天穂日命神社(伏見区石田森西)〈『延喜式』天穂日命神社・石田神社〔大 月次新嘗〕〉

天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)は 『三代實録』貞觀四年(862)六月に官社に預り・神階を正六位上から從五位下を授った 式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社(あめのほひのみことの かみのやしろ) 又鎮座地は『万葉集』に多く詠まれた名所「石田の森」にあった式内社 山城國久世郡 石田神社〔大月次新嘗〕とも云われます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天穂日命神社(Ameno hokonomikoto shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府京都市伏見区石田森西66

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
 天穂日命(あめのほひのみこと)

相殿神
 天照大神(あまてらすおほかみ)
 大山咋命(おほやまくひのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)

 当社は延喜式神名帳に載る天穂日命神社に比定されており、天穂日命を祭る。現在の本殿は天明3年(1783)の造営で、造営当時は天照太神と日吉山王を祭り、田中神社と呼ばれていた。
屋根は檜皮葺で、身舎正面の柱間が2間という、京都市内にはほとんど例のない二間社流造(にけんしゃながれづくり)形式の建物である。柱間は正面に蔀戸、東側面前方に板扉を構え、他は板壁である。内部は棟通りに板扉を設けて、手前の外陣と奥寄りの内陣に分ける。細部に装飾的要素が見られるが、彫刻がおとなしく、派手なものではない。かなり早い時期から覆屋に入っていたようで、保存状態は良好である。平成15年4月1日、京都市登録有形文化財に登録された。

 境内は「万葉集」などで和歌の名所として知られた「石田の杜(いわたのもり)」に比定される。本殿以下の建物が樹林の中に建ち、良好な環境を保っており、本殿の登録と同時に文化財環境保全地区に指定された。

京都市

現地案内板より

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【由  (History)】

京都市伏見区石田鎮座

式内 天穂日命(あめのほひのみこと)神社 御由緒

祭神
 天穂日命大神

相殿
 天照皇大神 大山咋命

一、延喜式神名帳……山城国宇治の郡 天穂日命神社とあり、同神名帳考には『三代実録によれば、清和天皇が今より千百余年前の貞観四年六月十五日に、天穂日命神社に六位を、さらに十八に従五位を授けた』とある。

一、山城誌……田中神社は石田村石田の森にある。

一、万葉集……山科の石田(いわた)の杜(もり)の皇神(すめみま)に弊(ぬさ)取り向けて我は越え行く逢坂山を。

一、都名所図会……石田の森は醍醐の南にあり。石田社は民家の中にあり。

一、山城国風土記残編……藤岡の頭に神座 天穂日命二座、仲冬(陰暦11月)にこれを祭る。
 住民は麦を以て神供料となす。藤岡は石田の森のことで、藤の名所である。

一、神社便覧山州名跡……今より千三百余前の白鳳年中、天武天皇の御代のこと。この地に一夜のうちに苗が数尺積み上げられ、その上に白羽の矢が置かれていた。老翁が現れ、この地に天照太神、日吉両社を勧請すべきとし、帝都の両方は永く守護するだろうと告げて去った。その由縁により祀られたのが境内の「苗塚(なえづか)」だという。
ここから考えると、かつて石田の社には天穂日命神社が鎮座し、老翁のお告げにより祀られた田中神社もあったはずだが、何時の頃かに合祀されたとおmを荒れる。

一、京都府……宇治郡 第二組 石田村 村に鎮座する田中明神は、延喜式内の天穂日命神社に間違いないことを考証確定する。明治十六年六月 京都府

一、当神社の旧記は焼失したが、言い伝えによれば、昔から氏子農民のうちに「禰宜(ねぎ)」と称する家が二戸あった。

一、当神社の本殿及び拝殿は江戸中期に建てられた。

一、また、境内には天満宮をはじめ数社を祀る。なかでも子守神社は、乳幼児の守り神であり、燈籠に石を捧げて祈願すると不思議なことに夜泣きがやむとされ、近郊からの参拝者が多い。

