玉祖神社(八尾市神立)

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 和銅3年(710)周防国一之宮「玉祖神社」から分霊を勧請したもので 御祭神は櫛明玉命です 通称「高安明神」とも呼ばれていて 高安11ヶ村の氏神です 鎮座地は 生駒・信貴連山の中腹の高台にあり 社頭にある「大楠」から一望する 河内平野は絶景です

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  玉祖神社(tamanoya shrine)(八尾市)
 (たまのおやじんじゃ

 [通称名(Common name)]

 高安大明神(takayasu daimyojin)

【鎮座地 (location) 】

 大阪府八尾市神立5-93

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》櫛明玉命(kushi akarutama no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 高安11カ村の氏神

【創 建 (Beginning of history)】

社伝によると
創始は710年(和銅3年)に周防国の玉祖神社から分霊を勧請
その際 住吉津から上陸し 恩智神社に泊まった後 現在地に祀られた

現在の社殿は 1725年(享保10年)再建

【由 緒 (history)】

玉祖神社

式内社で玉祖明神とか、高安明神ともいう、高安11ヶ村の氏神で、和銅三年(710)周防国から分霊を勧請したもので、祭神は櫛明玉命である。
この地に玉造部の人々が住んでいたので、その祖神を祭ったものであろう。
寺宝も多く、北条時政の制札(重文)男女神像(府重美)樟樹(府天然記念物)豊臣秀頼寄進の石灯籠などがある。
神社の北方を東西に十三街道が走り、大阪の玉造に通じ、玉祖、玉造の地名からこの街道の持つ意義は大きい。

八尾市教育委員会  境内 説明石碑より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

 5社合殿 創建縁起にかかわる5神(天長5年(828)平安前期に勧請)
・八王子神社(高安遠祖の鎮守神を勧請)
 《合》国狭槌命
・恩智神社(鎮座地を分け与えた神を勧請)
 《合》大御計都彦命
    大御計都姫命
・住吉神社(当社鎮座地を教えた神を勧請)
 《合》表筒男命
    中筒男命
    底筒男命
    息長帯比売命
・吉野三十八神社(当社鎮座地に連なる葛城連峰の地主神を勧請)
 《合》木花開耶姫命

・蛭子神社(当社鎮座の砌 渡海を助けた神を勧請)
 《合》蛭子命

末社3社合殿(明治5年合祀 元 大字服部川の産土神)向かって左側
・八幡神社
 《合》誉田和気命
・菅原神社
 《合》菅原道真公
・稲荷神社
 《合》倉稲魂命

・山口神社(神立宮筋より勧請)向かって右側
 《合》猿田彦命

・水神社
 《合》罔象女命

・小さな滝(修験の行場?)の前に小祠

・白山神社《合》金山彦命

・皇大神社《合》天照皇大神

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に所載の神社が3社になります
①社は本殿 ➁➂社は本殿に合祀

①本殿 玉祖神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)
      ・小90座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高安郡 10座(大4座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 玉祖神社
[ふ り が な  ](たまのおやの かみのやしろ)
[How to read ](tamanoya no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

➁合祀 御祖神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)
       ・小90座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高安郡 10座(大4座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 御祖神社
[ふ り が な  ](みおやの かみのやしろ)
[How to read ](mioya no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

➂合祀 鴨神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)
       ・小90座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高安郡 10座(大4座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 鴨神社
[ふ り が な  ](かもの かみのやしろ)
[How to read ](kamo no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

江戸時代には 高安郡の総氏神として「本社 三所大明神」と呼ばれ三座の神を祀っていたと伝わります

「玉祖大明神縁起」によると
 玉祖神社は 三所大明神と呼ばれた神仏習合の神は 次の通りです

・第一 玉祖大明神 十一面観音(男神)当社の御祭神(神立)
・第二 香森大明神 釈迦如来 (女神)都夫久美神社の神(水越)
・第三 鴨森大明神 地蔵菩薩 (男神)鴨神社の神(大竹)

 水越・大竹など近傍の集落の氏神を包括していたようです

明治時代には 神社統合によって
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』畿内 河内国 高安郡の3座の論社を合祀しました 各々の神社の旧鎮座地をご紹介します

