二宮神社(にのみやじんじゃ)は 社伝によれば 創建は弘仁年間(810~823)とされます 延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社(さむかはの かみのやしろ)の論社とされ 又 延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社ともされます

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目次

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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
二宮神社(Ninomiya shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
千葉県船橋市三山5-20-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
櫛稻田比賣命(くしなだひめのみこと)
大國主命(おほくにぬしのみこと)
《相殿神》
藤原時平公(ふじわらのときひらこう)〈治承4年(1180)〉
《配祀神》
大雀命(おほささぎのみこと)
〈明治時代に近隣の無格社 若宮八幡神社の合祀による配祀〉
《配祀神》
譽田別命(ほんだわけのみこと)
〈明治時代に当社の摂社 阿波八幡神社の合祀による配祀〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 下總國二之宮
【創 建 (Beginning of history)】
一.由緒
一.当社の儀は弘仁年間嵯峨天皇の勅創に係り、古来 寒川神社二宮大明神と聯称す。往昔より近郷二十三ケ村の総鎮守にして、丑未7年目毎に二宮神社外八神社の神輿を会し大祭を執行す。
二.治承4年、藤原師経当国へ左遷の際、同人及神官倶々協議して左大臣藤原時平公を本社の相殿に合祀す。
三.慶長年中、東照宮上総国東金へ御成りの砌り、御参詣の際御墨印寄せられ、二代将軍秀忠公より御朱印御寄附、三代将軍家光公より御朱印を以て下総国千葉郡三山村に於て御神領拾石御奉献。其の後貞享元年3月11日、東照宮より四代将軍家綱公まで神官宅火災の砌り御朱印焼失に付其の砌り寺社奉行へ御訴へ申上げ御吟味相済、翌2年6月14日、五代将軍綱吉公より御朱印前々の通り御社領御寄附あり。(現在の御社殿は安永年間再造営せるものなり)
四.明治43年12月16日、千葉郡二宮村三山字北ノ海道199番、無格社若宮八幡神社(大雀命)、同所字西ノ庭44、二宮神社摂社阿波八幡神社(誉田別尊)御本社へ合祀す。一、大祭起源及沿革
当社は今を去る500有余年前、馬加村(千葉市馬加町)の城主陸奥守康胤奥方懐妊、11ケ月到るも何等出産の模様なきをいたく憂い、三山村二宮神社、畑村子安神社、馬加村子守神社、武石村三代王神社の各神主に命じて馬加村の磯部に地を相会し安産御祈祷の祭禮たる産屋の古式を執行せしむ。(磯出祭は是なり)さる程に奥方安産あり然も男子御出生の事とて康胤初め家臣領民等殊の外喜び此神徳に報いんと総社二宮神社二宮安産御禮の大祭を執行する様領内村々に告げ知らせ、康胤は此度出生せる若殿を伴ひ家臣一同を引連れいとも麗やかなる大祭を挙げたり。(是れを安産御禮大祭と云ふ)是ぞ三山大祭の濫觴にして後年此二つの祭を一つに合せて同時に式事を執行する様になりたり。此処に「三山の祭後が先」と云ふ伝説生じたり。是より庶人亦其霊徳に浴せんと安産の祈願をなす者多きを加へ今や関東一の御産の神として有名となり、この先例を丑年未年の七ケ年毎に踏襲し本社の外八神社、三山・二宮神社、畑・子安神社、馬加・子守神社、武石・三代王神社、久々田・菊田神社、高津・高津比・神社、実籾・大原神社、大和田・時平神社、古和釜・八王子神社の神輿三山神揃場に集ひ其れより行列を以て御本社に参進し大祭を執行す。当夜は馬加村磯部に4基の神輿相会し安産御祈祷の式事を行ふ。この夜畑村に必ず男女の出産ありて後7年目の大祭には稚児となり参列する。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
『新撰佐倉風土記』〈1883年〉に記される内容
【抜粋意訳】
二宮神社
在ニ 三山村 延喜式所載 千葉郡 寒川神社是也 所祭神 素蓋男命 櫛稲田姫命 舊稱ニ 三山明神 有ニ 社地十石 舊風土記 以ニ 寒川村寒川社 爲 延喜式 寒川神社者 葢傳聞之誤
【原文参照】

