島根県
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比和神社(雲南市加茂町砂子原)
比和神社(ひわじんじゃ)は 古老の伝によれば 大穴牟遅命が各地を巡られる途中 この地において猪を追い打ちになる時 猿田彦命がこれを導かれ 当社に祭神として祀られたという『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「比和社(ひわ)のやしろ」の論社です
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除川神社(雲南市大東町遠所)
除川神社(よけがわじんじゃ)は 『出雲国風土記考』(弘化3年(1846年)頃)に「遠所(えんじょ)の高木(たかき)大明神」と記され 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「除川社(よけがは)のやしろ」の論社の一つとされます
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除川神社 & 與都彦命神社(雲南市大東町小河内)
除川神社(よけがわじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「除川社(よけがは)のやしろ」の論社とされます 與都彦命神社(よとひこのみことじんじゃ)は 『日本文徳天皇実録879 AD.』の仁壽(にんじゅ)元年(851)九月の条に神階の奉授が記されている古社です
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日御崎神社(雲南市木次町平田)
日御崎神社(ひのみさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「石壺社(いわつぼ)のやしろ」の論社です 当社はもと石壱社日御碕神社と称し 明治四十年十月三日・籠守神社・海野神社・鑪原神社を合祀して 現在に至ります
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大原神社(奥出雲町上阿井)
大原神社(おおはらじんじゃ)は 第13代 成務天皇 五年(135)創建 雲崎に鎮座と伝わり その後 和銅二年(709)神田へ 万治三年(1660)更に現今の地に遷座しました 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「大原社(おおはら)のやしろ」の論社です
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比太神社(安来市広瀬町西比田)
比太神社(ひだじんじゃ)は 古代 大和朝廷の命を受けた吉備族が 出雲平定 と 良質な和鉄を求めて進軍した時に 建立されたと伝わり 社殿が北向きなのは出雲に対峙していたからとも言われています 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「比太社(ひた)のやしろ」とされます
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湯野神社(奥出雲町亀嵩)& 玉作神社〈境内社〉
湯野神社(ゆのじんじゃ)& 玉作神社〈たまつくりじんじゃ〉は 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「湯野社(ゆぬ)のやしろ」「玉作社(たまつくり)のやしろ」です 玉作社は もとは玉峰山の山上に鎮座しましたが 今は 湯野神社の境内に祀られています
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伊賀多氣神社(奥出雲町横田)
伊賀多氣神社(いがたけじんじゃ)は 神代以来の旧祠とされ『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 神祇官社「伊我多氣社(いがたけ)のやしろ」の論社です 13世紀後半より衰微〈横田八幡宮が横田庄の一之宮となり〉さらに兵火により廃頽 天文二十年(1551)再建されて現在に到ります
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獄神社(雲南市大東町上久野)
獄神社(だけじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「春殖社(はるえ)のやしろ」の論社の一つです 境内には 須佐之男命と 御子 五十猛尊に木種を蒔かれるように願い出た大木奴主命(おおきのぬしのみこと)を祀る大木奴主命神社があります
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春殖神社(雲南市大東町大東下分)
春殖神社(はるえじんじゃ)は 元は 現在地の東方 山田川を隔てた対陵(たいりょう)に鎮座 後世 八幡宮をこの地に勧請し合祀されます 明治四年 村社となり八幡宮を改め「春殖神社」と称して今に至ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「春殖社(はるえ)のやしろ」の論社の一つです
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岩根神社(雲南市大東町山田)
岩根神社(いわねじんじゃ)は 天平元年(729)信濃國 樋浦郷 葦原邑(あしはらむら)より御神霊を迎え 高ノ峯(こうのみね)(当社奥宮)に社殿を創建したと伝えられ 古くは三体妙現宮と称しました 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「春殖社(はるえ)のやしろ」の論社の一つです
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宮津日社〈子安八幡宮 境内〉(雲南市木次町山方)
宮津日社(みやつひのやしろ)〈子安八幡宮 境内〉は もと舟木山(ふなきやま)の山上に鎮座 その後 子安八幡宮に合祀され 今は 境内社として祀られています 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「宮津日社(みやつひ)のやしろ」とされます
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阿用神社(雲南市大東町東阿用)
阿用神社(あようじんじゃ)は 推定樹齢800年の御神木〈タブの木の荒神〉があり 滝戸大明神 又は 剣大明神とも称されました 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「阿用社(あよ)のやしろ」とされます
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幡屋神社(雲南市大東町幡屋)
幡屋神社(はたやじんじゃ)は 本社と八幡宮境内 若宮神社の双方が『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「幡屋社(はたや)のやしろ」論社となっています 古代出雲の忌部氏には二流あり 一方は玉湯町玉造を中心に曲玉制作を手がけ もう一方は ここ幡屋において機織りに携わったとされ この忌部一族によって創建されたと伝えられます
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日原神社(雲南市大東町中湯石)
日原神社(ひはらじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「日原社(ひはら)のやしろ」の論社です 御祭神 天之日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)は この地「日の原」にて御誕生になり この地に御鎮まりになった と伝えられています
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大森神社(雲南市木次町東日登)
大森神社(おおもりじんじゃ)は 八岐大蛇を退治された素戔嗚尊が 稲田姫命を伴い須賀に赴かれる途中 暫し宿られ 御大婚の準備された所と伝わり その後 大己貴命の孫神 天日腹大斜戸美神(あめのひはらおほしなどみのかみ)が 赴かれ給える所とされます 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「日原社(ひはら)のやしろ」の論社です
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布須神社(雲南市加茂町延野)
布須神社(ふすじんじゃ)は 後方の山を御室山といい 麓に「フス池」〈須佐之男命が逗留の際 用いられた清水〉があり 神社東方約1Kmの所には「赤池」〈八岐大蛇を斬られた剣を洗われ 池の水が赤色に変わったと云う〉がありました 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「布須社(ふす)のやしろ」の論社の一つです
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布須神社(雲南市木次町宇谷)
布須神社(ふすじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「布須社(ふす)のやしろ」の論社の一つです 社殿は 室山の南半腹の急斜面に造営されていて 御本殿はなく 室山そのものご神体として崇拝する「神奈備」式のお社として祀られています
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三澤神社(奥出雲町三沢)
三澤神社(みさわじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 神祇官社「弎澤社(みさわ)のやしろ」とされます 三津郷(みさわのさと)の条には 大穴持命が願をかけ 言葉を発しなかった御子 阿遅須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)が 口をきく夢をみます すると御子は 初めて「三澤」と口をきいた と記されています
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須我非神社(奥出雲町三所)& 天照神社
須我非神社(すがひじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「須我乃非社(すがのひ)のやしろ」とされ 菅火野(すがのひの)山の峯に神社(かみのやしろ)があり と記されています その後 山城の築城に伴い 現在地に遷座したと伝わります