出雲國風土記神名帳

阿利神社(出雲市塩冶町)

阿利神社(ありじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』と『延喜式神名帳927 AD.』の論社です 旧社地は 御祭神の阿遅須枳高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)の住居されたところにお祀りしたものとされますが 明治15年(1882)に故あって現在地に移遷されました 

佐支多神社(斐川町荘原)

佐支多神社(さきたじんじゃ)は 江戸時代には「諏訪明神」と呼称されていました 建御名方命とその妃 八坂豆賣命の二柱を祭神とする神社は 島根県では邑智郡石見町の諏訪神社と本社の二社だけで 明治期以降に『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「佐支多社(さきた)のやしろ」の論社とされています

原鹿神社(斐川町原鹿)

原鹿神社(はらしかじんじゃ)は 現在地に鎮座していた榎神社〈『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「間野社(まの)のやしろ」の論社〉に 明治40年(1907)1月14日 原鹿字前久庁に鎮座の熊野神社を合祀し 社号を原鹿神社と改称しました

赤秦神社(雲南市加茂町大竹)

赤秦神社(あかはだじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「赤秦社(あかはた)のやしろ」とされます 古老の伝えに 御神体の「石体」は 年を経る毎に段々大きくなり ついに本殿に納まらなくなり「若隠居さん」「隠居さん」と呼んで境内に祀られたと伝わります

波迦神社(斐川町三絡)

波迦神社(はかじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に 鎮座地の健郡郷(たけるべのさと)とは  第12代 景行天皇の勅(みことのり)により 御子の倭健命(やまとたけるのみこと)の御名を忘れることのないようにと健郡をお定め給われたとあり 出雲郡 不在神祇官社「波如社(はね)のやしろ」とされます

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