鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 奥州の地を統御する為 この地で〈鹿島の稚児沼に仮宮された時〉賊徒が">

鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)

鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 奥州の地を統御する為 この地で〈鹿島の稚児沼に仮宮された賊徒が仮宮を放火した 天足別命は直ちに「火伏せの神事」を以て四方八方に拡がった猛火を鎮めたとされ この故事により火伏せの神として信仰されています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鹿島御子神社(Kashimamiko shrine)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

福島県南相馬市鹿島区鹿島字町199

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天足別命(あめのたらしわけのみこと)
   志那都比古命(しなつひこのみこと)
   志那都比賣命(しなつひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

火伏せの神

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

延喜式内社 鹿島御子神社

宮司 森昭文
禰宜 森豊子

御祭神 天足別命(建御雷神の御子神)
    志那都比古命
    志那都比売命

 座 大同元年(西暦八〇六年)

 
神代の昔、天足別命が父神 建御雷神(鹿島神宮の祭神)と共に奥羽鎮撫の為に下降し、開発平定に尽されて後、御子神がこの地に鎮まり今の社地に移り社殿を造営す。延喜五年に由緒ある霊験あらたかな神社として延喜式神名帳に記載される。醍醐正体を納められ延喜式内社に列せられる。天暦五年のお棟札や現存する大欅(樹齢千年余り)からその由緒正しきを知ることが出来る。

例祭日
元旦 大護摩祈祷(諸願成就)
一月十四日 十五日 鎮火祭 火伏祭 天燈篭
二月十一日 建国祈念祭
四月二十日 春例祭
四月二十一日 雷神社祭
旧九月九日 重陽の節句
十月十七日 秋祭
十一月二十三日 新嘗祭

十二年に一度寅歳に遷宮祭を執行する。

特殊神事 鎮火祭
 天足別命が鹿島の稚児沼に仮宮された当時この地方に大六天魔王と名乗る賤徒が横行していた。或る朝未明 賊徒が 命の仮宮を襲い火を放った。命は直ちに「火伏せの神事」を以って四方八方に拡がった猛火を鎮めた。其の時 鹿島大神のお使いである鹿が多数現われ 川より濡れた笹を銜えて来て 仮宮を潤ほし火の再発に備えたという。その後 命のご神徳に依り 賤徒横行することがなくなった。

 現在 毎年正月十四日夜 神霊神水を町中に奉じるハッピ姿の若者達の威勢のよい掛声で火伏せ祭りが始り、翌十五日早朝 御神歌と共に神楽を奏し 高々と天燈篭を掲げ、旧社地にて神事の後、沿道の氏子有志の人々が神官に浄水を掛けて祝う。神官は衣冠氷結のまま社殿に戻り天下の罪穢を祓い清め、直ちに今年一年 悪火の起きない様 祈願すると共に氏子の全ての祈願を行う奇祭である。
平成五年正月 著す

現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

延喜式内
 畏くも畏き当神社御祭神天足別命は常陸の鹿島神宮の御祭神武甕槌命の御子神にして常陸鹿島神宮の苗裔なるを以て此の地を鹿島と謂い、当神社を鹿島御子神社と称す所以此處に在り。
天足別命は往時 武甕槌命、経津主命と共に邪気を討攘せる神にして 特に奥州は僻遠の地なれば邪気再び起こらん事を慮り奥州の討攘に専念せし神なり。
第12代景行天皇の御宇 日本武尊命御東征の時 此の鹿島御子神社に武運長久の祈願ありて、其の霊験に依り、乱臣賊子は速やかに征服し得て、其后益々 御子神社は特に軍神として武人崇敬の神となれり。
第51代平城天皇の御宇 大同元年(西暦806)当今の社地に社殿を造営し、当地社僧神官等多数ありて神領17石を有し、常陸の鹿島神宮より年々幣帛を領されたという。
第60代醍醐天皇の御宇 延喜5年(西暦905)当時軍神、鎮火神、医術の神として崇敬者多く、由緒深きを嘉せられ且つ当時大社として神社界の中枢として活動するところの延喜式内社に列せられた。醍醐天皇自ら武運長久を祈願し、御神体を式内社たる当神社に納められ、磐城国行方郡における延喜式内社の中の一社として現在に至っている。
其后 年は移り変わりて社殿は改変せられ今日に至も天暦5年の御棟札(これに準ずるもの数体)並びに樹齢1000余年の御神木大欅2本(福島県緑の文化財指定)が現存するを以て其の由緒古きを伺うことができる。

特殊神事
 鎮火祭-正月14~15日
 御祭神天足別命が鹿島の稚児沼に仮宮された時、此の地方に大六天魔王という賊徒が横行していた。或る朝未明 賊徒が命の仮宮を襲い火を放った、命は直ちに「火伏せの神事」を以て四方八方に拡がった猛火を鎮めた。

