日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人(しょうどうしょうにん)が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」(The World Heritage Shrines and Temples of Nikko)の一群で 日光東照宮(Nikko Toshogu)と日光山輪王寺(Nikkozan Rinnoji Temple)の中間の位置に鎮座します

目次

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name

日光二荒山神社Nikko Futarasan Shrine
(にっこうふたらさんじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (location) 

栃木県日光市山内2307

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》二荒山大神Futarayama no okami)

⇒二荒山大神して 親子3神を祀る

男体山 父 大己貴命(onamuchi no mikoto)
女峯山 母 田心姫命(tagorihime no mikoto)
太郎山 子 味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・農業の祖神 God of agriculture
・醸造の祖神 God of brewing
・婚姻の祖神 God of marriage
・温泉の祖神 God of hot springs
・医薬の祖神 God of medicine
・等 etc

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 下野一之宮Shimotsuke no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

御由緒

御祭神 大巳貴(おおなむち)命(大國主命)
田心姫(たごりひめ)命、味耜高彦根(あぢしきたかひこね)命

御神徳 國土の安泰、産業開発、農耕狩猟を司どられて福の神と稱(たた)へ婚姻温泉医薬醸造の祖神(おやがみ)として遍わく國土國民を
守り幸はへ給ふ
御鎮座
太古から二荒山(男体山)を始め八峯を二荒山の大神と崇めて奉祀し 神護景雲年間社殿を造営し奉って以来 千二百年余、延喜式名神大社であります

御社殿(二十四棟、旧国宝 重要文化財)
本社 新宮と称し大巳貴命を祀る
別宮 瀧尾神社 田心姫命を祀る
本宮神社 味耜高彦根命を祀る
中宮 二荒山の中腹 幸湖(さちのうみ)
(中禅寺湖)湖畔に鎮座 中宮祠と申す
奥宮 二荒山頂上に鎮座
攝末社 女峯山外六峯の頂上に鎮座

御境内 日光連山の主峯二荒山を始め八峯に亘る 凡そ三千四百町歩 伊勢神宮に次ぐ廣大な境域で日光國立公園特別地域の中樞を占めてをります

御祭典 彌生祭(やよいさい)(例大祭)四月十三日から十七日まで 本社
男体山登拝大祭 八月一日から八月七日まで 中宮祠

関東総鎮守 下野國一之宮 日光二荒山神社

社頭由緒板より

【由  (history)】

関東総鎮守
下野国一之宮 日光二荒山神社

当神社は関東第一の霊峯男体山(二荒山)を始め八峯の二荒山の大神と崇めて奉拝し、神護景雲年間社殿を造営し、奉祀して以来千二百年余の、由緒をもつ延喜式名神大社である。
男体山頂標高2,486mに奥の宮・中禅寺湖畔に中宮祠 そしてこの山内の神域に本社が鎮座する。

御祭神 二荒山大神
大巳貴命(大国主命)・田心姫命・味耜高彦根命

御神徳
国土経営・産業開発・凡ての産業を司られ福の神と称えられ、農業・婚姻(縁結び)・醸造・学業(医薬健康)の祖神として守り幸え給う。
これより神苑内

御社殿 重要文化財
本殿・拝殿・日枝社・朋友社・神輿舎
大国殿
銅燈篭(化灯篭)銅製春日造
二荒霊泉  霊水拝戴
別宮 滝尾神社(霊石安産子種石・酒の泉)本宮神社

 
例祭(弥生祭)4月13日~17日   本社
男体登拝大祭 7月31日~8月8日 中宮祠

境内案内板より

由緒

日光二荒山神社は太古、秀峰二荒山(男体山2484米)を神鎮まり坐す御神体山として尊崇したことから奉祀された御社である。

御祭神は二荒山の大神と申し大己貴命(大国主命)、妃神の田心姫命、御子神味耜高彦根命三柱の大神をお祀りし、延喜式名神大社、下野国一の宮と崇められ国幣中社に列せられた名社である。

