賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈山城國一之宮〉

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は 本殿は東西二棟からなり 西本殿には 賀茂別雷神社の〈祖父神〉賀茂建角身命〈古代の京都をひらかれた神〉 東本殿には〈母神〉玉依媛命を祀り 賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉とともに賀茂縣主の氏神を祀り 平安京遷都以降は国家鎮護の神社として 皇室や朝廷からも篤い崇敬を受ける 山城國一之宮です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

賀茂御祖神社Kamomioya shrine 

通称名(Common name)

・下鴨神社(しもがもじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

京都府京都市左京区下鴨泉川町59

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神

〈西本殿〉賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)賀茂別雷神祖父神〈古代の京都をひらかれた神〉

〈東本殿〉玉依媛命(たまよりひめのみこと)賀茂別雷神の母神〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・〈賀茂建角身命御神世界平和、五穀豊穣、殖産興業、病難方厄除けなど
・〈玉依媛命の御神婦道の守護神、縁結び、安産、育児さらに水を司る神

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 山城國一之宮
・ 二十二社〈上七社〉
・ 別表神社
・ 世界文化遺産

【創  (Beginning of history)】

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)由緒記

御祭神

 東御本殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと)
 西御本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)

御神徳

 賀茂建角身命を『日本書紀』『古事記」では、金鵄八咫烏(きんしゃやたがらす)として表し農耕をひろめ民生の安定に努められた御功績を伝えているところから世界平和、五穀豊穣、殖産興業、病難方厄除けなど他方面に御神徳を顕しておられる。

 御子神であられる玉依媛命は、「風土記』山城国逸文に婦道の守護神、縁結び、安産、育児さらに水を司る神として御神威を伝えている。

創祀

 『日本書紀』神武天皇二年(BC六五八ごろ)条に当神社の御祭神 賀茂建角身命を奉斎していたことが記されている。また当神社の最古の祭りである御生神事(みあれしんじ)(現在の御蔭祭)が綏靖天皇の御代(BC五八一ごろ)に始められたこと、崇神天皇七年(BC九〇ごろ)瑞籬の造替、垂仁天皇七年(BCニ九ごろ) 御神宝が奉られたこと、成務天皇のころ(一三一ごろ) 神官に鴨県主の姓を賜るなどの所伝によって二千年以前に創始されたとされている。

社名

 正式名称の賀茂御祖神社の「かも」は、古代の国名であり、文字も「鴨」のほか様々に用いられていたが大宝年間のころ(七〇〇ごろ)から「賀茂」となった。また地勢的にみて鴨川の下流にまつられているところから 下鴨神社と通称で親しく呼ばれるようになった。

社殿及び境内

 全城が世界文化遺産に登録されている。

東西両本殿二棟は国宝。幣殿、出雲井於神社等五十三棟が重要文化財のほか主要社殿十九棟。境内 糺の森約十二万平方メートルは国指定の史跡となっている。

主な祭事

 五月十五日 葵祭、御蔭祭、流鏑馬神事、土用のうしの日 御手洗祭、立秋の前夜 夏越の神事、中秋名月管絃祭、正月 歲旦祭、けまりはじめ、節分祭

名所旧跡

 賀茂斎院御所旧跡 鴨社神宮寺旧跡 御手洗川 奈良の小川 瀬見の小川 泉川 連理の賢木 何でも比良木 切芝等

主な歴史

 欽明天皇五年(五四四) 葵祭を始められる
 白鳳六年(六七七)   官営神社となる
 延曆三年(七八四)   長岡京遷都により告文
 延曆十二年(七九三)  平安京遷都により告文
 弘仁元年(八一〇)   賀茂斎院の制
 承和十一年(八四四)  当神社の四至制定
 元慶四年(八八〇)   平安京大極殿完成により告文
 天禄二年(九七一)   関白賀茂指定例の制
 長元九年(一〇三一)  式年遷宮の制
 承保三年(一〇七六)  行幸式日の制
 応德三年(一〇八四)  院·上皇·法皇御幸の制
 治承三年(一一七九)  参籠御幸の制、等々