 其の時、鹿島の大神のお使いである鹿が多数現われ、川より濡れた笹を銜えて仮宮を潤し火の再発を防いだという。その後命の御神徳に依りて賊徒横行することがなくなり安泰な日が続いたと謂う。
現在は古事に因み、正月14日夜、神霊神水を町中に奉じる法被姿の若者達の威勢の良い掛け声で「火伏せ祭り」が始まり、翌朝未明御神歌と共に神楽を奏し、高々と天燈籠を掲げ旧社地に至りて神事を行いその後、沿道の氏子有志が神官に浄水を掛けて祝う。神官は衣冠氷結のまま社殿に上がり、天下の罪穢を祓い氏子の1年の全ての祈願を斎行する奇祭である。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

雷神社《主》大雷神と御神木の夫婦欅〈本殿向かって左〉

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・要石(かなめいし)〈拝殿の正面 玉垣内〉

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足尾神社《主》祭神不詳と御神木の大欅

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

・旧鎮座地

・鹿島御子神社旧蹟碑(南相馬市鹿島区鹿島町)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥国 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)行方郡 8座(大1座・小7座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 鹿神社
[ふ り が な ]かしまみこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kashima no miko kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

香取・鹿島の御子神(みこがみ)苗裔神(びょうえいしん)〉について

古代の日本は 尾張より東は東国で蝦夷の住む処でした 東へ拡大する大和朝廷の歴史は 東国の蝦夷との軋轢の歴史でもあります
関東地方まで勢力を伸ばした大和朝廷は 奈良時代頃~平安初期頃までには 奥州の制圧を目指し 蝦夷(えみし)征伐や移民政策を推し進め 古代日本の中央集権体制を目指しました

このことから東北地方平定には軍神」として 御神威のある香取・鹿島の神を奉じて 蝦夷征討軍が派遣されました

香取・鹿島の地は 東国〈関東〉の水上交通の拠点とされ 霞ヶ浦〈鹿島・香取の海〉から奥州〈東北地方〉開拓へ 太平洋海上を北へと遡っていったもの考えられています

こうして 香取神宮・鹿島神宮の苗裔神(びょうえいしん)御子神(みこがみ)〉が 奥州開拓の拠点として 太平洋沿岸地域および阿武隈川・旧北上川などの大河川の流域各地に祀られていきました

平安時代中期の延喜式神名帳927 AD.記載 奥州〈東北地方〉の 香取神宮・鹿島神宮の分祀と考えられる神社

大和国の東の涯(はて)に鎮座した香取・鹿島の2神宮は 古来より大和王権との繋がりが深く 平安時代中期の延喜式神名帳927 AD.には 伊勢・香取・鹿島の3神のみが“神宮”と記載されるほどの高い威を誇りました

その御神威を背景として 奥州〈東北地方制圧が行なわれていったのでしょう 香取神宮・鹿島神宮の分祀苗裔神を祀るこれらの分社 蝦夷征討軍によって分祀されたものと考えられています

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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国香取苗裔神式内社2社の論社

〈本宮〉 香取神宮(名神大 月次 新嘗)(かとりの かむのみや) 

・香取神宮(香取市)下総国一之宮 

 

牡鹿郡(をしかの こおり)香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)

・香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)

・和渕神社(石巻市和渕町)

栗原郡(くりはらの こおり)香取御兒神社(かとりみこ かみのやしろ)

・香取御児神社〈旧鎮座地〉(栗原市築館久伝)

・香取御児神社〈鹿島神社に合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)

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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国鹿島苗裔神式内社8の論社

〈本宮〉 鹿島神宮(名神大 月次 新嘗)(かしまの かむのみや) 

・鹿島神宮(鹿嶋市)常陸国一之宮 

黒川郡 鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・・鹿島天足別神社(富谷市大亀)

曰理郡 鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山) 

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

・月山神社(亘理町吉田作田)
〈亘理町吉田字作田に鎮座の鹿島社を合祀〉

曰理郡 鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山) 

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

曰理郡 鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

・八雲神社(亘理町)
〈鹿島天足和気神社の旧鎮座地三門山に祀られていた石祠が境内に祀られている〉 

信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑) 

・鹿島神社(福島市小田鹿島山) 

・鹿島神社(福島市岡島竹ノ内) 

・鹿島神社(伊達郡国見町藤田町尻二)

磐城郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)

牡鹿郡 鹿嶋御神社(かしまのみこの かみのやしろ)

・鹿島御児神社(石巻市日和が丘)

行方郡 鹿嶋御子神社(かしまみこの かみのやしろ)

・鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町) 

・鹿島御子神社旧蹟碑(南相馬市鹿島区鹿島町)

『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922国立研究開発法人 科学技術振興機構〉に 記される 苗裔神(びょうえいしん)について

悪路王(あくろおう) 鎌倉時代に記された東国社会の伝承に登場する陸奥国の〈実在とも伝説上とも〉人物とされます
別名として 悪来王 悪毒王 阿久留王などとも記されています

鎌倉時代以降の 鹿島神宮や鎌倉幕府など東国社会の文献に 名前が登場し『鹿島神宮文書』では「悪来王」が藤原頼経によって討たれたと記され
『吾妻鏡』では「悪路王」は蝦夷(えみし)の賊首で 赤頭とともに坂上田村麻呂と藤原利仁によって征伐されたと記されます

