三ヶ尻八幡神社(熊谷市三ケ尻)

三ヶ尻八幡神社は 天喜4年(1056)に鎮守府将軍 源頼義と嫡男 八幡太郎義家が 奥州出陣9年の役にあたり 戦勝祈願したとされる古社です 『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 田中神社」の論社とも云われています

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八幡神社(Hachiman Shrine)
(はちまんじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

三ヶ尻八幡神社(みかじりはちまんじんじゃ)八幡さま(はちまんさま)

【鎮座地 (Location) 

埼玉県熊谷市三ケ尻2924

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》誉田別命(Homutawake no mikoto)

大日霎貴命(Ohirume muchi no mikoto)
   菅原道真公(Sugawara no michizane ko)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・開運 Good luck
厄除け  Prayer at an age considered a milestone in life
交通安全 Pray for Traffic safety
・学業成就 Want to acquire knowledge and skills
・等 etc

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

当社の創建は 第70 後冷泉天皇の御宇 天喜4年(1056)

再建之碑

篆額 鶴岡八幡宮 宮司 吉田茂穂

 当社の創建は 第70 後冷泉天皇の御宇 天喜4年 鎮守府将軍 源頼義
義家父子 奥州出陣の砌 当地に旌旗を停め戦勝を祈願したことに遡る

 寿永2 後の征夷大将軍 源頼朝 当時の三ヶ尻郷を相模国 鶴岡八幡新宮若宮御領として寄進されてより 当社は同宮の分祀として 源家武士の崇敬篤く 更には三ヶ尻の里の総鎮守として 庶民の尊崇を集めていたのである

 寛永6年には 時の領主 天野彦右衛門深く当社を崇敬し 八幡型大鳥居一基と鷹絵額5枚を献上している
天保年間 三河田原藩 家老 華山渡邊登 故あって当地に滞在し 著した訪瓺録は 当時の深厳な境内と総彫刻極彩色の本殿の威容を記し 往時の地域住民の崇敬深きを伺わせているのである
 下って 昭和20 郷社列格の栄に浴し 昭和63 嘗て華山も紹介した明和5 建造の本殿が 熊谷市の文化財に指定された

 かくして氏子はもとより 近郷近在からの崇敬弥増し 神威は益々高まった 平成4年には 由緒深き本殿の尊厳を維持するべく 覆殿改築に着手 工事は順調に進捗していた
ところが同年1020日夜半 当然原因不明の火災に遭い 完成を目前とした覆殿はもとより 本殿以下全ての社殿を焼失するところとなった まさに青天の霹靂 関係者は茫然と自失するばかりであった しかし 一同悲しみを乗り越え社殿再建への思いに結集し 八幡神社御社殿復興準備委員会を結成 計画の立案にとりかかった
平成6年には 予て要望していた第61回伊勢神宮式年遷宮の古殿舎撤去古材譲与も聞き届けられるところとなり 56石の檜材が平成67月の佳日を卜し遥か伊勢路より搬送された また 本社鶴岡八幡宮には 物心両面に亙る支援を忝うし 社殿再建への気運はいやが上にも加速した
平成7 八幡神社御社殿復興奉賛会を設立 伏して広く浄財を募ったところ 赤誠溢れる氏子崇敬者等の暖かい協賛を賜り 遂に 平成10515日天高く響く着工の槌音を聞いたのであった 幸いにも本社との御神縁により 卓越せる技術を誇る建設業者に工事を依頼し 加えて 地元建築業者の協力を仰ぎつつ 本殿・拝殿・透塀の改築につき 懸案の境内整備事業も完了した 時恰も皇紀2660 御祭神 応神天皇御降誕1800年の佳年であった
 社殿完成により早1 新緑目にしみる神域に思いを新たにし いささか慶事の経緯にふれその概略を石に刻し 併せて 赤誠を捧げし各位の芳名を後昆へ伝えんとする次第である
平成1312月吉日 八幡神社宮司 篠田宣久謹撰

境内石碑より

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【由  (History)】

熊谷市三ヶ尻八幡神社社叢ふるさとの森
昭和59330日指定

 身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私達の手で守り、次代に伝えようとこの社叢が、「ふるさとの森」に指定されました。

 この「ふるさとの森」八幡神社は、天喜4年(1056)、鎮守府将軍 源頼義と、嫡男 八幡太郎義家が、前9年の役 出陣にあたり、特にこの地に兵をとどめ、戦勝を祈ったところであります。