楼門前案内板より

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【由  (History)】

由緒

 御祭神は、日本のれい明期において、早くから京都地方を開拓し農耕殖産の道を教え、更に正邪を糺して裁判の基を開かれた。
かの神武天皇の御東遷に際しては、金鵄・八咫烏としてその霊徳を現され、建国創業をたすけ、民生の安定に貢献されたことは古典や伝承の示すところである。
また玉依媛命は、賀茂別雷神社(通称 上賀茂神社)の祭神「別雷神」の御母神であり、婦道に御功績が多かった。
かくて当神社に対する信仰は往古から甚だ根強いものがあり、特に王朝時代に隆盛を極め今日に至っている。
千数百年の伝統を誇る葵祭は、勅祭として、今もなお昔ながらに継続斎行されている。
殖産興業、五穀豊穣、馬事安全、縁結び、安産、育児、方除け、印鑑守護等、多方面にわたる御神徳は、今日の賀茂信仰の根底をなしている。
また観光部面においても、王朝の昔を偲ぶ十二単衣の着付と王朝女人の雅楽舞、舞楽等があり、毎日、京都市観光バスのK・Nコースによって好評を博している。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

下鴨神社の境内・境外の摂社・末社についての詳細は この記事を見て下さい

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外の摂社・末社について

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摂社

・〈摂社河合神社

《主》玉依姫命

鴨長明ゆかりの社 境内には長明が晩年を過ごしたとされる建物を再現した「方丈の庵」が復元されている

式内社(名神大)「愛宕郡 鴨川合坐小社宅神社」

・河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内゛糺の森゛に鎮座〉

河合神社境内社

六社〈由木社、印社、竈神、稲荷社、衢社、諏訪社〉

六社の内 諏訪社は

式内社の論社 式内社「愛宕郡 須波神社」

六社由木社・印社・竈神・稲荷社・衢社・諏訪社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の諏訪社
〈下鴨神社の境内に鎮座する 河合神社の境内社 六社のうち諏訪社〉

任部社《主》八咫烏命

式内社(名神大)「愛宕郡 鴨川合坐小社宅神社」

・任部社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の 境内に鎮座する 河合神社の境内社 

三井社《主》賀茂建角身命,伊賀古夜日売命,玉依媛売命

式内社(名神大)「愛宕郡 三井神社」

・三井社(三塚社)
〈下鴨神社の 境内に鎮座する 河合神社の境内社 

・〈摂社出雲井於神社

《主》建速須佐乃男命

本殿は重要文化財。

式内社「愛宕郡 出雲井於神社」

・出雲井於神社(京都市左京区下鴨泉川町)〈賀茂御祖神社 境内〉

出雲井於神社の境内社

・岩本社(重要文化財)
・橋本社(重要文化財)

・〈摂社三井神社

《主》賀茂建角身命,伊賀古夜日売命,玉依日売命

本殿3棟〈・東社 玉依媛賣・中社 賀茂建角身命・西社 伊賀古夜日賣命〉、拝殿、棟門、東西廊下は重要文化財

式内社(名神大)「愛宕郡 三井神社」

・三井社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社 境内〉

三井神社境内社

諏訪社(重要文化財)

式内社「愛宕郡 須波神社」

・諏訪社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座する 三井神社の境内社 諏訪社〉

小杜社(重要文化財)
白鬚社(重要文化財)

賀茂波爾神社の境内社

・稲荷社

・〈摂社日吉神社

《主》大山咋命

・〈摂社貴布祢神社

《主》高龗神

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末社

・〈末社〉印璽社(重要文化財)

《主》霊璽

・〈末社〉言社(ことしゃ)

《主》大国魂神,顕国玉神,大国主神,大物主神,大己貴神,志固男神,八千矛神

本殿前の七つの社の総称、大国主命の七つの別名ごとの社で17世紀に造営。十二支の守り神とされる。

一言社本殿 2棟(重要文化財)
二言社本殿 2棟(重要文化財)
三言社本殿 3棟(重要文化財)

・〈末社〉井上社(御手洗社)

