阿曽隈社(香春町採銅所)〈阿曽隈遺跡〉

阿曽隈社(あそくましゃ)は 香春岳(かわらだけ)の三つの(第一・第二・第三)の山頂に奉祀した香春の三神〈辛国息長大姫大目神・忍骨神・豊比咩神〉内の三ノ岳の東麓 阿曽隈に豊比咩神を祀った旧跡とされ 和銅二年(709)には この地に古宮八幡宮の元宮が祀られ 一ノ岳の南麓には゛新宮香春神社が創建されました これらの旧跡とされています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

阿曽隈社(Asokuma sha

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福岡県田川郡香春町採銅所5191

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊比咩命(とよひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の旧跡

【創  (Beginning of history)】

『太宰管内志』中巻明41-43年〉に記される内容

【抜粋意訳】

豊前國二巻 田川郡上 〇辛國息長大姫大目命神社

古縁起 弘安十年丁亥七月九日・・・・
・・・・

〔一曰〕置絢子 奉崇 阿曾隈採銅所ノ内〕爾降 元明天皇御宇 和銅二年奉 勧請于新宮〔香春是也〕號に本新両社 抑當社御造営ノ事

※意訳文
弘安10年(1287)成立「香春神社解文」
日置絢子が採銅所内 阿曽隈を崇し奉る これより降って 元明天皇御宇 和銅2年(709)新宮に勧請し奉る これが香春神社なり 本新両社と号す」

【原文参照】

伊藤常足 編『太宰管内志』中巻,日本歴史地理学会,明41-43. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/766661

【由  (History)】

『太宰管内志』中巻明41-43年〉に記される内容

古宮八幡宮の現地説明文に「古宮八幡神社は平安時代にできた「延喜式」の「神名」に挙げられている豊比咩命神社の本社であり その最初の鎮座地は 香春三ノ岳の麓、阿曽隈という所である。」

【抜粋意訳】

豊前國二巻 田川郡上 〇豊比咩命神社

・・・・
・・・・

豊比咩命神社は 今は三ノ嶽の麓にして中採銅所村ノ内に在て古宮(コミヤ)八幡宮と云 採銅所三村の産沙神なり 社は東に向て立り〔香春より小倉に通ふ道筋北ノ側少し高所にあり、〕
此御神は初 阿曾ノ隈に座し中 比本社 三ノ御殿に座し趣なり、祭は三月十六日にあり十五日ノ夜神輿を香春ノ本社三ノ御殿に移して さて本宮ノ神輿二基 古宮ノ神輿すべて三基 上香ノ頓宮に移す 祭終て十六日ノ夜に 又三基共に本宮に移して さて後にー基は古宮に移す事なり、

〔古宮八幡宮ノ縁起〕に本殿は三ノ岳ノ御神にて八幡宮は相殿なる由云り 是に依て考ふれば 上古は三神共に山上にいませしと聞えたり、さて三ノ岳東麓に古宮が鼻と云所あり 是 古宮八幡宮の舊跡なりと云 是彼 阿曾隈の事と 聞えたり 今の古宮ノ社のある所は高巣の森と云ふ處なり、

神官一家あり鶴賀氏なり、
採銅所村ノ内に現人神社と云ものあり 是に依て鶴賀氏は都努賀阿羅斯等の子孫にして現人神は本宮の夫神ならむかと思へりしはひがことなり現人神ノ社と云ハ原田氏の霊を祭りたる社にして さばかり古キ社にはあらず 此邊に原田氏の人多し 皆此 現人神を祖なりと云 鶴賀氏ノ事は當郡 仲津原村に鶴岡八幡とて鎮西八郎爲朝建立ノ社と云うもの有て 神官則 鶴賀氏なり 是は往昔 鎌倉鶴岡より來たれりし者なれば 鶴賀を氏とすと云 又 鏡山の神官も鶴賀氏なり、

【原文参照】

伊藤常足 編『太宰管内志』中巻,日本歴史地理学会,明41-43. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/766661

