莫越山神社(南房総市沓見)

莫越山神社(なこしやまじんじゃ)は 社伝に神武天皇元年 天富命が 阿波の忌部の諸氏を率いて安房に開拓の為 移り住んだ時 安房の東方の開拓した 天富命の孫 小民命(おたみのみこと)その 御道命(みのみこと)が 莫越山に手置帆負命を祀り 彦狭知命を合祀したと伝わります 式内社の論社としては ここ沓見と宮下の2社が挙げられます

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

莫越山神社(Nakoshiyama Shrine)
(なこしやまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

千葉県南房総市沓見253

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》手置帆負命Tawokihohi no mikoto)
   彦狭知命Hikosachi no mikoto)
《配》彦火火出見尊(Hiko hohodemi no mikoto)
   鸕鷀草葺不合尊(Ugayafukiahezu no mikoto)
   豊玉姫命(Toyotamahime no mikoto)

《合》天照皇大御神(Amaterasu sume oo mikami)
   誉田別尊(Homutawake no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

莫越山神社

延喜式内小社。明治68月郷社列格(旧社格)

祭神
本殿 
置帆負命 彦狹知命 小屋安の大神と称す 工匠祖神、家宅守護の神

相殿
彦火々出見尊  敷物の祖神
豊玉姫命 安産育児の神
鸕鷀草葺不合命 海猟海上安全の神

例祭日 79

由緒抜粋
 創立は神武天皇元年。天富命 忌部の諸氏を率いて 東方の開拓に安房の国に来臨し、東方の開拓をなされた時、随神として来られ工匠の職に奉仕した、天小民命、御道命が、忌部の神 手置帆負命 彦狹知命を当社莫越山におまつりして 祖先崇敬の範を示された。
手置帆負命 彦狹知命は 工匠の祖神で 氏上 天太玉命に従って 宮殿 家屋 機械 器具の類をつくりはじめた神で、工匠の祖神であり家の守護神でもあります。参拝する事により 工匠にかかわる人は 勿論 家屋に住む者すべて御神徳が授けられます。
相殿に彦火々出見尊・豊玉姫命鸕鷀草葺不合尊まつられておりますが、日本敷物の祖神、安産育児の神、海猟海上安全の御神徳が授けられます。

現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

神社の創立は、社記によれば 神武天皇元年、天富命(安房神社の御祭神は 天太玉命、天富命ですが、天富命が忌部の祖神である天太玉命を現在の地に奉斎したのです。)が 忌部の諸氏を率いて、安房の国に来臨し、東方の開拓をされたときに、随神として来られた、天小民命が 祖神である忌部の神、手置帆負命、彦狭知命を当社莫越山におまつりして、祖先崇敬の範を示したとしるされております。
手置帆負命、彦狭知命の二柱は、皇国工匠の祖神で 氏上 天太玉命に従って其職を奉じ、宮殿 家屋 器具 機械の類をつくりはじめた神です。その神業はうけつがれて今日に至り、上は宮殿から下は人家に至まで、その建築の功績は風雨寒暑をしのぎ、器具機械の効能は種々多彩につかわれ、我々人類に幸をもたらしております。
この二神の御神徳によって、私どもは日々幸福な生活ができるといえましょう。従って、その業を職とする工匠は勿論のこと、一般に崇敬され、地鎮祭、起工祭、釿始、柱立祭、上棟祭、葺合祭の主神として奉斎し、小屋安大神、また家宅守護祖神として崇敬されて居ります。
相殿に彦火々出見尊、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命を奉斎してあります。この諸神は日本敷物の祖神で畳業家の崇敬あつく、又 安産育児の道を守り、海幸の御神徳、海猟海上安全の事も守られ、その道に於いて信仰されて居ります。
延喜の制に於ては 式内小社に列せられ、大化の制に於ては 国司の祭祀にあずかって居ります。
治承年間に源頼朝の祈願の事があり、神田二十町を寄付されて居ります。里見氏の時代になり三石の寄進あり、徳川氏の時代に於ても3石の寄進がありました。代々領主の祈願所でありました。
明治2512月、小松大将宮 彰仁親王殿下より社号額字の御真筆を賜わりました。現在 拝殿正面の額字が奉掲されたものです。