《主》瀬織津姫命

式内社「愛宕郡 出雲井於神社」

・井上社(京都市左京区下鴨泉川町)〈賀茂御祖神社 境内〉

・〈末社〉相生社

《主》神皇産霊神

 2本の木が途中から1本に繋がった「連理の榊」と呼ばれる神木がある。縁結びの神として有名。

・〈末社〉愛宕社

《主》火産霊神

式内社「愛宕郡 末刀神社」

・愛宕社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内〉

・〈末社〉稲荷社

《主》宇迦之御魂神

・〈末社〉祓社

・〈末社〉印納社

・〈末社〉澤田社

《主》御年神

・〈末社〉河崎社

・〈末社〉賀茂斎院歴代斎王神霊社

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈摂社賀茂波爾神社(赤ノ宮)〈第4摂社〉

《主》波爾安日子神,波爾安日女神

式内社「愛宕郡 賀茂波爾神社」

・賀茂波爾神社(京都市左京区高野上竹屋町)

・〈摂社御蔭神社

《主》賀茂建角身命,玉依媛命

式内社「愛宕郡 高野神社」
式内社「愛宕郡 小野神社二座 鍬靫

・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)

下鴨神社の境内・境外の摂社・末社についての詳細は この記事を見て下さい

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外の摂社・末社について

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

『六国史(りっこくし)』

奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

『延喜式(えんぎしき)』

平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

桓武天皇は 即位から3年後の延暦3年(784)「長岡京(ながおかきょう)」への遷都を行いました 賀茂上下二社と松尾神社へ神階のを以て遷都である 記されています

【抜粋意訳】

延暦三年(七八四)十一月丁巳二十

○丁巳

 近衛中将正四位上紀朝臣船守 叙賀茂上下二社従二位 又遣兵部大輔従五位上大中臣朝臣諸魚 叙松尾乙訓二神従五位下 以遷都也

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『日本紀略(nihonkiryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝わる〉に記される伝承

桓武天皇は 延暦13年(西暦794年)に「長岡京(ながおかきょう)」から「平安京(へいあんきょう)への遷都を行いました  賀茂上下二社と松尾神社へ神階のを以て遷都である 記されています

【抜粋意訳】

延暦十三年(七九四)十月丁卯

松尾 加階 以遷都也

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047774&ID=M2019041909454036553&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2四時祭下中の相嘗祭神七十一座

【抜粋意訳】

巻2 神祇2 四時祭下 十一月祭
相嘗祭神(あひむへのまつりのかみ)七十一座

鴨別雷社一座

絹(キヌ)二疋、絲(イト)一絇一両、綿三屯、調布三端四丈、庸布一段一丈三尺、木綿一斤十両、鮑十両、堅魚二斤十両、(きたい)〈干し肉〉四斤、海藻二斤、凝海藻三斤、塩一升、筥一合、(サラケ)缶(モタイ)(ホトギ)、山都婆波、小都婆波、筥瓶【瓦+并】、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、酒盞、筥坏、陶臼各二口、酒稲五十束、〈神税、〉

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ 春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3 神祇3 臨時祭 名神祭 二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省、〉

賀茂別雷神社一座 賀茂御祖神社二座 松尾神社二座 稲荷神社三座 貴布祢神社一座 鴨川合神社一座 御井神社一座 葛野月読神社一座 木嶋坐天照御魂神社一座 平野神社四座 梅宮神社四座 乙訓神社一座 酒解神社一座〈亦号山崎、〉已上山城國〉
・・・
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛宕郡 21座(大8座・小13座)

[名神大 大 小] 式内名神大

[旧 神社 名称 ] 賀茂御祖神社二座(並名神大月次相嘗新嘗)
[ふ り が な ]かもみをやの かみのやしろ ふたくら
[Old Shrine name]Kamomiwoya no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

上賀茂神社・下鴨神社について

往昔は 賀茂氏(かもうじ)の氏神を祀る 二つで 一つの神社として 賀茂社(賀茂神社)と総称していまた

二社は それぞれ・上賀茂神社を「上社」・下鴨神社を「下社」と呼ばれます

両社の御神紋 ゛葵(二葉葵)゛

二葉葵が神紋となっているのは 賀茂別雷神の御神託「葵を飾って祭りをせよ」があり 賀茂別雷神が 神山(こうやま)の頂上にある磐座(いわくら)にご降臨されたと伝わる事に依ります

