『三宅記』と『延喜式』に記される「神々」の関係性について

伊豆國(現在の静岡県伊豆半島・東京都伊豆諸島)に伝わる神々の起源や島々の誕生「島焼き(造島)」を記した社寺縁起(神話・伝説)の書『三宅記』 そこに登場する三嶋大明神の后や御子の神々は架空の存在ではなく 国書『延喜式』に記される式内社として国家に登録され実在します 「伊豆諸島の神々の位置づけ」を知るトライアルとなります

『延喜式(えんぎしき)』とは

『延喜式』(905年~927年完成:延喜5年~延長5年)は 全50巻からなる 律令制の施行細目として「式」が制定されています

『延喜式』に記される神々

神々については 巻第九・巻第十は『延喜式神名帳』と呼ばれる 当時の「官社」に指定されていた全国の神社一覧に記されています

『延喜式神名帳』とは いわゆる「国書〈日本国 作成の書〉」であり 「神名帳」は 信仰(神道)を全国的に統一的に格付管理するために 各地の代表する神社を官社とし 格付けに応じた幣帛を授与するための朝廷の帳簿でもありました

従って 実在していた神社です

『延喜式』全50巻の中 巻第九・巻第十のことで 神名帳に記載されている神社を「式内社」と云い延長五年(927)に完成した当時「官社」に指定されていた神社で全国で2861社の神社 そこに鎮座する神の数は3132座が記載されています

「延喜式 巻9」(特026-0001-0004)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028147

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『三宅記(みやけき)』とは

原本は鎌倉時代末期に完成したと見られています

三嶋大明神の縁起物語で 薬師如来を本地とした本地垂迹説による 伊豆地方の神々の縁起書となっています

『三宅記』は 通称名「三嶋大明神縁起」「嶋々御縁起」「白浜大明神縁起」など様々です

三嶋大明神による伊豆諸島の創造〈島々の焼き出し〉 三宅島を中心とした開拓の伝承 一家が大明神の「御代官」となった由来が語られています 『六国史』『延喜式』などの国史記載の神々との相関もあります

『三宅記』の物語内容は 3部構成からなる

第一部

 天竺に生まれた王子(三嶋大明神)が 第8代 孝安天皇 元年 日本に到来する
孝安天皇21年 三嶋大明神は 多くの龍神・雷神達とともに「島焼き」を行ない 7日7夜で10島〈伊豆諸島〉を生み出した
 三嶋大明神は それらの島々に 自身の后〈きさき〉を置き 各后は王子達を産んむ

第二部

 三嶋大明神は 箱根の湖辺に住む老翁媼の三人の女〈むすめ〉を大蛇(龍神)から救い 三人の女〈むすめ〉を后(きさき)として 三宅島に迎えます
3人の后も また多くの王子を産みます

第三部

 三嶋大明神は 富士山において 東遊・駿河舞の芸を習得した壬生御館(みぶのみたち)という人物に出会い 壬生御館(みぶのみたち)は 神々が造り出した島々を見る為に 三宅島に渡来する
 三嶋大明神は 推古天皇2年(594)正月 垂迹の時を迎えた
 三嶋大明神は 壬生御館(みぶのみたち)に奉斎を命じ 500年後に守護神となると宣言して 石笏を託して垂迹します
 壬生御館(みぶのみたち)は 息子の壬生実正〈壬生家二代目〉に東遊・駿河舞の技を教えました〔歌謡の伝授
 三嶋大明神は 壬生実成〈壬生家四代目〉に亀卜(きぼく)の技を教えました

そして 三嶋大明神は 白浜〈下田市白浜〉に飛び立ったと云う 壬生実成〈壬生家四代目〉もお供する
壬生実成〈壬生家四代目〉は 三宅島に戻り 壬生御館(みぶのみたち)の子孫は その後も三宅島において 三嶋大明神を奉斎し続けたと云う

「三宅記」(143-0090)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1207985

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『三宅記(miyakeki)』に記される「伊豆諸島の命名・各島の后と御子」の伝承

〈『三宅記』は 原本は鎌倉時代末期に完成したと見られています〉


三宅記造島〈島の焼き出し〉の順序
現在の島名島名の由来など
1はじめの嶋(はしめの嶋)初島丹波の翁にもらったタミの実を植栽によって 初めての造島
2そこに神達が集まり 島々を焼き出す話しをしたので 神あつめ嶋〈神津島〉神津島神々による島での議論
3大きい島なので大嶋〈大島〉大島島の大きさ
4潮の泡を集め焼いた島の色が白かったので あたら嶋〈新島〉新島塩の泡による島の白さ
5家(宅)が三つ並ぶ様子に似ており 三宅嶋〈三宅島〉三宅島家(宅)が3つ並んだような外観
6明神の倉にすると造り 御倉嶋〈御蔵島〉御蔵島大明神の蔵を設けた島
7はるかな澳にあるので 澳の嶋沖の島八丈島八丈島遥か沖にある島
8小嶋〈八丈小島〉八丈小島島の小ささ
9嶋の姿が王の鼻に似ており わ(お)うこ嶋〈青ヶ島〉大野原島王(天狗)の鼻のような外観
10としま〈利島〉利島10番目の造島の意

