鹿島神社〈香取御兒社を合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 東夷征伐後の入植者により 常陸国鹿島より黒瀬向山(三峯山)に勧請 江戸初期に現在地に遷座 この時 香取御兒社(かとりみこしゃ)を相殿に合祀 香取御兒社は延喜式神名帳927 AD.所載 栗原郡 香取御神社(かとりみこかみのやしろ)論社で 勧請は 第12代景行天皇の時とも 神護景雲元年(767)城生野 伊治城の造営時とも伝わります

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鹿島神社(Kashima shrine)
〈香取御兒社を合祀〉

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

宮城県栗原市築館字黒瀬後畑64

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》鹿島社
 武甕槌(たけみかづちのみこと)

相殿神》鹿島御兒〈式内社〉
 経津主(ふつぬしのみこと)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

相殿神》鹿島御兒神社
・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

(※文字は 大部分が読み取れず)理解できる箇所からポイント記します

鹿島社については 常陸国鹿島より黒瀬向山に御勧請したと伝えられ 江戸初期に現在地に祭祀する

香取御兒神社については 第12代景行天皇の時 勧請され 式内社の香取社としては 最北端であった

現地案内板より

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〈現在の案内板には次のように記されています〉

鹿島神社の由来

鹿島社(かしましゃ)
香取御兒社(かとりみこしゃ)

勧請
 鹿島明神東夷征伐後に、此の地に入植した人々が常陸国鹿島より黒瀬向山(三峯山)に御勧請したと伝えられる。
 江戸初期に現在地に遷座され、香取御子社と合祀する。
 合祀火災により社蔵文書宝物焼失元文二年鹿島神社別当、白鹿山神宮寺千手院が社殿再建する。
 現在旧黒瀬沼から出土した船の「艪(かい)」が神社に保存されている。
 鹿島社は武の神で祭神の建御雷神は建部(たけるべ)の長すなわち軍事集団の長官である。
 鶯沢の白鶯山文書によると、応永二五年(一四一八)の文書に羽黒山先達職 黒瀬鹿島の大夫六郎なる人物に、黒瀬等四郷の「先達職成敗権が与えられていた」と記している。

 香取御兒社は、延喜式神名帳記された式内社栗原郡七社うちの一社、香取御兒神社と記載されている古社である
 御勧請については、年代不明であるが、神護景雲元年(七六七年)城生野に伊治城が造営された際に勧請されたものと推測される。
 延喜式神名帳延喜五年(九〇五に制定されており、香取社としては当時最北端の地にある式内社であった。
 香取社は剣の神であり祭神である経津主命のフツとは剣のことで、剣に宿る神霊が人格化されたものである。
 安永風土記(一七七八年)に、村鎮守 鹿島神社、別当は本山派観音院源求と記している。

令和三年九月 鹿島神社宮司 鹿島神社氏子会

【由  (History)】

由緒

安永風土記(1778年)に、第12代景行天皇(71~130年)の時、奥州夷賊御退治の為、常州鹿嶋より勧請と伝えられる。と記載され、香取御子御児神社は、延喜式内社(905年神名帳)であり、相殿に奉祭されていると記載されている。

別当寺である白鹿山神宮寺は、元和5年(1619年)本山派観音院により、開院され、神社に仕えることになる。
本山派三世千手院源光は、享保8年(1723年)境内に石碑建立し、享保年間(1730年代)に祝融の災の社殿を、元文2年(1737年)再建する。その棟札も現存する。文久4年(1864年)、村中安全を祈った白鹿山の御札が現存する。

氏子古老の言い伝えに、神社は向い山(茶臼館-館主黒瀬帯刀氏)より現鎮座地に遷座されたと言う。又、向い山から旧栗駒町上黒瀬の地に遷座後、現鎮座地に遷座されたとも伝えられている。年代は、伝わっていない。

現在の鎮座地境内からは、凡そ西暦200年~600年位の古墳時代に作成されたとみられる祭祀用土器台脚の破片や灯明皿土器が発掘されている。黒瀬の昔話に語り継がれている「笠松と南部の殿様」の話の中の「長者原」は、現在の鎮座地より西側一帯であるが、平安時代(西暦1000年位)の外貨が多数発掘されている。

宮城県神社庁HPより

鹿島神社

祭神 鹿島神社   武甕槌命(たけみかづちのみこと)

祭神 鹿島御兒神社 経津主命(ふつぬしのみこと)

祭日 旧三月十日、九月十九日(近年は九月第三日曜日)
 江戸期には、右祭日は旧暦の三月十日と九月三十日で九月三十日の祭日に岩ヶ崎城主中村日向様から武頭一人、足軽が十人が来村し例年警固に当ったという。

