比奈麻治比賣神社 旧跡地(隠岐 西ノ島 済)

比奈麻治比賣神社 旧跡地は 西ノ島町の北東端の『済』という地で 古代に日本海を航海した船を救う火光を放つ神〈灯台のような〉とされています 六国史延暦18年(799に 遣渤海使(ケンボッカイシ)らが帰途の折 夜闇の海原迷うと 遠くに火光が見え お陰で 嶋の浜に無事にきます これは比奈麻治比売命の霊験であると上奏し官社になったと記されています 昭和3年(1928)に祭祀ともに現在の鎮座地に遷座します

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

比奈麻治比売命神社 旧跡地Hinamachihime no mikoto Shrine Historic site
ひなまちひめのみことじんじゃ あとち

 [通称名(Common name)]

済さん(すみさん)

【鎮座地 (Location) 

島根県隠岐郡西ノ島町

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

元は《主》比奈麻治比賣命Hinamachihime no mikoto)を祀る

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【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社の跡地

【創  (Beginning of history)】

西ノ島町の北東端の『済』という地
太古より 日本海でも黒曜石で栄えた隠岐諸島の 航海を救う火光の神〈灯台のような役割〉であったとされています

昭和3年(1928)に祭祀ともに現在の鎮座地に遷座し 跡地となっていると伝わります

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【由  (History)】

比奈麻治比売(ひなまぢひめ)命神社

鎮座地 西ノ島町大字宇賀888
祭神 比奈麻治比売命
合祀 星神島の神 御崎社 北野社
境内社 熊野社


 創立年は不明である。西ノ島町の北東端の『済』という地に鎮座していたことから「済の宮」とか「済大明神とも呼ばれていた。安政2年(1855)に、一度この尾和の地に移されたが御神託により25年後の明治13年に元の済に戻され、昭和3年(1928)に再びこの地に移された。現在、済の宮跡では玉垣に囲まれた本殿跡の下に盤座が見える。
 神名帳考証には『火焼権現トモイフ』とある。


 『比奈麻治比売命神社がはじめて六国史に見えるのは、延暦(799)である。遣渤海使 内蔵宿祢賀茂麻呂が任を終え 帰国せんとして、海中夜暗く、その進路に迷った時、遠有ニ火光一りて無事島浜に至ったという霊験高い神であり、その上奏によって幣例に預かることを許された。』-黒木村史-


 隠岐国初の官社になり、その後も次のような階位を授かっている。
承和5年(838)隠岐国無位比奈麻治比売神に従五位下(続日本後記)
貞観13年(871)隠岐国正五位下比奈麻治比売神を正五位下(三代実録)
元慶2年(78)隠岐国正五位下比奈麻治比売神を正五位上(三代実録)


 式内社に比定された由緒の古い神社で、隠岐国内神名帳には従一位とある。また、慶長18年(1613)の検地帳の御供田の記録や、元禄12年(1699)の佐渡守の銘のある御幣串が残されていること、出雲大社の19社、櫛田神社の22社の名記から、近世に於いても内外に広く信仰の対象になっていたと推察される。
比奈麻治比売命神社

現在の鎮座地にある 案内板より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)知夫郡 7座(大1座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 比奈麻治比賣命神社
[ふ り が な ]ひなまちひめの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hinamachihime no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「済」に鎮座「比奈麻治比売命神社」現在合祀の「星神島」に鎮座していた「星神神社」神事「雨乞いの神事」について

西ノ島町の北東端の『済』に鎮座していた「比奈麻治比売命神社」
その北の沖合「星神島」に鎮座していた「星神神社」〈現在は合祀されています〉
両社で行われていた昭和30年代まで行われていた伝わる「雨乞いの神事」ありました

祭祀には 男性〈男神の役〉と女性〈女神の役〉携わっていて

男性は 沖合に出て 星神島目の前に島に向か祈願する
同じく女性は 済の比奈麻治比売命神社跡で そこから星神島に向か祈願する

霊験あらたかで 明後日には願い通じ 雨が降った伝わります

一説には この雨乞いには 火焚き〈天に昇る煙を龍神として捧げる〉したとも伝わり  この火焚き神事灯台のように 夜に火を焚き 航海の目印なったのではと云われています

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比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の結婚神話について

