舩井神社(南丹市八木町船枝字才ノ上)〈『延喜式』舩井神社〉

舩井神社(ふないじんじゃ)は 創建は『和名抄』「三韓征伐の凱旋後 神功皇后が この地に住吉明神(舩井神社)を祀った」と伝わり 大堰川の辺「瀛居の社・太古の森(オコノモリ)」に鎮座 氾濫により 慶雲2年(705)現在地に遷座 延喜式内社 丹波國船井郡 舩井神社(ふないのかみのやしろ)です 後 保延年間に春日四座の神を合祀

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

井神社(Funai shrine)

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

京都府南丹市八木町船枝才の上51

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神

〈住吉明神)
 底筒男命(そこつつのをのみこと)
 中筒男命(なかつつのをのみこと)
 表筒男命(うわつつをのみこと)

〈春日四座の神)
 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
 經津主命(ふつぬしのみこと)
 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
 比賣神(ひめのかみ)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 航海安全、陸上交通・航空安全、旅行安全、
 五穀豊穣、殖産興業、学業成就、試験合格、
 芸能上達、武道・競技・政治必勝成就、出世開運招福、
 厄除け、災難除け、縁結び、安産、夫婦和合、延命長寿、諸願成就

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

船井神社について
祭神

 住吉神底筒中筒表筒
 春日神武甕槌命経津主命天児屋根命比売神

神徳

 航海安全、陸上交通・航空安全、旅行安全、
 五穀豊穣、殖産興業、学業成就、試験合格、
 芸能上達、武道・競技・政治必勝成就、出世開運招福、
 厄除け、災難除け、縁結び、安産、夫婦和合、延命長寿、諸願成就

例祭

 十月二十一日(近くの日曜日)

式内社延喜式神名帳 九二七年 に記載されている神社)、郷社

 創建は「神功皇后の三韓征伐の時、住吉明神に守護を祈られたところ、住吉明神が現れて御船を守護し、海路つつがなく航海できた、三韓征伐も成功したので、凱旋後、神功皇后はこの地に住吉明神(舩井神社を祀った。」(「和名抄」)とある。

 ここより西北五百米の地、大堰川二十町堰近くに「オコノモリ」と称える塚がある。「瀛居の社」「太古の森」とも書く。ここは曾て大樹が繁り、井神社前身の住吉神社が鎮座していたと伝えられている。

 舩井神社の名称は、大堰川を下る船の停泊地「船居」に由来する。
 大堰川の清流近く船運の守り神として祀られるとともに、
船枝村、清谷村、室橋村、美津村、畑中村、諸木村、野条村の産土神でもあった。

 大堰川の氾濫により、天武天皇の御宇、慶雲二年七〇五年)に此の地遷宮と伝える。

 その後、崇徳天皇の御宇、保安元年(一一二〇年)丹波国司 三条宰相藤原家保卿、南都より春日四座の神を勧請してこの社に合祀される。
 現本殿は天保年(一八三五年)に再建されたものである。

 平成十七年(二〇〇五年)、遷座千三百年祭を斎行する。

 境内の大杉や大榧、大公孫樹に悠久の時の流れを、立派な本殿や拝殿に奉納されている左甚五郎作の金網に覆われた絵馬をはじめ多くの絵馬等に古来 新庄の郷の産土神として敬神崇祖のあつい思いの歴史を感じさせられる。

現地立札より

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【由 緒 (History)】

由緒

 此の神社の創立年代は明らかではありませんが 大堰川のほとりオコノモリに鎮祭されてありましたが 川に近く境内も狭まかつたので 慶雲2年9月13日(1970年より1265年前)現在の地にお遷しになりました。

 当時  大堰川は唯一つの交通路でありまして神社の西方は入江となり諸船や筏が集まり交通の中心地でありまして 住吉三神が祭られたことは当然だと思われます。その後 老の坂、亀岡、埴生、生野への陸路が発達して 大堰川は裏通りとなり神社も衰微荒廃して社殿の改築等も行はれなかったやうであります。其時当時の丹波国司が奈良から春日四柱を合祀して 以来 春日神社と称しました そして田、山林2百町歩を神領としました。

 其後 地震や火災にあい宝物、旧記を失い 天保六年二月社殿を造営し 現在に至りました。又 鎌倉時代 安城寺と云う寺を建て社僧が神社を支配し 神官は祭祀を司る時代もありました。

 明治維新の前園部藩にて神社調査の結果 元の船井神社と改称し 明治六年郷社となり祠官職を置き 明治9年京都府に於いて調査考証の上 延喜式内社に公定され 國幣を賜り郡中第三位でありました。

 昭和15年皇紀2600年を記念し府社に昇進を申請しましたが 戦争其他に依り目的達成出来ず今日に至って居ます。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇京都府 丹波國 船井郡新庄村大字船枝

郷社 船井(フナイノ)神社

祭神
 表筒男(ウハツツノヲノ)命
 中筒男(ナカツツノヲノ)命
 底筒男(ソコツツノヲノ)命

 武甕槌(タケミカツチノ)
 經津主(フツヌシノ)
 屋根(アメノコヤネノ)
 比賣(ヒメ)