賀茂祭が 葵祭と云われるのもこの為です

御神紋 ゛葵(二葉葵)゛

延喜式内社 山城國 愛宕郡 賀茂別雷神社 亦若雷 名神大〈上賀茂神社〉

〈上賀茂神社〉賀茂別雷神社(京都市)

延喜式内社 山城國 愛宕郡 賀茂御祖神社二座 並名神大〈下鴨神社〉

〈下鴨神社〉賀茂御祖神社(京都市)

山城國風土記逸文上賀茂・下鴨の両神社の祭神にまつわる伝承

神武天皇東征の際に道案内をした
 八咫烏(やたがらす三本足のカラスは 賀茂建角身命とされます

賀茂建角身命は はじめ日向の曽の峰に天降ったが 神武天皇の東征の先導役として倭の葛城山に至った

そこから〈大和の葛城山から 更に山背〈山城国〉に移り 岡田の賀茂に至った

これが現在の岡田鴨神社の辺り

延喜式内社 山城國 相樂郡 岡田鴨神社(大 月次 新嘗)(をかたかもの かみのやしろ)

・岡田鴨神社(木津川市加茂町北鴨村)

賀茂建角身命は さらに 山代河木津川沿いを下り進んで 鴨川と桂川(葛野川)が合流する所に到った

これが現在の久我神社(京都市伏見区久我森の宮町)の辺り

延喜式内社 山城國 乙訓郡 久何神社(くかの かみのやしろ)

・久我神社(京都市伏見区久我森の宮町)

賀茂建角身命は 賀茂河を御覧になり「狭い川だが清浄な川である」と言って「石川の瀬見の小川」と名付けた

合流地点は 現在の下鴨神社の辺り

延喜式内社 山城國 愛宕郡 賀茂御祖神社二座 並名神大〈下鴨神社〉

〈下鴨神社〉賀茂御祖神社(京都市)

賀茂建角身命は さらに鴨川を遡り 

久我國(くがのくに)の 北の山基(やまもと)に定(しづ)まり その地に鎮座した

賀茂建角身命は 丹波国の神野の神 伊可古夜日売(いかこやひめ)を娶って 兄の玉依日子と妹の玉依日売が生まれた

賀茂建角身の娘・玉依媛命が 「石川の瀬見の小川」の上流で 流れてきた丹塗りの矢を拾って持ち帰り 床の辺に挿しておくと懐妊し 御子〈賀茂別雷命を出産した
やがて御子〈賀茂別雷命〉が成長した 祖父の賀茂建角身命が 八尋屋(やひろや)を造り 八戸の扉をたて 八腹の酒を醸し 神々を集めて7日7夜の酒宴を開いた

この時 祖父である建角身命が 御子に゛汝の父と思う神にこの酒を飲ませよ゛と命じると その御子〈賀茂別雷命〉は 盃をささげて天に向けて祭り 屋根の甍を突き抜けて天に昇ってしまった

現在の久我神社(京都市北区紫竹下竹殿町)の辺り

延喜式内社 山城國 愛宕郡 久我神社(こが/くが の かみのやしろ)

・久我神社(京都市北区紫竹下竹殿町)

このことから御子神は 外祖父の御名によって賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)と名づけられた 丹塗りの矢〈即ち父神〉とは 乙訓神社の火雷(ほのいかづちのかみ)であったと云う

延喜式内社 山城國 乙訓郡 乙訓坐 大(火)雷神社(名神大 月次 新嘗)(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)の論社

・角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)

・向日神社(向日市向日町北山)
〈向日神社に合祀の火雷神社〉

・菱妻神社(京都市南区久世築山町)

御子神が天に昇り 残された賀茂建角身命 賀茂玉依比売命が再び御子に会いたいと乞い願っていたある夜 賀茂玉依比売命の夢枕に御子が顕れ 「吾れに逢はんとは 天羽衣•天羽裳を造り 火を炬き鉢を捧げ 又走馬を餅り 奥山の賢木を採りて阿礼に立て 種々の絲色を垂で また葵楓の蔓を造り 厳しく餅りて吾をまたば来む」とのお告げを聞き その御神託に従って神迎の祭をしたところ 立派な成人のお姿となり 天より神として神山に御降臨されたと伝わります

