鹿島神社(福島市小田鹿島山)

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 社伝に その昔篠生(信夫)郷が湖沼であった時わずかに水上に出ていた鹿島の丘上に常陸国の鹿島神宮より蝦夷地経営の為分祀勧請されたと伝えられ 『延喜式神名帳927 AD.所載 陸奥国 信夫郡 鹿神社(かしまの かみのやしろ)の論社でもあります

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鹿島神社(Kashima shrine)

 [通称名(Common name)]

鹿島様かしまさま
小田鹿島神社(おだかしまじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

福島県福島市小田字鹿島山29

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》武甕槌命(たけみかづちのみこと)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・開運隆昌・五穀豊穣・安産の神

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

信夫延喜式内社 えんぎしきないしゃ

鹿島神社 ご案内

鎮座地 福島市小田字鹿島山二十九番地

御祭神 武甕槌命(タケミカヅチノミコト
    天孫降臨に先だち天照大御神の勅令を受け譲りの大業を成就された神様

由 緒
御鎮座については不詳であるが、その昔篠生(信夫)郷が湖沼であった時わずかに水上に出ていた鹿島の丘上に常陸国の鹿島神宮より蝦夷地経営の為分祀勧請されたと伝えられている。延喜式制定(905年)に当たり、本社もその例に入る。中世には牧野紀伊守の住居する小倉館と言う城館があり、別名「小倉鹿島神社」とも称され、古くから信夫の古社として信仰が厚い。

本 殿
本社の本殿は木羽葺神明流れ造りで江戸中期以前の総欅造りの建築で福島でも古い木造建物の一つとされている。

御神徳
国譲りの大業を成就された御神威により御祈願をすると自ずから運が開けるとされ、開運隆昌、五穀豊穣 そして安産の神さまとして崇められている。

祭 日
一月一日歳旦祭・一月十四日どんど焼・二月十一日紀元節祭・三月下旬勧学祭・七月三一日 夏祭り

境 内
境内には霊石の要石があり、この石に触れると安産になると信じられている。

また、かつて境内の前を流れていた濁川に架かる石橋は、明治二十一年に建立したもので「よろづ世にかけて朽ちせじ里の名のおぐらのはしの名さへ橋さへ」と地域の発展を願った和歌の碑が残されている。

その他
境内には鎌倉初期の石造宝塔、山中太郎右衛門頌徳生祀、欅、榧の古大樹、小社たまる福稲荷等がある。

現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

鎮座については不詳であるが、古昔、篠生(信夫)郷が湖沼であった時、僅かに水上に出ていた鹿島山上に常陸国鹿島神宮より蝦夷経営のため分祀勧請したと伝えられている。
桓武天皇 延暦元年 凶賊を征伐することを祈念し、神験あるために勲五等及び本国の封に戸を授かる。
延喜式制定(905)に当たり、本社もその例に入る。本社の位置は古代の小倉郷の中央小さな独立丘陵上にあり、旧米沢駅路にそっており、古くより福島の古社として栄えた。
中世には牧野紀伊守の居住する小倉館(鹿島館)といわれた城館があり、別名「小倉鹿島神社」ともいわれている。
本社の本殿は木羽葺神明流造りで、江戸中期以前の建築で当地でも古い木造建築物の1つとされている。
境内には霊石の要石があり、古くはこの石の位置に社殿があったと伝えられていて、今ではこの石に触れると安産になると信じられている。
また、かつて境内の前を流れていた濁川に架かる石橋は明治21年に建立したもので「よろづ世にかけて朽ちせじ里の名の おぐらの橋の名さへ橋さへ」と、この地区が神社を中心に橋の名とともにいつまでも語り継がれ発展することを詠んでいる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・多満留福稲荷(たまるふくいなり)

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要石(かなめいし)

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・大神宮石碑

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

第50代 桓武天皇 延暦元年 凶賊を征伐する事を鹿嶋神に祈り 神験あるため 勲五等及び本国の封に戸を授かったと 記されています

【抜粋意訳】

延暦元年(七八二)五月壬寅二十〉の条

○壬寅 陸奥国言 祈祷鹿嶋神 討撥凶賊 神験非虚 望賽位封 勅奉 授勲五等 封二戸

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥国 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)信夫郡 5座(大1座・小4座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 鹿神社
[ふ り が な ]かしまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kashima no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