本社の創建年代詳かならずと雖も、上古より本村に鎮祭せられたり、然るに此地 川に接近し、且つ境内狭陰なるを以て、更に地を相し、慶雲年間 今の地に遷座せり、

神名帳考證に「船井神社、船井神與 住吉大神 云々」とあり、
神祇志料に「今 船枝村にあり〔神社明細帳、波式社考證、〕墨江三前大神を祭る、凡十月二十日祭を行ふ」と見ゆ、其式内社なることを知るべし、
 神祇志料に、本村 竹上與平次の家系を引きて、「當國新庄鄉 船枝里と云ふ、當郡之大社 船井神社を氏神とす、此神は住吉大明神、此故に船井郡と號く、船井は船居也、神領として郷内百町の田地山林二所を國司より寄附す、仍て竹上丹波菅原宗成奉行職に補任せらるとあるもの、盡く信るに足らと雖も、船枝は船井のとするに足れり」と見ゆ、
後又 保延年間 南都より春日四社の神を此社殿に合祀す、所謂 新庄五ヶ村産土神なりと云ふ、

中昔の頃 社地境内に梵利を建て安城寺としたり、面して當時は 神職と社と相互に社務を統理せしが、寶曆年中 兩者の間に争を起し、途に官裁をるに至り、寺削りいで社僧も廢せられ、爾後に徳望ある古老を以て、一年交代にて務を司らしめたり、
 天保三年二月、本社回祿の災あり、舊記 寶物 灰燼となる、依って同六年二月社殿を再建す、
明治六年郷社に列し、同九年式内神社と決定せり、社殿一宇、境内二百六坪(官有地第一種)あり。

境内神社
 八幡宮 稲荷神社 伊弉諾神社 若宮神社 天滿宮

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

舩井神社 本殿

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舩井神社 拝殿

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・〈本殿向かって右 境内社〉2社

向って右から〔・八幡宮・若宮神社

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・〈本殿向かって左 境内社〉3社

向って右から〔・天満宮・稲荷神社・伊弉諾神社

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・社頭・鳥居

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・〈社頭の向かって左〉腕守社

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・腕守社(かいなもりしゃ)

腕守社(かいなもりしゃ)

 腕守社には前九年の役で源頼義・義家親子に討たれた安倍貞任の腕を祀っている。
 奥の五輪塔は「腕(かいな)守」と呼ばれ、貞任の腕が埋まっているという。

貞任の魂が、自分の体を元に戻そうとすると、青い尾を引いた人魂(ひとだま)が東の方へ飛んでいくという。

 腕の痛みに効くときれ、昔は農作常で腕を痛めた人が、よくお参りに求ていたという。

 源氏の勢力が強かつた旧 船井郡には怨霊鎮魂を目的としたいくつかの貞任の身体を祀る場所がある。

 丹波の山並みを縫うようにして、ゆったりと流れる桂川。その中流辺り、京都市右京区京北から南丹市八木町にかけて、桂川の流れに沿うように、はるか奥州の地の豪族、安倍貞任(あべのさだとう)(1019?~1062)にまつわる伝説が残っている。

 平安時代後期、朝廷は、自分たちから独立した勢力を持っていた奥州の豪族・安倍氏の征討を源頼義らに命じた。十一年間に及ぶ戦い「前九年の役」(1051~1062)の未、一族の長だった安倍貞任は「厨川(くりやがわ)の戦い」で戦死し、安倍氏は滅亡した。

 貞任の亡きがらは朝廷に送られ、都の陰陽師の進言により「東西南北に川のある地」である「有頭(うつ)の地」(現・京都市右京区京北下宇津)に埋められた。しかし翌朝、日の出とともに貞任は生き返り、たたりをなした。そこで、体を二分、三分としたが、やはり生き返る。最後は、体を七つに分けて埋め、下宇津八幡宮に貞任の霊を祭り、ようやくたたりは静まったという。

 亡きがらを七つに切ったところが「切畑」、首を埋めたのが「貞任峠」。ほかにも、両肩と胴体は「高谷」、腰と両足は「人尾(ひとのお)峠」、足と手を埋めた「足手谷」など、下宇津周辺には貞任伝説にまつわる地名が残る。中でも貞任峠にある「貞任の首塚」は歯痛封じの御利益があるとして、古くから地元で信仰を集めていた。

 下宇津から桂川を下ること約二十キロ。南丹市八木町にはここ舩井神社のほかにも、頭を埋めた「久留守(くるす)神社」(同町刑部)は頭痛に効く、などの伝承がある。

( 京都新聞「ふるさと昔語り 安倍貞任伝説」参照抜粋 )

現地立札より

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

「オコノモリ」「瀛居の社」「太古の森」

〈舩井神社前身の住吉神社が鎮座していた場所〉

慶雲2年(705913日現在の地に遷座と伝わります

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井神社發祥地(昭和五十一年四月建立)の石碑〔裏面〕

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瀛居の社〔おこのもり〕の石碑〔表面〕

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)舩井郡 10座(大1座・小9座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 舩井神社
[ふ り が な ](ふなゐの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Funai no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

