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八剱神社(諏訪市)
八剱神社(やつるぎじんじゃ)は 諏訪の七不思議の第一にあげられる「諏訪湖の御渡り」〈諏訪明神「建御名方命(タケミナカタノミコト)」が 下社の女神「八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)」のもとへ訪れに氷の上を渡られた跡といわれ〉これを定める「御渡り拝観」という特殊神事を守り伝え 天和3年(1683)以降の御渡り拝観の記録「御渡り帳」が今日まで書き継がれています 天正18年(1590)高島築城に際し 城地にあった八剱神社と高島村は現在地に遷されました
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洩矢神社(岡谷市)
洩矢神社(もりやじんじゃ)は 洩矢大神とも称します 神代に諏訪に侵入した外来の勢力 諏訪明神=「建御名方神(たけみなかたのかみ)」に 抵抗した 先住の神「洩矢神(もりやのかみ)」が屈服するという「諏訪の国譲り物語」の舞台とされます 御祭神の「洩矢神(Moriya no kami)」は 諏訪大社上社の神長官「守矢氏(もりやうじ)」の始祖とされています
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藤白神社(海南市)
藤白神社(ふじしろじんじゃ)は 熊野古道沿い 九十九王子(クジュウク オウジ)〈皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験〉の中でも別格とされた藤代王子の旧址です 「藤白鈴木氏」が 代々神職家を務めた「鈴木屋敷」があり 日本に200万人を超すといわれる鈴木姓の元祖(ルーツ)ともされています
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諏訪大社 上社 前宮(茅野市)
諏訪大社 上社 前宮は 4つの諏訪大社の中でも 諏訪の祭祀の発祥地とされます 古来より諏訪明神の住まう所で 現人神とされた諏方の大祝(オオホフリ)の居舘があり 上社の祭祀の中心地でした 神長官(ジンチョウカン)の守矢氏が 神秘にして原始的なミシャグジ神を降ろして 諏訪明神の重要な祭祀・神事を取り行った聖地とされています
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二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)
二宮神社跡は 伊波乃比咩命神社の 旧鎮座地です 三宅島では 度重なる火山活動によって 多くの神社で遷座が繰り返されています 当神社も 当初の鎮座地「坪田観音(Tsubota kannon)」から 坪田村小倉山「当地〈二宮神社跡〉」に遷座して 現在は 二宮神社(三宅島 坪田)に合祀されています
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青沼浅間神社(甲府市)
青沼浅間神社(あおぬませんげんじんじゃ)は 社伝によれば「貞観7年 平安初期 西暦865年に山梨郡 稲門東青沼村 現在地に建立す」とあります 延喜元年(901年)成立の『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に記されている「山梨郡に祀られた浅間明神」とされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社でもあります
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一宮浅間神社(市川三郷町)
一宮浅間神社(いちみやあさまじんじゃ)は 地元の言い伝えによれば 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火の時に 浅間の神である 木花咲耶姫命を 現鎮座地の南方にある正体山に噴火の難を逃れるために遷ったのが始まりと伝わります 明治27年(1894)鳥居原狐塚古墳(市川三郷町大塚)から中国の呉の年号である赤烏元年(238年)の銘がある銅鏡「神獣鏡」1面が出土し奉納され 国の重要文化財に指定(現在東京国立博物館展示)されています
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河口浅間神社(富士河口湖町)
河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火〈貞観の大噴火〉を鎮めるために 勅命により 甲斐国に浅間名神を祀ることになったのが創始とされています この大噴火では 富士山の北麓にあった広大な湖「剗の海(セノウミ)」の大半(現在の青木ヶ原樹海)が 溶岩で埋め尽くされて 西湖と精進湖が僅かに 現在に残ったとされています
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静岡浅間神社(静岡市)
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社を総称して 静岡浅間神社(通称 おせんげんさま)と言い 古くから駿河国総社として崇敬を受けています 徳川家康公(幼名 竹千代)が 元服式を行ったので 幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建され 総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群で 大拝殿の高さは25mの大建築物です 社殿26棟の全てが国の重要文化財に指定されています
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神明神社(沼津市西浦江梨)