①都夫久美神社(tsufukumi no kamino yashiro)
(昭和40年分離・旧社地に復帰します)

都夫久美神社の記事をご覧ください


➁御祖神社(mioya no kamino yashiro)旧鎮座地

御祖神社跡(八尾市)の記事をご覧ください

一緒に読む
御祖神社跡(八尾市)

御祖神社跡(みおやじんじゃ あと)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国高安郡 御祖神社』とある式内社ですが 明治41年2月「玉祖神社(八尾市)」に合祀されました 現地(旧鎮座地)には昭和13年5月に建立された「式内御祖神社跡」という碑が残されています

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➂鴨神社(kamo no kamino yashiro) 旧鎮座地

加茂神社跡(八尾市)の記事をご覧ください

一緒に読む
加茂神社跡(八尾市)

加茂神社跡(かもじんじゃあと)は 『延喜式神名帳』に『河内国 高安郡 鴨神社』とある式内社ですが 明治40年(1907)「玉祖神社(八尾市)」に合祀されました その後 大正12年 大竹地区の氏子が 旧社地に小祠を建て 御分神を奉祀して 現在にいたっています

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄信貴線 服部川駅から 北東へ2.1km 車10分程度
近鉄信貴線線服部川駅より徒歩30分

東高野街道に面した鳥居から神社への道はとても狭くて急坂です
生駒信貴山の西麓 標高180mの高台に玉祖神社は鎮座しています

玉祖神社(tamanoya shrine)に到着

社号の「玉祖」と刻まれた長鳴き鳥の石像があり クリーム色の鳥居と大楠が社頭にあります

手前の駐車場には 長鳴き鳥とされている「黒柏」が放し飼いになっています
参拝者の方に集まっていて 鶏とは思えないほど静かにしています

「見事な大楠」の前には 鳥居が建ち 一礼して くぐり抜けます

大楠の木は 地上2m程で3つの大きな支幹に分かれています
木の前には社号標「郷社 玉祖神社」とあります

ふと振り返ると 生駒・信貴連山の中腹の高台にあるので 大阪市・東大阪市が一望できます 絶景です

石段をあがります

境内地に出ます 左手に鳥居があり 由緒書きの石版などがあります 

てっきり 小さな狛犬が座していると想っていたら 「阿吽の狛犬」ならぬ「つがいの長鳴き鳥」が参拝者を迎えます

鳥居をくぐり抜けて 境内に進みます
綺麗に砂利の敷かれた境内の正面には 拝殿が建ちます

・狛犬・石灯篭・松が 参道の両脇にあり 美しい佇まいです 拝殿の屋根には鬼瓦があります

拝殿にすすみます
「当神社に御参拝 貴人と関係者」と書かれた 大きな案内の木版が掲げられています 醍醐天皇・在原業平・楠木正成・徳川家康など貴人とともに 関係者として 周防一之宮 玉祖神社の末裔の方が記されています 

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿とその奥には 春日造の本殿が建ちます

手入れの行き届いた境内を振り返ります

境内にも 立派な二股の大楠があります

東側の山裾に末社が並びます お詣りです

・水神社《合》罔象女命
・小さな滝(修験の行場?)の前に小祠

末社3社合殿(明治5年合祀 元 大字服部川の産土神)
・八幡神社
 《合》誉田和気命
・菅原神社
 《合》菅原道真公
・稲荷神社
 《合》倉稲魂命

・山口神社(神立宮筋より勧請)
 《合》猿田彦命

5社合殿 創建縁起にかかわる5神(天長5年(828)平安前期に勧請)
・八王子神社(高安遠祖の鎮守神を勧請)
 《合》国狭槌命
・恩智神社(鎮座地を分け与えた神を勧請)
 《合》大御計都彦命
    大御計都姫命
・住吉神社(当社鎮座地を教えた神を勧請)
 《合》表筒男命
    中筒男命
    底筒男命
    息長帯比売命
・吉野三十八神社(当社鎮座地に連なる葛城連峰の地主神を勧請)
 《合》木花開耶姫命