一、神器・祭具などは、数百年前に美濃や京都の敬神者より寄進されたものが数種ある。

一、古(いにしえ)より有名な歌人によって詠まれた和歌が数多く伝わる。

一、当神社は以上のように由緒正しい神社である。

萬葉集

山科の石田の小野の柞原見つゝか君が山路越ゆらむ 宇合卿

山科の石田の杜に布麻置かばけだし吾妹に直に逢はむかも
山きはの田中の杜にしめはえてけふ里人の神まつるらん 前大納言為家

みしめ縄ひくは早苗のためならで田中の社の神もうくらん
山品の石田の森を踏越せばけだし吾妹に直に遭はむかと 千載集

秋といへば石田の森のはゝそはら時雨もまたず紅葉しにけり 覚盛法師

ひぐらしの涙やよそに余るらん秋と石田の森の下風 順徳院

山城いはたのもりのいはずとも心の中を照らせ月かげ 藤原輔尹朝臣

初時雨日毎にふれば山城のいはたの杜はいろづきにけり 衣笠内大臣 藤原家良

雉子なくいはたの小野の壷菫しめさすばかりなりにけるかな 修理大夫 藤原顕季

色かはる柞の梢いかならむいはたの小野に時雨降るなり 後鳥羽院御製

はゝそ散る石田の小野の木枯に山路しぐれてかゝるむら雲 中務卿親王

霧はればあすも来て見む鶉鳴く岩田の小野は紅葉しぬらん 順徳院御製

柞原色づきぬらし山城のいはたの小野にしかぞなくなる 惟宗忠景

しるやいかにいはたの小野の篠薄思ふ心は穂に出でずとも 正三位知家

時雨するいはたのをのゝ柞原な〱にいろ変わりゆく 前中納言匡房

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

天穂日命神社 本殿覆屋

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・〈本殿向って右側(東側)境内社〉2社

向って右から順に〔天満宮・八幡神社〕

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・〈本殿向って左側(西側)境内社〉3社

向って右から順に〔春日神社・大黒大明神・篭守(こもり)神社〕

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・手水舎

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・〈本殿の正面〉拝殿か?

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・〈参道向かって右〉苗塚

『神社便覧山州名跡』『雍州府志』等には
「天武天皇の御代 白鳳年中 一夜のうちに稲の苗が数尺積み上げられ その上に白羽の矢が置かれており 老翁が現れ「天照大神と日吉神を勧請すべし さすれば帝都の南方を永く守護するであろう」と お告げがあり 田中社が創建された その苗の積み上げられた所を「苗塚」と称すると伝えています

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・鳥居

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・社頭

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・万葉句碑

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

天穂日命神社(伏見区石田森西)は 二つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社
②延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社について 貞觀四年(八六二)六月
十五日に官社に預り
十八日に神階を正六位上から從五位下へと授かっています

【抜粋意訳】

卷六 貞觀四年(八六二)六月十五日壬子

○十五日壬子

山城國 正六位上 天穗日命神
陸奧國 鎭守府正六位上 石手堰神 官社

播磨國 揖保郡 雅樂寮の苗生無位伊福貞 本姓 五百木部連

【抜粋意訳】

卷六 貞觀四年(八六二)六月十八日乙卯

○十八日乙卯


陸奧國 正五位下 駒形神 從四位下
山城國 正六位上 天穗日命神 從五位下

自去五月霖雨(ナガアメ)京邑(ミヤコ)飢饉す 使者振給(シンゴウス)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭

月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

②延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕

【抜粋意訳】

月次祭(つきなみのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所

〇座別に以下のように 社ごとに幣帛(神への供物)を奉る

・絁(あしぎぬ)五尺
・五色の薄絁(うすぎぬ)各一尺
・倭文(やまとぬの)一尺
・木綿(ゆう)二両
・麻五両
・倭文・絁・布をそれぞれ刀の形にしたもの(まきかたなかた)各一口
・四座をまとめて一束 八座をまとめて一束とする
・弓一張、靫(ゆき)一口
・楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿
・鹿の角一隻、鍬一口
・庸布(ちょうふ)一丈四尺
・酒四升
・鰒(あわび)・堅魚(かつお) 各五両
・腊(ほしにく)二升
・海藻・滑海藻・雑海菜 各六両
・堅塩一升
・酒坩(かめ)〈酒を入れる壺〉一口
・裹葉薦(うらはこも)五尺
・祝詞(のとこと)を奏する座の敷物として短畳一枚

