三女神社(さんみょじんじゃ)は 遠く神代に 天照大神(あまてらすおほみかみ)が この三女神を宇佐嶋に天降らせるときに 天安河原の石を手に取り「この石が落ち留まる所に鎮座せよ」といわれて お投げになられた石が 安心院(あじむ)の地に突き刺さった そのあとから三女神も降りてこられて三女神社が祀られた その刺さった石「三柱石」が境内にあります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
三女神社(Sanmyo Shrine)
(さんみょじんじゃ)
【鎮座地 (location) 】
大分県宇佐市安心院町下毛 三女神社
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)
湍津姫命(tagitsuhime no mikoto)
市杵島姫命(ichikishimahime no mikoto)
《十柱神を合祀》
・大山祇命・素盞嗚男命・菅原神・軻遇土命・崇徳天皇
・平景清・加藤清正・高龗神・闇龗神・罔象女神
【御神格 (God's great power)】
・産業振興 Industrial promotion
・子授け Children will be born as desired
・家内安全 Safe and comfortable home life
・交通安全 Pray for Traffic safety
・等 etc
【格 式 (Rules of dignity) 】
・宇佐氏一族とされる(筑紫の水沼君)による祭祀
【創 建 (Beginning of history)】
三女神社 由緒
神代(かみよ)の昔 高天原(たかまがはら)に於て 天照大神(あまてらすおおかみ)は素盞嗚尊(すさのをのみこと)と盟約の結果
田心姫(たごころひめ) の命 一の御殿
湍津姫(たぎつひめ) の命 二の御殿
市杵島姫(いちきしまひめ)の命 三の御殿の三女神(さんにょじん)を生み給い。
葦原(あしはら)の中国(なかつくに)の宇佐嶋(うさじま)に降(くだ)し給うた 宇佐嶋とはこの地 宇佐郡安心院邑(むら)にして豪族 筑紫君(つくしのきみ)等がこれを祀る。 爾来(じらい)一貫して この地に鎮座して今日に至ると伝えられる。境域(けいいき)には現にこれに関する幾多の史蹟と伝説とを有している。
江戸時代に至り 島原藩主累代これを崇敬し社領十石を奉納し 或は宮殿を造営し、或は矢壺提灯(やづつちょうちん)ならびに釣灯篭(つりとうろう)等を奉納した。崇敬者は宇佐郡の一帯に及び 江戸時代には島原藩 山藏組大庄屋(やまぞうぐみおおじょうや)配下の22ヶ村の氏神として崇敬せられ、その内 鎮座地の関係村の字下市・木裳・新原・原が常時奉仕の責任にあたり現在に至っている。
産業振興、家内安全、交通安全の神として霊験あらたかにして 古今を通じ住民の厚い信仰を集めている。 境内案内板より
【由 緒 (history)】
三女神社 由来
鎮座地 宇佐郡 安心院町 大字下毛 字三柱
一、祭神 田心姫命・湍津姫命・市来島姫命・他10柱神
一、由来
そもそも三柱山 三女神は日本書紀神代巻に曰く「即ち日神(天照大神)の生みませる三女神を以て 葦原の中国の宇佐島に降(あまくだ)り居さしむ云々…」とあり 即ち宇佐島とはこの地 宇佐郡安心院邑 当三柱山一帯とされ 安心院盆地を一望する聖地で 宇佐都比古(うさつひこ)宇佐都比売(うさつひめ)は三女神を祖神とするが故に 全国唯一の三女神(みはしらのひめがみ)の御名前をもつ社であるにして 水沼の君等がこれを祀る。爾来一貫してこの地に鎮座して今日に至ると伝えられる。境内は 古代祭祀の面影を漂わせ幾多の史跡と伝説とを有し 特に三柱石始め多くの陰石を有し 宇佐神宮の元宮お許山(おもとやま)(大元山)の御神体となり三個の女陰を形どる巨石の組合せと対照的に男根的存在を現しているところに神秘さを藏している。
応神天皇元年に社殿を改修したという記録がある。
江戸時代に至り 島原藩主累代これを崇敬し 三女神宮との異名を持ち多くの末社を数え22ヶ村の天神として崇敬せられると伝えている 鳴呼霊妙(めいこれいみょう)にして霊験あらたかなる大神として 子授け、安産、縁結び、開眼、病気平癒はじめ産業振興、家内安全、交通安全の神としての霊験あらたかにして 里人はもとより関東関西方面の崇敬者を多く 当地方では宇佐神宮に続く多くの参詣者を記録し 隠れた神明の霊地としての存在大なるものがある。
社頭の案内板より
祭祀について
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・権現社《主》大物主神
・英霊社《主》護国の英霊
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
神代の昔に 三柱女神が降臨された伝承を持つ もう一つの神社について
当社の由緒書きには 三柱女神が降臨された伝承を持つ もう一つの神社があるとしています
宇佐神宮の奥宮「大元神社(omoto shrine)」で その御神体は「女陰」の三個の石であり 対象として当社は 男根的な「三柱石」を祀るとあります
境内は 古代祭祀の面影を漂わせ幾多の史跡と伝説とを有し 特に三柱石始め多くの陰石を有し
宇佐神宮の元宮お許山(おもとやま)(大元山)の御神体となり三個の女陰を形どる巨石の組合せと 対照的に男根的存在を現しているところに神秘さを藏している。」境内案内板より抜粋
詳しくは三柱女神が降臨された伝承を持つ もう一つの神社
・大元神社(omoto shrine)(大元神社 大分県杵築市)の記事もご覧ください
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
安心院ICから県道42号経由 約3.8km 車7分程度