主神大己貴命は国土経営、産業開発、凡ての産業を司り福の神と称へられ、農業、醸造、婚姻、温泉、医薬の祖神として遍ねく国土国民を守り幸へ給う神で、妃神、御子神と共に御神徳いよいよ高く広く輝き給うのである。

男体の御山に大己貴命、女峰の御山に妃神、太郎の御山に御子神が鎮まりまして、親子三神大空に聳えて和気あいあい団欒の和やかさを拝すれば自ら景仰の思ひ新たなるものがある。

当社の境内地は面積凡そ3400町歩に及び伊勢神宮に次ぐ広大な境域で、日光連山の主峰男体山を始め、女峰山、太郎山、大真名子山、小真名子山、前白根山、奥白根山の諸山は夫々神体山として気高くそそり、鬱蒼たる原始林に囲まれ華厳滝、白雲滝、般若、方等七滝等名瀑がどうどうと千古の神韻を轟かしている。此等の地域は悉く神域たると共に日光国立公園の中枢となっている。

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

神苑五社

朋友神社Mitomo Shrine)
《主》少名彦名命(sukunahikona no mikoto)

祭日:5月15日 末社 重要文化財(Important cultural property)

大国殿Okuni Shrine)
《主》招き大国(大己貴命)

重要文化財(Important cultural property)
延享2年(1745年)鎮座 内部には大太刀「太郎丸」が展示されています

日枝神社Hie Shrine)
《主》大山咋命(oyamakui no mikoto)

末社 重要文化財(Important cultural property)
嘉祥元年(848年)鎮座

若子神社遥拝所Jakko Shrine.. A place to worship in the distance

摂社・若子神社(Jakko Shrine)の遥拝所 磐座が祭られています

日光連山遥拝所
(A place to worship the mountains of Nikko in the distance)

日光連山の八峰の遥拝所 磐座が祭られています
・男体山奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)
・女峰山神社(Nyohosan Shrine)
・太郎山神社(Tarosan Shrine)
・大真名子山神社(Omanakosan Shrine)
・小真名子山神社(Komanakosan Shrine)
・赤薙山神社(Akanagisan Shrine)
・前白根山神社(Maeshiranesan Shrine)
・奥白根山神社(Okushiranesan Shrine)

滝尾社遥拝所(A place to worship Takinoo Shrine from afar)

別宮・滝尾神社(Takinoo Shrine)の遥拝所
神苑五社には含まれません 樹齢約700年の御神木の下に石碑が祭られています

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男体山(二荒山)を始めとする 八峯に祀られる二荒山大神Futarayama no okami)

日光連山の八連峰⇒男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山

二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)

《主》大己貴命(onamuchi no mikoto)
田心姫命(tagorihime no mikoto)
味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

二荒山神社 中宮祠・奥宮(Futarasan Shrine Chugushi・Okumiya)の記事をご覧ください

 

女峯山神社Nyohosan Shrine) 滝尾神社の奥社
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)

太郎山神社Tarosan Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

大真名子山神社Omanakosan Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

小真名子山神社Komanakosan Shrine)
《主》建御名方命(Takeminakata no mikoto)

赤薙山神社Akanagisan Shrine)
古くは奥宮も存在しましたが 現在は奥宮跡が残ります
《主》少彦名命(Sukunahikona no mikoto)

前白根山神社Maeshiranesan Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

奥白根山神社Okushiranesan Shrine)
《主》大己貴命(onamuchi no mikoto)

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別宮

本宮神社Hongu Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

本宮神社Hongu Shrine)の記事をご覧ください

 

滝尾神社Takinoo Shrine)(霊石安産子種石・酒の泉)
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)

尾神社Takinoo Shrine)の記事をご覧ください

 

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【摂社末社】

本社周辺

・若子神社(Jakko Shrine境内には寂光の滝があります
《主》下照姫命(shitateruhime no mikoto)