三島大明神によって 焼き出された伊豆諸島 各々の島の命名 又 三島大明神によって 各々の島に置かれたとする后(きさき)」と その「王子(みこ)」の名 又 「随身(貴人の側近)」の名が記されています

※ 〔〇〇神社の祭神〕は 現在の論社です クリックすると該当の神社の記事へ進みます

【抜粋意訳】

三島大明神〔三嶋大社の祭神〕は 考安天皇の二十一年に島を焼き始めました

・・・
・・・

明神は この島々に名前を付けられた

一番の島を はじめの嶋(はしめの嶋)〈初島〉と名付けて この島にタミの種を植えた
二番の島を 島々の中に焼き出した そこに神達が集まり 島々を焼き出す話しをしたので 神あつめ嶋〈神津島〉と名付けた

三番の島を 大きい島なので大嶋〈大島〉と名付けた

四番の島は 潮の泡を集め焼いた島の色が白かったので あたら嶋〈新島〉と名付けた
五番の島をば 家が三つ並ぶ様子に似ており 三宅嶋〈三宅島〉 と名付けた
六番の島をば 明神の倉にすると造り 御倉嶋〈御蔵島〉と名付けた
七番の島を はるかな澳にあるので 澳の嶋沖の島八丈島と名付けた
八番の島をば 小嶋〈八丈小島〉 と名付けた
九番の島をば 嶋の姿が王の鼻に似ており わ(お)うこ嶋〈青ヶ島〉と名付けた
十番の島をば としま〈利島〉と名付けた

大明神は この島に通って遊ばれた 中でも 大嶋 三宅嶋 あたら嶋 の三所に 常におられました

さもあらんと 三宅嶋〈三宅島〉に宮造りをされて大明神と申された

そして見目(みるめ)〔火戸寄神社の祭神〕若宮(わかみや)〔若宮神社の祭神〕に申された
「后を作ろう 島々に一人ずつ置くとしよう」

見目と若宮は 申し上げて「天竺の「大明神のご子息の母御前〕はいかがですか」
「それは父の王の妻 できない 」

「それでは」と見目と若宮は出かけた どういう方かはわからぬが 五人の后を伴い 帰ってきたので
大明神は 大いに喜悦された

一人を 大嶋〈大島〉に置かれ その后の御名を はふの太后 と名づけた波布比咩命神社の祭神
その御腹に 王子が二人あって
一人は 太郎の王子 おほひ と名付けた大宮神社の祭神
一人は 次郎の王子 すくない所 と名付けた波治加麻神社の祭神

また 一人の后をば あたら島〈新島〉に置來らせ みちのくの大后 と申された〔泊神社の御祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人を 大宮の王子〔大三王子神社の祭神〕
一人を 第三乃(ていさん)王子と申した〔大三王子神社相殿の祭神〕
この二人の王子には 剣の御子 を添わせた差出神社の祭神

神あつめの嶋〈神津島〉におさまる后の御名は 長濱の御前 と申し〔阿波命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば たたなひ〔物忌奈命神社の祭神〕
一人をば たふたい と申した〔日向神社の祭神〕
この王子には 天竺から来た左大臣を付け置かれた 名前をば ぬく嶋の大別当 と申された その女房を ふとおまゑ(仏御前) と申した

又 三宅嶋〈三宅島〉に置かれた后の名をば 天笠いま后 と申し 白濱神社(下田市白浜) 〔元宮〔富賀神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば あん祢ひこ(安寧子)〔飯王子神社の祭神〕
一人をば まん祢いこ(満寧子)と申した〔酒王子神社の祭神〕

又 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉に置かれた后をば いなはゑ と申し〔優婆夷宝明神社の祭神〕
その御腹に 王子が五人あって
その后が亡くなると 長男と次男は手に手を取り合って思い死に終り 石となり おとあにの御子 として立っておられる
あと二人は まだ幼い頃に亡くなってしまった
それで 五郎の王子のみが 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉におられます〔優婆夷宝明神社の祭神〕

【原文参照】https://www.digital.archives.go.jp/img/1207985#1

[簿冊]「三宅記」(143-0090)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1207985

[簿冊]「三宅記」(143-0090)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1207985

[簿冊]「三宅記」(143-0090)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1207985

[簿冊]「三宅記」(143-0090)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1207985 

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『三宅記』に記される「神々」と『延喜式』に記される神々の関係性一覧表