社殿 元文二年十一月建立(一七三七年)
 本殿 切妻形流造 二間×二間 幣殿 .五間×二間
 拝殿 入母屋型四間×二間 面積 二七五〇坪

鳥居 文化十三年三月建立(一八一六年)
 鳥居の石柱は村の人達が岩ヶ崎石で、転(ころ)を使い、搬送して来たとのことです。

神木 杉一本 初代は枯死 切株の跡がある

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

〈本殿向かって左横〉境内社

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〈参道向かって左手の池〉池の中島に祀られる石祠

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〈参道向かって右手の池〉池の中島に祀られる石碑

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥国 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)栗原郡 7座(大1座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 香取御神社
[ふ り が な ]かとりみこかみのやしろ)
[Old Shrine name]Katori mikokami no yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

香取・鹿島の御子神(みこがみ)苗裔神(びょうえいしん)〉について

古代の日本は 尾張より東は東国で蝦夷の住む処でした 東へ拡大する大和朝廷の歴史は 東国の蝦夷との軋轢の歴史でもあります
関東地方まで勢力を伸ばした大和朝廷は 奈良時代頃~平安初期頃までには 奥州の制圧を目指し 蝦夷(えみし)征伐や移民政策を推し進め 古代日本の中央集権体制を目指しました

このことから東北地方平定には軍神」として 御神威のある香取・鹿島の神を奉じて 蝦夷征討軍が派遣されました

香取・鹿島の地は 東国〈関東〉の水上交通の拠点とされ 霞ヶ浦〈鹿島・香取の海〉から奥州〈東北地方〉開拓へ 太平洋海上を北へと遡っていったもの考えられています

こうして 香取神宮・鹿島神宮の苗裔神(びょうえいしん)御子神(みこがみ)〉が 奥州開拓の拠点として 太平洋沿岸地域および阿武隈川・旧北上川などの大河川の流域各地に祀られていきました

平安時代中期の延喜式神名帳927 AD.記載 奥州〈東北地方〉の 香取神宮・鹿島神宮の分祀と考えられる神社

大和国の東の涯(はて)に鎮座した香取・鹿島の2神宮は 古来より大和王権との繋がりが深く 平安時代中期の延喜式神名帳927 AD.には 伊勢・香取・鹿島の3神のみが“神宮”と記載されるほどの高い威を誇りました

その御神威を背景として 奥州〈東北地方制圧が行なわれていったのでしょう 香取神宮・鹿島神宮の分祀苗裔神を祀るこれらの分社 蝦夷征討軍によって分祀されたものと考えられています

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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国香取苗裔神式内社2社の論社

〈本宮〉 香取神宮(名神大 月次 新嘗)(かとりの かむのみや) 

・香取神宮(香取市)下総国一之宮 

 

牡鹿郡(をしかの こおり)香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)

・香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)

・和渕神社(石巻市和渕町)

栗原郡(くりはらの こおり)香取御兒神社(かとりみこ かみのやしろ)

・香取御児神社〈旧鎮座地〉(栗原市築館久伝)

・香取御児神社〈鹿島神社に合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)

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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国鹿島苗裔神式内社8の論社

〈本宮〉 鹿島神宮(名神大 月次 新嘗)(かしまの かむのみや) 

・鹿島神宮(鹿嶋市)常陸国一之宮 

黒川郡 鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・鹿島天足別神社(富谷市大亀)

曰理郡 鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山) 

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

・月山神社(亘理町吉田作田)
〈亘理町吉田字作田に鎮座の鹿島社を合祀〉

曰理郡 鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山) 

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

曰理郡 鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

・八雲神社(亘理町)
〈鹿島天足和気神社の旧鎮座地三門山に祀られていた石祠が境内に祀られている〉 

信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑) 

・鹿島神社(福島市小田鹿島山) 

・鹿島神社(福島市岡島竹ノ内) 

・鹿島神社(伊達郡国見町藤田町尻二)

磐城郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)

牡鹿郡 鹿嶋御神社(かしまのみこの かみのやしろ)

・鹿島御児神社(石巻市日和が丘)

行方郡 鹿嶋御子神社(かしまみこの かみのやしろ)

・鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町) 

一緒に読む
鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)

鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 奥州の地を統御する為 この地で〈鹿島の稚児沼に仮宮された時〉賊徒が ...

