出雲國風土記神名帳
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穴見神社(雲南市掛合町穴見)
穴見神社(あなみじんじゃ)は 社伝に「須佐之男命(すさのをのみこと)が 須佐の地に坐(まし)まして 后稲田姫命の祖神 大山祇命を この地に鎮斎された」元 須佐神社の摂社であったと伝わり 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 不在神祇官社「穴見社(あなみ)のやしろ」とされます
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日倉神社(雲南市三刀屋町乙加宮)
日倉神社(ひぐらじんじゃ)は 天平時代(729~749)掛合村の日倉山にあったとされ その後 御笠山 鼓ヶ段(つづみだん)に勧請され日倉八幡宮の摂社となる 明治五年(1872)八幡宮と合併し日倉社と改 ...
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田中神社(雲南市三刀屋町古城)
田中神社(たなかじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 不在神祇官社「田中社(たなか)のやしろ」とされます 社伝では「寛永12年(1635)の洪水に流失す。然るに三刀屋川筋を探求し、神門郡日下村にて、神詞に逢ひ人々畏み喜び本所に帰り奉る。社地即ち是なり。」と伝えます
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三屋神社旧跡地〈松本古墳群〉(雲南市三刀屋町給下)
三屋神社旧跡地(みとやじんじゃきゅうせきち)は 飯石郡 神祇官社「御門屋社(みとや)のやしろ」の旧跡地で 現在地より南に300m程 松本古墳群の古墳の上に 社があったと伝ります 当社所蔵の延喜の棟札の裏書きに「大己貴命 天下惣廟神明也云々」とあり 古墳群との関連が示唆されています
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三屋神社(雲南市三刀屋町給下)
三屋神社(みとやじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の御門 すなわち此の処にあり 故に三刀矢(みとや)と云う」とあり 大国主大神が八十神を追い払い 宮居を定め国土経営を始められた所で 飯石郡 神祇官社「御門屋社(みとや)のやしろ」とされます
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厳島神社〈須佐神社の境外摂社〉(出雲市佐田町須佐)
厳島神社(いつくしまじんじゃ)は 須佐神社の境外摂社です 須佐川の西岸に鎮座し大きな磐座が祀られて「洗度社」又は「祓戸社」と称します 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 神祇官社「河邊社(かわべ)のやしろ」の論社の一つです
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竝九神社(雲南市木次町下熊谷)
竝九神社(なみくじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 神祇官社「河邊社(かわべ)のやしろ」の論社の一つとされます ここより斐伊川の上流1.5km程に「御祭神の稲田姫命が 懐妊の時 産湯に使う良い水を探し求められ 河辺社をお産所に定めた」と伝わる井戸の旧跡「熊谷さん」があります
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杉森神社(雲南市吉田町川手)
杉森神社(すぎもりじんじゃ)は ヤマタノオロチが棲んでいた所「天が淵(あまがふち)」の西岸の山に鎮座し 社伝では「御正号 河辺神社 亦伝 高杉大明神」と伝えています 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 神祇官社「河邊社(かわべ)のやしろ」の論社の一つです
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河邊神社(雲南市木次町上熊谷)
河邊神社(かわべじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 神祇官社「河邊社(かわべ)のやしろ」の論社の一つです ご祭神「久志伊奈太美等與麻奴良比賣命(くしいなた みとよまぬらひめのみこと)」が懐妊して 生む場所を求め 当地に至り「甚く久麻久麻しい谷なり」と云ったので この地が熊谷と云うと 記されています
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奈倍山神社(雲南市三刀屋町古城)
奈倍山神社(なべやまじんじゃ)は 古くは 奈倍山(なばいやま)の麓 尾崎の川辺に鎮座し「川辺社(かわべのやしろ)」と称した『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 神祇官社「河邊社(かわべ)のやしろ」の論社の一つです 寛永三年(1626)洪水により山嶺に遷座するも 風災多く 寛延三年(1750)山頂下の現在地に遷座しました
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深野神社(雲南市吉田町深野)
深野神社(ふかのじんじゃ)は 古記録焼失して 由緒創立年代は不詳ですが 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 不在神祇官社「深野社(ふかぬ)のやしろ」とされます 江戸時代には「山王社」と呼ばれ 明治期には近郊の神社を数多く合祀しています
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井草神社(雲南市三刀屋町伊萓)
井草神社(いがやじんじゃ)は 伊萱(いがや)地区の杵瀬大明神(井草社)と市森大明神(毛利社)の2社が 元禄12年(1699)に現在地に遷座して一社として合祀されたもので 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 不在神祇官社「井草社(いがや)のやしろ」と「毛利社(もり)のやしろ」とされます
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狹長神社(雲南市掛合町掛合)
狭長神社(さながじんじゃ)は 飯石郡 不在神祇官社「狹長社(さなか)のやしろ」とされます 古くは 烏帽子岩の上に鎮座していたと伝わり 勝手大明神(かってだいみょうじん)と呼ばれていました 現在の狭長神社はもともと稲荷があったところに多くの神様が合併しています
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上神社(雲南市吉田町上山)
上神社(うえじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 不在神祇官社「上社(うへ)のやしろ」とされます 中古には 八組大明神(やくみだいみょうじん)と称されて 相殿には 上山に鎮座する「牛頭天王」と「八幡宮」と「吉備津明神(きびつみょうじん)」を祀ります
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粟谷神社(雲南市三刀屋町粟谷)
粟谷神社(あわたにじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 不在神祇官社「粟谷社(あわたに)のやしろ」とされます 第10代 崇神天皇の時 出雲振根(イズモノフルネ)を武力制圧した大和朝廷の司令長官 吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀る神社です
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多根神社(雲南市掛合町多根)
多根神社(たねじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』飯石郡 多禰郷(たねのさと)に 所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)大穴持命(おほなもちのみこと)と 須久奈比古奈命(すくなひこなのみこと)天下を巡り行きし時 稲種(いなだね)をここに随(のこ)す 故に種(たね)という とあります
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加多神社(雲南市大東町大東)
加多神社(かたじんじゃ)は 社伝によれば「御祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)〈大国主命と国造りをなされた神〉は 此の地を根拠地として農耕医療等を教導された」とあります 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「加多社(かた)のやしろ」とされます
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小田神社(出雲市多伎町小田)
小田神社(おだじんじゃ)は 現在地の西方海上にあった「鵜鵜島(うのしま)」に鎮座しましたが 寛永五年(1628)現今の尾山(おやま)の地に遷座して 今日に至ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の神門郡 不在神祇官社「小田社(をだ)のやしろ」とされます
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雲根神社(出雲市大津町)
雲根神社(くもねじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の神門郡 不在神祇官社「鹽夜社(やむや)のやしろ」と『延喜式神名帳927 AD.』神門郡「神産魂命子午日命神社」の論社となっていて 風土記の頃(733年)には神祇官社ではなく 後に官社となったと考えられています
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岩坪明神(出雲市東神西町)〈奈賣佐社の旧鎮座地〉
岩坪明神(いわつぼみょうじん)は 『出雲國風土記733 AD.』神門郡 神祇官社に 二つある「奈賣佐社(なめさ)のやしろ」の一つで 大国主命と須佐之男命の御子で この里の岩坪で生誕せられたという須勢理姫(すせりひめ)命を娶り 通(かよ)い坐(まし)ました所とされます