下立松原神社(南房総市白浜町滝口)

下立松原神社は 『古語拾遺〈大同2年(807年)〉』に記される神武天皇元年安房開拓に纏わる忌部氏の伝承が残古社ですが 同名下立松原神社が白浜町と千倉町にそれぞれ鎮座していて 双方ともに『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の式内社の論社となっています

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

下立松原神社(Shimotatematsubara Shrine)
(しもたてまつばらじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

千葉県南房総市白浜町滝口1728

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天日鷲命(Ameno hiwashi no mikoto)
   天太玉命(Ameno futodama no mikoto)
   天富命(Ameno tomi no mikoto)
   伊弉諾命(Izanagi no mikoto)
   伊弉冉命(Izanami no mikoto)
《配》阿八別彦命(Awawakehiko no mikoto)
   須佐之男命(Susanowo no mikoto)

《合》18柱
住吉大神,高倉彦命,大麻産霊命,高雷命,闇雷命,高皇産霊神,神皇産霊神,倭健命,柿本人丸,高靇命,闇靇命,天忍日命,天照皇大神,磯根御気姫命,衣通比売命,木花開耶姫命,金山彦命,菅原道真

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

海上安全

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

下立松原神社 由緒

当社は 天日鷲命(アメノヒワシノミコト)を祀る式内社(シキナイシャ)で、昔、朝廷の命により、天富命(アメノトミノミコト)が天日鷲命の孫・由布津主命(ユフツヌシノミコト)、その他の神々と当地方開拓に上陸し、後 由布津主命が祖神の天日鷲命を祀った社である。
上陸当時、野山に鹿が多く、住民がその被害に苦しんでいたのを神々が狩を行い害を除き、住民を安堵(アンド)させた神徳を慕(シタ)い、今も神狩(ミカリ)の神事として旧暦11月26日より10日間 神狩祭(ミカリマツリ)が行われている。なお大鹿の角が社宝として現存している。
古来武将の尊崇(ソンスウ)も厚く源頼朝公、里見義実公など太刀(タチ)を奉納して武運長久を祈願している。
又、安房の式内社であった天神社が昭和初期 当社に合祀(ゴウシ)されている。

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【由  (History)】

小鷹神社

 長尾村瀧口字犬澤と云へる處にあり。下立松原神社ともいふ。
天日鷲命を祀る。
境内684坪喬松蓊蔚、蒼々として空に聳ゆ。故に社號を松原神社と云ふ。
此の山嶺より直下する瀧あり。流沫四散。宛然霜柱の凝立するが如し。故に霜立松原神社と云ふ。
中古以後 下立松原神社と改む。然るに元禄16年大地震の爲 山巌崩れ泉脈絶え、飛泉落下せず。之が爲めに稲田を没落損亡せしもの鮮ならず 故を以て今尚亡田の称を存す。

(イ)由緒
神武天皇元年の創建に係る。
古語拾遺に曰く『一聞夫開闢の初、(中略)又 天地剖判の初、天中所生 神名曰 天御中主神。次 高皇産霊神。次 神皇産霊神、其の高皇産霊神所生之女、名曰 栲幡千々姫命 其男名曰 天忍日命。又男名曰 天太玉命(忌部宿禰祖也)太玉命所 率神名曰 天日鷲命(阿波國忌部祖也)。天日鷲命之孫、造 木綿及麻並織布。仍令 天富命率 日鷲命之孫、求肥饒地(肥沃な地)遣 阿波國、殖穀麻種。其裔今在彼國。』と見ゆ。
三才圖會に云ふ『小鷹明神、在瀧口村。祭天日鷲命。社領十石』と。
按ずるに神武天皇辛酉元年、阿波の忌部の遠祖天日鷲命の御孫由布津主命、忌部の遠祖天太玉命の御孫天富命両神、勅を蒙り東国に下り、民に農事を勧め麻穀を繁殖せしむ。當時其の祖を祀れるなり。
(ロ)社寶
由布津主命の飯椀と傳ふるもの、並に源頼朝の奉納せる家平の太刀及び自筆瀧口明神の額面を蔵す。別に村正の太刀一口あり。文安二年里見義實の奉納せしものなりと云ふ。

『千葉県安房郡誌(Chibaken Awa Gun Shi)』〈大正15年(1926)著〉に記される伝承
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『千葉県安房郡誌』大正15年(1926)著者 千葉県安房郡教育会 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980721映像利用『千葉県安房郡誌』 『千葉県安房郡誌』1 『千葉県安房郡誌』2 『千葉県安房郡誌』3

【境内社 (Other deities within the precincts)】

拝殿の向かって右側に鎮座

・天神社(アマツカミノヤシロ)
《主》高御産巣日神(タカミムスビノカミ)神産巣日神
(カミムスビノカミ)
〈昭和3年に下立松原神社本殿に合祀され 昭和12年(1937)に改めて天神社を祀ったもの〉

招魂社《主》護国の英霊

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后神社《主》飯長姫命 or 鹿倉三社《主》天日鷲命,天太玉命,天比理刀咩命

飯長姫命(イイナガヒメノモミコト)
由布津主命(ユフツヌシノミコト)の后(キサキ)です 房総を開拓した天富命(アメノトミノミコト)の娘神
由布津主命は 天日鷲命(アメノヒワシノミコト)の孫神で 天富命に従って東国開拓をした安房忌部の祖神

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています

・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)安房国 6座(大2座・小4座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝夷郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 下立松原神社
[ふ り が な ]しもたちまつはら かみのやしろ)
[Old Shrine name]Shimotachimastuhara no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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式内社「下立松原神社」 もう一つの論社

・下立松原神社(南房総市千倉町)

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

神狩(ミカリ)の神事について

市指定文化財(無形民俗文化財)

