八幡塚旧跡〈白幡八幡社 旧鎮座地〉(寄居町赤浜)

八幡塚旧跡は 井椋神社に合祀された 字栗坪あった祠「白旗八幡社の旧鎮座地の跡になります 従って『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の「武蔵國 男衾郡 出雲乃伊波比神社」の論社の跡地ですが 延喜式の時代(927年)には 当地に鎮座していたことになります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八幡塚旧跡(Hachimanzuka Historic Site)〈白幡八幡社 旧鎮座地〉
(はちまんづか きゅうせき)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

埼玉県大里郡寄居町赤浜

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

旧跡の為 現在は祭祀なし

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社の旧鎮座地

【創  (Beginning of history)】

字栗坪古来からあった祠〈出雲之伊波比神社〉に
天喜年中(1053~58)源頼義が 奥州征伐の途 源氏の守護神である八幡を併せ祀り 白旗を献じて戦勝を祈願したことから 社号を「白旗八幡社」と改めたと伝わります
その後 天正8年(1580年)荒川の度重なる氾濫により 白旗八幡社は 住民と共に現在地寄居町赤浜遷座し 出雲之伊波比神社となります 江戸時代までは「八幡さま」と呼称されますが この八幡社が赤浜に遷座した後畠山の氏子等は ここに祠を立てて祀り続けたとされます
 その後 明治39年の勅令に基いて 明治41(1908) 字栗坪白旗八幡社井椋神社の境内に遷座ました

この場所は その祠「字栗坪白旗八幡社」が 鎮座していた旧跡です

【由  (History)】

八幡塚 御由緒

 赤浜は 古代より 下河内にあり 天正年間まで 村落をなし 延喜式内社 旧郷社 出雲乃伊波比神社 鎮座されしも 荒川の度重なる大洪水に崩壊し 天正8 鉢形城主 北条安房守氏邦 領地の時代 先人の英知によりて の現在地に 本社殿を御遷座し 氏子も共に移れり

 正保4 旗本 水野石見守十郎左衛門忠貞 領地替えの記念として 社地及び境内に植樹せり
 社殿跡地に 御分神 誉田別尊(八幡大神)を奉仕し 八幡塚と敬称す
 塚の東を宮 塚の南を宮 北を宮後川端と称し 塚の東南に宮井ありて保存せり
 由緒ある此の地も 時移り 農業の近代化促進のための土地改良事業完成を機会に 心のふるさととして 昔を偲び 赤浜地区の繁栄を祈念し 氏子と土地改良区各位の総意と協力を得て建碑す
宮司 高橋達男 撰書

現地碑文より

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当地に在った祠「字栗坪白旗八幡社」の遷座した神社

天正8年(1580年)遷座「白旗八幡社

・出雲乃伊波比神社(寄居町赤浜)

明治41(1908)遷座 天正8年(1580年)遷座後も 祀られ続けた

白旗八幡社〈井椋神社の境内社〉(深谷市畠山)寄居町赤浜に遷座した出雲乃伊波比神社の元宮

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)男衾郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 出雲乃伊波比神社
[ふ り が な ]いつものいはひ かみのやしろ)
[Old Shrine name]Shirakamino no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

大宮氷川神社(さいたま市)のかつての 神職〈社家〉の謎について

武蔵国 一之宮 氷川神社である「大宮氷川神社の 祭神は 元来 出雲建国の3柱(みはしら)の神と 荒脛巾神(あらはばぎのかみ)を祀ります

須佐之男命(すさののみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
荒脛巾神(あらはばぎのかみ)

従って この神を祀る神職〈社家〉 かつては 4社家存在していました
①➁➂の社家は 江戸時代までは 社家を務めていました
上の祭神の順に並べると

岩井(イワイ)男體社
角井(ツノイ)女體社(後の東角井家)
内倉(ウクラ)簸王子社(後西角井家)
氷川(ヒカワ)荒脛巾社(後に途絶えたか)

ここで
須佐之男命(すさののみこと)を祀る社家が 岩井家男體社〉であった事実を知ると 興味が湧きます

出雲の神「素戔嗚(すさののみこと)」を祀るのは 岩井イワイ家の役割であったのです
当神社「出雲乃伊波比(イズモノイワイ)神社」の名称が 偶然ではないことが想定できます

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以下 同じ武蔵国の延喜式内社でイワイ」の文字を持つ神社を追ってみます

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
武蔵國 男衾郡 出雲乃伊波比(イズモノ イハイ)神社」の3つ論社について

・出雲乃伊波比神社(寄居町赤浜)