祭日:10月30日
弘仁11年(820年)に空海が滝尾神社に続いて この地で修行したと伝わり
元の名称は「寂光寺」または「寂光権現」と呼ばれていて
室町時代には七堂伽藍が立ち並び 釘念仏道場として栄えたとされます

・池石(生石)(ikeishi)寂光の滝へ向かう参道

若子神社遥拝所 本社と若子神社の中間に鎮座する遥拝所(前立て)大きな磐座が祭られ その岩の上にある窪みの水が枯れないことから名前が付いたとされます

若子神社(Jakko Shrine)の記事をご覧ください

 

・北野神社Kitano Shrine)滝尾道(稲荷川に沿う道)に鎮座
《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)

祭日:8月25日
寛文元年(1661年)筑紫安楽寺の大鳥居信祐が太宰府天満宮より勧請 梅鉢の紋を掘り込んだ巨岩もあります

北野神社Kitano Shrine)の記事をご覧ください

 

滝尾高徳水神社Takinotakatokusui Shrine)滝尾神社の参道入り口に鎮座
《主》罔象女大神(mizuhanome no okami)

祭日:10月10日
通称:水神社 昭和52年(1977)横川信夫県知事が藤原町高徳の鬼怒川沿いに鎮座の丹生川上神社より勧請 1998年(平成10年)道路拡幅のため現在地に遷座

滝尾高徳水神社Takinotakatokusui Shrine)の記事をご覧ください

 

・滝尾稲荷神社Takinoinari Shrine)滝尾神社の本殿裏に鎮座
《主》倉稲魂神(ukano mitama no kami)(稲荷大明神)

祭日:3月25日(例祭)5月25日(講社大祭)
弘仁11年(820年)に空海が滝尾神社と共に開いたと伝わります

滝尾稲荷神社Takinoinari Shrine)の記事をご覧ください

 

兼務社

神橋周辺

・磐裂神社Iwasaku Shrine) 通称:星宮
日光東町(上中下鉢石町・御幸町・石屋町・松原町)の総鎮守
神橋の前に「磐裂の水」があります

本社周辺(日光西町五社)

・磐裂神社Iwasaku Shrine)- 匠町(旧大工町・板挽町)の氏神

・青龍神社Seiryu Shrine) - 本町(旧四軒町・袋町・下本町)の氏神

青龍神社Seiryu Shrine) の記事をご覧ください

 

・八幡神社Hachiman Shrine) - 本町と安川町(旧中本町・原町)の氏神

・花石神社Hanaishi Shrine) - 花石町の氏神

・久次良神社Kujira Shrine) - 久次良町の氏神

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下野国 11座(大1座・小10座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)河内郡 1座(大)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 ] 二荒山神社(貞・名神大)
[ふ り が な  ](ふたあらさんの かみのやしろ)
[How to read ]Futaarasan no kamino yashiro)

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

世界遺産「日光の社寺」(The World Heritage Shrines and Temples of Nikko)
日光三社権現(Nikko sansha gongen)について

日光山に鎮座する3つの神社の総称で「日光三社(Nikko sansha)」とも呼ばれます

日光山の信仰は
三山(女峰山〈Mt. Nyoho〉・男体山〈Mt. Nantai〉・太郎山〈Mt. Taro〉を御神体山として
【山・所・仏・神・社】は 神仏習合をして 唱えられていました

三山 (女峰山  ・男体山  ・太郎山)
・三所 (女体権現 ・男体権現 ・太郎大明神
三仏 (阿弥陀如来・千手観音 ・馬頭観音)
・三神 (田心姫命 ・大巳貴命 ・味耜高彦根命
三社 (滝尾権現 ・新宮権現 ・本宮権現)

江戸時代までは 日光山を信仰する三社として
日光三社権現(Nikko sansha gongen(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれ
明治元年(1868)3月「神仏判然令(神仏分離令)」に伴って
明治4年に現在の「滝尾神社・日光二荒山神社・本宮神社」と改められています