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・香春神社(香春町香春)〈現在〉

・古宮八幡宮(香春町採銅所)
〈香春神の三ノ峯の社 元鎮座地 古宮〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

香春岑神三社〈現 香春神社(香春町香春)の三つ峯の山頂にあった元社〉は 石灰岩の山で 元々は 上木は生えていなかった

此の山の下で 僧最澄が遣唐使に出向く際に 無事に渡海を祈願し 無事に生還したので 読経して神宮寺を造営したところ 以来 草木が茂ったたことが記されています

【抜粋意訳】

卷第六 承和四年(八三七)十二月庚子十一

○庚子

旭旦至戌時大風。京中屋舍往々破壞
大宰府言。管せる豐前國田河郡 香春岑神。辛國息長大姫大目命。忍骨命。豐比命。惣三社。元來(モトヨリ)石山にて。而上木惣
るふ延暦年中。遣唐僧最澄躬到此山。願くは神力。平かに得渡海するを。即於山下。爲めに讀經せん。爾來(コノカタ)草木蓊鬱とし。神驗如在すか。毎水旱疾疫之。郡司百姓就祈祷すれば。必感應。年登人壽。異なり於他郡。望くはけて官社。以さん崇祠。許

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

香春神社の三柱の神〈①辛国息長大姫大目命神忍骨命神豊比咩神〉の内 辛國息長比咩(カラクニヲキナカヒメノ) 忍骨(ヲシホネノ)の二柱の神に神階の奉授が記されています

しかし この内゛辛國息長比咩(カラクニヲキナカヒメノ)゛と云う神名は辛国息長大姫大目命神社豊比咩神社を合せた神名となっていて 同一神として捉えているとの説もあります

【抜粋意訳】

卷十 貞觀七年(八六五)二月廿七日己卯

○廿七日己卯

豐前國 從五位上 辛國息長比咩(カラクニヲキナカヒメノ) 忍骨(ヲシホネノ) くに從四位上
阿波國 正五位下 天石門和氣八倉比 從四位下
和泉國 從五位下 泉穴師神 從五位上
出羽國 正六位上 城輪神 高泉神 に 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)豊前國 6座(大3座・小3座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田川郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 豊比咩神社(貞)
[ふ り が な ]とよひめの かみのやしろ
[Old Shrine name]Toyohime no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『古風土記逸文』〈昭和2年〉に記される「豊前 鹿春神」について

豊前國風土記逸文 鹿春神に 年魚〈鮎〉の棲む清浄な川原(香春)に新羅国の神が住み鹿春神(かはらのかみ)となつたと記します

【抜粋意訳】

豊前國風土記逸文 鹿春神

豊前國風土記曰。田河郡鹿春郷。〔在に郡東北〕。此郷之中有河。年魚在之。其源從に郡東北杉坂山出。直指に正西流下。添に會眞漏河焉。此河瀬清淨。因號に清河原村。今謂に鹿春郷訛。昔者新羅國神自度到來。住に此河原。便卽名曰に鹿春神。又號北有峯。頂有沼。〔濶丗六歩許〕黄楊樹生。兼有に龍骨。第二峯有に銅幷黃楊龍骨。第三峯有龍骨。〔釋日本紀卷十・宇佐八幡託宣集〕

(一)便、頭注无

豊前國風土記に曰く。田河の郡、鹿春郷 (かはるの郷 )。(郡の東北にあり)この郷の中に河あり。年魚(あゆ)これにあり。その源は、郡の東北なる、杉坂山より出づ。直ちに正西を指して流れ下り、眞漏河に添會(つど)ふ。この河の瀬清し。因れ清河原の村と號ふ。
今鹿春の郷と謂ふは訛れるなり。昔者、新羅國の神、自ら渡り來りて、この河原に住む。卽ち名づけて鹿春の神と曰ふ。又郷の北に峰あり。頂に沼あり。(潤さ三十六步許)黄楊(つげ)の樹生ふ。兼(ま)た、龍(たつ)の骨あり。第二峰に、銅(どう)並に黃楊、龍の骨あり。第三峰に龍の骨あり。〔釋日本紀卷十・宇佐八幡託宣集〕

