静岡県
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三島神社(南伊豆町妻良)
三島神社(みしまじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①大津往命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 〉の論社とされる古社と伝わります 祭神の大津往命(おほつのゆきのみこと)は 大津(港)を守護する姫神とも 三嶋神の御子神とも 大国主命の妻神とも伝わります
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三島神社(南伊豆町二條)
三島神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「加毛神社 二座(かものかみのやしろ ふたくら)」の内 一座(ひとくら)とされています 社頭には伊豆半島でも屈指の樹齢千年以上の大楠2株「夫婦楠」があり その存在感には圧倒されます
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加畑賀茂神社(南伊豆町町下賀茂)
加畑賀茂神社(かばたかもじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社「加毛神社 二座」の内の一座とされ 創建は 平安時代初期 大同年間(806~810)と伝えられています 御神木 ビャクシン(イブキ)の樹齢は1200年で その頃からあるとされます
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事任八幡宮(掛川市)清少納言が書いた「枕草子」の中に「ことのまま明神いとたのもし」と書かれた項があります
事任八幡宮は 創建は一説に成務天皇(84年~190)の御代の創立と伝え聞き 大同2年(807)坂上田村麻呂東征の際 桓武天皇の勅を奉じ 旧社地の本宮山より現社地へ遷座したと伝わります 古代より街道筋に鎮座し 朝廷をはじめ全国より崇敬されており 多くの歌人が歌に詠んでいます 平安期の「枕草子」にも記載があります
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高橋神社(三島市)
高橋神社(たかはしじんじゃ)は 第40代 天武天皇(テンムテンノウ)〈即位AD673~686〉から 高橋朝臣(タカハシノアソミ)を賜り〈膳臣(かしわでのおみ)の姓(かばね)を改めた〉高橋氏の子孫が この地に住み 祖神を祀ったのが その起源とされています
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別雷神社(静岡市)
別雷神社(わけいかづちじんじゃ)は 社伝によれば 創建を 第15代 応神天皇4年(273年頃)とする古社で 大宝3年(703)に創市の「安倍の市(静岡)」と称する物資交流の中心地の守護神とされていて 祭神は別雷神(ワケイカヅチノカミ)と玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)を祀ります 静岡市葵区の七間町に鎮座する(927年12月編纂)『延喜式神名帳』所載社の論社です
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建穂神社(静岡市葵区建穂)〈延喜式内社 建穂神社の論社〉
建穂神社(たきょうじんじゃ)は かつて隣村の服織(はとり)〈現 静岡市葵区羽鳥(はとり)〉の「木枯森(コガラシノモリ)」の辺りに 境内を構えていたとされます この羽鳥(ハトリ)の地名は 機織(ハトリorハタオリ)の秦氏(ハタ ウジ)から発祥しています 駿府の「秦氏(Hata uji)」の拠点であったところです
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静岡浅間神社(静岡市葵区宮ヶ崎町)〈『延喜式』神部神社・大歳御祖神社〉
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 駿河国総社として崇敬され(通称 おせんげんさま)と云い 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社の総称です 徳川家康公(幼名 竹千代)の元服式より幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建された総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群です
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神明神社(沼津市西浦江梨)
神明神社は 『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉には 神社名を「文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)」「八幡(ハチマン)神明(シンメイ)あわせ祀る」と記されています
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子神社(伊豆市加殿)
子神社(ねのじんじゃ)は 大正初年(1912)境内より4世紀頃の神獣鏡(仿製鏡)が出土しています 古代からの祭祀場であったのかもしれません『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の所載「伊豆国 田方郡 輕野神社(かろのの かみのやしろ)」の論社でもあります
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軽野神社(伊豆市)