これが現在の上賀茂神社の創建

延喜式内社 山城國 愛宕郡 賀茂別雷神社(亦 若雷・名神大 月次 相嘗 新嘗)(かもわけいかつちの かみのやしろ)

・賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市)

又 蓼倉里(たでくらのさと)三井社(みゐのやしろ) というのは 三身の神を祀る
その三柱は

・賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)
・丹波の伊可古夜日賣(いかこやひめ)
・玉依日賣(たまよりひめ)
この三柱神が 坐(まします)故に 三身社(みみのやしろ)と号(なづく) 今は三井社と云う

〈これが現在の三井社の創建〉

延喜式内社 山城國 愛宕郡 三井神社(名神大 月次 新嘗)(みゐの かみのやしろ)の論社

・三井社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社 境内〉

・三井社(三塚社)
〈下鴨神社の 境内に鎮座する 河合神社の境内社〉 

『釈日本紀(shaku nihongi)〈文永元年(1264)~正安3年(1301)〉』に記される伝承

『釈日本紀 巻九』に山城國風土記逸文が所引されています

【抜粋意訳】

巻九

山城國風土記(やましろのくに ふどき)に曰(いは)く

可茂社(かものやしろ)

可茂(かも)と稱(いふ)は 日向(ひむか)の曾峯(そのたけ)に 天降(あもり)坐神(まししかみ)賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)なり

神倭石余比古(かむやまといはれひこ〈神武天皇〉)の御前(みさき)に立坐(たちまして)
大倭(やまと)の葛木山之峯(かづらきやまのみね)に宿坐(やどりまし)彼(そこ)より 漸(よふやく)に遷(うつ)り

山代國(やましろのくに)の「岡田の賀茂」に至りたまひ 山代河〈木津川〉の隨下(まにまにくだり)まして 葛野河(かどのがは〈桂川〉)と賀茂河(かもかは)との會所(あふところ)に至坐(いたりまし)
賀茂川を見迥(はる)かして 言(の)りたまう「狹小(さく)あれども 石川の淸川(すみかは)なり」とのりたまう 仍名(よりてなづけて)曰(いは)く 石川の瀬見(せみ)の小川と曰(いふ)

彼川(そのかは)より 上坐(のぼりまして)久我國(くがのくに)の北の山基(やまもと)に定(しづ)まりましき
爾時(そのとき)より 名を賀茂と曰(いふ)

賀茂建角身命 丹波國(たにはのくに)の神野(かみの)の神伊可古夜日女(かむいかこやひめ)に娶(あ)ひて 生子(うみませるみこ)の名は 玉依日子(たまよりひこ)と曰(いひ) 次を玉依日賣(たまよりひめ)と曰(いふ)

玉依日賣(たまよりひめ) 石川の瀬見の小川に川遊びし時 丹塗矢(にぬりや)が 川上より流下(ながれくだり) 乃(すなわ)ち取りて 床の邊(へ)に插置(さしおき) 遂に孕(はら)みて男子(をのこ)を生む

成人となる時に至り 外祖父(おほぢ)建角身命(たけつのみのみこと)は 八尋屋(やひろや)を造り 八戸扉(やとのとびら)を竪(たて) 八腹酒(やはらのさけ)を醸(か)み 神集(かむつどへ)集(つどへて)七日七夜(なぬかななよ)樂遊(うたげ)したまひ
然(しかして)子と語らひて 言(のり)たまひ「汝(いまし)の父と思はむ人に 此の酒を飮ましめよ」とのりたまへば 即(やが)て 酒坏(さかづき)を擧(ささげて)天(あめ)に向き祭(まつ)らむと為(おも)ひ 屋甍(やのいらか)を分穿(わけうがち)天(あめ)に升(のぼ)りき

乃(すなはち)外祖父(おほぢ)の名に因(よ)りて 可茂別雷命(かもわけいかつちのみこと)と號(なづく)