 ここは、平成12年に新装となった本殿・拝殿を中心として、多くの大樹が緑豊かな社叢を形成し、中には、義家が愛馬をつないだといわれる杉の巨木も,神木として時を語っております。
林相は、主に、スギ・ヒノキ・スダジイ・モミ・カシなどから構成されています。
平成163 埼玉県熊谷市

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

御嶽神社

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左手の2祠〈向かって左から順に
浅間神社《主》木花咲耶姫命
琴平神社《主》大物主命

右手の合殿〈向かって左から順に
稲荷神社上野愛宕神社古家天神社馬場諏訪神社馬場天手長男神社森 坂下 林 久保 天手長男神社八幡雷電神社上宿八坂神社宮嶋赤城神社中宿八坂神社橋下稲荷神社城下八坂神社

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八幡太郎義家公駒留の杉〈御神木〉 木の根元の石祠2宇諏訪社と稲荷社

八幡太郎義家公駒留の杉
 1056年奥州争乱(前9年の役)鎮定の砌 源義家公がこの杉に愛馬をつなぎ無事を祈願したといわれている

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)播羅郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 田中神社
[ふ り が な ]たなかの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Tanaka no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 田中神社」の3つの論社について

・田中神社(熊谷市三ケ尻)

・三ヶ尻八幡神社(熊谷市三ケ尻)

・知形大神社(深谷市田中)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

籠原駅南口から 駅前の通りを西南に約2km 車6分程度
道47号に面して 一の鳥居が建ちますが 当日は 熊谷市立三尻小学校の敷地のすぐ側に隣接する裏参道鳥居から参拝

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裏参道の鳥居に一礼をしてくぐります
八幡神社(Hachiman Shrine)に参着

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当然 こちらが裏参道とは知りませんでしたので 深い鎮守の杜の小径を進むと 注連縄のかかる御神木が見えて来て 本殿の裏に出ましたので ああ 裏参道だと 気付きます

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そのまま社殿の横を通り過ぎると 表の境内に出ました 長い表参道が続いていて 社殿の前にある 三の鳥居が建っています 三の鳥居をくぐり直し 今歩んできた方向に建つ 社殿を見つめます

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拝殿にすすみます 扁額には「八幡神社」とあります
賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿再建の石碑よれば 平成4年に火災で全焼し 平成12再建がなされたとありますが 古式豊かな造りのような威厳さが漂っていました
透かしで囲まれていますが 中を覗くと 拝殿と漆喰壁の幣殿の間には 清掃されて箒目もある中庭があり 幣殿に供えられている瓶子などの神供えに 思わず頭を垂れます

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この漆喰壁の幣殿の奥には 透かしで囲まれた本殿が鎮座しています

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本殿の向かって左脇には 八幡太郎義家公駒留の杉あり 合わせてお詣りをします

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境内社にお詣りをして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806)~(906)頃の成立〉に記される伝承

大己貴神(オナムチノカミ)の系譜」に 五世孫として 建甕尻命(たけみかじりのみこと)が登場します 
この神は  式内社 田中神社の祭神ともされ 又の名を 建甕槌命(たけみかつちのみこと)と呼ぶと記されています

しかし この神は「」と「」の違いがありますが 鹿島の神「武甕槌命」とは まったく系譜の違う別の神となります

【抜粋意訳】

第4巻「地祇本紀」地祇の系譜大己貴神系譜」の条

五世孫(イツツギノハツコ) 建甕尻命(たけみかじりのみこと)
またの名は 建甕槌命(たけみかつちのみこと)
または 建甕之尾命(たけみかのおのみこと)

この命は 伊勢の幡主の娘・賀貝呂姫(がかいろひめ)を妻として 一男をお生みになった

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

祭神は 有名な鹿島の神「武甕槌命」ではなく 大己貴命〈大国主命〉の5代孫である (タケミカジリノミコト)と記しています

【意訳】

田中(タナカ)神社

式考 三箇尻郷 宮嶋村 天神宮 大ナムチ命 五代孫 建(タケミカジリノミコト)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承

三ヶ尻八幡神社の神職の伝えでは 式内社の田中神社と云うが 証拠がない
元々は この社地は 鶴岡八幡宮の社領であり その遥拝所として創建されたはずだが 式内社 田中天神の論社はいくつかあり 何れが正しいのか判らないと記しています

【意訳】

巻之227 幡羅郡 之2 三ヶ尻村 の条

八幡社(ハチマンノヤシロ)
村の鎮守なり
神職の伝(ツタ)へに 当社 延喜式内 田中天神なりといへり されどとすべきこともなし
此地は (イニシエ)鶴岡八幡宮の社領にして 殊に文書にも 村名の條に載たる如く 寿永2 鶴岡八幡社領となりし地なれば 彼社(カノヤシロ)遥拝のため勧請せしものにて 其頃より 鎮座なることは知るべし
田中天神のことは 延命寺の天神にも云處なれば 何れが正しきを知らず
神楽殿 金毘羅社 王子稲荷を合祀せり
神職 篠田播磨 吉田家の配下なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