続簡 編『新撰佐倉風土記』,中井書舗,1883. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991458
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
二宮神社について 二つの式内社(寒川神社・茂呂神社)の論社となって居ることを記しています
【抜粋意訳】
〇千葉縣 下總國 千葉郡二宮村大字三山
郷社 二宮(ニノミヤノ)神社
祭神
速須佐之男(ハヤスサノヲノ)命
稻田比賣(イナダヒメノ)命
大國主(オホクニヌシノ)命
藤原時平(フジハラノトキヒラ)創立年代詳ならず、但傳云ふ、安徳天皇 治承五年、藤原師経、當国へ左遷せられし際、神職と相議り、藤原時平を相殿に合祀せりと、二宮明神の號 寶暦高帳等に見え、往古 以来 近郷二十三ケ村の総鎮守たり、霊元天皇 貞享元年三月災上、社殿は勿論 古記神寶、悉く烏有に帰せる為め 由緒の詳細を知るに由なきは遺憾とすべし、
明治六年十二月郷社に列す、社殿は本殿、幣殿、拝殿、其他神樂殿、水舎等あり、境内は四千貮百に十四坪(官有地第一種)あり。
神祇志料に「寒川(サムカハノ)神社、今 三山村に在り、三山明神といふ、蓋是也、(按一説に塞川村新田なる神明社を本社也と云へと、此地は天正以前結城と云し地なれば、信しかたし、相模寒川神社一宮村宮山にありて、其近き処に神揃山ど云あり、本社も三山村にありて、村中に神揃場と云ふ処あるなど自ら由縁ありてきこゆ、姑く附て考に備ふ)凡八月十三日湯立神楽を行ふ、(下総式社考)」とありて、本社を以て式内の寒川神社となせり、
故に又 下總舊事考に「三山は宮山の訛にて、二宮は即 寒川社なり、然るに天明年中、神主より本社には式内 茂侶神社なりと言出でしことあり、こは誤れり」とも見えたり、
然るに神社覈録に云く、「寒川神社、祭神 誉田別尊(地名記)O寒川村に在す、考証に、寒川比女命と云り、こは寒川の文字に拠るのみにして、其実は知れがたし、猶尋ぬべし、○伴信友云、寒川村の属邑 寒川新田と云所に古社あり、今は神明と称すれど寒川神社也、神體は御幣にて、祭日に新に調へて、舊物は海の浜に持出て流す也、此神霊験著き事常にて、無礼をなす事あれが其崇を受けて、云々、又寒川の本村にも神明宮あれど、そは新田なるを後に勧請し祭ると云り、」とひへり、姑く両説を揚て後考を侯つベし、
境内神社
香取神宮 金刀比羅神社 鹿島神宮 人麿神社
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿

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市指定文化財(有形・建造物)
二宮神社(にのみやじんじゃ)社殿(しゃでん)
一九九二年(平成四)
二宮神社の創建は、社伝によれば弘仁(こうにん)年間(810~823)とされる。現在の社殿は棟札や各部の建築様式から、安永年間(1772~1780)の再建であることがわかる。
本殿は大正11年(1922)、拝殿は大正14年(1925)に、それまでの茅葺(かやぶき)屋根を銅板に葺き替え、大規模な模様替えをしている。社殿の形式は、江戸時代に流行した権現造(ごんげんづくり)であるが、拝殿から幣殿にいたる床面の高さは、同じレベルにしている。
向拝(ごはい)の唐破風(からはふ)の大きさなど社殿のデザインには、く見えるように工夫されています。谷を挟む正面の鳥居から参拝する神社を考慮した工夫が見られる。拝殿の周囲は背面を除いて回縁(まわりえん)となっており、建具は横桟の多い舞良戸(まいらど)である。拝殿および幣殿の天井は格天井である。社殿の側面に回り全景を見ると、本殿の屋根および床面が拝殿より高いことが分かる。本殿は流造で船体を彫刻で飾っている。軒の組物および腰組も、その当時の正規の宮大工の手法によって意匠と造作がなされている。
船橋市教育委員会
現地案内板より

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・齋藤その女等奉納句額
市指定文化財(有形・歴史)
齋藤(さいとう)その女等奉納句額
文久3年(1863)、大穴の齋藤その女、田喜野井の鍬賀、薬円台の林中ら、三山近在の俳人たちが主催者となり、そのころ有名であった江戸の俳人 孤山堂卓郎らを選者に迎え、二宮神社に俳句の額を奉納した。拝殿内の正面に掲げられている。その女は主催者の最長老として「八十二老その女」と刻まれている。俳句の奉納者は、二宮神社注連下21ヶ村の村人や江戸・市川の人々、あわせて80名である。
句の一部
汲てゆく 跡も濁らぬ 清水かな 鍬 賀
風よりも 涼しき庵は もりのうち 林 中
春もまだ 冴てなのみぞ 庵の月 その女
移る燈の 雨にながるる 柳かな 卓 郎大きさは縦107cm、横376cmの欅(けやき)の一枚板で、江戸の工人 野川法眼平朋郷が彫刻し、装飾した立派なもので、文久3年の銘がある。俳人その女の優れた人柄と足跡を物語る資料としても貴重である。
船橋市教育委員会現地案内板より