・出雲乃伊波比神社(熊谷市板井)

白旗八幡社〈井椋神社の境内社〉(深谷市畠山)寄居町赤浜に遷座した出雲乃伊波比神社の元宮 

八幡塚旧跡〈白幡八幡社 旧鎮座地〉(寄居町赤浜)井椋神社に合祀された白旗八幡社の旧鎮座地 

武蔵國 入間郡には 同じく「出雲(イツモ) イハイ」の音をもつ式内社
武蔵國入間郡 出雲伊波比神社」の論社 4つについて

・出雲伊波比神社(毛呂山町岩井西) 

・出雲祝神社(入間市宮寺) 

・川越氷川神社(川越市宮下町) 

・北野天神社(所沢市小手指元町) 

武蔵國 横見郡には 同じく伊波比 イハイ」の音をもつ式内社
武蔵國 横見郡 伊波比神社」の論社について

・伊波比神社(吉見町黒岩)

武蔵國 荏原郡には 磐井 イハイ」の音をもつ式内社
武蔵國 荏原郡 磐井神社」の論社について

・磐井神社(大田区大森北)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

秩父鉄道 永田から R140号 経由南下 約4km 荒川を渡り 車で7分程度

畠山重忠公史跡公園から川沿いの道を西南に向かいます 関越道の下を通ると かつての「史跡 鎌倉街道」があり 古くからの街道筋であったことがわかります

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街道筋は 荒川に対して高台にあって この位置から かつて荒川の度重なる大洪水に崩壊しとされ八幡塚旧跡のある〈旧 赤濱村〉方向を眺めます

確かに川沿いの低い平地であって 洪水により運ばれたであろう肥沃な土によって 豊な土地ではあったでしょうが 水をかぶるのも避けようがない地域だと良く理解できます

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現在は 土地改良事業水田と麦の二毛作地の豊かな田園となっています 訪れたのは 麦の刈り入れ前の時期です
八幡塚旧跡(Hachimanzuka Historic Site)〈白幡八幡社 旧鎮座地〉に参着

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碑文にすすみます 

2つの碑文が立ち
一つは 横向き石碑八幡塚 御由緒
一つは 縦向き石碑「土地改良記念碑 昭和63年10月吉日」

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かつてこの地に 鎮座されていた 白幡八幡社に崇敬を表し
お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

祭神は 大己貴命であり 所在について『式社考』を引用し「伊多井村」〈現 熊谷市板井〉を比定社としています

【意訳】

出雲乃伊波比(イツモノイハイ)神社

式社考 伊多井村にあり
〇信友云う 兼永本 朱書き入り 大己貴命なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承

畠山村の「村民の伝兵衛と云う者の宅地にあり 古き鰐口寛正2年(1461)〉を掛たれば 古社なること論なし その図右の如し」と記されています

【意訳】

巻之224 男衾郡之3 鉢形 畠山村 の条

白旗八幡社(シラタハチマンノヤシロ)

村民持ち 以下同じ
〇稲荷社
〇釜山権現社
村民の伝兵衛と云う者の宅地にあり
古き鰐口寛正2年(1461)〉を掛たれば 古社なること論なし その図右の如し

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

論社の所在について
『地名記』には 赤濱村〈現 寄居町赤浜
式社考』には 伊多井村」〈現 熊谷市板井〉を比定社としていると記しています

【意訳】

出雲乃伊波比神社

出雲乃は 伊豆毛能(イズモノ)訓ずべし 伊波比は仮字なり
〇祭神 三穂津姫命 誉田別尊 天兒屋命 地名記

〇赤濱村に在す 地名記
〇式社考には 伊多井と云えり 今は 八幡春日と称す

〇当国 横見郡 伊波比神社あり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

所在について 赤濱村〈現 寄居町赤浜〉を比定しています

【意訳】

出雲乃伊波比神社

祭神 須佐之男神

今 按〈考えるに〉
武蔵式社道程命附に 祭神 三穂津姫命 相殿 誉田別天皇 天兒屋命にて 今は八幡春日と云うとあれど信じがたし 
明細帳に 祭神 須佐之男神とあるは 上の出雲伊波比神社の條に云る如く 天穂日命に由ありて 出雲ノ神にませば 須佐之男神を祭る云う古伝なるべし 故に今 これに従う

祭日 8月15
社格 村社(郷社)
所在 赤濱村(大里郡男衾村大字赤濱)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

八幡塚旧跡(Hachimanzuka Historic Site)〈白幡八幡社 旧鎮座地〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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