式内社 田中天神の祭神を 建(タケミカジリノミコト)と記しています

【意訳】

田中神社

田中は 多奈加と訓ずべし
〇祭神 建(タケミカジリノミコト) 式社考
〇地名記に 祭神 少彦名命 天穂日命と云えるは 信用がたし

〇三箇尻郷 宮島村に在す 地名記 式社考 参考

類社
遠江國 磐田郡 田中神社の條を見合うべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社 田中天神の祭神を 建(タケミカジリノミコト)とし 所在を三ヶ尻村 宮島と記しています

【意訳】

田中神社

祭神 建(タケミカジリノミコト)
祭日 2月18日
社格 村社
所在 三ヶ尻村 字 宮島 (大里郡三ヶ尻村大字三ヶ尻)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

埼玉の神社』〈1986年発行による伝承

当社の始りは 源頼義・義家親子が天喜4年(1056)の奥州征伐の際 この地に本陣を設け 鎌倉の鶴岡八幡宮の遥拝所を建てて戦勝を祈願したことに始まと記しています

延喜式内社の田中神社とも伝わるが 定かではないとも記しています

八幡神社(熊谷市三ヶ尻2924(三ヶ尻字八幡))

昭和59年に県から「ふるさとの森」の指定を受けた美しい杜に囲まれて鎮座する
当社は、源頼義・義家親子が天喜4年(1056)の奥州征伐の際、この地に本陣を設け、鎌倉の鶴岡八幡宮の遥拝所を建てて戦勝を祈願したことに始まる。

当社の社殿が東北を向いているのは、こうした創建の事情によったものであり、隣接する拾六間の地内には 義家の設けた陣屋の跡地もある。また、当地は、寿永2年(1183)には鶴岡八幡宮の社領となっており、寄進状が現存する。

江戸時代の当社の状況については、『風土記稿』三ヶ尻村の項に次のように記されている。
八幡社 村の鎮守なり、神職の伝へに当社を、延喜式内田中天神なりといへり、されど証とすべきこともなし、此地は古鶴岡八幡宮の所領にして、殊に文書にも村名の条に載せたる如く、寿永2 鶴岡八幡社領となりし地なれば、彼社遥拝のため勧請せしものにて、其頃より鎮座なることは知るべし、田中天神のことは 延命寺の天神にも云処なれば、何れが正きを知らず。

この文中に出てくる田中天神とは、『延喜式』に幡羅郡四座の一つとしてその名が見える田中神社のことで、当社、三ヶ尻地内にある田中神社、川本町田中の知形神社の三社が論社とされている。しかし、未だにいずれの社が延喜式内の田中神社なのか、判然としていない。

一方、渡辺崋山が天保3年に著した『訪録』によれば、当社は、「上野ニアリ、松林蒼欝境頗幽 廟ノ四周皆彫鏤金碧屋スルニ虻寺茆次ヲ以テス、又 前二拝殿一宇ヲ起ス迸リテ舞台ヲ設ク。此廟金毘羅ト王子稲荷ヲ拝祀ス、神主篠田中務(中略)神祭ハ三月八日十五日ナリ、村中集リテ相撲ヲナス。」と記されており、当時の境内の姿や祭りの様子を知ることができる。

また、市指定文化財の本殿は明和5年(1768)、拝殿は天明2年(1782)の建造で、崋山来訪当時の姿を今に伝えている。崋山も特筆している本殿の彫刻は実に壮麗なもので、三ヶ尻出身の名工・内田清八の作である。

明治56月に村社となり、同4111月、字八幡鎮座の神明神社と字中鎮座の天神社(いずれも村社)を合祀する。
また、これを機に、村内の各地に散在していた無格社の多くが当社の境内に集められた。

大正12年には東宮殿下御慶事記念として拝殿の改修と社務所の新設とが図られ、いずれも同14年に竣工している。
本殿内には幣束や神像と共に棟札数枚が保存されており、往時の祭祀状況や神職の名を知ることができる。
このほか社務所には寛永6年(1629)奉納の5枚の鷹絵額、同37月奉納の社号額、安永3年(1774)奉納の古風な神鏡などが保存されており、当社の歴史と信仰を知る貴重な史料となっている。

埼玉の神社埼玉県神社庁神社調査団 編 埼玉県神社庁1986年発行より

八幡神社(Hachiman Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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