布勢巨神社(赤磐市中勢実)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢巨神社(ふせこじんじゃ)は 龍天山の山頂の眺望絶佳の地に鎮座します 古昔 式内社布勢神社は此の山に御鎮座せられていたが 後世 仁堀西に遷され 現在は布勢巨神社のみとなっています 延喜式内社 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

布勢巨神社(Fuseko shrine

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

岡山県赤磐市中勢実65

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》事代主命(ことしろぬしのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

祈雨・祈晴・祈穀の神

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

由緒

本神社は本国神名帳に、布勢巨神社。山本氏本に、正四位下布勢巨明神と記載の旧社である。
龍天山の山頂の眺望絶佳の地に鎮座せられている。
古昔、式内社布勢神社は此の山に御鎮座せられていたが、後世仁堀西に遷された。現在は布勢巨神社のみとなっている。
古米祈雨・祈晴・祈穀の神社として著名である。

岡山県神社庁HPより
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17736/

【由 緒 (History)】

『岡山県旅行記』〈明治25年〉に記される内容

布勢巨神社の鎮座する「龍天山」について記されています

【抜粋意訳】

龍天山

福渡の東方赤阪郡の北端に龍天山あり 其脉東西に延びて 備前と美作ノ國境をなせり

【原文参照】

磯部熊太郎 著『岡山県旅行記』,細謹舎,明25.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/766118

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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

布勢巨神社 本殿

本殿は石祠

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布勢巨神社 社殿

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布勢巨神社 拝殿

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・〈境内社〉3社合殿・小祠・龍王宮の扁額

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・龍天山の山頂から遷座した 布勢神社(赤磐市仁堀西)

布勢神社(赤磐市仁堀西)は 往古 中勢實村龍天山に鎭座したが 垂仁天皇の御字 瀬戸内海で渡船の転覆の難が続き 占うと「吉備の国布勢大明神の神威なり 社殿を七谷七畝の山麓に遷し 北面に勧請ありたし」と奏上があり 現在の山麓の地に勧請し 社殿を北向きに造営

・布勢神社(赤磐市仁堀西)《主》大穴牟遅神

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)備前國 26座(大1座・小25座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)赤坂郡 6座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 布勢神社(貞)
[ふ り が な ](ふせの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Fuse no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載される「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の論社について

東山道 信濃國 更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布制神社(長野市篠ノ井石川)

・布制神社(長野市篠ノ井布施五明)

・臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明 布施神社旧鎮座地〉

・布制神社(長野市篠ノ井山布施)

北陸道 越中国 射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(氷見市布施)《主》大彦命

北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

一説に
布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが 宝永5年(1708)6月の洪水で流失し 芦弁寺がこの神社を引きとったと云われ 芦弁寺の雄山神社の境内社若宮神社に合祀と伝わります

・布勢神社(魚津市布施爪)《主》五十猛命 五十日足彦命

・布勢神社 の論社
〈雄山神社 中宮 若宮に合祀〉

山陰道 出雲国 出雲郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

〈奥宇賀神社に合祀〉奥宇賀布勢鎮座 籠守明神《主》伏雷神 武内宿禰命 息長足姫命 大己貴神

山陽道 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(赤磐市仁堀西)《主》大穴牟遅神

・布勢巨神社(赤磐市中勢実)《主》事代主命

南海道 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(さぬき市寒川町)

・造田神社(さぬき市造田是弘)

式内社「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の類社として

東山道 近江國伊香郡 布勢立石神社(ふせのたていしの かみのやしろ)

・布勢立石神社(長浜市木之本町赤尾)

北陸道 越後國蒲原郡 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)

・小布勢神社(三条市上保内丙)

・五泉八幡宮(五泉市宮町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR津山線 福渡駅からR484号経由で北西方向へ約12.5km 車での所要時間は20~25分程度

当日は
布勢神社(赤磐市仁堀西)から鴨神社(赤磐市仁堀西)を参拝して布勢巨神社(赤磐市中勢実)向いました

各々の神社の記事を参照

・鴨神社(赤磐市仁堀西)

・布勢神社(赤磐市仁堀西)

R484号を吉井竜天オートキャンプ場方面へと進みます

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その後 県道52号を経由して 珍宝子の神として 祀られている金勢大明神への案内板があり 布勢巨神社の鎮座する「龍天山」を上って行きます

布勢巨神社への参道入口は わかり難いのですが「金勢大明神 約1km先」の案内板があるところを 左の脇道へと曲がって行きます

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参道を進んでいくと 注連柱があります

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鳥居が建ちます

布勢巨神社(赤磐市中勢実)に参着

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そのまま参道を上がって行くと 左手に石段があり 社殿が見えてきます
石段の両脇には 注連柱の様に 杉が植えられています
石段を上がり

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 石祠の本殿が祀られています

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境内社の脇には 龍王宮の扁額

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「布勢巨神社 拝殿改築寄附者芳名」の石碑

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社殿に一礼をして参道をも戻ります

龍天山」を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 布勢神社について 所在は゛仁堀西村に在す、゛〈現 布勢神社(赤磐市仁堀西)〉と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社

布勢は假字也

○祭神詳ならず布勢氏祖神歟〕

仁堀西村に在す、〔式社考〕

例祭 月 日

備陽國云、古は中勢實村龍天山にあり、後に今のに移す

類社
 越中國射水郡 布勢神社の條見合すべし

社領
 高一石八斗、池田家寄附、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 布勢神社について 所在は゛舊 中勢實村龍天山にありしを、今 仁堀西村布勢谷に移祭る、゛〈現 布勢神社(赤磐市仁堀西)〉と記しています

【抜粋意訳】

布勢(フセノ)神社、

 中勢實村龍天山にありしを、今 仁堀西村布勢谷に移祭る、〔備前國志、備前式社考、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 布勢神社について 所在は゛仁堀西村〔字布勢谷〕(赤磐郡仁堀村大字仁堀西 )゛〈現 布勢神社(赤磐市仁堀西)〉と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社

祭神 大彥命

 今按 明細帳に祭神 大彥命 大巳貴神 天鈿女命とあるを 注進狀には大名牟遲神と改めたり
新撰姓氏錄に阿都朝臣 孝元天皇皇子 大彥命之後也 布勢朝臣 阿都朝臣 同祖とみえて 布勢神社は必ず大彥命を主と祭り 大名牟遲神等をば相殿に祭れるなるべし 故訂して記せり

祭日 十月五日
社格 郷社

所在 仁堀西村〔字布勢谷〕(赤磐郡仁堀村大字仁堀西 )

 今按 本社古へは 木郡中勢實村龍天山の内鳥ケ仙にありと云り 此 龍天山は布勢の神山とも云て 本國第一の高山なり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

布勢巨神社(赤磐市中勢実) (hai)」(90度のお辞儀)

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備前国 式内社 26座(大1座・小25座)について に戻る

 

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