久保島大神社(熊谷市久保島)

久保島大神社(くぼじまだいじんじゃ)は 明治42年(1909)政令により『一村一社』とする為 久保島村にあった 二柱神社 及び 神明社をはじめとする無格社7社をそれらの境内社共に 村で規模が最も大きい 山神社 に合祀して 山神社を村社に昇格の上 改称して 久保島大神社が誕生しました この山神社は 式内社の参考論社でもあります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

久保島大神社(Kubojima Dai Shrine)
(くぼじまだいじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

山の神様(やまのかみさま)

【鎮座地 (Location) 

埼玉県熊谷市久保島471

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大山祇神(Oyamatsumi no kami)
   伊弉諾命(Izanagi no mikoto)
   伊弉冉命(Izanami no mikoto)
   素盞嗚神(Susanwo no kami)

《配》橘姫命,倉稲魂命,建御名方命,誉田別命,大日孁貴尊,大雷神,軻遇突智命,天手長男神

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社〈参考〉

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

久保島大神社 熊谷市久保島四七一(久保島 字 山神)


かつて、熊谷市近辺には八島八河原といって、「島」と「河原」の字のつく地名が8か所ずつあった。
当社の鎮座する久保島もその一つで、江戸時代までは窪島とも書かれ、古くは東西2村に分かれていたという。(久保島を東西2村に数えなければ「八島」にならない)

『風土記稿』久保島村の項に、
「村の鎮守」として、山神社と神明社の二社が挙げられているのも、このように村が東西に分かれていたころの名残で、観照院が別当を務める山神社は西久保島の鎮守、大光院が別当を務める神明社は東久保島の鎮守であった。

このうち、山神社については『延喜式』に見える楡山神社であるとの伝え(『風土記稿』はこれを疑問視し、「楡山神社は原ノ郷にある熊野社ならん」としている)もあり、延享3年(1746)には極位を受け、正一位 山神大権現と称した。なお、この時の宗源祝詞には、瓜と夕顔の種を播くことの許しを乞う一節が見え、興味深い。

明治に入ると、どんな理由からか、地内にあった尊乗院持ちの聖天社が二柱神社と改称して村社になり、山神社・神明社は共に無格社にとどまった。
しかし、明治42年、政令により、一村社とすべく、無格社ながら規模が最も大きい山神社に、二柱神社及び神明社をはじめとする無格社7社をそれらの境内社と共に合祀し、山神社を村社に昇格の上、改称して、ここに久保島大神社が誕生したのである。

『埼玉の神社』より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)播羅郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 楡山神社
[ふ り が な ]にれやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nireyama no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
武蔵國 播羅郡 榆山神社」の論社について

『特選神名牒』『神社覈録』『武蔵国式内四十四座神社命附』などは いずれも楡山神社(深谷市原郷)を式内社としています
なお『式社考』が 妻沼の聖天社を『巡礼旧神詞記』が久保島村の山神大権現を それぞれ式内社楡山神社としています

・楡山神社(深谷市)

・久保島大神社(熊谷市)

・大我井神社(妻沼)

・妻沼聖天山歓喜院(妻沼)〈大我井神社の旧 鎮座地〉

スポンサーリンク

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

籠原駅から 南東方向へ約2.5km 車6分ほど

社頭に 社号標が「村社 久保島大神社」と立ちます
石灯籠先に コンクリート製の鳥居と朱色の木製鳥居が連なっています
久保島大神社(Kubojima Dai Shrine)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして 連なる鳥居をくぐります
どちらの鳥居扁額も「久保島大神社」と記されています
朱色の木製の両部鳥居は 礼儀を知らない者でも 自然と頭を垂れてくぐるように 注連縄が低く掛けられています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居の横には案内立札があります

久保島大神社鳥居の由来

所在地 熊谷市久保島4712

平成1612月解体した際に、柱のほぞから願主(がんしゅ)と大工(だいく)の名前とともに、嘉永(かえい)2己酉年(つちのととり)18494月吉日の建立を示す墨書(ぼくしょ)が発見されました。
 建立(こんりゅう)以来156年ぶりに立て替えられた鳥居は、明神(みょうじん)鳥居の中でも両部(りょうぶ)鳥居と呼ばれ、笠木(かさぎ)が反り返っている曲線構造(きょくせんこうぞう)です。柱は転(ころ)びと言われ少し斜めになっており、補助の控柱で支えているのが特徴です。
 世界遺産で知られる厳島神社の鳥居と同じ型で、熊谷市内でも木造鳥居として極めて重要です。
平成17415