・蛭子神社(当社鎮座の砌 渡海を助けた神を勧請)
 《合》蛭子命

境内を後にします

石段を戻ると 生駒・信貴連山の中腹の高台から 河内平野を望むことになります 大クスと大阪市・東大阪市が一望できます

鳥居をくぐり抜けます

振り返り一礼をします

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『在原業平(ありわら の なりひら)と八尾』

「高安の郡」は 信貴山西麓の地区で 河内から大和へ越える「十三(じゅうさん)街道」の大坂道の入口にあたります 大阪玉造と大和竜田(やまとたつた)を結ぶ重要な道筋にあたり 多くの茶屋が並んでいたようです

 在原業平(ありわら の なりひら、825年~880年)は平安時代の歌人で、六歌仙の一人としてその名を残す人物です。
 在原業平(ありわら の なりひら)は容姿端麗で、情熱的な和歌の名手であったといわれ、男女の恋愛にまつわる言い伝えが各所で残っています。
 八尾市では、市内東部の高安地区にその言い伝えが残っています。

<業平(なりひら)の高安通い>
 在原業平(ありわら の なりひら)が大和・龍田から高安山を横断する十三(じゅうさん)峠(十三[じゅううさん]街道)を越えて、高安にある玉祖神社(たまおやじんじゃ、八尾市神立5丁目)に参拝するとき、神立(こうだち)の辻にある茶屋の娘・梅野を見初め、その後しばしばそこに通うようになりました。在原業平(ありわら の なりひら)は、来るときはいつも決まって、近くの松の木から笛を吹いて梅野に合図をし、会っていました。
 あるとき、笛を吹かずに梅野の様子をなにげなくそっとのぞくと、梅野が自分でご飯をよそっていたことから、自分でよそうことのない貴族の在原業平(ありわら の なりひら)は急に興ざめし、笛を玉祖神社(たまおやじんじゃ)に置いて帰りました。
 梅野はそれに気づき、在原業平(ありわら の なりひら)の後を追いましたが見当たらず、悲しんで近くの渕に身を投げたといいます。

 茶屋があった辻は、神立(こうだち)茶屋辻として今もその名をとどめています。梅野が在原業平(ありわら の なりひら)を追うた道も「おうと越え」といわれ、今もハイキング道として残っています。また、在原業平(ありわら の なりひら)が残したと伝えられる笛は、一節切(ひとよぎり)の笛として玉祖神社(たまおやじんじゃ)に保管されています。

八尾市役所HPより https://www.city.yao.osaka.jp/0000009202.html

境内社 水神社 御祭神 罔象女命 の伝承について

 罔象女命

 この神は 神霊あらたかで
昔ある人が 21日の願かけをし いよいよ満願の日
この神は その人の心を見る為に度胸だめしをなさいました
その人は あまりの怖さにびっくりして 今にも逃げ帰りたい気持ちになったそうですが 満願叶い神霊を受けられた逸話も残っております
 身代わりに鯉を入れると長命するそうです

案内板より

高安明神ともいい高安11ヶ村の氏神です 和銅三年(710)周防国一之宮 玉祖神社から分霊を勧請したもので 御祭神は櫛明玉命です
玉祖神社(tamanoya shrine)(八尾市)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

玉祖神社(八尾市)は 和銅3年(710)周防国一之宮「玉祖神社」から分霊を勧請したものです
玉祖神社(周防国一之宮)の記事もご覧ください

一緒に読む
玉祖神社(周防国一之宮)

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に「玉祖神社二座」と所載されています 三種の神器の一つ 八坂瓊曲玉(yasakanino magatama)を造られた「玉祖命(tamanoya no mikoto)」が御祭神 他一座は不詳です また 社伝では『日本神話』でも有名な「天照大神の天の岩戸隠」の時に 集めて鳴かせた「常世 長鳴鶏」を 玉祖命が この地に この鶏をつれて留まられたとして「黒柏 発祥の地」としています 黒柏は 天然記念物に指定されて境内で飼育されています

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河内国 式内社 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)について に戻る  

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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