出雲國風土記神名帳

置谷神社(雲南市大東町大ケ谷)

置谷神社(おきたにじんじゃ)は 古伝に 八岐大蛇(やまたのおろち)の生息した丘谷〈現 大ケ谷(おほがたに)〉に鎮座したとされ 瑞離大明神(いがきだいみょうじん)と呼ばれていました 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「置谷社(おきたに)のやしろ」とされます

田原神社(松江市奥谷町)

田原神社(たわらじんじゃ)は 御本殿が東殿と西殿の両殿あり 東殿は『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「田原社(たはら)のやしろ」が田原谷から遷座したとされ 西殿は もと亀田山〈松江城〉に鎮座の三所荒神がお祀りされています

須賀神社(松江市春日町)

須賀神社(すがじんじゃ)は 合殿に祀られる〈合祀〉本宮神社(元 田原谷鎮座)〈旧称 田原神社(春日神社)〉が『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「田原社(たはら)のやしろ」の論社とされています 当地を春日と呼ぶのはすなわち この神 坐(ましま)す故と伝わります

加茂神社(雲南市加茂町加茂中)&境内社 上賀茂神社

加茂神社(かもじんじゃ)&境内社 上賀茂大明神(かみがもだいみょうじん)は どちらも御祭神に出雲の神を祀る古社です 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社の条に「矢代社」「屋代社」と「(やしろ)のやしろ」が 二つありますが それぞれの論社となっています

舩林神社・貴船神社(雲南市加茂町南加茂)

舩林神社・貴船神社(ふなばやしじんじゃ・きふねじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「船林社(ふなはやし)のやしろ」の論社です 拝殿の扁額には「貴舩神社」と記されています

多倍神社(出雲市佐田町反邊)

多倍神社(たべじんじゃ)は 須佐之男命が 八岐大蛇(やまたのおろち)を斬り玉ふた剱の御神霊を祀るとあり 又 命が鬼の大将を退治し その首を埋めその蓋になさった「首岩」が祀られています 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 神祇官社「多倍社(たべ)のやしろ」の論社です

仰支斯里神社(奥出雲町八代)

仰支斯里神社(かみきりじんじゃ)は 神職伝によれば 御神体は素戔嗚尊(すさのをのみこと)の「遺髪三筋」 故に 髪切(かみきり)と称す とあります 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「仰支斯里社(かみきり)のやしろ」とされます

神原神社(雲南市加茂町神原)

神原神社(かんばらじんじゃ)は かつて 古墳〈神話時代の出雲王と思われる人物の竪穴式石室〉の上に本殿が鎮座していました 『出雲國風土記733 AD.』には 神原について 所造天下大神〈大国主命〉が 神御財(かみのみたから)を積み置き給う所 と記しています 大原郡 神祇官社「神原社(かんばら)のやしろ」とされます 

八口神社(雲南市加茂町神原)

八口神社(やぐちじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「矢口社(やくち)のやしろ」とされます 伝承によれば 八塩折りの酒に酔い草枕(くさまくら)山に伏せっている八岐大蛇(やまたのおろち)を 須佐之男命が この地から矢で仕留めたと伝わります

須我神社(雲南市大東町須賀)

須我神社(すがじんじゃ)は 八岐遠呂智を退治された須佐之男命が「この地に来て 私の心はすがすがしい」とおっしゃって 須賀の宮をお造りになられた〈『古事記712AD.』に所載〉と伝わり 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「須我社(すが)のやしろ」とされます

山王神社(出雲市大社町杵築東)

山王神社(さんのうじんじゃ)は 出雲大社 北島國造館の艮(うしとら/北東)の方角に鎮まり 鬼門を守護すると伝えられる社です 大地の守り神である大地主之命(おおとこぬしのかみ)がお祀りされていると言われ 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「山邊社(やまべ)のやしろ 同社 おなじきやしろ」の論社です

等等呂吉神社(雲南市大東町篠淵)

等等呂吉神社(とどろきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡  不在神祇官社「等々呂吉社(とどろき)のやしろ」の論社とされます 社記に「出雲風土記に掲載されており 歴史は古い 川のとどろきの音から龍王神も祭る」とあります

鏡神社(雲南市大東町新庄)

鏡神社(かがみじんじゃ)は 社記に 当地住人の福間重賢が鑪(タタラ)事業で成功し櫨場の守護神として鏡作社(石凝姥尊)を勧請し祀っていたが土地の産土 比和社へ合祀せんと(独力で)再建御造営して社号を鏡宮大明神と改めたとあり『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「比和社(ひわ)のやしろ」の論社の一つです

比和神社(雲南市加茂町砂子原)

比和神社(ひわじんじゃ)は 古老の伝によれば 大穴牟遅命が各地を巡られる途中 この地において猪を追い打ちになる時 猿田彦命がこれを導かれ 当社に祭神として祀られたという『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「比和社(ひわ)のやしろ」の論社です

除川神社(雲南市大東町遠所)

除川神社(よけがわじんじゃ)は 『出雲国風土記考』(弘化3年(1846年)頃)に「遠所(えんじょ)の高木(たかき)大明神」と記され 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「除川社(よけがは)のやしろ」の論社の一つとされます

除川神社 & 與都彦命神社(雲南市大東町小河内)

除川神社(よけがわじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「除川社(よけがは)のやしろ」の論社とされます 與都彦命神社(よとひこのみことじんじゃ)は 『日本文徳天皇実録879 AD.』の仁壽(にんじゅ)元年(851)九月の条に神階の奉授が記されている古社です

日御崎神社(雲南市木次町平田)

日御崎神社(ひのみさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「石壺社(いわつぼ)のやしろ」の論社です 当社はもと石壱社日御碕神社と称し 明治四十年十月三日・籠守神社・海野神社・鑪原神社を合祀して 現在に至ります

大原神社(奥出雲町上阿井)

大原神社(おおはらじんじゃ)は 第13代 成務天皇 五年(135)創建 雲崎に鎮座と伝わり その後 和銅二年(709)神田へ 万治三年(1660)更に現今の地に遷座しました 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「大原社(おおはら)のやしろ」の論社です

比太神社(安来市広瀬町西比田)

比太神社(ひだじんじゃ)は 古代 大和朝廷の命を受けた吉備族が 出雲平定 と 良質な和鉄を求めて進軍した時に 建立されたと伝わり 社殿が北向きなのは出雲に対峙していたからとも言われています 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「比太社(ひた)のやしろ」とされます

湯野神社(奥出雲町亀嵩)& 玉作神社〈境内社〉

湯野神社(ゆのじんじゃ)& 玉作神社〈たまつくりじんじゃ〉は 『出雲國風土記733 AD.』所載の仁多郡 不在神祇官社「湯野社(ゆぬ)のやしろ」「玉作社(たまつくり)のやしろ」です 玉作社は もとは玉峰山の山上に鎮座しましたが 今は 湯野神社の境内に祀られています

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