神明神社は 『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉には 神社名を「文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)」「八幡(ハチマン)神明(シンメイ)あわせ祀る」と記されています
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子神社(伊豆市加殿)
子神社(ねのじんじゃ)は 大正初年(1912)境内より4世紀頃の神獣鏡(仿製鏡)が出土しています 古代からの祭祀場であったのかもしれません『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の所載「伊豆国 田方郡 輕野神社(かろのの かみのやしろ)」の論社でもあります
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軽野神社(伊豆市)
軽野神社(かるのじんじゃ)は 『日本書紀(にほんしょき)』応神天皇 5年10月の条 に「伊豆国に造船を命じた 長さ十丈(約30m)試しに海に浮かべると 軽くてよく走るので その船を『枯野(カルノ)』と名付けた」とあり これが狩野(カルノ)郷の語源であると言われています
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満宮神社(田方郡函南町)
満宮神社(まんぐうじんじゃ)は 第84代 順徳天皇の著『八雲御抄(yakumo misho)』〈鎌倉時代〉の歌論書に「伊豆国 田方郡(たがたのこおり)」にある鎮守の杜を指す言葉として「田方の杜(たがたのもり)」と称されたとする伝承があります 「田方の杜(たがたのもり)」ですから 田方郡でも 重要な神社として認識されていたであろうことが伺えます
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浅間神社(笛吹市一宮町一ノ宮)〈甲斐國一之宮・延喜式内社〉
浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝には 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社の地に3柱の神を祀り創始されます その後〈富士山〉貞観大噴火時〈貞観7年(865)〉鎮火神として木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)1柱を現在地に遷座し創建されたと云う 国府も近く 甲斐國一之宮とされる延喜式内社 名神大社です
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若宮神社(三宅島 阿古)
若宮神社(わかみやじんじゃ)は 三島大明神の随神四神の一柱「若宮(Wakamiya)」が祀られています 島では この随神4柱を祀る神社を通称「四社の宮」と云います 鎮座地は 阿古地区にあるスコリア丘〈噴石丘〉頂上の火口跡にあり おそらく 噴火前に「若宮」の元宮が鎮座していた場所(噴火の為不明)なのだろうと思います
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藤島神社(岡谷市)
藤島神社(ふじしまじんじゃ)は 伝説によれば 諏訪入りした外来勢力の諏訪明神「建御名方神(たけみなかたのみこと)」と先住の神「洩矢神(もりやのかみ)」が争った 諏訪明神(藤島明神)の伝承の地とされます 「藤島社」は 中世~近世以降 天竜川のほとり 三沢村の荒神塚〈石室を備えた円墳「荒神塚古墳(Kojinzuka kofun)」の跡に鎮座している〉とされています
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雲見浅間神社(松崎町雲見)
雲見浅間神社(くもみせんげんじんじゃ)は 伊豆半島の最西端の雲見海岸に聳える烏帽子山(162m)に鎮座します ・山麗には「拝殿」・中腹には「中之宮」・山頂付近には「本殿」があり 全国の浅間信仰の神社(約1,300社)の中でも 祭神として「磐長姫命(いわながひめのみこと)」一柱のみを祀る 大変珍しい祭祀形態の神社です
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坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】(三宅島 坪田)
坪田観音(つぼたかんのん)は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の由緒(格式ある歴史)を持っています 現在は「二宮神社(坪田)」に合祀されている「伊波比咩命神社(いはひめのみことの かみのやしろ)」の当初の鎮座地であると云われる「伊波耶観音神社(いわのかんのんじんじゃ)」の旧蹟です
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伊豆田神社(土佐清水市)
伊豆田神社(いつたじんじゃ)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載される由緒(格式ある歴史)を持っています 土佐国に鎮座しますが 伊豆の名を持つ 不思議な古社です
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西之御門宮(三宅島 阿古)
西之御門宮(にしのみかどのみや)は 『三宅記(みやけき)』に 三島大明神(みしまだいみょうじん)が 随神 若宮(わかみや)のカツオ漁 をご覧になられた場所として登場します 若宮は 末世の為にと 鹿の角で作った疑似餌漁〈ルアー釣り〉で カツオを豊漁とし 人間たちに漁法を伝授しました 阿古地区では今でも 新造船はこの場所に船を回して 海上から「富賀神社(とがじんじや)」もしくは「雄山」を遥拝して 豊漁祈願をすると云われています