出雲國風土記神名帳
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美談神社(出雲市美談町)
美談神社(みたみじんじゃ)は かつて『出雲國風土記』に御祭神「和加布都奴志命(Waka futsunushi no mikoto)」が祀られていた「彌太彌(Mitami no)社」として所載されていました 「彌太彌(Mitami no)社」は全部で13社あったと記されています 現在の美談神社は その13社全てと 他の所載の論社と合わせて 風土記所載の論社が「16社」も境内に合祀されて坐ます
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葦原神社(出雲市西郷町)
葦原神社(あしはらじんじゃ)は ・縁結び・家内安全・五穀豊穣・厄除け「全て成就」のお宮とされています 御祭神は「大国主神」の亦の名「葦原魂男命(ashihara shikoo no mikoto)」を祀ります 古事記上巻の大国主神の事績の条に「大国主の神」は 五つの御名があるがその内の亦の名が「葦原の色許男の神」であると記されています
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久多美神社(出雲市東福町)
久多美神社(くたみじんじゃ)は『出雲國風土記』所載の論社2社が鎮座します 「久多美社(kutami no)yashiro」の分霊を永保元年(1081)「御本殿」に奉遷・同時期に「同久多美社(onajiki kutami no)yashiro」も「境内の三女社」に分霊奉遷します
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玖潭神社(出雲市久多見町)〈出雲國風土記・延喜式神名帳の所載社〉
玖潭神社(くたみじんじゃ)は 「所造天下大神命=大穴牟遅大神(onamuji no okami)」を祀ります 『出雲國風土記』には「玖潭(kutami)」の地名の呼称由来として 御祭神が「にわか雨が くたみ(弱り)やまむ」と云われたからと伝承として記されています
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草野神社(松江市上大野町)
草野神社(かやぬじんじゃ)は 江戸時代までは八幡宮でした 明治元年に「草野社」(『出雲國風土記』所載)の論社とされていた「杠(yuzuriha)神社」が合祀遷座されます これを機に明治8年から「草野神社(kayanu shrine)」と呼称を改めた由緒を持ちます
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杠神社 跡地(松江市上大野町)
杠神社(ゆずりはじんじゃ)跡地は 明治39年(1906)の神社合祀令後も 里人は以前のまま 祀り続けていました由緒ある神社です 現在は 草野神社(島根県松江市上大野町1856)に遷座していますが 現地には「鳥居」「狛犬」「石灯篭」「手水石」が残り御本殿の跡に「杠神社 跡地」と社号碑が建ち 今なお 静かにたたずみ坐ます
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佐太神社(松江市)【後編】
佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です
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佐太神社(松江市)【前編】
佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です
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蜛蝫神社(八束町江島)
蜛蝫神社(たこじんじゃ)は 『出雲國風土記』に「杵築の御崎(kizuki no misaki)」にいた「蜛蝫(tako)」が「天羽々鷲(羽の広く大きな鷲)」に捕らえられて運ばれてきた島「蜛蝫島(tako shima)」にあったとの伝承を持ちます
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久良彌神社(松江市)
久良彌神社(くらみじんじゃ)は 『出雲國風土記』の中に登場する有名な「国引き神話(kunibiki shinwa)」で「国来 国来」と引いて来こられて 宇波折絶(unami no oritae)から縫へる国は「闇見の国(kurami no kuni)」とされている 「闇見の国(kurami no kuni)」の総社です
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支布佐神社(安来市吉佐町)
支布佐神社(きふさじんじゃ)は 『出雲國風土記』に「支布佐社(kifusa no) yashiro」が2社ありますが 双方の論社です 本殿の「支布佐神社《主》天穂日命(amano hohi no mikoto)」と「境内社の国津神社《主》天津子命(amatsuko no mikoto)」がこれに相当します
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磐坂神社(八雲町西岩坂)
磐坂神社(いわさかじんじゃ)は 御祭神として「磐坂日子命(iwasakahiko no mikoto)」を祀ります 命は 須作能乎命(susanowo no mikoto)の御子神で 出雲の国内をご巡行・視察された神様です ここが命の生誕の地とされます
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宇留布神社(松江市八雲町)
宇留布神社(うるふじんじゃ)は 往時は 宇留布山(現在の室山)の山麓に鎮座し 社殿広大にして 宇留布山一円が社山であったと伝わります 現在は『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』に所載のある「宇流布社」「支布佐社」「國原社」の3つの社が合祀されています
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市原神社(東出雲町揖屋)
市原神社(いちはらじんじゃ)は 明治期に揖夜神社 境内末社となり遷座します しかし 里人は 信仰を残し 祠には「大山祇神(oyamazumi no kami)」を祀り続けます 正式には昭和30年代(1955~1964)に元々の鎮座地(現在地)に戻ります 現在は揖夜神社の境外末社となっています
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揖夜神社(東出雲町揖屋)
揖夜神社(いやじんじゃ)は 古来から朝廷の御崇敬が厚く『出雲國風土記』には「伊布夜社(ifuya no)yashiro」と記されていて「伊弉冉命」など4柱の神を祀ります・『古事記』の「黄泉(あの世)の国」と 現世の境界の地「黄泉比良坂」を護ります
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鬼神神社(奥出雲町大呂)
鬼神神社(おにかみじんじゃ)は 「素盞嗚尊(susanoo no mikoto)」と その御子「五十猛命(isotakeru no mikoto)」を祀ります 裏手の御神体山「船燈山」には「鬼神の御陵」があり・里人はヤマタノオロチの怨霊を鎮める「龍燈(ryu to)(頭)祭」を今でも続けます
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多伎藝神社(出雲市多伎町)
多伎藝神社(たききじんじゃ)は 黄泉の国の雷神を追い払った「桃の実」の神「大迦牟豆美命(okamuzumi no mikoto)」(雷避けの神)と 所造天下大神の御子神「多伎吉比賣命(takiki hime no mikoto)」を祀ります
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能呂志神社(出雲市野石谷町)
能呂志神社(のろしじんじゃ)は 陸地深い静寂の谷にある「海苔石(のりいし)」と呼ばれる 不思議な石があります 「冬に至り 海中に海苔の生ずる時 谷にはかならず この石にも海苔生ず 海苔に似て 海辺の海苔が終わる時分は この海苔も又枯れ失う」という伝承を持つこの石から名付けられた「海苔石谷」に鎮まります 「六所明神」とも云われ6柱の神が祀られて坐ます
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田中神社(佐太神社・北殿摂社)
田中神社(佐太神社・北殿摂社)は 全国的にも珍しい“縁結び”と“縁切り”の社です 「姉妹の女神」を祀る社が 背中合わせに建っている不思議な神社です 男女の縁や悪い癖など断ち切りたい縁は切れて その後で 素晴らしい縁結びが 同時に叶います
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大井神社(松江市鹿島町)
大井神社(おおいじんじゃ)は 大井乃神(oi no kami)と水罔象女神(mitsuha no me no kami)を祀ります 式内社の論社として里人に守られるお社です