軽野神社(かるのじんじゃ)は 『日本書紀(にほんしょき)』応神天皇 5年10月の条 に「伊豆国に造船を命じた 長さ十丈(約30m)試しに海に浮かべると 軽くてよく走るので その船を『枯野(カルノ)』と名付けた」とあり これが狩野(カルノ)郷の語源であると言われています
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満宮神社(田方郡函南町)
満宮神社(まんぐうじんじゃ)は 第84代 順徳天皇の著『八雲御抄(yakumo misho)』〈鎌倉時代〉の歌論書に「伊豆国 田方郡(たがたのこおり)」にある鎮守の杜を指す言葉として「田方の杜(たがたのもり)」と称されたとする伝承があります 「田方の杜(たがたのもり)」ですから 田方郡でも 重要な神社として認識されていたであろうことが伺えます
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雲見浅間神社(松崎町雲見)
雲見浅間神社(くもみせんげんじんじゃ)は 伊豆半島の最西端の雲見海岸に聳える烏帽子山(162m)に鎮座します ・山麗には「拝殿」・中腹には「中之宮」・山頂付近には「本殿」があり 全国の浅間信仰の神社(約1,300社)の中でも 祭神として「磐長姫命(いわながひめのみこと)」一柱のみを祀る 大変珍しい祭祀形態の神社です
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廣瀬神社(伊豆の国市)
広瀬神社(ひろせじんじゃ)は 古来より 田中郷5ヶ村の総鎮守で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社です 社伝によれば 往古 社殿は 金銀をちりばめ壮大にして 禰宜36人 供僧6坊を置き 神領8町8反大50歩永80貫文を充てられ 隆盛を極めたとされ 三島大社はその昔 下田の白浜から この地に移り その後に三島に遷祀したと伝わります
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恵比須神社(下田市須崎 恵比須島)
恵比寿神社は 下田市須崎の恵比須島(Ebisujima lsland)の頂上に鎮座しています 古代の人々が「海神(Watatsumi)」や「伊豆諸島の島神(Shimagami)」に祈りを捧げた場と考えられています 付近には 古墳時代~奈良時代の祭祀跡(Saishi Remains)(焚き火の跡等)が発見され「夷子島遺跡(Ebisjima Remains)」として下田市の文化財に指定されています
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王子神社(南伊豆町)&(八幡神社(長鶴村))
王子神社(おうじじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「穂都佐氣命神社(Hotsusake no mikoto no kamino yashiro)」の論社です 御祭神の別名は「満寧子(manneiko)」or「酒王子(Shuoji)」と呼ばれます 神社名称の「王子(おうじ)神社」とは ここから来ているのだと思われます
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三島神社(南伊豆町入間)
三島神社(みしまじんじゃ)は 『豆州志稿(ずしゅうしこう)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に 鎌倉時代末(1320年頃)修復の棟札がある と記されている古社です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の 伊豆国 賀茂郡 穂都佐氣命神社(ほつさけのみことの かみのやしろ)の論社ともされています
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走湯神社(下田市大賀茂)
走湯神社は 「(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)」と呼ばれます 『南国伊豆の昔話』によれば 蓮台寺の神様と お湯の取り合いをして 走り戦いましたので「走湯」というと云われています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています
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志理太乎宜神社(片瀬白田)
志理太乎宜神社(しりたおぎじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社とされ 早い時期から 三宅島の御祭神の分霊を祀っていたとも云われます 一方で八幡神を配祀して「来宮」とも「木の宮」ともされています 地元では 親しみを込めて「白田のキノミヤさん」と呼ばれています
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波夜多麻和氣命神社(下田市 相玉)
波夜多麻和気命神社(はやたまわけのみことじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 由緒(格式ある歴史)があります しかし 御祭神「波夜多麻和気命(Hayatamawake no mikoto)」は謎の神とされます 鎮座地の相玉は 辺りは山深い郷ですが 古くは「大井 (おほゐ) 」と呼ばれ豊かな水があって栄えていたであろうことは 稲生沢川(inozawa gawa)を挟むような相玉の郷の田園風景を一望すれば 推測はできます 稲生沢川は 下田の港に流れ込みますので これを遡れば この辺りの交通の便は良かったのであろうと想像は出来ます 下田から 海上ルートで容易に その先の伊豆諸島と繋がります「三島(御島)の神々」なのかも知れません