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・鹿島御子神社旧蹟碑(南相馬市鹿島区鹿島町)

『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922国立研究開発法人 科学技術振興機構〉に 記される 苗裔神(びょうえいしん)について

悪路王(あくろおう) 鎌倉時代に記された東国社会の伝承に登場する陸奥国の〈実在とも伝説上とも〉人物とされます
別名として 悪来王 悪毒王 阿久留王などとも記されています

鎌倉時代以降の 鹿島神宮や鎌倉幕府など東国社会の文献に 名前が登場し『鹿島神宮文書』では「悪来王」が藤原頼経によって討たれたと記され
『吾妻鏡』では「悪路王」は蝦夷(えみし)の賊首で 赤頭とともに坂上田村麻呂と藤原利仁によって征伐されたと記されます

文中に「常陸の鹿島郡 鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實と 下総香取大神と並び 苗裔の諸多く奥州に祀らるる〈38社〉」と 三代実録 貞観八年正月の条を紹介し 現在〈1922〉は その陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず と記されています

【抜粋意訳】

常陸の鹿島郡に鎮まります鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實なりとす。言ふを要せず、神代の時 荒振神たちをことむけたまひし 縁由ある鹿島大神は中古 征夷の陸奥に邁進せらるるに伴ひて 其の神威を此方面に被及し 其の同功 一體の徳を伝ふる
下総香取大神と並び、苗裔の諸多く奥州に祀らるるに至り「貞観八年正月 鹿島神宮宮司の奏詞に大神苗裔の神 陸奥に在る者三十八社 弘仁以来幣を奉らざるを以て神崇大に著はる」との事、三代実録に見ゆ。
(所謂 陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず。延喜式神名帳に見ゆる 黒川郡 鹿島天足別(カシマアマタラシワケノ)神社・亘理郡 鹿島伊都乃比氣(カシマイツノヒケノ)神社・同郡 鹿島緒名太(カシマヲナタノ)神社・同郡 鹿島天足和氣(カシマアマタラシワケノ)神社・信夫郡 鹿島神社・磐城郡 鹿島神社・牡鹿郡 鹿島御兒(カシマミコノ)神社・行方郡 鹿島御子(カシマミコノ)神社は正さしく其の一部なるべく
又 香取大神の苗裔と認むべきは 牡鹿郡 香取伊豆乃御子(カトリイツノミコノ)神社・栗原郡 香取御兒(カトリミコノ)神社とす

祭頭祭に就きて新編常陸國志補に曰く・・・・・・・・

【原文参照】

『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922国立研究開発法人 科学技術振興機構〉より

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東北新幹線 くりこま高原から 北西方向 8.4km程度 車15分程度

旧北上川支流 迫川が 一迫川と二迫川に分流してから 二迫川を数百メートル遡った辺りの築館黒瀬です

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二迫川の南岸 芋埣川の北岸でデルタ地帯です

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水田越しに社殿が見えてきました

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道路に面して 鳥居が建ち 社号標には「鹿嶋神社」

鹿島神社〈香取御児神社を合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐります
参道の入口には 龍のようにうねる背中を持つ 狛犬が構えています

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参道を進むと 左右に池があります
この左右の池から 本殿の後ろまで 堀割のように水路〈池〉があって かつてこの地が黒瀬沼と呼ばれた湿地であった名残りだろうか?

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拝殿にすすみます
やはり 水神として 龍が描かれています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿 本殿が鎮座します

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 香取御兒神社について 社名のみが記され その他は不詳となっています

【抜粋意訳】

香取御兒神(カトリミコカミノ)社

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社の香取御兒神社について 二迫黒瀬村 鹿島社 相殿〈現 鹿島神社(栗原市築館黒瀬後畑)の相殿〉 と記しています

【抜粋意訳】

香取御兒神社

香取は 加登利と訓べし 御兒は假字なり
〇祭神詳ならず 香取の斎神なるべし
〇二迫黒瀬村 鹿島社 相殿に在す 参拝録 参考

〇当國 牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社もあり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社の香取御兒神社について 所在富村 字裏畑〈現 鹿島神社(栗原市築館黒瀬後畑)の相殿〉

又は 今 陸前國(栗原郡築館町大字築館)〈現 香取御児神社〈旧鎮座地〉(栗原市築館久伝)〉と記しています

黒瀬村は 富(トミ)村に属していたされます
黒瀬村には 二迫黒瀬村 鹿島社 相殿〈現 鹿島神社(栗原市築館黒瀬後畑)の相殿〉があります

【抜粋意訳】

香取御児神社

祭神 経津主神
今按 社伝 祭神 経津主神とあれど 香取の御兒の神なれば経津主神と云ては 父子の違ひあり 尚 香取御兒神と云はん方まさるべし

祭日 九月十九日

社格 (無格社)
所在 富村 字裏畑 〇今 陸前國(栗原郡築館町大字築館)

今按 観跡聞老志區別帳に築館村と記し 登米縣の注進も之に同じく 二尺程の石をたてて 香取神社と彫付ありと云るを 富村と注進せるは疑はし尚よく考べし

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

鹿島神社〈香取御児神社を合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)に (hai)」(90度のお辞儀)

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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について に戻る

・香取・鹿島の苗裔神(びょうえいしん)について

 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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