延喜式神名帳

島大國魂神社(対馬 豊 白水山)〈旧 鎮座地〉

島大國魂神社は かつて 上対馬 豊(豊漁港)の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していました〈旧 鎮座地〉 この白水山に続く海岸沿いは 不通浜(トオラズガハマ)と呼ばれて 神聖ゆえに近づくことすら許されず 禁足地としての掟が厳しく 立ち入ると大風が吹く 腹痛に見舞われる 災害が起きる さらに 白水山には老人が住んでおり そこで見聞きしたことを他言すると死んでしまう という伝承もあります 決して近づいてはならない神域です 下の写真は望遠にて撮影

和多都美神社〈鷄知住吉神社 境内脇宮〉

和多都美神社(鷄知)は 鷄知住吉神社の本殿の脇に鎮座する境内社です 但し 住吉神社の本殿に祀られる御祭神を考慮すると 本来は 住吉神の・上箇之男命・中箇之男命・底箇之男命「墨江之三前大神」の筈ですが 和多都美神の系統である・鵜葺草葺不合尊・豊玉姫命・玉依姫命が 本殿に祀られていて 脇宮と本殿が入れ替わったのではないかとの説もあります

行相神社(対馬 田)

行相神社(ゆきあいじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 行相神社(ゆきあいの かみのやしろ)」の論社とされています 鎮座地は 豊玉町 田ですが この地は もともと 寛元4年(1246)以前は 上県郡に属していたとしています

小牧宿禰神社(対馬 三根)

小牧宿禰神社(おひらすくねじんじゃ)は 現在の御祭神を天菩比命(アメノホヒノミコト)の御子神「建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)」であるとしています  一方 社号とされている神号「小牧宿禰命(ヲヒラスクネノミコト)」は 六国史『日本三代実録 901年成立』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に「小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)」とあり『延喜式神名帳』(927年12月編纂)には「小枚宿祢命神社(をひらすくねのみことの かみのやしろ)」と所載されています こちらが本来の神であろうとされています

伊奈久比神社(対馬 伊奈)

伊奈久比神社(いなくひじんじゃ)は 由緒書きには 白鶴が 伊奈の原に 稲穂を落とし その所を穂流川と云う 里人がその穂を取り 榎田に植えて 御食(ミケ)として神田(カンダ)としたのが 対馬の稲作の起りで それで「伊奈(イナ)」という地名となった「穂落し神」として「大歳神」を祀ると伝わります

那須加美乃金子神社(対馬 小鹿)

那須加美乃金子神社(なすかみのかねこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社です 由緒書きには「素戔嗚尊 五十猛命を卒い〈引き連れて〉八十木種〈沢山の木の種〉を持ち 韓国 曽尸茂利(ソシモリ)の地に往(ユ)き その地には植えさせたまはずに この山に植えたまう」と『日本書紀』にある 素戔嗚尊の伝承の発祥地ではないかと思う程 とても似ている伝承を持ちます

天神神社(対馬 佐護北里)

天神神社(てんじんじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「對馬嶋上縣郡 天神多久頭多麻命神社(あめのかみたくつまのみことの かみのやしろ)」の論社です もともと天神(あめのかみ)と称する祭祀所であったとされます

春日大明神(対馬 佐護東里)

春日神社(かすがじんじゃ)は 佐護郷6ヶ村〈恵古 深山 仁田ノ内 井口 友谷 湊〉の深山に鎮座します 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 天諸羽命神社(あまのもろはのみことの かみのやしろ)」の論社です 深山では「春日大明神(かすがだいみょうじん)」と呼ばれ 深山村落の鎮守のようです

天諸羽神社(対馬 佐護深山)

天諸羽神社(あめのもろはじんじゃ)は 佐護郷6ヶ村〈恵古 深山 仁田ノ内 井口 友谷 湊〉の深山に鎮座します 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 天諸羽命神社(あまのもろはのみことの かみのやしろ)」の論社との説もあり かつては「つのかみ明神」と呼ばれました 深山村落の裏山〈中々わかりにくい所〉に鎮座しています

天諸羽神社(対馬 佐護恵古)