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・二宮神社 年間行事表

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
下總國 茂侶神に神位が授けられと 記されています
【抜粋意訳】
卷二十 貞觀十三年(八七一)十一月十一日癸未
○十一日癸未
授に
丹後國 從五位上 大河神 正五位下
下総國 從五位下 茂侶神 從五位下
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO
【抜粋意訳】
卷卅六 元慶三年(八七九)九月廿五日壬子
○廿五日壬子
授に
河内國 從四位下 建水分神 從四位上
下総國 正五位下 茂侶神 正五位上是夜、鴨河辛橋火。燒斷大半。
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
二宮神社(船橋市三山)は 二つの式内社の論社となっています
①延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社
②延喜式内社 下總國葛餝郡 茂呂神社
①延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下総國 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)千葉郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 寒川神社
[ふ り が な ](さむかはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Samukaha no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
②延喜式内社 下總國葛餝郡 茂呂神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下総國 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛飾郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 茂侶神社
[ふ り が な ](もろの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Moro no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
二宮神社(船橋市三山)は 二つの式内社の論社となっています
①延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社
②延喜式内社 下總國葛餝郡 茂呂神社
①延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社(さむかはの かみのやしろ)の論社
・二宮神社(船橋市三山)
・寒川神社(千葉市中央区寒川町)
②延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社
・三輪神社(吉川市三輪野江)
・三輪茂侶神社(流山市三輪野山)
・茂侶神社(松戸市小金原)
・茂侶神社(船橋市東船橋)
・二宮神社(船橋市三山)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京成本線 京成大久保駅から北へ約1.9km 車での所要時間は7~9分程
社頭の南東500m程の所に二宮神社大祭用地があり ここに案内板が立てられています

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社頭は南向きです
二宮神社(船橋市三山)に参着

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駐車スペースは境内の東側にあります
東には旧別当寺「神宮寺」があります

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駐車スペースのすぐ横が社殿となっています

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表参道を振り返ると
一之鳥居をくぐり抜けると その先に下りの石段があり その石段を下って谷底を歩き 小川を渡ります 谷底を真っ直ぐ進んだ先には 再び石段を上ると云う 珍しい参道の形式となっています
一説には 参道の谷の底を流れる小川は「サムカハ」と呼ぶとの事