下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)のミカリ神事(しんじ)
平成18年3月1日指定

下立松原神社のミカリ神事は江戸時代(文化13年頃)から行われたどされる。
「ミカリ」という名の由来は、古く由布津主命が天富命と一緒に安房に上陸し、農作物を荒らす猪や鹿を狩って退治したことによるといわれ、鹿倉山は狩りをした場所、頂上の石宮三社は狩りをした神々であるという。また、山頂で宮司が叫ぶ「曲田の小平」というのは、狩りを助けた者だと伝えられている。

ミカリ神事は旧暦11月26日の夜から10日間にわたって行われる。27日から3日間、宮司・氏子総代が社務所に籠もり、鹿倉山に行く、これを「サバシ参り」と称している。また、27日は「イチノビ(一の御日)」といつて縄絢りをする。12月1日は「注連張り」といって「イチノビ」に絢つた縄を注連にして本殿の奥から鳥居まで、参道に沿って千鳥掛けに張り、神前に白い強飯などが供えられる。
ミカリ神事の最終日である12月4日は、「夜明かし祭り」といい、前日からは神社役員の氏子総代も社務所に参寵し、夜になってから参道に大火を篝火として焚き、御霊が移された神輿が鳥居の先まで渡御し、お旅所の社務所に入る。こうして12月4日の夜明け前には神輿がお旅所から本殿に戻り、ミカリ神事は終わる。

下立松原神社のミカリ神事は今なお旧暦で神事が行われ、多少簡略化されてはいるもののサバシ参り、縄絢い、注連張り、夜明がし祭りの神事が現在も守られて行われているなど、他の神社では失われたものが今も伝えられていて学問的にも貴重なものとされている。
平成18年3月1日 南房総市教育委員会

境内案内板より 

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安房の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國6座(大2座・小4座)の神社のことです

一緒に読む
安房國の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國の6座(大2座・小4座)の神社のことです

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

館山駅から 県道86号を南下 約11km 車25分程度
宮下川に架かる宮下橋の上に案内板と社号標「式内 下立松原神社」があります

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境内に上がる階段が2方向からあり 北東に35段と南東に28段あ
あがると高さ約5m程の石造り明神鳥居が建ち 台石には「奉」「献」と刻間れています
下立松原神社(Shimotatematsubara Shrine)に参着

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整地されている境内の入口には 市指定の文化財の一覧の案内板が設置されていたり 石碑が建てられています

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一礼をして 鳥居をくぐると 地層断面が岩となって聳え立つ岩盤が剥き出しになっている横を 参道の階段が上っています

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階段を上がると 又階段があり 更に整地された広い場所に出て ここに白い色の神明鳥居が建っています 境内社もあり 合わせてお詣りをします

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嘉永2年(1849)に建てられた石灯籠が立ち その横に小さな石の祠〈稲荷社〉があります お詣りをします
白色の二ノ鳥居の先には 長く真っ直ぐに参道が延びています とても広い境内です

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参道を進んでいくと 3度目の階段があり 寛政6年(1794)6月に奉納された狛犬が座します 階段の上の境内地に社殿が建っています

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階段を上がると 向かって正面に拝殿 右には天神社 左に神輿収納庫が建っています

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参道の左手には 壁画殿が建っています 参道の右手には手水舎があり 手水鉢には「無塵浄(むじんじょう)」と刻まれています 清めます

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拝殿にすすみます 扁額には「下立松原神社」と金文字で記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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右隣の天神社も式内社の論社です お詣りをします

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参道を戻ります 何度か石段を下りて 一の鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『古語拾遺(kogojui)』〈大同2年(807年)〉に記される伝承

神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命(ameno tomi no mikoto)が 肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸して開拓したその後 さらに肥沃な土地を求めて 阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したと記されています

古語では 麻を総(フサorヌサ)と言います 現在の上総・下総の2国の名です

【意訳】

天富命(ameno tomi no mikoto)は 更に肥沃な土地を求めて 阿波の斎部(imbe)を分けて 東の国に率いて往き 麻(nusa)・穀(kaji=木綿)を播き殖えました 良い麻(nusa)が生育しました 故に この国を總国(fusa no kuni)と言います

穀穀(kaji=木綿)・木の生育したところは これを結城郡(yufuki no kori)と言います 古語に麻(nusa)を總(fusa)といい 今 上總(kamitsu fusa)・下總(shimotsu fusa)の2国がこれです

阿波の忌部(imbe)が居るところを 安房郡(awa no kori)と言いいます 今の安房の国がこれです
天富命(ameno tomi no mikoto)は その地に「太玉命の社」を建てました 今は安房社(awa no yashiro)と言います それで神戸(kamube)に斎部氏(imbe uji)が在ます

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『訂正古語拾遺』選者:斎部広成 大同2年(807年)編纂/校訂者:猿渡容盛 刊本,明治02年,木村正辞

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

『新撰姓氏録(Shinsen Shoji roku)』〈815年(弘仁6年)〉から 松原臣は大彦命の子孫と記しています

【意訳】

下立松原(シモタテマツハラ)神社

姓氏 松原臣 阿倍朝臣 同祖 大彦命の後(スエ)なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

牧田村〈現 千倉町牧田〉の下立松原神社を 論社と記しています

【意訳】

下立松原神社

下立松原は 志毛多知末都波良と訓ずべし
〇祭神 天日鷲命 地名記
〇牧田村に在す

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

牧田村〈現 千倉町牧田〉の下立松原神社を 論社と記しています

【意訳】

下立松原神社

祭神 天日鷲命
祭日 11月7日8日
社格 村社
所在 牧田村 字下田(安房郡健田村大字牧田)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

下立松原神社(Shimotatematsubara Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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