舩井神社の周辺に残る「安倍貞任(あべ の さだとう)」の伝承

安倍貞任(あべ の さだとう)とは

平安後期の奥羽の武将 「奥六郡の司」を称した安倍頼時(よりとき)の次子 厨河(くりやがわ)次郎の名があり 安倍氏の領土のうち 北のさいはて厨川柵(くりやがわのき)(盛岡市)を守った

前九年の役(1051~1062)父頼時敗死の後は 安倍の抗戦の総指揮をとり とくに1057年(天喜5)11月の黄海(きのみ)(岩手県東磐井(いわい)郡)の会戦では 敵将頼義主従をわずか7騎にまで追い込む戦いぶりをみせた

逆賊として追討されるが 10余年にわたって朝廷軍を悩ましたその武勇は 人々に強い印象をあたえたと云う

1062年(康平5)厨川柵(現,盛岡市)の戦で負傷し捕らえられ死亡

貞任峠(さだとうとうげ)

京都市右京区京北下宇津にある「貞任の首塚」は 貞任の首の埋葬地と云う
東北で討たれた貞任の遺骸は 朝廷の命で京に送られ 陰陽師の進言により「有頭(うつ)の地」〈現 右京区京北下宇津〉に埋葬された しかし翌朝 日の出とともによみ返り祟りをなし そこで体を二分三分としたが静まらず 最後は体を七つに切断して埋め 下宇津八幡宮に霊を祀り ようやく鎭(しずまる)と云う  亡骸を七つに切ったところが「切畑」 両肩と胴体は「高谷」 腰と両足は「人尾(ひとのお)峠」 足と手を埋めた「足手谷」など 周辺には貞任にまつわる地名が残ると云う

腕守(かいなもり)神社

京都府南丹市八木町〔船井神社横〕奥の五輪塔の下には貞任の腕が埋められていて、 貞任の魂が体を元に戻そうとすると 青い人魂が出現し 尾を引いて東へ飛んでいくと云う

久留守神社

京都府南丹市八木町刑部 創建年代は不明 由緒に貞任の首を埋葬したという伝承があり 頭痛に霊験があると云う

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 吉富駅から県道408号経由で北東方向へ約3.1km 車での所要時間は5~6分程度

舩井神社(南丹市八木町船枝字才ノ上)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 境内へ進みます

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月次祭の案内が掲示されています

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正面には拝殿があります

拝殿にすすみます

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拝殿内には 左甚五郎作と伝わる馬の彫刻〔金網で保護されています〕があります

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拝所は 本殿に設けられています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 舩井神社について 所在・祭神はよく判らないと記しています

【抜粋意訳】

船井神社

船井は郡名に同じ、和名鈔、〔郷名部〕船井、〔布奈井〕

〇祭神在所詳ならず

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 舩井神社について 所在は゛今 船枝村にあり、゛〈現 舩井神社(南丹市八木町船枝字才ノ上)〉と記しています

【抜粋意訳】

船井(フナイノ)神社、

 船枝村にあり、〔神社明細帳、丹波式社考証、〕〔○按考証に、本村竹上興平次の家系を引て云、當國新庄郷 船枝里云々、當郡之大社 船井神社を氏神とす、此神は住吉大明神也、此故に船井郡と号く、船井は船居也、神領として郷内百町の田地山林二所を國司より寄附す、仍て竹上丹波、菅原宗成奉行職に;補任せらるとあるもの、儘く信ずるに足らずと雖も、船枝は船井の證とするに足れり、〕

墨江三前大神を祭る、〔古事記、延喜式参取本社傳説〕

凡 十月二十日祭を行ふ、〔丹羽式社考證〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 舩井神社について 所在は゛舟枝村 (船井郡富本村大字船支 )゛〈現 舩井神社(南丹市八木町船枝字才ノ上)〉と記しています

【抜粋意訳】

船井神社

祭神

 底筒男之命
 中筒男之命
 上筒男之命

 今按 下條に引る竹上氏家系の文に船井は船居也と云ひ 住吉明神とあるによるときは 社傳に住吉同體神也とある據あり 故今 社説に從ふ

祭日 九月十三日
社格 郷社

所在 舟枝村 (船井郡富本村大字船支 )

 今按 式内神社考證に 當社もと春日と稱す 舊藩の時 今名に改稱す 同村 竹上與平次の家系に當國新庄郷船枝里 春日大明神 御鎭座之事 崇德天皇御宇云々 御勸請也 從是前當郡之大社  船井神社氏神とす 此神は住吉大明神也 是故號 船井郡船井之は船居也 爲神領於新庄內百町之田地山林二箇所 從國司寄附す云々と 此家系未だ盡く信ずるに足らずと雖も 當社は近隣數村の氏神にして 舟枝村は般井の轉なる事を知るに足れりと云る由ありて聞ゆ 故今之に從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

舩井神社(南丹市八木町船枝字才ノ上) (hai)」(90度のお辞儀)

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丹波国 式内社 71座(大5座・小66座)について に戻る

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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