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 透塀に囲まれて本殿が鎮座します

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
二宮神社(船橋市三山)は 二つの式内社の論社となっています
①延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社
②延喜式内社 下總國葛餝郡 茂呂神社
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
①延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社について 所在は゛寒川村に在す、゛〈現 寒川神社(千葉市中央区寒川町)〉と記しています
【抜粋意訳】
寒川神社
寒川は 佐牟加波と訓べし
〇祭神 誉田別尊〔地名記〕
〇寒川村に在す、(同上)例祭 月日、
考證に、寒川比女命と云り、こは寒川の文字に據るのみにして、其實は知れがたし、猶尋ぬべし、
〇伴信友去、寒川村の属邑 寒川新田と云所に古社あり、今は神明と稱すれども塞川神社也、神體は御幣にて、祭日に新に調へて、舊物は海の澳に持出て流す也、此神霊験著き事常にて、無禮をなす事あれば、其崇を受て病出て死に至るもの多し、早く悟りて祈謝すれば病治る事あれど、其語る事遅く病深くなれば、治する事なし、同藩の醫 丹羽誠軒、寒川に久しく客居して見聞する趣也、又寒川の本村に、神明宮あれど、そは新田なるを後に勧請し祭る也と云いり、といへり、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
②延喜式内社 下總國葛餝郡 茂呂神社について 所在は゛栗ケ澤村に在す、゛〈現 茂侶神社(松戸市小金原)〉と記しています
【抜粋意訳】
茂侶神社
茂侶は假字也
○祭神 大日霊尊、月弓尊、素戔鳴尊、蛭兒尊、〔地名記〕
〇栗ケ澤村に在す、〔同上〕例祭 月日、
神位
三代実録、
貞観十三年十一月十一日癸未、授ニ 下総國從五位下 茂侶神 從五位上、
元慶三年九月二五日壬子、授ニ 下総國正五位下 茂侶神 正五位上
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
①延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社について 所在は゛今 三山村にあり、三山明神といふ、蓋是也゛〈現 二宮神社(船橋市三山)〉と記しています
゛一説に寒川村新田なる神明社を本社也と云へ゛〈現 寒川神社(千葉市中央区寒川町)〉の説を挙げていますが゛此地は天正以前 結城と云し地なれば、信じかたし゛と記しています
【抜粋意訳】
寒川(サムカハノ)神社、
今 三山村にあり、三山明神といふ、蓋是也〔〇按 一説に寒川村新田なる神明社を本社也と云へと、此地は天正以前 結城と云し地なれば、信じかたし、相模 寒川神社 一宮村 宮山にありて、其近き處に神揃山と云あり、本社も三山村にありて、村中に神揃場と云ふ處あるなど自ら由縁ありてきこゆ、姑く附た考に備ふ〕
凡 八月十三日湯立神楽を行ふ、〔下総式社考〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
②延喜式内社 下總國葛餝郡 茂呂神社について 所在は゛今 栗か澤村にあり、゛〈現 茂侶神社(松戸市小金原)〉と記しています
【抜粋意訳】
茂侶(モロノ)神社
今 栗か澤村にあり、〔巡拝舊祠記、下總興地全圖、〕
清和天皇 貞観十三年十一月癸未、從五位下 茂侶神に從五位上を授く、
陽成天皇 元慶三年九月壬子、正五位下より正五位上を授く、〔三代実録〕〔〇按 本書 正五位下に叙されし年月、考る所なし、〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
①延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社について 所在は゛三山村(千葉県二宮村大字三山)゛〈現 二宮神社(船橋市三山)〉と記しています
又゛本社寒川村にあり゛〈現 寒川神社(千葉市中央区寒川町)〉の説を挙げていますが 違うと記しています
【抜粋意訳】
○千葉郡二座 小
寒川神社 稱 三山明神
祭神 素盞雄尊 稻田姫命
今按 社傳 祭神かくの如く 相摸國寒川郡寒川神社も祭神 素戔嗚命 大巳貴命と傳へて 彼此相似たるはもと同神の故なるべし されど祭神 素盞鳴命と云 は誤にて 實は寒川比賣命を祭れるものなるべし 姑附て考に備ふ
祭日 正月十五日 九月十六日
社格 郷社
所在 三山村(千葉県二宮村大字三山)
(明細帳に寒川神社なし 同村二宮神社郷社とあり)
今按 香取私記佐倉風土記に 本社寒川村にありとし 神名牒考に寒川
考に寒川新田にありと云るは 何れも傳聞を記せるなれば證としがたし 寒川社と云ばとて 必 寒川村にありとも定むべからざること 式外 小松神社の小松村にはあらずして 神崎村にあるが如く但祭式のさま また氏子の村になども寒川よりは三山村の方立まさりたるも 式内なるべく思はれ 倭姫世記に伊勢大御神のことを坂手社 定給支從其處行幸 河儘支其河之水寒有 則 寒河止 號久其處に御船留メ給 即 其處仁 御船神社定給支とあり 又延暦儀式帳に久具社稱 大水上神 御子 久々都比女命 又久々都比古牟彌乃神社 大水上兒 寒川比古命 寒川比女命とあるを本社の六月十五日 船流祭とあるは御船留給云々とあるに由縁あり 氏子の村に久々田村あり 其村に菊田姫社あるは寒川神の御兄弟なる久々都比女神に由ありて 聞ゆるなど おぼろげのことには非るべし 故 今 三山村と定めて記しつ
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
②延喜式内社 下總國葛餝郡 茂呂神社について 所在は゛三輪山村゛〈現 三輪茂侶神社(流山市三輪野山)〉と記しています
【抜粋意訳】
茂侶神社 稱 三輪明神(明細帳三輪神社とあり)
祭神 大物主命
今按 社號を茂呂と云は 三諸山のもろに由あり 村名を三輪山と云ひ三輪山と云ひ三輪明神と唱ふるを以て考ふるに祭神 大物主神なるべし 故今定めて記せり
神位
请和天皇 貞観十三年十一月十一日癸未 授 下總國從五下 茂侶神 從五位上
陽成天皇 元慶三年九月二十五日壬子 授 下總國正五位下 茂侶神 正五位上祭日 正月八日
社格 村社所在 三輪山村
今按 下總國舊事考に 本社は千葉郡三山明神なりとも 葛飾郡 意富比神社の末社とも 叉 栗ヶ澤村にもありと云に 此三輪山とを合せて四所あり その内三山は寒川神社なること上に云るが如くなれば 本社にはあらず 意富比末社と長島は疑はしければ取がたく 栗ケ澤は水戶源光圀の茂侶神社ならんかと疑はれしのみなるを 其神主の私に茂侶と云出しよりのことにて證あるにあらず
されば三輪山村なる三輪明神 即本社ならんと云ひ 茂侶は御諸の義にて 古事記傳に御諸山は即 三輪山のことなりと云 叉 國人 横田好學が考に社の近き江を三輪江と云ひ 土人説に往昔 大和国三輪の人来りて地を拓き 地を三輪山と名け三輪神を祭る三輪山 一に御諸山と云ひ 又 御母呂山とも云と云るが如く 村を三輪山と云ひ 社號を茂呂と云ふも甚だ由あれば 今は此地と定めて記しつ
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
二宮神社(船橋市三山)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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