【原文参照】

栗田寛 著『古風土記逸文』,大岡山書店,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1210472

社記『香春神社縁起(かわらじんじゃえんぎ)』にある香春神の三柱の神について

香春神の三柱の神〈①辛国息長大姫大目命神忍骨命神豊比咩神〉は

『香春神社縁起』には 崇神天皇(すじんてんのう)御代(BC97-BC30)この三柱を 香春岳(かわらだけ)の三つの峯に奉祀したのが創始としています

一の峯は 辛国息長大姫大目命(からくにおきながおほひめおほじのみこと)
二の峯は 忍骨命(おしほねのみこと)
三の峯は 豊比(とよひめのみこと)

゛豊前國風土記逸文 鹿春神゛にあるように
一の峯は 黄楊(つげ)の樹生ふ。兼(ま)た、龍(たつ)の骨あり

二の峯は 銅(どう)並に黃楊(つげ)、龍の骨あり

三の峯は 龍の骨あり

※ここで云う゛龍骨゛とは゛石灰石゛のこと
一般的には 大型脊椎動物(ゾウなどの哺乳類)の化石化した骨
竜骨 (生薬)は -これを原材料とする生薬

※ここで云う゛銅(どう)゛とは 採銅所(さいどうしょ)があって 銅の採掘

※ここで云う゛黄楊(つげ)の樹゛とは 古代には神聖な樹木とされ櫛の材とされた

重要な場所とされていたことが 伺い知れます

香春神社(香春町香春)の建立について

社記『香春神社縁起(かわらじんじゃえんぎ)』によれば
和銅2年(709)一ノ岳の南麓に一社〈現 香春神社(香春町香春)を建立し 三神を合祀 香春宮と称したと記され

弘安10年(1287)成立の社記『香春神社解文(かわらじんじゃげぶみ)』によれば
香春の新宮〈現 香春神社(香春町香春)を設けて三神が合祀の時 日置絢子(ひおきのあやこ)が祀っていた 三ノ岳の阿曾隈(あそくま)の豊比咩命(とよひめのみこと)〈その時は採銅所の古宮八幡神社に奉祀られていた〉を勧請されたと記し 現在の祭祀形態となりました

古宮八幡宮の建立について

古宮八幡宮(香春町採銅所)は 旧社地の古宮鼻〈三ノ岳の東麓 阿曽隈〉に 元明天皇和銅二年(709)創祀とされます〔香春神社(香春町香春)〈和銅2年(709)一ノ岳の南麓〉の創祀と同時期〕
その後 永禄4年(1561)に社殿宝庫を焼失し 慶長4年(1599)に旧社地の古宮鼻〈三ノ岳の東麓 阿曽隈〉より現在地(香春町採銅所)に移ったと云う

こちらの伝えでは 三ノ岳の阿曾隈(あそくま)の豊比咩命(とよひめのみこと)は 香春神社(香春町香春)に遷座せず 古宮に留まって祀られているようにも見えます
現在でも 豊比咩命は 例祭の時にだけ新宮である香春神社に下向し 例祭が終わると再び古宮八幡宮に戻りっています

延喜式内社 豊前國 田川郡 豊比咩神社(貞)(とよひめの かみのやしろ)の変遷

・香春神社(香春町香春)〈現在〉

・古宮八幡宮(香春町採銅所)
〈香春神の三ノ峯の社 元鎮座地 古宮〉

・阿曽隈社(香春町採銅所)
〈古宮八幡宮の元宮〉

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

香春神社からR322号経由で金辺川沿いに北上 約5km 車10分程度で入口に着きます

おおよその場所は゛香春町史跡案内図 香春町教員委員会
地図の中央 三ノ岳の東麓あたり

香春町史跡案内図 香春町教員委員会

宮原の交差点で左折して秋月街道に入ります

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健康マップという案内板があり この辺りに
゛かつて古宮八幡が鎮座していた名残の御手洗池跡から、・・・・゛と案内文があります

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そこから100m程上りを進むと゛史跡 阿曽隈社 入口゛の立札があります

