莫越山神社(南房総市宮下)

莫越山神社は ご神体山莫越山の麓遥拝所として造営され 往古境内は広大 神殿は壮麗でしたが 中世を経て荒廃したと社伝は云い 古代の祭祀遺跡が周辺に点在し 古くから信仰があることがわかります 式内社の論社としては ここ宮下と沓見の2社が挙げられます

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

莫越山神社(Nakoshiyama Shrine)
(なこしやまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

中森明神(なかもりみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

千葉県南房総市宮下27

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》手置帆負命Tawokihohi no mikoto)
   彦狭知命Hikosachi no mikoto)
《配》御民命(Otami no mikoto)
   御道命(Omichi no mikoto)
 ※武具(盾)・祭具・建築の工匠の神

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

莫越山神社 御神像・朱印状
平成441日 南房総市指定文化財

由緒
社記に「莫越山神社は、養老2年(718)神体山の麓(ふもと)である現在地に遥拝所(ようはいじょ)として造営されたもので、延喜式(えんぎしき)神名帳所載の神社(式内社)安房国六座中の一である。」と記され、古くから多くの信仰を集め、とくに工匠の祖神としてあがめられ、この地域の中心的神社として今日に至っている。

○木造 御神像 二躯
 二神像ともに衣冠を着用し、拱手(きょうしゅ)して立ち、二柱の御祭神 手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の像として崇拝されて来た。
 両像ともに檜(ひのき)の一木造りで、全体的に簡略化が進んでいるところから、南北朝中期(14世紀中頃から末頃)の作と推定される。
  像高  肘張  胸奥  総高
(1)46.0cm 16.4cm 10.0cm 48.0cm
(2)45.4cm 14.4cm  7.9cm 47.5cm

○里見義康 朱印状 附曼荼羅(つけたりまんだら)(和紙)
 天正19辛卯の年(1591)安房国主 里見義康は、領内の社寺や家臣・職人等に対し、朱印状をもって土地の寄進や知行地の宛行(あてがい)を行ったが、これは当時の莫越山神社の神職にあてられたものと推定される。
 日付けは「辛卯726日」、宛所は「岩波弾正(いわなみだんじょう)かたへ」となっている。

朱印状 16.6cm 45.7cm
龍朱印 5.75cm角の方印
    龍図を含めて 縦9.1cm
曼荼羅 8.2cm 横約836cm

南房総市 南房総市教育委員会 莫越山神社

境内案内板より

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【由  (History)】

由緒

当社は、天正天皇 養老2年(718)、勅願所にかかり地を賜る。
神武天皇 辛酉 元年、天富命は 阿波の忌部を率いて、当国に下り給う。
この時 小民命、御道命の請により その祖 手置帆負命、彦狭知命を祭祀し、延喜式に載する 安房六座中 小四座の一なり。
古語拾遺に曰く 天照大神、高皇産霊尊が 天児屋根命、天太玉命に勅令して、番匠諸職の神々を天降された時に この手置帆負命、彦狭知命を 棟梁の神とされもろもろの工匠を率いて、日向国 高千穂 櫛触の峰に行宮を造り、天孫(迩迩芸命)の皇居を定めた。
さらに 神武天皇が大和国内を平定して 橿原を都と定めた時、天富命が 手置帆負命、彦狭知命二神の裔の一族を率い、紀伊国 名草郡 御木、あらか郡より斎斧斎鋤を以て 始めて山の材を伐りて 宮城の正殿を造り、これがわが国建築のはじめとされる。
更に 神武天皇の命により 四国の阿波に赴き 麻殻を殖培し、のち 天富命は 更に肥沃な土地を求め、阿波忌部氏を率いて 舟で東方に向かい 今の房総半島に上陸し、水利と渡度、狐座、御木の三官有林を中心とした 豊かな山林に恵まれたこの地を開拓し 故国の地名より安房と称し 定住し、それまで 土着の民の祀っていた神体山の渡度山(莫越の山)に祖神を祀り、また付近に 莫越山神社を中心として、古墳時代 後期には 神祭が盛んに行われていたことを物語る東畑遺跡、石神畑遺跡、六角堂遺跡などが発掘されている。

