 神功皇后の三韓出兵の時 赤白二流之旗を織り 武内宿禰命が それを゛宗大臣〈宗像大神〉御手長(みてなが)の旗竿゛に取り付け勝利した事に依ります

神興神社(福津市津丸)〈宗像大社の旧鎮座地゛神興(かみおこり)ます所゛〉

神興神社(じんごうじんじゃ)は 『宗像社縁起』には゛宗像三女神が初め室木の六ヶ嶽に天降り その後この地に留り給う 此の村に於て神威輝耀を以って神興と號す その後三所の霊地(田島、大島、沖ノ島)に御遷座あり云々゛と 宗像大社の゛神興ります所゛旧鎮座地であると伝えます

六嶽神社(鞍手町室木)〈宗像三女神が初めて降臨した六嶽〉

六嶽神社(むつがたけじんじゃ)は ゛宗像三女神が初めて降臨した六嶽 崎門〈サキト〉峰゛と伝わる地に上宮 里宮〈下宮〉は 第13代 成務天皇7年(137年頃)創建゛前戸(サキト)神社゛と称したと『宗像神社末社記』に載る古社です 宗像三女神は 第7代 孝霊天皇(在位 BC290~215年)の御宇に宗像三所に遷幸したと伝 

宗像大社 沖津宮(沖之島)〈世界文化遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉

宗像大社 沖津宮(おきつぐう)〈一般参拝は不可〉は 日本神話に起源を持つ゛宗像三女神゛を祀る 三つの宮〈・沖津宮(沖ノ島)・中津宮(大島)・辺津宮(田島)〉の内 玄界灘の沖に浮かぶ゛神宿る沖ノ島゛に鎮座 島は全体が御神体であり 厳格な禁忌によって古くから〈一般人の渡島は禁止・女人は禁制〉 限られた人のみ参拝が叶います

宗像大社 中津宮(宗像市大島)〈世界遺産 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉

宗像大社(むなかたたいしゃ)中津宮(なかつぐう)は ・沖津宮(沖ノ島)と・辺津宮(九州の田島)をつなぐ大島に鎮座します 社殿背後の御嶽山の山頂には゛湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る御嶽山祭祀遺跡゛〈沖ノ島と共通する古代国家祭祀の跡〉があり 後に山頂には御嶽神社が 麓には中津宮 社殿が創建されました

沖津宮遥拝所(宗像市大島 字伊東)& 御嶽山祭祀遺跡

宗像大社(むなかたたいしゃ)沖津宮遙拝所(おきつぐうようはいしょ)は 遥か沖に浮かぶ゛神宿る島 沖ノ島゛〈島は全体が御神体であり 厳格な禁忌によって古くから一般人の渡島は禁止・女人は禁制〉この遥拝所として 少なくとも江戸時代〈境内の石碑には寛永3年(1750)と刻字〉には ここに造られていたと推測されています

宗像大社 辺津宮(宗像市田島)〈世界文化遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉

宗像大社(むなかたたいしゃ)は 日本神話に起源を持つ゛宗像三女神゛が三つの宮〈・沖津宮(沖ノ島)・中津宮(大島)・辺津宮(田島)〉に坐ます ゛辺津宮(へつぐう)の起源゛は 背後の宗像山〈辺津宮古代祭祀の場〉゛高宮祭場゛の麓に本土の信仰の場として社殿が造営されたものです 古から受け継がれる宗像信仰の中心地となっています

美奈宜神社(朝倉市荷原)〈延喜式内社 名神大社 美奈宜神社〉

美奈宜神社(みなぎじんじゃ)は 創始について 神功皇后の 熊襲゛羽白熊鷲(はしろくまわし)の平定゛に由来します 『六国史』には 貞觀元年(八五九)美奈宜神(ミナキノカミ)として 神階の奉授が記され 延喜式内社 筑前國 下座郡 美奈宜神社三座(名神大)(みなきの かみのやしろ みくら)とされます

美奈宜神社(朝倉市林田)〈延喜式内社 名神大社 美奈宜神社〉

美奈宜神社 (みなぎじんじゃ)は 社説に゛今から千八百年前 神功皇后が三韓征伐の御時 冥助あり 此所に祭り給い゛と云え 『六国史』にも貞觀元年(859)美奈宜神(ミナキノカミ)として 神階の奉授が記される由緒ある古社です 延喜式内社 筑前國 下座郡 美奈宜神社三座(名神大)(みなきの かみのやしろ みくら)の論社です

筑紫神社(筑紫野市原田)〈延喜式内社 名神大社 筑紫神社〉

筑紫神社(ちくしじんじゃ)は 延喜式内社 筑前國 御笠郡 筑紫神社(名神大)(ちくしの かみのやしろ)です 筑紫の国号の起源説話が伝わる由緒ある古社で 奈良時代に書かれた『御笠郡筑紫神社縁起』には「筑前国と筑後国の境に荒ぶる神がいて 往来のものの命を奪うので困り果て 筑紫神として祀り これを鎮めた」とあります

大和神社(天理市新泉町)〈大和坐大國魂神社三座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)〉

大和神社(おほやまとじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社三座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)です 創建は 第十代崇神天皇の御代 宮中内に天皇と同殿共床で奉斎の二大神(天照大神・大地主大神)の神威を畏れた爲 大地主大神を皇女 淳名城入姫命に勅し 市磯邑に移されたのが始りと伝わります

梅宮大社(梅津フケノ川町)〈延喜式内社 梅宮坐神四社(並名神大月次新嘗)の論社〉

梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は 〔奈良時代前期〕縣犬養三千代の創建と云い その子 橘諸兄により橘氏の氏神となり〔桓武天皇の母〕橘嘉智子により現在地に遷座しました 延喜式内社「山城國 葛野郡 梅宮坐神四社(むめのみやにますかみ よやしろ)並名神大月次新嘗」で 祭神は四座〈酒解神・大若子神・小若子神・酒解子神〉です  

高積神社(和歌山市祢宜)

高積神社(たかつみじんじゃ)は 高積山〈和佐山 わさやま〉の山頂に゛上の宮゛麓に゛下の宮゛が鎮座します 上の宮は゛髙宮・髙三所明神゛下の宮は゛氣鎭社゛とも呼ばれ 式内社の都麻都比賣(つまつひめの)神社(名神大 月次 新嘗)とも 同じく式内社の髙積比古(たかつみひこの)神社 髙積比賣(たかつみひめの)神社ともされています

都麻津姫神社(和歌山市平尾若林)

都麻津姫神社(つまつひめじんじゃ)は 垂仁天皇16年〈紀元前14年〉日前・國懸の両神宮に和歌山市秋月の社地を譲り 山東の「亥の森」(和歌山市伊太祁曽)へと遷座 大宝2年(702)に分遷した三社〔伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売〕の一つです 亥の森から遷座後は 三社は各々 式内社の名神大社となりましたが 都麻津姫神社の所在地は不明となり 論社は現在三ヶ所です

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.