境内案内立札より

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます 中々見事な龍の彫刻があります

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

参道を戻ると 伊勢参宮記念の碑が立っています 
鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社の論社の所在として 妻沼の聖天宮 もしくは 幡羅村にあると記しています

【意訳】

楡山(ニレヤマ)神社

字鏡 
式考 女沼村 聖天宮 サルタヒコ 御朱印 50石 或いは云う 幡羅村

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』〈文政13年(1830)完成〉 に記される伝承

山神社と呼ばれている 延喜式内社の楡山神社との説もあるが 疑わしい 式内社は 原ノ郷の熊野社〈現 楡山神社〉であると記しています

【意訳】

巻之228 幡羅郡之2 久保島村 の条

山神社

村の鎮守なり 當社は 延喜式内 楡山神社なりなどいへと 疑ふ
楡山神社は 原ノ郷にある熊野社ならん それ見るべし

別當観照院 天台宗 埼玉郡上中條村 常光院末光明阿彌陀寺と號す 開山榮順 正保310月寂せり 本尊阿彌陀

神明社 是も村の鎮守なり。別當大光寺。同末(天台宗、埼玉郡上中條村常光院末)、明珠山願成院と號す、開山秀海寂年を傳へず、本尊薬師。
諏訪社二宇吾妻社大天白社稲荷社二宇蔵殿社 以上七社観照院持八幡社 大光院持聖天社愛宕社稲荷社 以上三社尊乗院持

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『新編武蔵風土記稿』 著者:間宮士信[数量]265巻80冊[書誌事項]活版 ,明治17年 , 内務省地理局[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

Please do not reproduce without prior permission.

『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

式内社の論社の所在として 幡羅村の原郷八日町に在るとしながらも 妻沼の聖天宮との説も記しています

【意訳】

楡山神社

楡山は 爾禮夜萬と訓ずべし 和名鈔・草木部 楡・夜仁禮 新撰字鏡 木部 楡

〇祭神 伊弉冉尊 地名記
〇原郷八日町に座椅子地名記

式社考に 女沼村 聖天宮 祭神 猿田彦大神と云えり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社の論社の所在として 幡羅村の原郷に在ると記しています

【意訳】

楡山神社 称 熊野神

社格 郷社
所在 原郷羅(大里郡幡羅村 大字 原郷)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

江戸期までは 熊野社と称していた 式内社の論社の所在として 幡羅村の原郷八日町に在るとしながらも 妻沼の聖天宮との説も記しています
大正12(1923)には 縣社に昇格しています

【意訳】

埼玉県 武蔵國 大里郡幡羅村大字原郷

郷社 楡山(ニレヤマノ)神社

祭神 伊邪那美(イザナミノ)

本社は 元と熊野社と称す 創立年代詳らかならず
但し 延喜式内社 楡山神社なりと
新編武蔵風土記に云く
「この社を 土人 楡山神と唱え 郡の惣鎮守なり 社地は松杉繁茂せる内に 楡の木あり 又 社の南に続き 二段計の御林にも 楡の古木多く その内 周径1状56尺に及ぶあり 社地の様いと旧ければ 土人の唱える如くにて 延喜式神名帳に載る所の楡山神社なりや 外に據はなし」と見えり

郷名 幡羅 及び 原 は社名 楡より出づと
楡山神社の所在に就いては 学者各見る所ありて 説を異にせるが如し
式社考は 女沼村 聖天宮を以ってこれに擬し
神社覈録 及び 特選神名牒 当社を以って 楡山神社とせり

明治5年 郷社に列す
本殿は 拝殿 神門 社務所等にして 境内は2505坪あり

境内神社
八阪神社 天満天神社 金刀比羅神社 怡母神社
伊奈利神社 手長神社 大物主神社 塞神社

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

久保島大神社(Kubojima Dai Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る       

 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.