講社の起源沿革 祖神講の起源年号はあきらかではありませんが、明和8年、本社の修築の際、その修築費を江戸講中により募集したとありますので、明和以前より存立していたと思われます。
明治8114日、祖神 教会講社を浅草西鳥越町二番地に建設し、後にこの教会所は本社に移され、明治39年、本所大工職業組合に管理崇敬共に依頼されました。当時の組合長は白鳥豊次郎氏でありました。明15五年、本社の本殿、幣殿、拝殿を講員の寄付金をもって改築されて居ります。昭和になり東京横浜の各区の職工組合により、講社が結成され年々本社に参拝されて居りました。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

若宮神社(ワカミヤジンジャ)

莫越山神社を創建した小民命と御道命を祀ります
明治16年(1883)9月の本殿建築の際 現在地に建立
 昭和4年(1929)9月に再建

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祭神
《主》
小民命(コタミノミコト)
   御道命(ミヂノミコト)

10柱を相殿合祀》
稲荷社《主》宇迦御魂命
白鳥社《主》日本武命
琴比羅社《主》大物主命崇徳天皇
八雲社《主》速須佐之男命
衹社《主》大山祇命
宗像社《主》市杵島姫命
猿田社《主》猿田彦命
石神社《主》玉依姫命
白山社《主》伊弉那美命

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)安房国 6座(大2座・小4座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝夷郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 莫越山神社
[ふ り が な ]なこしのやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nakoshinoyama no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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式内社「莫越山神社」 もう一つの論社

・莫越山神社(南房総市宮下)

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

お神酒醸造の神事について

全国でも珍しい御神酒作り神事が伝わります

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伝統の神酒醸造神事 氏子ら瓶詰め作業 南房総の莫越山神社
 2010年9月18日 12:13

全国でも珍しい御神酒醸造神事が伝わる南房総市沓見の莫越山神社(斎東進宮司)で17日、清酒の瓶詰め作業が行われた。税務署など立ち会いの下、氏子らが清酒を36本の一升瓶に詰めていった。

 1300年ほど前から伝わるという同神社のお神酒造り。毎年、館山市の鶴谷八幡宮で行われる安房地域最大の祭礼「やわたんまち」の前日に瓶詰めされる。同神社もみこしを出して祭礼に参加する。神社でのお神酒造りは全国でも同神社と伊勢神宮、出雲大社、岡崎八幡宮の4カ所のみだという。

 使用するのは総代が奉納した地元産のコシヒカリ1俵。要の水は神社の地下水だ。今年は8月1日から仕込みを始め、同8日に米と麹(こうじ)を追加する掛(かけ)を行い醸造した。絞り出しは瓶詰め前日の午後9時から始まり、当日午前10時まで一晩かけて行った。

 出来た清酒は67・8リットル。瓶詰め作業には、館山税務署、千葉東税務署、東京国税局などの鑑定官が立ち会い、氏子らがステンレスタンクに絞り出した清酒を瓶に注ぎ込んでいった。鑑定官によると、今年は「まろやかな味でバランスが良い」という。

千葉日報社HPより  https://www.chibanippo.co.jp/news/local/11161

安房の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國の6座(大2座・小4座)の神社のことです

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

三原駅から R128号を西へ約3km 車5分程度

田の中にある丘陵に鎮座
丘陵の南側に一の鳥居 参道階段の下 東側にも二ノ鳥居が建ちます

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東向きの二ノ鳥居の前には 社号標「延喜式内 莫越山神社」と朱色の文字で記されています
莫越山神社(Nakoshiyama Shrine)に参着

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一礼をしてから 鳥居をくぐると こんもりとした木々の中に 参道の階段が続いています

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階段を上がり 境内地立つと 右側に手水舎があり清めます

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玉垣の右手前には 指定文化財の御神木スタジイがあり 子育てのシイ」と謂われて信仰されている と案内されています

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玉垣に囲まれた神域は 一段高い社地になっていて 鳥居先に狛犬が座し 社殿が建っています

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拝殿にすすみます ちょうど西に傾いた陽が 拝殿の屋根に沈む処です

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿 本殿続いています

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境内社にお詣りをして 参道を戻ります 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『万葉集(Manyo shu)』〈7世紀前半~759年頃〉に詠まれる歌