現在 日光三山を御神体として祀る神社は 次の通りです

女峯山〈Mt. Nyoho〉⇒
頂上には女峯山神社Nyohosan Shrine)奥社
山麓の遥拝処には瀧尾神社Takinoo Shrine)

男体山〈Mt. Nantai〉⇒
頂上には二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)
中腹には二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
山麓の遥拝処には日光二荒山神社 本社Nikko Futarasan Shrine

太郎山〈Mt. Nantai〉⇒
頂上には太郎山神社Tarosan Shrine)
山麓の遥拝処には本宮神社Hongu Shrine)

日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)と その別宮である「本宮神社・滝尾神社」の「日光三社権現(Nikko sansha gongen)」は いずれも世界遺産(World Heritage)「日光の社寺(Shrines and Temples of Nikko)」の一群です

本宮神社Hongu Shrine)の記事をご覧ください

 

日光二荒山神社Nikko Futarasan Shrineの記事をご覧ください〈当社〉

 

滝尾神社Takinoo Shrine)の記事をご覧ください

 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)に所載の
下野国 河内郡 二荒山神社Futaarasan no kamino yashiro)(貞・名神大)の論社について

現在 論社とされている神社は 全部で6神社あります
日光に4神社と宇都宮に2神社が鎮座します

・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)
・本宮神社(Hongu Shrine)
・二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)

・宇都宮二荒山神社(Utsunomiya Futarasan Shrine)
・二荒山神社 下之宮(Futarasan Shrine Shimonomiya)

それぞれの記事をご覧ください

・日光二荒山神社 本社Nikko Futarasan Shrineの記事をご覧ください

 

本宮神社(Hongu Shrineの記事をご覧ください

 

二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)の記事をご覧ください

 

宇都宮二荒山神社Utsunomiya Futarasan Shrineの記事をご覧ください

 

二荒山神社 下之宮Futarasan Shrine Shimonomiyaの記事をご覧ください

 

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

日光駅から R119号経由 約3.2km 車10分程度

世界遺産(World Heritage)「日光の社寺(Shrines and Temples of Nikko)」の一群です 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します

日光東照宮から日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)に伸びている「上新道」を通り楼門へ向かう

日光東照宮から日光山 輪王寺 大猷院 仁王門へ向かう「下新道」のどちらを通っても御参拝出来ます

日光二荒山神社Nikko Futarasan Shrineに参着

「上新道」を通り楼門へ向かいます

楼門をくぐり抜けると 境内に銅製の鳥居が建ちます

鳥居の扁額には「二荒山神社」とあります

ご朱印の見本が 摂社・末社のものも含めて展示されています

一礼して 鳥居をくぐると 境内が一望できます

奉献された酒樽(sakadaru)が並びます
元々は瀧尾神社にあった酒の泉(sake no izumi)

弘法大師Kobotaishi)空海Kukai)が この泉を汲んで神に捧げたといわれています この御供水(ごくうすい)には 酒の味があるといわれ 持ち帰って元水として酒を造ると良酒ができると伝わり
醸造家の崇敬が厚く 古くから栃木県内の酒造家たちで酒泉講が結成され 秋に祈醸祭 春に報醸祭が行われます 昭和24年の今市地震で消失してしまい 現在は 西神苑の「二荒霊泉」で行われれています

立札には

霊水「酒の泉」を種水とし醸造された県内銘酒

献備 酒樽(さかだる)

栃木県酒造組合

拝殿と繫がる御祈祷・昇殿参拝受付所が建ちます その後ろに本殿の屋根が見えます

左手には神札授与所があり ご朱印に長蛇の列になっています
そのすく横には「夫婦杉」があります

立札には

夫婦円満の御神木 夫婦杉〈めおとすぎ〉

御祭神の御神徳のあらわれといわれている杉

お賽銭箱もあり お詣りをします

「下新道」からの神門が建ちますので 下新道から境内に入り直してみます
石段を下りてみると 「日光山 輪王寺 常行堂」の目の前に参道と鳥居が建つのがわかります

鳥居の横には 大きな「打ち出の小槌」があり

案内板には次のようにあります

良い縁 打出の小槌

令和元年、天皇陛下御即位を奉祝し、良い縁を願い奉納されました。
古くより「打ち出の小槌」は願い事を唱えて振ると、願い通りのものがあらわれると言う。福を招く宝物とされています。