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阿曽隈社(香春町採銅所)の入り口に到着

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なんとなく 立札の差す方向に道のようなものがあるので進みます

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JR線の下に しっかりと石垣で養生された道となっていて 少し安心します

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トンネルの先に゛阿曽隈社゛の案内板があり この道で良いと確認

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この辺りは 石畳となっていますが 少し上ると轍のある砂利道になります
軽自動車は上がってくるのだろうか

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人っ子一人いない寂しい道ですが 案内の立札があるので 進んでいきます

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すると道端に これより先には立入禁止の案内があります

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しかし 立入禁止の案内の立札の反対側に
゛史跡 阿曽隈社50m→゛の案内があり安心します 茂みに細い道が続いています

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すぐに石がゴロゴロとして 下草が刈られている場所があり 祠のようなものが見えます

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阿曽隈社(香春町採銅所)に参着

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石祠〈コンクリート製〉の前には゛阿曽隈遺跡゛と刻されています

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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ここが太古には 宮地であったと伝承されているところです

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一礼をして 境内跡から戻り 先程の立ち入り禁止の札のあった場所
ここから上が立入禁止 下へ戻ります

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下り道からは眼下には 金辺川の流れる香春町採銅所が見渡せます

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古宮八幡が鎮座していた名残の御手洗池跡の辺りまで戻ってきました

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 豊比咩命神社について記しています

【抜粋意訳】

豊比咩命神社

豊は止與と訓べし、比咩は假字也、

〇祭神明か也

注云 ,註、肥前佐嘉郡下、〔與止日女神社の條見合すべし〕

官社 以上三座
績日本後紀、承和四年十二月庚子、太宰府言、管豊前國田河郡香春神、辛國息長大大目命、忍骨命、豊比命、惣是三社、元來是石山而土木惣無、至延曆年中遣唐請益僧最澄、躬到に此山祈云、願緣に神力、平得に波海、即於に山下、爲神造寺讀經、爾來草木鬱蒼、神驗如在、毎有に水早疾疫之灾、郡司百姓就之祈禱、必蒙に咸應、年登人壽異に於他郡、望預に官社、以表に崇祠、許乏、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 豊比咩命神社について 所在は下香春村〈現 香春神社(香春町香春)〉と記し 『續日本後紀』卷第六 承和四年(八三七)十二月庚子十一〉の條に官社に関連するとして記しています

【抜粋意訳】

豊比咩命神社

祭神 豊比咩命

官社
仁明天皇 承和四年十二月庚子 太宰府言管豊前國田河郡香春岑神辛國息長大姫大目命忍骨命豊比咩命惣是三社元來是石山而土木惣無有至延曆年中遣唐請益僧最澄躬到此山祈云願綠神力平得渡海卽於山下爲神造寺讀經爾來草木鬱蒼神験如在毎有水旱疾疫之灾郡司百姓就之祈祷必蒙感應年登人壽異於他郡望預官社以表崇祠許之

祭日 三月十五日十六日九月八日九日十一月初午日
社格 縣社

所在 下香春村 (田川郡香春町大字香春) 

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

香春神社(香春町香春)ついて 延喜式神名帳 田川郡三座並小、辛園息長大姫大目命神社、忍骨命神社、豊比咩命神社であると記しています

【抜粋意訳】

〇福岡縣 豊前國川郡香春町大字香春

縣社 香春(カハルノ)神社

祭神
 忍骨(オシホネノ)命
 辛國息長大姫大日(カラクニオキナカオホヒメオホメノ)命
 豊比咩(トヨヒメノ)命

當社は延喜式神名帳に「田川郡三座並小、辛園息長大姫大目命神社、忍骨命神社、豊比咩命神社、」とあるもの是なり、
豊前風土記に「田川郡鹿春郷云々、、新羅神自度到來、住此河原、便郡名曰鹿春神」とありて、其の創建の由來に關しては、元享釈書最澄之に「延暦二十三年秋月、從遣唐使菅清公、唐に渡らんとする時、田川郡賀春山下に宿りしに、夢に賀春大神顯はれ給ひ、海上を守護せしむる旨教示し給ふ、よりて海途平穏なるを得、帰朝後直ちに法華院を建て、白ら講席を創む云々」と見え、

