静岡県

子安神社〈奈疑知命神社〉(河津町縄地)

子安神社(こやすじんじゃ)は 里人には「乳の神様」と呼ばれています 式内社「 奈疑知命神社(なきちのみことの かみのやしろ)」は かつては 縄地川(なわじ)上流の「なぎの森」に鎮座していたと伝わり 後に子安社の地に遷座したと考えられています

石室神社(南伊豆町石廊崎)

石室神社(いろうじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「伊波例命神社(いはれのみことの かみのやしろ)」とされます 石廊崎の先端 絶壁の岩肌に鎮座します 神社の土台には 千石船の帆柱が使われていて 伊豆七不思議の一つとなっています

八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

八幡宮来宮神社(はちまんぐうきのみやじんじゃ)は 八幡宮と来宮神社の合殿です 社伝によれば 八幡宮は 正八幡宮を一国一社と定めて勧請〈神護景雲3年(769年)〉した際の伊豆国の代表八幡宮です 来宮神社は 伊波久良和気命を祀り 古来から 来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の式内社です

八幡神社(南伊豆町子浦)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 南伊豆町子浦の小高い斜面にあり 本殿の覆い屋の中に〈八幡宮〉と〈天満宮〉の2つの本殿が鎮座しています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「伊波久良和氣命神社(いはくらわけのみことの かみのやしろ)」の論社です

川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ) は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「杉桙別命神社」です 本殿横の「大クス」は 昭和11年 国天然記念物に指定された目通り周14m高さ24m樹齢1000年以上といわれる巨木のご神木です

来宮神社(伊豆市八幡)

来宮神社(きのみやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「杉桙別命神社」の論社です 別説には 藤原朝臣祐義公により貞和年中(1345~49)荒廃していた社殿に 来宮大明神を祀って新建とも伝わります 鳥居杉が見事です

姫宮神社(河津町笹原)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 奥伊豆最古ともいわれ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「佐々原比咩命神社(ささはらひめのみことのかみのやしろ)」の比定社です しかし 河津川に面した湿地帯に在って 昔から洪水で流され再建することを繰り返し大社殿になれず 最後の庁屋も洪水で流失したといわれ 代々来宮神社の法印に祭祀されていたと伝わります 平成14年(2002)現在地に再建

三島神社(河津町川津筏場)

三島神社(みしまじんじゃ)は もと筏場小川に鎮座した「小川三島大明神」を元亀年間(1570〜73)に現在地に遷座されたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です

三嶋神社(河津町逆川)

三嶋神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です 配祀の若宮〈三島神の御子神 布佐乎宜命〉がそうではないかとも云われています

夷子神社(伊東市川奈)

夷子神社(えびすじんじゃ)は 川奈の漁師の信仰が厚い祠であったようです 『豆州志稿』に「ことに古い祠で 神ノ主〈御神体〉は 自然石」と記され 古老の口伝に「此の祠は 殊に古く 御神体は崇厳な自然石で 本殿真下の空井戸に鎮座している」と伝わります 一説に式内社 伊波氐別命神社の論社とされています

諏訪神社(南伊豆町岩殿)

諏訪神社(南伊豆町岩殿)は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の式内社「伊波氐別命神社」の論社で 「数十丈削立たる如き巌石上に鎮座す」と伝わります 現地も急斜面の上ですが この地は岩山なのでしょうか

八幡神社(下田市河内)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 『南豆神祇誌 1928年』著者の足立鍬太郎氏によれば 大正6年(1917)の棟札には「八幡神社 旧称王子神社」と記されていて 第三王子 則ち 多祁美加々命を祭った社と記しています

八幡神社(下田市吉佐美)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は『平家物語』の鵺(ぬえ)退治の説話でも有名な源 頼政公〈1104~1180〉が知行国の伊豆国に石清水八幡宮を勧請して 地名を朝日里から吉佐美に改めたのが当社 合わせて配祀の若宮〈八幡若宮ではなく 三島神の若宮〉をこの地に遷座と伝わります 3つの式内社の論社で 本殿・相殿・右殿にそれぞれ① 加彌命神社〈本殿〉➁ 竹麻神社 三座〈相殿 三島神社〉➂ 多祁美加々命神社〈右殿 若宮〉が祀られています

三島神社(下田市柿崎)

三島神社(みしまじんじゃ)は 江戸時代には 三島大明神・住吉大明神と呼称されていて 古くからの土ノ神〈鎮守〉です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の2つの式内社〈  ①竹麻神社 三座 ➁ 多祁富許都久和氣命神社 〉の論社であった武峯山〈武山〉に鎮座していた「武峰神社」を合祀しています

三島神社(南伊豆町青市)

三島神社(みしまじんじゃ)は 上青市の産土神です 静岡縣神社誌などに式内社「竹麻神社 三座」の論社とされています 末社の高根祠はかつて山の上に在ったが 鯉名沖を往来する船が遥拝しないと必ず災いがあったので この里に遷座したとの伝承を持ちます

若宮神社(南伊豆町湊)

若宮神社(わかみやじんじゃ)は 三嶋大神の若宮〈御子神 物忌奈命〉を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社 竹麻神社 三座(たかまの かみのやしろ みくら)〈三嶋大神・后神・御子神〉の一座とされます 伊豆半島から上対馬〈神津島〉を遥拝するように創建されたのが竹麻神社三座の初めとされています

月間神社(南伊豆町手石)

月間神社(つきまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「竹麻神社 三座」の一座とされています 村人の伝えでは 竹麻神社三座の三嶋大神・后神・御子神が神津島から上陸された場所で 更に この地から田方の三島大社に遷座されたと伝承されています

竹麻神社(下田市高馬)

竹麻神社(ちくまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の2つの式内社〈  ①竹麻神社 三座 ➁ 多祁伊志豆伎命神社 〉の論社です ①竹麻の音を「ちくま」or「たかま」と呼称し  ➁ 同様にタケイシズキにも 地名の高馬(たけま)が近く 論社となっているようです

三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 一色村のすぐ隣 蝶野村の三島明神と称されて 『豆州志稿』には 応永18年(1411)の金鼓に 平臣長殿 蝶狩野大知口國吉國重 と鎧す 平臣長殿の守 誤寫(あやまりうつし)か 末社3権 21社なるし伝 と記されています 『延喜式神名帳』所載の 多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)の論社ともされます

瀧山神社(河津町川津筏場)

瀧山神社(たきやまじんじゃ)は 江戸時代 寛政12年(1800)頃は 瀧権現と称され 祠の傍に瀑布があった 棟札に筏場下村の土ノ神と記されています 大永7年(1527)の棟札には 小川村から移された小川三島大明神 元和3年(1617)の棟札には 熊野神社と称され 天神でもあったようで 現在の祭神 伊佐那岐尊とも符合します

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