どうぞ小槌に触れて、あらゆる良い縁をお祈り下さい。

仕切り直して 一礼して鳥居をくぐります

参道には 杉の大木に楢の木が宿り木になっていて 立札に次のようにあります

杉に楢のやどり木

縁結〈えんむすび〉の御神木〈ごしんぼく〉

すぎ〈き〉ならいっしょに!好きならば一緒になりました

目の前には神門が建ちます

一礼して神門をくぐります

神門をくぐると 直ぐ左に「親子杉」立札には

家庭円満の御神木

親子杉〈おやこすぎ〉

御祭神 親子三神に因み根を一つにした三本杉

すぐ横に手水舎があり 清めます

正面に拝殿が建ちます

拝殿の手前には「開運のねずみ」案内板には

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

すぐ横には「神楽殿」が建ち 古事記の説話に因み「黄金の大黒像」と「銀色のネズミ」が置かれています

神楽殿の左手には「三本杉」があり御神木とあります

神苑に続く入り口には 狛犬ではなく 狛ライオンが座しています

神苑の境内社にお詣りをします

参道を銅製の鳥居まで戻ります

石畳の参道の先に楼門が建ちます

その先には 日光東照宮ので一直線に「上新道」の参道が続いています

楼門の外から 振り返り一礼をします

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

六国史(rikkokushi)には 30年間で度々〈836年・841年・849年・857年・859年・860年・865年・869年〉神階を上げていることが 記されています

『続日本後紀(shoku nihon koki)』承和3年(836)12月丁巳(25日)条に記される伝承

奉レ授二下野国従五位上勲四等二荒神正五位下一。余如レ故

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『続日本後紀(shoku nihon koki)』承和8年(841)4月乙卯(15日)条に記される伝承

奉レ授二下野国正五位下勲四等二荒神正五位上一 余如レ故

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省

『続日本後紀(shoku nihon koki)』嘉祥元年(849)8月甲寅(28日)条に記される伝承

奉レ授二下野国正五位上勲四等二荒神従四位下一 余如レ故

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省

『日本文徳天皇実録(nihon montokutenno jitsuroku)』
天安元年(857)11月庚戌(17日)条に記される伝承

在二下野国一従三位勲四等二荒神充二封戸一烟一

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成
選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』
貞観元年(859)正月27日甲申条に記される伝承

京畿七道諸神進レ階及新叙 惣二百六十七社・・・・・・・・・下野国従三位勲四等二荒神正三位

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観2年(860)9月19日丙寅条に記される伝承

貞観2年9月19日丙寅条(860)詔 下野国正三位勲四等二荒神社始置二神主一

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観7年(865)12月21日戊辰条に記される伝承

授二下野国正三位勲四等二荒神従二位 武蔵国正五位下氷川神従四位下 駿河国従五位下御盧神従五位上 正六位上大井神従五位下一

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観11年(869)2月28日丙辰条に記される伝承

進二下野国従二位勲四等二荒神階一加二正二位一 授二従四位下勲五等温泉神従四位上一

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫

日光二荒山神社Nikko Futarasan Shrine (hai)」(90度のお辞儀)

それぞれの記事をご覧ください

・日光二荒山神社 本社Nikko Futarasan Shrineの記事をご覧ください

 

本宮神社(Hongu Shrineの記事をご覧ください

 

二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)の記事をご覧ください

 

宇都宮二荒山神社Utsunomiya Futarasan Shrineの記事をご覧ください

 

二荒山神社 下之宮Futarasan Shrine Shimonomiyaの記事をご覧ください

 

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下野国 式内社 11座(大1座・小10座)について に戻る

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-全国 一の宮("Ichinomiya" all over Japan)
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