社殿は、はじめ遥拝所として造られ、後世、里宮が建てられるまで 山そのものを御神体として拝祀し、万寿2年に再建され、さらに治承年中 修造、天正7年、社殿修造 莫越山神社と奥の院、渡度神社 修造の棟札もみられ、寛文9年再造、元禄16年、大地震により社殿倒壊を受け、寳永4年、時の領主 酒井氏再建 のち関東大震災により社殿倒壊をうけ、氏子はもとより遠く県外よりも多くの浄財がよせられ、昭和2年、現社殿が再建された。

古く地名に 斎部屋敷、幣造谷、番匠屋敷、禰宜屋敷、御木舞原、神火屋敷、尋岡、馬洗場都々井、神花屋敷、莫越澤などの地名も使われていた。
又、往古 宮下を北限とした条理制遺構が 字中之坪、字榎坪、字上8反目などの地割が丸山川流域 平野の奥に広がり 式内社 莫越山神社の存在を見るうえでの背景の一といえる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

八雲神社《主》須佐之男命
山神社《主》大山祇命

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)安房国 6座(大2座・小4座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝夷郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 莫越山神社
[ふ り が な ]なこしのやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nakoshinoyama no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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式内社「莫越山神社」 もう一つの論社

・莫越山神社(南房総市沓見)

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

安房の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國の6座(大2座・小4座)の神社のことです

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

南三原駅からR128号を西へR410号を北上 約7.7km 車10分程度
R410号の曲がり角に案内の石碑「莫越山神社入口」が置かれています

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田園の中に 鎮守の杜があり 背後に神体山莫越山が見えます

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白い御影石社号標には「莫越山神社」と刻まれています
莫越山神社(Nakoshiyama Shrine)に参着

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一礼して 鳥居をくぐります 鳥居の参道の先には社殿が建ち その背後に莫越山あります

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参道横の田に 無農薬なのでしょう 田中に 鷺がいました

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社務所があり 宮下集会所を兼用しています 里の人々の寄合所として 本来の機能を維持している様子で 安心します

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手前に手水舎が建ち 社地一段高くなっていて 鳥居 狛犬構え 木々中に社殿が建っています

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一礼をしてから鳥居をくぐり
拝殿にすすみます 

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扁額には「安房六座中 莫越山神社」と式内社を謳っています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内社お詣りをします
天保十三年(1842)壬寅二月永代護摩壇道具寄進碑」があります
寄進者は名主等60余名(各金一分寄進) 奉納金額合計金額18両3分と名前が刻まれています

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社殿の奥 木々の間からは 莫越山覗けます 沓見村の莫越山神社を里宮と見て こちら宮下を本社〈遥拝所〉とする説にも頷けてしまう感があります

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田中の参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『万葉集(Manyo shu)』〈7世紀前半~759年頃〉に詠まれる歌

莫越山について 詠われているとも 莫越山は不明であるとも云われます

【意訳】

第10巻 詠鳥 1822番

我が背子を越えるなという莫越の山の呼子鳥よ 君を呼び返せよ 夜が更けないうちに

訓読 我が背子を莫越の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

『新撰姓氏録(Shinsen Shoji roku)』〈815年(弘仁6年)〉にある大彦命の男子 彦背立大稲輿命が関係するかもしれないと 記しています

【意訳】

莫越山(ナコシノヤマノ)神社

姓氏 大彦命 男 彦背立大稲輿命
〇按 莫越 稲輿歟

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

沓見村の莫越山神社を論社と 記しています

【意訳】

莫越山神社

莫越山は 奈古志夜萬と訓ずべし
〇祭神 手置帆負命 彦狭知命 地名記
〇沓見村に在す 地名記

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社の所在は 沓見としていますが 一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へ」と宮下村についても触れています

【意訳】

莫越山神社

祭神 手置帆負命 彦狭知命

祭日 8月1415
社格 郷社
所在 沓見村 字 神梅 莫越山(安房郡豊田村大字沓見)

今按〈今考えるに〉
一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へど 確証あるにあれねば 今姑之に従う