香取・鹿島の御子神(みこがみ)苗裔神(びょうえいしん)〉について

古代の日本は 尾張より東は東国で蝦夷の住む処でした 東へ拡大する大和朝廷の歴史は 東国の蝦夷との軋轢の歴史でもあります
関東地方まで勢力を伸ばした大和朝廷は 奈良時代頃~平安初期頃までには 奥州の制圧を目指し 蝦夷(えみし)征伐や移民政策を推し進め 古代日本の中央集権体制を目指しました

このことから東北地方平定には軍神」として 御神威のある香取・鹿島の神を奉じて 蝦夷征討軍が派遣されました

香取・鹿島の地は 東国〈関東〉の水上交通の拠点とされ 霞ヶ浦〈鹿島・香取の海〉から奥州〈東北地方〉開拓へ 太平洋海上を北へと遡っていったもの考えられています

こうして 香取神宮・鹿島神宮の苗裔神(びょうえいしん)御子神(みこがみ)〉が 奥州開拓の拠点として 太平洋沿岸地域および阿武隈川・旧北上川などの大河川の流域各地に祀られていきました

平安時代中期の延喜式神名帳927 AD.記載 奥州〈東北地方〉の 香取神宮・鹿島神宮の分祀と考えられる神社

大和国の東の涯(はて)に鎮座した香取・鹿島の2神宮は 古来より大和王権との繋がりが深く 平安時代中期の延喜式神名帳927 AD.には 伊勢・香取・鹿島の3神のみが“神宮”と記載されるほどの高い威を誇りました

その御神威を背景として 奥州〈東北地方制圧が行なわれていったのでしょう 香取神宮・鹿島神宮の分祀苗裔神を祀るこれらの分社 蝦夷征討軍によって分祀されたものと考えられています

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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国香取苗裔神式内社2社の論社

〈本宮〉 香取神宮(名神大 月次 新嘗)(かとりの かむのみや) 

・香取神宮(香取市)下総国一之宮 

 

牡鹿郡(をしかの こおり)香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)

・香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)

・和渕神社(石巻市和渕町)

栗原郡(くりはらの こおり)香取御兒神社(かとりみこ かみのやしろ)

・香取御児神社〈旧鎮座地〉(栗原市築館久伝)

・香取御児神社〈鹿島神社に合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)

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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国鹿島苗裔神式内社8の論社

〈本宮〉 鹿島神宮(名神大 月次 新嘗)(かしまの かむのみや) 

・鹿島神宮(鹿嶋市)常陸国一之宮 

黒川郡 鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・鹿島天足別神社(富谷市大亀)

曰理郡 鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山) 

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

・月山神社(亘理町吉田作田)
〈亘理町吉田字作田に鎮座の鹿島社を合祀〉

曰理郡 鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山) 

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

曰理郡 鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

・八雲神社(亘理町)
〈鹿島天足和気神社の旧鎮座地三門山に祀られていた石祠が境内に祀られている〉 

信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑) 

・鹿島神社(福島市小田鹿島山) 

・鹿島神社(福島市岡島竹ノ内) 

・鹿島神社(伊達郡国見町藤田町尻二)

磐城郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)

牡鹿郡 鹿嶋御神社(かしまのみこの かみのやしろ)

・鹿島御児神社(石巻市日和が丘)

行方郡 鹿嶋御子神社(かしまみこの かみのやしろ)

・鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町) 

・鹿島御子神社旧蹟碑(南相馬市鹿島区鹿島町)

『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922国立研究開発法人 科学技術振興機構〉に 記される 苗裔神(びょうえいしん)について

悪路王(あくろおう) 鎌倉時代に記された東国社会の伝承に登場する陸奥国の〈実在とも伝説上とも〉人物とされます
別名として 悪来王 悪毒王 阿久留王などとも記されています

鎌倉時代以降の 鹿島神宮や鎌倉幕府など東国社会の文献に 名前が登場し『鹿島神宮文書』では「悪来王」が藤原頼経によって討たれたと記され
『吾妻鏡』では「悪路王」は蝦夷(えみし)の賊首で 赤頭とともに坂上田村麻呂と藤原利仁によって征伐されたと記されます

文中に「常陸の鹿島郡 鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實と 下総香取大神と並び 苗裔の諸多く奥州に祀らるる〈38社〉」と 三代実録 貞観八年正月の条を紹介し 現在〈1922〉は その陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず と記されています