※ 〔〇〇神社〕は 現在の論社です クリックすると該当の神社の記事へ進みます

『三宅記』
身分 
神名
『延喜式』神社名現在の論社(場所)
 三嶋大明神伊豆三嶋神社
名神大 月次 新嘗
(いつみしまの かみのやしろ)
三嶋大社(三島市)
三宅嶋〈三宅島〉
随身若宮
(わかみや)
 若宮神社(三宅島 阿古)
随身剣の御子
(つるぎのみこ)
 差出神社(三宅島 錆ヶ浜)
随身見目
(みるめ)
 火戸寄神社(三宅島 阿古)
〈富賀神社 境内「四社の宮」見目宮の元宮
大嶋〈大島〉
はふの太后波布比賣命神社
(はふひめのみことの かみのやしろ)
波布比咩命神社(大島 波浮港)
第一王子おほひ所
太郎王子
阿治古神社
(あちこの かみのやしろ)
大宮神社(伊豆大島 野増)
第二王子すくない所(次郎王子)波治神社
(はちの かみのやしろ)
波知加麻神社(伊豆大島 泉津木出場)
あたら島〈新島〉
みちのくの大后久爾都比咩命神社
(くにつひめのみことの かみのやしろ)
泊神社(新島村式根島)
第三王子大宮王子
(大三王子)
多祁美加々命神社
(たけみかかのみことの かみのやしろ)
大三王子神社(新島村大三山)
王子弟三王子
(ていさん)
 大三王子神社(新島村大三山)
相殿
神あつめの嶋〈神津島〉
長濱の御前阿波神社
〔名神大〕
(あはの かみのやしろ)
阿波命神社(神津島村長浜)
 たたなひ物忌奈命神社
〔名神大〕
(ものいみなのみことの かみのやしろ)
物忌奈命神社(神津島村)
 たふたい 日向神社(神津島村榎木が沢)
三宅嶋〈三宅島〉
天笠いま后伊古奈比咩命神社
〔名神大〕
(いこなひめのみことの かみのやしろ)
白濱神社(下田市白浜)
〈元宮として富賀神社(三宅島 阿古)
王子あん祢ひこ
(安寧子)〈飯王子
 飯王子神社・酒王子神社(三宅島 神着)
王子まん祢いこ
(満寧子)〈酒王子
 飯王子神社・酒王子神社(三宅島 神着)
箱根芦ノ湖辺の老翁の嫡女ゐかいの后伊賀牟比賣命神社
(いかむひめのみことの かみのやしろ)
后神社(三宅島 伊ヶ谷)
王子王子(名称不詳)4人 若宮神社(三宅島 伊豆)
后神社の〈境外社〉若宮神社
箱根芦ノ湖辺の老翁の次女二宮御前
(坪田の后)
伊波比咩命神社
(いはのひめのみことの かみのやしろ)
坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】(三宅島 坪田)
王子うらみ子  
王子二宮
(にのみや)
 二宮神社跡(三宅島 坪田)
箱根芦ノ湖辺の老翁の三女三宅島の三女
〈8人の王子〉を一度に出産
佐伎多麻比咩命神社
(さきたまひめのみことの かみのやしろ)
御笏神社(三宅島 神着)
〈八王子〉
一番
ナコ
(南子命)
南子神社
(みなみこの かみのやしろ)
南子神社(三宅島 神着)
后神社境内社南子神社
〈八王子〉二番カネ加弥命神社
(かみのみことの かみのやしろ)
御笏神社本殿合祀カミイノ宮
〈八王子〉三番ヤス夜須命神社
(やすのみことの かみのやしろ)
御嶽神社 跡(三宅島 坪田)
〈八王子〉四番テイ弖良命神社
(てらのみことの かみのやしろ)
神澤神社(三宅島 伊豆)
〈八王子〉五番イタヒ志理太(乎)宜神社
(しりたをきの かみのやしろ)
椎取神社(三宅島 神着)
〈八王子〉六番クライ久良恵命神社
(くらえのみことの かみのやしろ)
久良濱神社〈高山様 出張〉(三宅島 坪田)
〈八王子〉七番カタスケ片菅命神社
(かたすかのみことの かみのやしろ)
片菅神社(三宅島 神着美茂井)
〈八王子〉八番ヒンスケ波夜志命神社
(はやしのみことの かみのやしろ)
御笏神社本殿合祀〉峯指神社
澳の嶋〈沖の島〉(八丈島)
いなはゑ優波夷命神社
(うはいのみことの かみのやしろ)
優婆夷宝明神社(八丈島 八丈町大賀郷)
王子五郎の王子許志伎命神社
(こしきのみことの かみのやしろ)
優婆夷宝明神社に合祀
御倉嶋〈御蔵島〉
王子 伊大氐和氣命神社
(いたてわけのみことの かみのやしろ)
稲根神社(御蔵島村)
としま〈利島〉
王子 阿豆佐和氣命神社
(あつさわけのみことの かみのやしろ)
阿豆佐和気命神社(利島村)

 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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