莫越山について 詠われているとも 莫越山は不明であるとも云われます

【意訳】

第10巻 詠鳥 1822番

我が背子を越えるなという莫越の山の呼子鳥よ 君を呼び返せよ 夜が更けないうちに

訓読 我が背子を莫越の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

『新撰姓氏録(Shinsen Shoji roku)』〈815年(弘仁6年)〉にある大彦命の男子 彦背立大稲輿命が関係するかもしれないと 記しています

【意訳】

莫越山(ナコシノヤマノ)神社

姓氏 大彦命 男 彦背立大稲輿命
〇按 莫越 稲輿歟

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

沓見村の莫越山神社を論社と 記しています

【意訳】

莫越山神社

莫越山は 奈古志夜萬と訓ずべし
〇祭神 手置帆負命 彦狭知命 地名記
〇沓見村に在す 地名記

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社の所在は 沓見としていますが 一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へ」と宮下村についても触れています

【意訳】

莫越山神社

祭神 手置帆負命 彦狭知命

祭日 8月1415
社格 郷社
所在 沓見村 字 神梅 莫越山(安房郡豊田村大字沓見)

今按〈今考えるに〉
一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へど 確証あるにあれねば 今姑之に従う

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

沓見村の郷社 莫越山神社紹介しています 又 式内社の所在として「一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へ」と宮下村についても触れています

【意訳】

千葉縣 安房安房郡豊田大字沓見

郷社 莫越山神社

祭神 手置帆負タヲキホオヒノ 彦狭知ヒコサチノ

相殿 彦火々出見(ヒコホホデミマ)尊 豊玉姫(トヨタマヒメノ)尊
   鸕鷀草葺不合(ウカヤフキアヘズノ)

安房國志に云く 式内 朝夷郡 莫越山神社は 沓見村の南字神梅に在りと云う 祭神 手置帆負タヲキホオヒノ 彦狭知ヒコサチノの孫 小民命 並びに御道命 
神武天皇 元年 天富命に従いて この地に来り 麻穀を植えて開拓せらるたるが 当時 天富命 祖神 太玉命を大神宮村に祀るに及び 小民命 御道命 又 其の手置帆負タヲキホオヒノ 彦狭知ヒコサチノ莫越山鎮祭せらる これ当社の創建なり
相殿三神は 元正天皇 養老2年5月の勧請なりと 延喜の制 小社に列せられ 当国6座の1に坐ます
元と数郷の鎮守たりしが 中世乱離 今は沓見一ヶ村の氏神たり 然りと雖(イエド)も 祭神 工匠の祖神に坐すを以って 遠近の工匠 来奉する者 尠(スクナ)からず
当社社領は 古来 神地神戸 若干を有せしが 高倉天皇 治承年間 源頼朝 祈願の事あり 神鏡 及び 神田弐拾町を寄奉りて社殿を造営せり 後ち兵乱の為め暫く衰運に向かいしと雖も 尚 社領30石を有せられしに 増田長盛 検地の際 悉く没せられしが 中御門天皇 享保9年 社殿造営の際 主神二座を一殿として本宮と称し 相殿三座を一殿として新宮と称す 仁孝天皇 天保年間更に二殿を一殿とせり
明治6年9月 郷社に列す

社殿は 本殿 拝殿 幣殿 その他 神饌所 社務所等あり 明治13年功を起こし 同19年11月 遷宮の式を挙ぐ 境内は1272坪

莫越山に在り この山 古来著名にして 万葉集60
吾瀬子乎 莫越山能 喚子鳥 君喚變瀬 夜之不深刀尓
と詠せるは この山なり

特選神名帳に云う
今按〈今考えるに〉
一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へど 確証あるにあれねば 今姑之に従う