【抜粋意訳】

常陸の鹿島郡に鎮まります鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實なりとす。言ふを要せず、神代の時 荒振神たちをことむけたまひし 縁由ある鹿島大神は中古 征夷の陸奥に邁進せらるるに伴ひて 其の神威を此方面に被及し 其の同功 一體の徳を伝ふる
下総香取大神と並び、苗裔の諸多く奥州に祀らるるに至り「貞観八年正月 鹿島神宮宮司の奏詞に大神苗裔の神 陸奥に在る者三十八社 弘仁以来幣を奉らざるを以て神崇大に著はる」との事、三代実録に見ゆ。
(所謂 陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず。延喜式神名帳に見ゆる 黒川郡 鹿島天足別(カシマアマタラシワケノ)神社・亘理郡 鹿島伊都乃比氣(カシマイツノヒケノ)神社・同郡 鹿島緒名太(カシマヲナタノ)神社・同郡 鹿島天足和氣(カシマアマタラシワケノ)神社・信夫郡 鹿島神社・磐城郡 鹿島神社・牡鹿郡 鹿島御兒(カシマミコノ)神社・行方郡 鹿島御子(カシマミコノ)神社は正さしく其の一部なるべく
又 香取大神の苗裔と認むべきは 牡鹿郡 香取伊豆乃御子(カトリイツノミコノ)神社・栗原郡 香取御兒(カトリミコノ)神社とす

祭頭祭に就きて新編常陸國志補に曰く・・・・・・・・

【原文参照】

『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922国立研究開発法人 科学技術振興機構〉より

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東北本線 南福島駅から 県道濁川に沿うように南西に約3.8km 車10分程度
濁川が大地を削り造りあげた田園地帯の中に鹿島山と呼ばれる小丘があり その前の田の中に 駐車場があります

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鹿島山入口が 社頭になっていて かつては社前を流れていた濁川(大門川)に架かる石橋を称えた石碑あります

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鹿島神社(福島市小田鹿島山)に参着

一礼をして 鳥居をくぐります

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すぐ先には 珍しい二本柱手水舎があり〈倒れないのか?〉 清めます

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小田鹿島神社の幟のある石段を上がります

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石段を上がった境内には 木製の明神鳥居が建ち その扁額には「勲五等 延喜式内 鹿嶋神社」と記されています 鹿島は 鹿嶋とされています

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一礼をして 鳥居をくぐり
拝殿にすすみます

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拝殿の扁額には「勲五等 延喜式内 鹿島神社」と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には御本殿 向かって左手には神楽殿でしょうか

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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参道を下がろうとすると 脇に・多満留福稲荷(たまるふくいなり)と要石(かなめいし)が祀られていて お参りをします

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改めて 参道石段を下ります

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境内の前には 濁川が大地を削り造りあげた田園地帯が広がります

その昔篠生(信夫)郷が湖沼であった時わずかに水上に出ていた鹿島の丘上に常陸国の鹿島神宮より蝦夷地経営の為分祀勧請されたと伝えられている」と云う故事に 感謝を込めて一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 信夫郡 鹿島神社について 所在は 小倉〈現 鹿島神社(福島市小田鹿島山)〉と記しています

【抜粋意訳】

信夫郡五座 大一座小四座

信夫は 志乃不と訓べし 和名鈔 郡名信夫 假字上の如し
二十二 民部拾芥抄 國郡部 信夫

〇舊事紀 国造本紀 信夫國造 志賀高穴穂朝御世 阿波国造同祖 久志伊宇命孫 久麻直定賜国造

鹿島神社

鹿島は 加志麻と訓べし
〇祭神 武甕槌命
小倉村に在す 参拝参考

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 信夫郡 鹿島神社について 所在は 小倉〈現 鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑)〉と記しています

【抜粋意訳】

鹿島神社

祭神 武甕槌命
祭日 九月九日
社格 村社
所在 鳥谷野村〇鹿島森 今 岩代國(信夫郡杉妻村大字鳥谷野)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 信夫郡 鹿島神社について 所在を鳥谷野村鹿島〈現 鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑)〉と記しています

【抜粋意訳】

信夫五座(大1座・小4座)

鹿島(カシマノ)神社

今、鳥谷野村鹿島にあり陸奥式社考 福島縣神社調 武御雷命を祀る、日本書紀、延喜式、本社伝説
桓武天皇延暦元年壬戌勅して 勳五等 封充奉る 是よりさき凶賊

を撥時、鹿島神に祈るに神験虚しからさりしを以てなり・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

鹿島神社(福島市小田鹿島山)に (hai)」(90度のお辞儀)

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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について に戻る

・香取・鹿島の苗裔神(びょうえいしん)について

 

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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