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

沓見村の郷社 莫越山神社紹介しています 又 式内社の所在として「一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へ」と宮下村についても触れています

【意訳】

千葉縣 安房安房郡豊田大字沓見

郷社 莫越山神社

祭神 手置帆負タヲキホオヒノ 彦狭知ヒコサチノ

相殿 彦火々出見(ヒコホホデミマ)尊 豊玉姫(トヨタマヒメノ)尊
   鸕鷀草葺不合(ウカヤフキアヘズノ)

安房國志に云く 式内 朝夷郡 莫越山神社は 沓見村の南字神梅に在りと云う 祭神 手置帆負タヲキホオヒノ 彦狭知ヒコサチノの孫 小民命 並びに御道命 
神武天皇 元年 天富命に従いて この地に来り 麻穀を植えて開拓せらるたるが 当時 天富命 祖神 太玉命を大神宮村に祀るに及び 小民命 御道命 又 其の手置帆負タヲキホオヒノ 彦狭知ヒコサチノ莫越山鎮祭せらる これ当社の創建なり
相殿三神は 元正天皇 養老2年5月の勧請なりと 延喜の制 小社に列せられ 当国6座の1に坐ます
元と数郷の鎮守たりしが 中世乱離 今は沓見一ヶ村の氏神たり 然りと雖(イエド)も 祭神 工匠の祖神に坐すを以って 遠近の工匠 来奉する者 尠(スクナ)からず
当社社領は 古来 神地神戸 若干を有せしが 高倉天皇 治承年間 源頼朝 祈願の事あり 神鏡 及び 神田弐拾町を寄奉りて社殿を造営せり 後ち兵乱の為め暫く衰運に向かいしと雖も 尚 社領30石を有せられしに 増田長盛 検地の際 悉く没せられしが 中御門天皇 享保9年 社殿造営の際 主神二座を一殿として本宮と称し 相殿三座を一殿として新宮と称す 仁孝天皇 天保年間更に二殿を一殿とせり
明治6年9月 郷社に列す

社殿は 本殿 拝殿 幣殿 その他 神饌所 社務所等あり 明治13年功を起こし 同19年11月 遷宮の式を挙ぐ 境内は1272坪

莫越山に在り この山 古来著名にして 万葉集60
吾瀬子乎 莫越山能 喚子鳥 君喚變瀬 夜之不深刀尓
と詠せるは この山なり

特選神名帳に云う
今按〈今考えるに〉
一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へど 確証あるにあれねば 今姑之に従う

と 又 大日本國誌 この事を云う 記して後考えを俟つ

境内社
若宮神社 稲荷神社 白鳥神社 白山神社 八雲神社 山祇神社 宗像神社 琴比羅神社 猿田神社 石神社

例祭日 11月3日

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

『千葉県安房郡誌(Chibaken Awa Gun Shi)』〈大正15年(1926)著〉に記される伝承

鎮座地の宮下と云う地名からも 往古の名社どあると知るべきと記しています

【意訳】

莫越山神社

丸村宮下に在り。元正天皇 養老二年 勅願所にかかる。
手置帆負命・天彦狭知命を奉祀せし古社なり。
社字を擁して老松喬杉亭々轟々、自ら神徳の高きを仰ぐべし。

社記に曰ふ、萬壽2 宮殿を再建し、天正7巳卯3月宮殿を修造し、寛文9年己酉6月再び造営。元禄1611 大地震のため祠 悉く破壊す。寶永410 領主 酒井玄蕃頭 資財を投じて之を建つ。
寶蔵に扁額一面あり。中に安房六座中莫越山神社、東都興元祥謹書とあり。
或は 錦断片或は 瓦器木椀古色愛すべし。又 輓近傍地を発掘して獲る物、幾ど石剣に類せりといふ。且つ 此の地を称して 宮下と云ふを見ても 往古の名社たりしを知るべし。

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『千葉県安房郡誌』大正15年(1926)著者 千葉県安房郡教育会 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980721映像利用『千葉県安房郡誌』

莫越山神社(Nakoshiyama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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