天諸羽神社(あめのもろはじんじゃ)は 佐護郷6ヶ村〈恵古 深山 仁田ノ内 井口 友谷 湊〉の中心であった恵古に鎮座します 藩政時代には 島主の宗家は 対馬の吉凶を 亀卜(キボク)や太占(フトマニ)により占わせたと伝わり 豆酘〈下縣〉と佐護〈上縣〉の地では〈明治4年(1871)の廃藩までは〉毎年旧暦の正月3日に 亀卜神事が執り行われていたようです

島御子神社(対馬 曽)

島御子神社(しまみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳〈927年〉』所載の「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神御子神社」の論社ともなっています 六国史の記録としては『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に「嶋御子神(シマミコノカミ)従5位上」と 對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに記されていて 対馬でも有数の由緒を持つ古社です

那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉

那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉は もともとは 豊(トヨ)の村人たちが 豊漁港の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していた「島大国魂(シマオオクニタマ)神社の遥拝所」としていた処であったとされます ここに 旧 藩政時代 国主により「那祖師(ナソシ)神社」が建立されます やがて 島大国魂神社と 北東にあるナンガ浦〈豊と泉の中間辺り〉に鎮座する若宮(ワカミヤ)神社も合わせ 豊(トヨ)に鎮座する3社が合祀されて 現在に至ります

元嶋神社(対馬 唐洲)

元嶋神社(もとしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 大嶋神社(おほしまの かみのやしろ)」の論社です 写本によっては「大嶋(オホシマ)」が「本島(モトシマ)」と書かれている場合があり ここから当社が論社となっています

國本神社(対馬 瀬田)

国本神社(くにもとじんじゃ)は まさしく神社名に相応しい 対馬の国本の神を祀る古社です 六国史『日本三代実録』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条には「国本神(クニモトノカミ)」として記されています 御祭神は『古事記』によれば 日本創成を語る「国生みの段」に 6番目に津島〈対馬〉が生まれていて その別名を「天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)」であると記されています この神が対馬国の大本であるとわかります 

厳原八幡宮神社(対馬 厳原)

厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)は 文明8年(1476)の棟札に「当社は 雍州 男山八幡宮の原廟と記す」とあり 八幡信仰の中心 京都 男山の「石清水八幡宮の起源」とも云われ 社伝には 神功皇后(ジングウコウゴウ)〈第14代 仲哀天皇の皇后〉が  三韓征伐からの凱還の時 対馬の清水山に行幸し 神霊の止まるべき山であるとして 山頂に神鏡と幣帛を置き 天神地祇(テンジンチギ)を祀り 磐境(イワサカ)を設けた その後 第40代 天武天皇の勅命(677)により 清水山の麓に社殿を造営 5柱の神を祀り 八幡宮と称したと伝

海神神社(対馬 木坂)

海神神社(かいじんじんじゃ)は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして「八幡信仰の源流」とされ 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬国一之宮であり 由緒正しき古社です

宇倍神社(鳥取市国府町宮下)〈因幡国一之宮〉

宇倍神社(うべじんじゃ)は 因幡国一之宮です 鎮座する稲葉山(イナバヤマ)の麓一帯は・奈良・平安・鎌倉時代を通し因幡国府があり 政治経済・文化の中心地であり 大和朝廷が『名神祭』〈国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀〉を司る名神大社です

嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)

嶋大國魂御子神社(しまおおくにたまみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神御子神社」の有力な論社とされています 参道には 天然記念物であるムクロジと大杉の立派な御神木があります

〈知知夫國新一之宮〉秩父神社(秩父市番場町)

秩父神社(ちちぶじんじゃ)は 秩父の武甲山(ブコウサン)を神奈備の山として遥拝する聖地で 第10代 崇神(スジン)天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命で 初代 知知夫国造(ちちぶくにのみやつこ)に任命された 八意思兼命の十世の子孫「知知夫彦(チチブヒコ)命」が 大神をお祀りしたのが創建と伝わります 武蔵国(むさしのくに)成立以前から栄えていた 知知夫国(ちちぶのくに)の総鎮守として 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 関東でも屈指の古社に数えられています

乙和多都美神社(対馬 久和)

乙和多都美神社(おとわたつみじんじゃ)は 下縣で 唯一のワタツミの社号を伝へた神社である とされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 下縣郡 和多都美神社 名神大」の論社として 厳原八幡宮神社と並んで論社ですが どちらも「名神大 和多都美神」となる決め手と証がありません

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