また日本後紀に、
「承和年太宰府言、管豊前田川郡香春岑神、辛國息長大姫大目命、忍骨命、豊比咩命、惣是三社、元来是石山而土木惣無、至延暦年中、遣唐請益僧最澄、躬到此山祈云、願縁神力、平得渡海、即於山下、為神造寺読経、爾来草木欝、神験如在、毎有水干疾疫之災、郡司百姓就之祈祷、必蒙感応、年登人寿異、於他郡、望預官社、以表崇祠、許之」
とあるによりて、其の大要を推知するに足るべし、

且つ貝原翁の著豊國紀行にも、「香春町云々、此に傳教大師渡唐の前後に住まれし事あり、此時より香春に寺を建て初めけり、昔は六坊ありし其跡、社の左右処々にあり、今も一坊残れり云々」とあるを見れば、最澄の神院建設後、神験灼然とし、終に今の神祠を営むに至れるなるべし、

さて香春嶽は 豊前風土記に「郷北有峰、頂有沼、黄楊樹生、兼有龍骨、第二峰有銅並黄楊樹龍骨、第三峰有、とありて、三峰より成れる急峻なるが、
社記によれば、第一嶽に宇國息長大姫大目命神社、第二嶽忍骨命神社、第三嶽に豊日咩命神社鎮座し、香春三社大明神と総称せりしよしいへり、

今社は一の嶽の南麓に在りて南に向へり、往昔は三の嶽の麓に在りしと豊前志に見ゆ、

三代実録に「貞観二十七日己卯、豊前國従五位上 辛國息長比咩神、忍骨神並授従四位上」
とあれど、豊比咩命に關しては、此事なし、恐くは漏れたるなるべし、忍骨命に、其事歴明かなれども、他の二神は、正史に見えざるより、此に關する先輩の諸説未だ定まらず、一は新羅神なりとし、他は、息長帯姫命とす、前説は、豊前國風土記に「田川部鹿春郷、昔新羅神、自度来此川原、即名曰鹿春神」とあるに本づき、後説は語原より説きて、辛は、彼國を平らげ給ひし御功動を称へ奉れるよりの御名にて、大姫の大は称言、大目は大日の誤にて、下に女の字を脱したるべく、即息長帯日女命をかくいひなしたるなり、と主張す、さもあるべし、
次に豊比咩命は、八幡宮縁起に、「皇后使妹豊姫興磯良云々」とあるにりて、神功阜后の御妹にましますべきかといひ、皇后の御妹に虚空津比命と申すがあり、命征韓の時に、功積を立て給ひしを以て、凱旋の後皇后之を豊に封じ、併せて韓をも鎮座せさせ給ひし故に、豊姫とも申せしなるべしといへり、

社の古縁起の一弘安年のものによれば、元明天皇和銅年の創建にして、永承年中造営し、以来建暦年度に至るまで、六度の造営あり、又後嵯峨天皇寛元元年日には、当社の造営ありて、朝家の経営を以て、諸國に課役することの宣旨ありきと云へど、文永十二十六日火災に罹りたる爲、其宣旨を失すと云へり、

豊前志に「大鳥居享和月、門台雁木の左右に老松諸木森立し、神さたり、迫りの丘に大石垣あり、の雁木を登りて、大殿の裏を窺へば、宮柱太敷ままに立並び、其様麗しく、又仰いで森の梢を見上ぐれば、香春岳数千丈の岩壁々として立ち、天下に比ひなし云々」と賞讃せる社地にして、今境内千三百坪(官有地第一種)を有し、社殿は本殿・幣殿・拝殿・廻廊、神供所、神輿庫等を備へ、結構壮麗なり、明治十一月縣社に列す。

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

阿曽隈社(香春町採銅所) (hai)」(90度のお辞儀)

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豊前国 式内社 6座(大3座・小3座)について に戻る 

 

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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