島根県
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縣神社(出雲市国富町)
縣神社(あがたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の社が 4社あります 本殿には「(あがた)のやしろ」が3つ〈・本殿「阿我多社」・合祀「縣社」の神祇官社2つ ・合祀「縣社」の不在神祇官社1つ〉 さらに境内社には 1つ「(いには)のやしろ」〈「不在神祇官社一つ「伊爾波社」」〉が鎮座します
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垂水神社(出雲市河下町)
垂水神社(たるみじんじゃ)は 社殿によれば文明十三年(1481)現社に建立し 垂水四郎を祀り「垂水明神」と号したとあります 近世になってから『出雲國風土記733 AD.』所載「意保美浜(おほみのはま)」に鎮座する出雲郡 神祇官社「意保美社(おほみ)のやしろ」に充てる説があります
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意保美神社( 出雲市河下町)
意保美神社(いほみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』の「意保美浜(おほみのはま)」に鎮座したとされる出雲郡 神祇官社「意保美社(おほみ)のやしろ」の論社です 江戸時代には「烏姫明神 (おほひめみょうじん)」 と称したと伝わります
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都我利神社(出雲市東林木町)
都我利神社(つがりじんじゃ)は 2つの式内社〈本社(都我利神社)と合祀社(伊佐波神社)〉とされます 又 出雲郡 伊努(いぬ)郷の「伊努社(いぬ)のやしろ」に係る二つの社が東西の林木町にあって 里人は 都我利神社(東林木町)を「東の宮」と呼び 伊努神社(西林木町)を「西の宮」と呼んでいます
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伊努神社(出雲市西林木町)
伊努神社(いぬじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社 1.「伊努社(いぬ)のやしろ」2.「伊農社(いぬ)のやしろ」3.「[伊農社] 同社」4.「[伊農社] 同社」5.「伊努社(いぬ)のやしろ」と合祀社も含めて5ヶ所の「(いぬ)のやしろ」の論社で 式内社5ヶ所の論社でもあります
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神代神社(雲南市三刀屋町神代)
神代神社(こうじろじんじゃ)は 祭神として「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」を祀り 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 不在神祇官社「神代社(かみしろ)のやしろ」の論社とされています
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神代神社(斐川町神庭)
神代神社(かむしろじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に ご祭神「宇夜都辧命(うやつべのみこと)」が この地に天降られたので「宇夜(うや)」という地名となった伝承が記され 風土記所載の「神代社〈神祇官社1社〉」と「神代社・同社〈合祀された不在神祇官社2社〉」の論社とされています
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諏訪神社(出雲市別所町)
諏訪神社(すわじんじゃ)は 明治以前は鰐淵寺を別当とした「諏訪神社」に〈八束水臣津野神を祀る「出雲神社」〉と〈五十猛命を祀る「韓國伊大弖神社」〉が合祀されています 元社地は「帆柱山」の山中に鎮座と伝わり『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社となっています
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富神社(出雲市斐川町富村)
富神社(とびじんじゃ)は 社伝によると 出雲国風土記 国引き神話において 八束水臣津野命が 出雲郡の神名火山(かんなびやま)(仏経山)の山上に立ち 国引きを思いつかれて その大事を成しとげられた後 神門水海に近い この豊かな土地に鎮座し出雲社としたとあります
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沖御前神社(出雲市大社町)〈稲佐の浜 弁天島に鎮座〉
沖御前神社(おきごぜんじんじゃ)は 記紀神話の出雲国譲りの舞台として有名な稲佐の浜にある「弁天島」に鎮座します 『古事記』では「伊那佐之小濱(いなさのこはま)」『日本書紀』では「五十田狭小汀(いさたのおはま)」と記載され 現在も旧暦10月10日にはここで「神迎え神事」が行われ 全国の神様〈八百万神々〉を迎える場所とされます
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荒神社〈八大荒神社〉(出雲市大社町杵築北)
八大荒神社(はちだいこうじんじゃ)は 出雲の奉納山の麓に鎮座します 摂社として 稲佐の浜 弁天島に鎮座する「沖御前神社(おきごぜんじんじゃ)」があり『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「伊奈佐乃社(いなさの)やしろ」とする説もあります
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熊野神社(出雲市大社町宇龍)&荒魂神社〈日御碕神社の境外末社〉
熊野神社(くまのじんじゃ)は 宇龍浦に鎮座する日御碕神社の境外攝社です 成務天皇6年(143AD.)の故事にちなむ「和布刈神事」が毎年1月5日に続けられています 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「伊奈佐乃社(いなさの)やしろ」の論社でもあります
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林神社 & 神園神社(出雲市大社町宇龍)〈日御碕神社の境外攝社〉
林神社(はやしじんじゃ)は 日御碕神社(出雲市大社町)の境外攝社で 同じく境外攝社の神園神社を合祀して 宇龍浦の高台に鎮座しています 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「同御埼社(おなじきみさき)のやしろ」の論社とされています
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御碕神社( 出雲市斐川町)
御碕神社(みさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「御前社(みさき)のやしろ」の論社 社伝によると「元の社は 漆沼郷(しつぬのさと)東南部(上庄原西北端)にあったが 延宝2年(1674)の洪水により社殿浮流して 上庄原村神田(じんでん)に鎮座の今宮神社境内に漂着した」と伝わります
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『出雲國風土記』大原郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社
『出雲國風土記』大原郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社は 写本の順番で並んでいます
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『出雲國風土記』大原郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】13社
『出雲國風土記』大原郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】13社は 写本の順番で並んでいます
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『出雲國風土記』大原郡(ohara no kori)条 所載の神社 29社
『出雲國風土記』大原郡(ohara no kori)条 所載の神社の数は「29社」です
「13社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「16社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)
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『出雲國風土記』仁多郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】2社
『出雲國風土記』仁多郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】2社は 写本の順番で並んでいます
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『出雲國風土記』仁多郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】8社
『出雲國風土記』仁多郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】8社は 写本の順番で並んでいます
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『出雲國風土記』仁多郡(nita no kori)条 所載の神社 10社
『出雲國風土記』仁多郡(nita no kori)条 所載の神社の数は「10社」です
「 2社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「 8社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)