謂(いはゆる)丹塗矢(にぬりや)は 乙訓郡(おとくにのこほり)の社(やしろ)に 坐(いませる)火雷神(ほのいかつちのかみ)なり

可茂建角身命(かもたけつのみのみこと)丹波(たには)の伊可古夜日賣(いかこやひめ)玉依日賣(たまよりひめ)三柱(みはしら)の神は 蓼倉里(たでくらのさと)三井社(みゐのやしろ)に坐(います)

又曰(またいはく)
蓼倉里(たでくらのさと)三井社(みゐのやしろ)と稱(いふ)は 三身の神 賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)なり 丹波(たには)の伊可古夜日賣(いかこやひめ)玉依日賣(たまよりひめ)なり

三柱神が 坐(まします)故に 三身社と號(なづく)を 今漸くに三井社と云う

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『釈日本紀』文永元年(1264)~正安3年(1301)写本(模写本)明治 著者:卜部懐賢https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『釈日本紀』文永元年(1264)~正安3年(1301)写本(模写本)明治 著者:卜部懐賢https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『釈日本紀』文永元年(1264)~正安3年(1301)写本(模写本)明治 著者:卜部懐賢https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『釈日本紀』文永元年(1264)~正安3年(1301)写本(模写本)明治 著者:卜部懐賢https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

この伝承について 更に知りたい方は

『賀茂注進雑記』釈注と口語訳素案 賀茂県主同族会歴史勉強会を参照されると良いと想います
http://www.kamoagatanushi.or.jp/Mitarashi/9/4.pdf

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京阪本線 出町柳駅から河合橋を渡ります 加茂川と高野川の合流点〈鴨川デルタ〉から 下鴨神社の一の鳥居を抜けて 南へと伸びている表参道を北上します

出町柳駅から約500m程です

出町柳駅から河合橋を渡ると高野川の上流方向の右手には゛比叡山゛左手には゛鞍馬山゛が見えています

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賀茂御祖神社の社号標が建ち その先に 朱色の下鴨神社の一の鳥居があり 一礼をして くぐり抜けます

賀茂御祖神社〈下鴨神社〉京都市左京区下鴨泉川町に参着

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参道には 広大な境内全景の絵図゛世界遺産 賀茂御祖神社 糺の森 境内全景゛があります

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゛糺の森゛〈高野川と鴨川が合流する三角州地帯の森林をそのように呼ぶ〉の中 参道を進みます

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参道向って左側〈西側〉には゛瀬見の小川゛がせせらぎとなって流れています

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参道の先に 賀茂御祖神社 二の鳥居が見えてきました

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参道向かって右手に゛御手洗(みたらし)゛〈手水舎〉があり 清めます

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一礼をしてから 二の鳥居をくぐり抜けると 朱色の見事な楼門が構えています

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楼門を抜けると 正面には゛舞殿゛が建ちます

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四脚中門をくぐり抜けて 拝所にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内には 多くの摂社・末社が祀られています
順にお参りをします

下鴨神社の境内・境外の摂社・末社についての詳細は この記事を見て下さい

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外の摂社・末社について

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 賀茂御祖神社二座 並名神大月次相嘗新嘗について 下鴨村に在す〈現 賀茂御祖神社〈下鴨神社〉〉と記しています

【抜粋意訳】

賀茂御祖神社二座 並名神大月次相嘗新嘗

賀茂は前に同じ、』御祖は美於夜と訓べし、

○祭神 玉依姫、大山咋神、
頭注云、一社者大己貴子大山咋神、一社者玉依日女也、」
鴨長明が四季物語云、下鴨と申奉るも、大山咋御神にて坐々て云々、松尾日吉など皆々同じ御神すがたなるべし、
〇一宮記云、又曰 糺宮大已貴命、この糺宮といふは、多々須玉依姫の御名よりいへるなるべし、」一説に、大已貴命又は神武天皇といふ、今従はず、さはいへ大己貴命と大山咋神とは同神也といふ説あれば、強に破りがたし、こは近江国 滋賀郡 日吉神社の條に委しく云り、