比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の興味深い神話が 隣島の中ノ島(海士町)に鎮座する 式内社「名神大社 宇受賀命神社」に伝わっています

比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の美しさ宇受賀命は求婚します
しかし 同じく姫に求婚する大山神社の神さまとの力比べに勝利し 姫と結ばれたと伝えられています
姫との間に柳井姫(ヤナイヒメ)が生まれ「奈伎良比賣神社(なぎらひめじんじゃ)」の御祭神になったとされています

4.大山祇命おおやまづみのみことと宇受賀命うづかのみことの妻争い

この神様宇受賀命は宇受賀を中心に、中ノ島一帯を領して勢力のある土着の神様でした。
あるとき、海を挟んだ西ノ島にいる美しい比奈麻治比売命となんとか結婚しようと申し込みました。しかし、姫神はなぜか色よい返事をしませんでした。けれども、宇受賀命はあきらめないで、同じ求愛の手紙を何回も何回も書いて送りました。
これには姫神も困ってしまい、窮したあげくに次のように言いました。
「あなたと結婚するのはかまいませんが、実は、あの大山神社の神様が恐ろしいのです。ですから、お二方で力比べをしてください。私は、勝ったお方に従いましょう。」
大山神社の神様とは、比奈麻治比売命と同じ西ノ島に住む大山祇命のことです。一説には、この神様は焼火山の神様であったともいわれています。大山祇命は、農業などに力を入れた立派な神様でしたが、なかなか勇猛で、この神様が同じく姫神に恋しているとあっては、事は面倒になりました。
石を投げ合う力比べの結果、宇受賀命が勝利し比奈麻治比売命と結婚しました。

5.大山祇命と宇受賀命の力比べ
大山祇命は力比べで納得できず、もう一度力くらべをしようと宇受賀命に持ちかけました。
宇受賀命は家督山の榊を、大山祇命は焼火山の榊をかけて勝負し、大山祇命が勝ち、家督山の榊を全て持っていきました。なので、家督山には榊が生えていません。

海士町歴史文化基本構想の策定〈平成29年 文化庁〉より
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/pdf/r1392234_113.pdf

竹島に向かって 直線状に並ぶ神社

神社の鎮座地を見つめると面白い現象があります

西ノ島の北東端の『済』『星神島』から 隣島の中ノ島(海士町)に鎮座する
①宇受賀命神社〈比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の夫神〉と➁奈伎良比賣神社比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の娘神〉は 西ノ島の北東端の『済』『星神島』へと北東方向に一直線に並んでいます

なんと この延長線上に 日本固有の領土である竹島があります 竹島から見れば南東方向に延びる海の道になります

日本海の渤海ルートとして大切な軸であったのだろうと推察できます

隠岐の式内社〈16座〉について

隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します

 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

旧鎮座地の「(スミ)」へは 陸路は山道4kmとありますが不明 海路からも磯から崖を上がるようです 島の人も知る人は僅からしく 御参拝は諦めました

現在の鎮座地 西ノ島宇賀にも 海からの参道があり 鳥居の扁額には「神社」と刻まれています

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

安政2年(1855)に 現在の鎮座地「尾和の地遷座しているので それ以前の伝承として

『日本後紀(Nihon koki)』〈承和7年(840年)完成〉に記される伝承

渤海国から我国の遣渤海使(ケンボッカイシ)内蔵宿禰(クラノスクネ)賀茂麻呂(カモマロ)らが 海を渡り帰国の途 海中の夜闇の中で迷うと 遠くに火光が見え これを目指して嶋の浜に無事にいた これは暗夜の航海を火導いた比奈麻治比売命の霊験であると この神にかかる件が報じられます そこには官社にして頂きたいと上奏が記されています

