名神大社〈延喜式内〉

住吉神社(下関市一の宮住吉)長門国一之宮

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 『日本書紀』に記される 神功皇后が三韓征伐より凱旋の折 神託を得て 住吉三神の荒魂(あらみたま)を穴門 山田邑(現在地)に奉斎したとこれが住吉神社の起こりとされます 式内社 住吉坐荒御魂神社三座(並名神大)(すみよしにゐますあらみたまの かみのやしろ みくら)・長門国一之宮です

若久住吉神社(福岡市南区若久)

若久住吉神社(わかひさすみよしじんじゃ)は 「御鎮座は 遠い遠い神代のことで年代を定めることは出来ませんが 全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです」と由緒にあり 式内社 住吉神社 三座(並 名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)とする説 筑前国福岡藩初代藩主 黒田長政によって江戸期前期頃の創建造営とする説もあります

住吉神社(福岡市博多区住吉)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 延喜式神名帳に所載「筑前国那珂郡 住吉神社三座 名神大」とされ 筑紫国一之宮です 社伝には 伊弉諾尊が黄泉國から戻り祓い清めた地「筑紫の日向の橘の小戸の檍原の古蹟」〈住吉三神の御出生の地〉とされ神代より此地に鎮座 後に 神功皇后が三韓征韓の途中に祭祀を行ったので 住吉本社 又 日本第一住吉宮と伝えています

住吉神社(壱岐市芦辺町住吉東触)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 社伝によれば 神功皇后が住吉神の護神により三韓を征伐し 凱旋の時〈郷ノ浦に上陸 足形を石面に残した時〉住吉三神を祀られたと云う 後に 住吉神の神託により「波の音の聞こえぬ地」をお選びになり 現在地に遷座したと云う 式内社 住吉神社(名神大)(すみよしの かみのやしろ)で 住吉神社 発祥の地と伝えています

兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)

兵主神社(ひょうすじんじゃ)は 元々は日吉山王と称し奉っていましたが 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉によって 聖母神社〈現 聖母宮〉を日吉山王権現と査定し 現 兵主神社を聖母神社と査定して 式内社 壱岐郡 兵主神社 名神大と比定されました 其の後この処置が誤りであると藩も認め 聖母宮は元に戻りましたが 兵主神社はそのままと据え置かれています

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