文中に「常陸の鹿島郡 鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實と 下総香取大神と並び 苗裔の諸多く奥州に祀らるる〈38社〉」と 三代実録 貞観八年正月の条を紹介し 現在〈1922〉は その陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず と記されています

【抜粋意訳】

常陸の鹿島郡に鎮まります鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實なりとす。言ふを要せず、神代の時 荒振神たちをことむけたまひし 縁由ある鹿島大神は中古 征夷の陸奥に邁進せらるるに伴ひて 其の神威を此方面に被及し 其の同功 一體の徳を伝ふる
下総香取大神と並び、苗裔の諸多く奥州に祀らるるに至り「貞観八年正月 鹿島神宮宮司の奏詞に大神苗裔の神 陸奥に在る者三十八社 弘仁以来幣を奉らざるを以て神崇大に著はる」との事、三代実録に見ゆ。
(所謂 陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず。延喜式神名帳に見ゆる 黒川郡 鹿島天足別(カシマアマタラシワケノ)神社・亘理郡 鹿島伊都乃比氣(カシマイツノヒケノ)神社・同郡 鹿島緒名太(カシマヲナタノ)神社・同郡 鹿島天足和氣(カシマアマタラシワケノ)神社・信夫郡 鹿島神社・磐城郡 鹿島神社・牡鹿郡 鹿島御兒(カシマミコノ)神社・行方郡 鹿島御子(カシマミコノ)神社は正さしく其の一部なるべく
又 香取大神の苗裔と認むべきは 牡鹿郡 香取伊豆乃御子(カトリイツノミコノ)神社・栗原郡 香取御兒(カトリミコノ)神社とす

祭頭祭に就きて新編常陸國志補に曰く・・・・・・・・

【原文参照】

『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922国立研究開発法人 科学技術振興機構〉より

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR常磐線 鹿島駅から西へ直線で150m程 徒歩5~6分

県道120号沿いに社頭があります 鹿島御子神社の看板

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参道には 鳥居があり 扁額には「鹿島御子神社」 その手前には手水舎 鳥居の奥左手には 大けやき

鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)に参着

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参道には 延喜式内 鹿島御子神社の幟 正面の拝殿にすすみます

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拝殿の扁額には「鹿島宮」 御神紋「竪三つ石

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 鹿嶋御子神社について 所在は 北郷鹿島村 祭神は不詳と記しています

【抜粋意訳】

鹿嶋御子神社

鹿島は 加志麻と訓べし、御子は假字なり
〇祭神詳ならず 鹿島の斎神なるべし
〇北郷鹿島村に在す
〇当国 牡鹿郡鹿島御兒神社もあり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 鹿嶋御子神社について 所在は 鹿島村と記しています

【抜粋意訳】

鹿島御子神社

祭神 鹿島御子神
祭日 四月十七日
社格 郷社
所在 鹿島村
〇今属 磐城國(相馬郡鹿島村大字鹿島)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 鹿嶋御子神社について 祭神は 鹿島大神の苗裔神を祭る と記しています

【抜粋意訳】

鹿嶋御子(カシマノミコノ)神社

今、鹿島村に在り、鹿島明神と云ふ
鹿島大神の苗裔神を祭る
凡其祭四月十七日之を行ふ

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇福島縣 磐城國 相馬郡鹿島町大字鹿島

郷社 鹿島御子(カシマノミコノ)神社

祭神 天足別(アマタラシワケノ)命

創建年代詳ならず、
社伝によれば、往古 武甕槌命、経津主と共に国中の邪鬼を打壊ひ、本體は 常陸國信夫郡より還りて復命し、尚 東方見目濱鹽宮に見目神の霊を留め置かれし例に準へ、陸奥は僻阪の地なれば豫め邪鬼の起らんことを慮り、武甕槌命の御子六柱の中一柱の天足別命の霊を祭祀せしものにして、勧請は大同二年なりと云ふ、
即ち(神祇志料)に「鹿嶋御子神社 今、鹿島村に在り、鹿島明神と云ふ
鹿島大神の苗裔神を祭る云々」と見え、
貞観八年紀に「鹿島大神之苗裔神、三十八、在陸奥國、菊多郡一。磐城郡十一。標葉郡二。行方郡一。宇多郡七。伊具郡一。曰理郡二。宮城郡三。黒河郡一。色麻郡三。志太郡一。小田郡四。牡鹿郡一云々」とありて、後世まで紛るる事なく、社僧神官等免田十七石を有したり、
尤も神名帳考証には祭神を建御雷神とすとあれど 神社覈録にも祭神詳ならず、鹿島の斎神なるべし、北郷鹿島村に在す」など記しあれば、祭神は天足別命なるが如し、

其の後 寛永十三年 相馬善胤尊信殊に厚く、社殿を改造し、神地若干を寄附し、以来代々相続き蕃費を以て修理等をなし、維新の際に至る。明治九年十一月郷社に列せらる。
・・・・・・

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について に戻る

・香取・鹿島の苗裔神(びょうえいしん)について

 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-, ,

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