【意訳】

延暦18年(799513日(丙辰の條

 遣渤海使(ケンボッカイシ) 外従五位下 内蔵宿禰(クラノスクネ)賀茂麻呂(カモマロ)等言(ナドノゲン)
歸郷(キキョウ)の 海中(カイチュウ)夜暗(ヨルクラ)く
東西(トウザイ)へと掣曳風のまにまにたなび〉不〈まったく知らない〉
于時〈この時〉くに火光(ヒノヒカリ)が有った 其光(ソノヒカリ)を尋逐〈追い続け〉
あわただしく心がそぞろなさま〉で 嶋濱(シマノハマ)に至る
訪之是〈これを訪ね〉隠岐國(オキノクニ)智夫郡(チブノコオリ)
其處(ソノトコロ)無有人居〈人はおらず〉
或云〈あるいは云うに〉比奈麻治比賣神(ヒナマチヒメノカミ)有靈験(レイケンアリ)
商賈之輩〈商人たち〉漂宕海中〈海中で漂うと〉必揚火光〈必ず火光が掲げられ〉頼之得全者〈全ての者が得て頼りにしている〉不可勝數数えきれないほどの祐助(ユウジョ)がある
良可嘉報〈非常に良いめでたいご報告です〉
伏望〈伏して願います〉奉預幣例〈奉り預くに幣を〉許之〈ここにお許し願いたく〉

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本後紀』承和7年(840)選者:藤原冬嗣 刊本 塙氏温古堂[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047657&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

無位から5位下へ 神階の奉授が記されています

【意訳】

承和5年(838)10月甲牛の条

奉り授くに
隠岐国(オキノクニ)无(ムイ)比奈麻治比売神に従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)太政官符の命により編纂 国内神名帳〉に記される伝承

比奈麻治姫大明神と記されています

【意訳】

知夫郡
従1位 比奈麻治姫大明神

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州神名帳』続群書類従[書誌事項]写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

神階の奉授が記されています

【意訳】

貞観13年(871)閏8月29日(壬申)の条

夜に有ったのは 流星が出て東南を入り羽は林に大星の如し 柚子の青めのような光があった

隠岐国(オキノクニ)
従5位上 天健金草神に 従4位下
従5上 比奈麻治比売神に 5位下

・・・・云々

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元慶2年(878)5月17日(壬子)の条

授くに
隠岐国(オキノクニ)
5位下 比奈麻治比売神に 5位上

駿河国 従5位上 美和天神に 正5位下を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式外社の「日乃賣神」であるかもしれない
所在は別府〈現在の西ノ島〉 別名「火焼権現ともいう」と記しています

【意訳】

比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコトノ)神社

治一本 又 撰本に作沼
〇信友云う
三代実録 日乃賣神 歟(ヤ) 式外に記す

治一本作沼 承和5年(838)10月甲牛の条 奉り授くに 隠岐国(オキノクニ)无(ムイ)比奈麻治比売神に従5位下

三代実録
貞観13年(871)閏8月29日(壬申)の条・・5位下

元慶2年(878)5月17日(壬子)の条・・・5位上

〇在 別府〈現在の西ノ島〉

類聚国史 延暦18年(799513日(丙辰の條
 遣渤海使(ケンボッカイシ) 外従五位下 内蔵宿禰(クラノスクネ)賀茂麻呂(カモマロ)等言(ナドノゲン)
歸郷(キキョウ)の 海中(カイチュウ)夜暗(ヨルクラ)く
東西(トウザイ)へと掣曳風のまにまにたなび〉不〈まったく知らない〉
于時〈この時〉くに火光(ヒノヒカリ)が有った 其光(ソノヒカリ)を尋逐〈追い続け〉
あわただしく心がそぞろなさま〉で 嶋濱(シマノハマ)に至る
訪之是〈これを訪ね〉隠岐國(オキノクニ)智夫郡(チブノコオリ)
其處(ソノトコロ)無有人居〈人はおらず〉
或云〈あるいは云うに〉比奈麻治比賣神(ヒナマチヒメノカミ)有靈験(レイケンアリ)
商賈之輩〈商人たち〉漂宕海中〈海中で漂うと〉必揚火光〈必ず火光が掲げられ〉頼之得全者〈全ての者が得て頼りにしている〉不可勝數数えきれないほどの祐助(ユウジョ)がある
良可嘉報〈非常に良いめでたいご報告です〉
伏望〈伏して願います〉奉預幣例〈奉り預くに幣を〉許之〈ここにお許し願いたい〉

諸社一覧
賣火社 知夫郡の島前に在り この社を賣火と称し奉る事 往還の船 暗い夜のこの悪風に逢って この社を祈念すれば 惣火起こりて 東西を辨ふと〈理解する〉と云う 云々
〇火焼権現ともいう

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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比奈麻治比売命神社 旧跡地Hinamachihime no mikoto Shrine Historic site (hai)」(90度のお辞儀)

現在の鎮座地
・比奈麻治比売命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)

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