○下鴨村に在す山城

〇式二、四時祭下相嘗祭神七十一座、〔中略〕鴨御祖二座、山城國〕
 同三、臨時祭名神祭二百八十五座、〔中略〕山城國賀茂御祖神社二座、』
祈雨祭神八十五座、並大賀茂御祖社二座、

○当國、一宮也、一宮記云、号下社、大山咋父、故号御祖、

○江家次第、祈年穀奉幣、賀茂上下参議一人、次官五位一人、」
廿二社注式云、上七社、賀茂、幣数二本

類社
 別雷神杜の條見合すべし、

神位
 續日本紀、延暦十一月丁巳、遣近衛中将正四位上紀朝臣船守、叙賀茂下上二社從二位、以遷都也、こは長岡宮に遷る時也
 日本紀略、延暦十三月丁卯、鴨神加階、以遷都也、こは平安京に遷る時也
 大同月戊子、賀茂御神奉授正一位、

修理
 續日本紀、延暦十一月乙丑、遣使修理賀茂下上二社

官幣
祭祀
臨時祭
行幸
関白賀茂詣

前件官幣以下 別雷神社の條見合すべし

封戸 神田 社領
 續日本紀、延暦十一・・・・・・
 ・・・

神詠
 風雅集に、世の中に物思ふ人のありといふは我を頼まぬ人にぞありける、
 是は賀茂の御祖神の御うたとなん、

齋院
 別雷神社の條見合すべし

社職 把笏
 續日本紀、天応元年月戊申、令賀茂神二社禰宜祝等始把笏、

焼亡
 帝王編年記云、永承二十三日、今朝件御祖社幣殿有火、一間焼亡、元永十一月一日、鴨御祖社殿巳下焼亡、失火

雑事
 三代実録、貞観二十二日甲子、勅禁  山城國愛宕郡神樂岡側之地、以賀茂御祖神社隣近也、
 式三、臨時祭凡神社四至之内、不得伐樹木及埋穢死人、」凡鴨御祖社南辺者、雖任四至之外、濫僧屠者等不得居住、

連胤云、別雷社と共に載る記文は更にのせず、彼社の條見合すべし、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 賀茂御祖神社二座 並名神大月次相嘗新嘗について 下加茂村(愛宕郡下鴨村大字下鴨)〈現 賀茂御祖神社〈下鴨神社〉〉と記しています

【抜粋意訳】

賀茂御祖(カモノミオヤノ)神社二座 並名神大月次相嘗新嘗

祭神 多々須玉依日賣(タタスタマヨリヒメノ)命
   鴨建角身(カモタケツスミノ)命

今按 袖中鈔に引 賀茂緣起に賀茂ノ大神ノ御社 稱.賀茂ト者 日向ノ曾之高千穂ノ峯ニ天降リ坐ス神 賀茂建角身ノ命也 神倭磐余比古ノ天皇之御前ニ立ヲ上リ坐シテ 而宿ニ坐 大倭葛木山之峯 自彼・・・・・・

とあるに因りて諸神本懐に御祖ノ二座とみえ 諸神根元記神記にも同じさまに記せるは御祖を父母のことと思ひしやりの非説なり
又 二十二社註式神社考等の書に大己貴神を御父の如く記し 賀茂皇大神宮記に天皇御祖の神と記せるより 神武天皇を祭るなど云るは 殊に甚しき誤りなり 唯瀬見小河に玉依日賣ノ命 鴨建角身命に御坐す由云へれど 確証を挙げるず 而るに 今本社禰宜 鴨脚秀文所蔵 永享元年十月 當社神官等 注進状に右當大神宮ハ者云々・・・・・

とあるにて 其の一座は建角身命に御坐すこと いといと明亮なり

神位
桓武天皇 延暦十一月丁巳、遣近衛中将正四位上紀朝臣船守、叙賀茂下上二社從二位、以遷都也、
延暦十三月丁卯、鴨神加階、以遷都也、
平城天皇 大同月戊子、賀茂御祖ノ神奉授正一位、

祭日 四月十五日
社格 官幣大社

所在 下加茂村(愛宕郡下鴨村大字下鴨)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

賀茂御祖神社〈下鴨神社〉京都市左京区下鴨泉川町 (hai)」(90度のお辞儀)

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山城国の式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

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