県道42号沿いに新貝川に架かる橋を渡ると直ぐに 鳥居が建ち 案内板がありますので直ぐにわかります
しかし カーブで駐車場もないため 暫く先で左折して 川沿い「下市磨崖仏」の所に駐車スペースはあります
三女神社(sanmyo shrine)に参着
案内板があります
参道入口に鳥居が建っています 一礼してくぐり抜けます
ただし扁額には「二女神社」となっていて「三女」ではありません もともとは 秘神の二女神(ヒミコ・トヨ姫等とも云われ)を祀っていたのではないかという言い伝えを元に 二女神社の扁額を寄進されたようです
参道は鬱蒼とした森に囲まれて長く続いていて 石段もあり 祠や石碑が建ちます
二の鳥居が建ち こちらの扁額には「三女神」とあります 柱の上部に台座のある宇佐鳥居です
続いて三の鳥居が建ち くぐり抜けます
すると 参道の左手に石垣が現れ その上に境内があります
石段があり 狛犬が構えて 神門が建っています
神門をくぐり抜けると正面には社殿が建っています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝所の中に上がらせて頂くと 沢山の絵馬が奉納されています 三女神縁起という絵馬があり 武神として描かれています
社殿向かって右の境内社にお詣りをします
・英霊社《主》護国の英霊
境内には 安心院の七不思議や
境内には 三女神にまつわる 井戸 陰石の伝承が多々あります
これらは 次の章でご紹介します
社殿を左右から 拝します
境内を後に神門に向かうと 背景遥かに安心院の山々が見えています
長く寂びれた参道を戻ります
鳥居をくぐり抜けて振り返り一礼します
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本書紀(nihon shoki)』神代 誓約(ukehi)段一書(三)に記される伝承
ここに記される「三柱の女神(宗像三女神)」が「宇佐嶋に天下った」との伝承があり 宇佐神宮では これを御許山(omoto san)(大元山)としていますが 三女神社(sanmyo shrine)では 安心院の地としています
意訳
「 そして「日の神」がお生になられた三柱の女神は 葦原中国(ashihara no nakatsukuni)の宇佐嶋(usa shima)に降らせられました
今 北の海路(宗像三女神)の中にお出でになられています
名づけて「道主貴(michinushi no muchi)」と言います
これは 筑紫の水沼君(chikushi no minuma no kimi)などが祀る神です 」
【原文参照】『日本書紀』 刊本 文政13年選者 舎人親王[旧蔵者]内務省 国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用
水沼井の伝承について
前述の『日本書紀(nihon shoki)』には「筑紫の水沼君(chikushi no minuma no kimi)などが祀る三柱の女神を祀る」とありますが
この「水沼井」伝承には「三女神天降りの際の産水(うぶみず)とされ・・奉仕の社家は水沼氏と称し・・」と記されています
水沼井 (おみず)
当社東南500mの盆地内に根宮(もとみや)があり 神池として清水が湧出する。
伝説によれば 三女神天降りの際の産水(うぶみず)とされ、雨や旱(ひでり)に増減 混濁(こんだく)することなし、また、手足の不ずいにも著効(ちょこう)ありという。
奉仕の社家は水沼氏と称し、お供えや炊事(すいじ)の水にも用いられたとされる。
この水沼井も安心院七不思議の一つである。安心院地区まちづくり協議会 教育文化部
境内案内板より
三女神社(sanmyo shrine)の「三柱石」の伝承について
天照大神(amaterasu omikami)が この三女神を宇佐嶋に天降らせるときに 天安河原の石を手に取り「この石が落ち留まる所に鎮座せよ」といわれて お投げになられた石が 安心院の地に突き刺さった そのあとから三女神も降りてこられて三女神社(sanmyo shrine)が祀られた その刺さった石が「三柱石」との伝えです
三柱石(みはしらいし)
三女神天降(あまくだ)りの遺跡と伝えられ 地上に突出すること2m余り
『古来試みに穿(うが)ちて 石根(いしのもと)を見んと欲すれば宇宙闇然(うちゅうあんぜん)風雨至り大地震動(しんどう)してその声、雷の如しと言う。
後人(のちのひと)恐れて觸(ふれ)るものなし』
と言い伝えられる。
なお、三柱石は安心院七不思議の一つとされている。安心院地区まちづくり協議会 教育文化部 境内案内板より
皮籠石の伝承について
ここに登場する仁聞菩薩(にんもんぼさつ)については 諸説ありますが 宇佐の八幡信仰(神仏習合)と密接な関係にあります 代表的なものは 2つです
①奈良時代に大分県国東半島の各地に28の寺院を開基したと伝えられる伝説的な僧とする説
➁宇佐神宮の祭神である八幡神自身あるいは八幡神に近しい神の仏教的表現であるとする説
皮籠石(かわごいし)
当社西約100mに皮籠石(かわごいし)なる名の字(あざ)あり。そこに皮籠大明神といわれる当社の末社があったが 明治初期、この玉垣内に移し祀られた。
奈良時代に仁聞菩薩(にんもんぼさつ)が 三女神社に参拝し、ここに皮籠を下ろし 前面の岸壁に仏像を刻んだと伝えられる。また一説には神武(じんむ)天皇東征の時、この石に皮籠を置かれたとも伝えられる。安心院地区まちづくり協議会 教育文化部
境内案内板より
三女神社(sanmyo shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
安心院盆地は 宇佐氏発祥の地で 宇佐氏が奉斎した二つの古社「三女神社 “三女神降臨伝承”」と「妻垣神社 “一柱騰宮伝承”」があります