と 又 大日本國誌 この事を云う 記して後考えを俟つ

境内社
若宮神社 稲荷神社 白鳥神社 白山神社 八雲神社 山祇神社 宗像神社 琴比羅神社 猿田神社 石神社

例祭日 11月3日

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

『千葉県安房郡誌(Chibaken Awa Gun Shi)』〈大正15年(1926)著〉に記される伝承

沓見村の郷社 莫越山神社を紹介しています 又 式内社の所在として「一説 朝夷郡宮下村の神社を 往古より本社なりと云へ」と宮下村についても触れています

【意訳】

莫越山神社

莫越山(ナコシヤマ)神社は 豊田村沓見の南方丘上に鎮座す。境内900坪、祭神は 彦火火出見尊を梅大明神と称し、豊玉姫命を子安大明神と称し、鸕鶿草葺不合尊を問子大明神と称せり。今之を合祀す。別宮一座小屋安大明神と號す。忌部の神、手置帆負命、彦狭知命を祭る。元正天皇の御宇 養老25月の勧請に係ると云ふ。

 社傳に曰く、神武天皇 元年 天富命 斎部の諸氏を率いて此の土に来り、(中略)之を安房社といふ。此の時 手置帆負命・彦狭知命を莫越山に鎮め祀る。
古語拾遺曰、天富命 阿波忌部率 往東土(中略)、今安房社。故 其神戸有 忌部氏。又 手置帆負命 造矛竿、其斎 今分社、讃岐國 毎年庸調之外貢八百矛竿、是其事 等之證也と。

古老の口碑に曰く、手置帆負命の孫 小民命・御路命 相與に天富命に従ひ、専ら東土を開かれたる際、祖神 手置帆負命を莫越山に鎮め祀り、彦狭知命を合せ祀られたるなりと。

當社は 即ち 延喜式神名帳に所載 安房國六座の内朝夷郡四座とある其の一にして、手置帆負命、彦狭知命は 大殿造営及び木工諸匠の始祖にして、人民家屋に安住する事、偏に此の大神の神徳と奉畏て小屋安大神と称す。
彦火火出見尊を神梅大神と称する故は、其の太子 葺不合尊を愛し給ひ、加微宇免理と詔ひし故を以て 神生大御神と称す。今 梅の字を用いるは借訓にて、此の神の名を以て自然 地名に称呼す。豊玉姫命は 彼の太子を出座すること、甚だ 安須良計久座すと申す事に依て 子安大神と称す、葺不合尊は御名を母に問ひて名付け給ふ。故を以て 問子神社と奉称の由社記にあり。

萬葉集第十 読人不知。吾瀬子乎、莫越山能喚子鳥、君喚帰瀬、夜乃不深刀爾
拾遺集山邊赤人。
わがせこはならしの岡の喚子島、君よびかへせ夜のふけぬとき。是即ち莫越山の称の因って来ること久し。

社殿は 往古 山中四ヶ所別殿に鎮座せしが、享保9 社殿造営の時、神梅・子安・問子の三神を合祀し 之を新宮と称し、小屋安神と称しけるを、天保年間に 四座同殿に合祀る。

 社領は 往古 神地神戸等若干有りし由にて、近傍 山野田圃の地名にも命婦屋敷、夏薙田、油田、櫛田、正月田、花折田、皷田、幣田、神服田、麻績場山(今俗にマハ山といふ 往古 麻を積み幣帛を造りし所なりといふ)、神原(往古 神戸原と称せしいといふ)、甕戸(往古 甕を造りし所なり)、楯野(山林にして楯縫の古跡なり)、笠野(笠作の古跡なり)等あり。

 今に 土人相唱ふ。又 社記に朝夷郡梅郷とあり棟札等にも神梅郷と有りて、古は 一の郷名なりと云ふ。村を久津見と称するは 工積の訓義にして、今 沓見と書くは 只字の書安きに随ふと云へり。
治承年間、源頼朝 御祈願の事有って 神田二十町を寄付せられ、其の後 兵乱の爲め 追々衰廃に及ぶと雖も、慶長年間迄は 古来 神領の内 髙三十石餘の地所寄附あり。増田右衛門尉 検地の際 之を没収せるに依り、其の神田も 断絶し、元和2 徳川幕府より 三石の社領を寄付せらる。明治312月上地。

大正4年9月22日、本縣の許可を得て、全村 沓見字入 1595番地 無社格八幡神社 全所安馬谷2542番地 無社格神明社を本社に合祀す

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『千葉県安房郡誌』大正15年(1926)著者 千葉県安房郡教育会 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980721映像利用『千葉県安房郡誌』1 『千葉県安房郡誌』2

莫越山神社(Nakoshiyama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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