〇前一百六座(下位の神)への奉献

次に 前一百六座の神々(小社)は次の幣帛を奉る

・絁五尺
・五色薄絁各一尺
・倭文一尺
・木綿二両、麻五両
・四座ごとに一束 八座ごとに一束とする
・楯一枚
・槍鋒一口
・葉薦五尺

〇特別な奉献を受ける神々

これらの神々への祭祀は 祈年祭(2月)と同様に行うが 特に次の四神には馬一疋を加えて奉る

太神宮(内宮:伊勢神宮)
度会宮(外宮:伊勢神宮)
高御魂神(たかみむすびのかみ)
大宮女神(おおみやめのかみ)

ただし 太神宮と度会宮にはさらに「籠頭料(こもがしらりょう)庸布一段」を加える

〇祭の準備と執行

祭の五日前に 忌部(いんべ)九人と木工一人を召して 神に供えるための器物(供神調度)を作らせる
その監造者および清浄な衣 食の費用は 祈年祭の例に準じる
祭が終わると 中臣官(なかとみのつかさ)の一人が宮主および卜部らを率いて宮内省へ行き 神に供える「今食(いまけ=その日の御饌)」の奉仕者(小斎人(みのひと)を卜占によって定める

〇今食(いまけ)に供する品目

神に供える「今食(いまけ)」の品およびその料(材料)は次の通り

・紵(からむし)一丈二尺(御巾料)
・絹二丈二尺(篩(ふるい)料)
・絲四両(縫篩などの料)
・布三端一丈(膳部巾料)
・曝布一丈二尺(覆水甕料)
・細布三丈二尺(戸座襅(へさたまき)および褠料)
・木綿一斤五両(結ふ御食(みけ)料)
・刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚
・筥(はこ)六合 麁(あら)筥二合、明櫃三合
・御飯・粥料の米 各二斗、粟二斗
・陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶(かめ)各五口
・都婆波・匜(はふさ)・酒垂 各四口
・洗盤・短女杯(さらけ) 各六口
・高盤二十口、多志良加(に瓶のような器)四口
・陶鉢八口、叩盆四口、臼二口
・土片椀(もひ)二十口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口
・手洗二口、盤八口、土手湯盆(ほん)二口、盆(ほとき)四口、堝十口
・火炉二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚
・槲(かしわ)四俵、匏(ひさご)二十柄
・蚡鰭(えひのはた)槽(二隻:御手水用)
・油三升
・橡帛三丈(戸座服料、冬絁一疋、綿六屯、履一両)

〇供御の奉仕と終了後の処理

右に掲げた供御および雑物は それぞれ内膳主水などの司に付け 神祇官の官人が神部を率いて 夕暁(よひあかつき)〈夕方と翌朝〉の二度 内裏に参って奉仕する
供え終わった諸物は 祭が終わると中臣・忌部・宮主らに下賜され その取り扱いは 大嘗会(だいじょうえ) の例に準じて行う

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り 天皇がその年の新穀(しんこく)を神に供え みずからもこれを食して その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

②延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿

社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座

座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を

右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る

伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

天穂日命神社(伏見区石田森西)は 二つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社
②延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宇治郡 10座(大5座・小5座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 天穂日命神社(延)
[ふ り が な ](あめのほひのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ame no hohi no mikoto no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

②延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)久世郡 24座(大11座・小13座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 石田神社〔大 月次 新嘗〕
[ふ り が な ](いはたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ihata no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

天穂日命神社(伏見区石田森西)は 二つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社
②延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「あめのほひのみことのかみのやしろ」の類社は 3か所あります

延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社
延喜式内社 因幡國高草郡 天穗日命神社
延喜式内社 出雲國能義郡 天穗日命神社

延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社(延)(あめのほひのみことの かみのやしろ)

・天穂日命神社(伏見区石田森西)

延喜式内社 因幡國高草郡 天穂日命神社(貞延)(あまのほひのみことの かみのやしろ)

・天穗日命神社(鳥取市福井)

・天穂日命社〈日吉神社 境内摂社〉(鳥取市布勢)

延喜式内社 出雲國能義郡 天穂日命神社(貞)(あめのほひのみことの かみのやしろ)

・支布佐神社

・能義神社

・切川神社《参考》

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「いはたのかみのやしろ」の類社は 6か所あります

①延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕
②延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座
③延喜式内社 伊勢國多気郡 石田神社
④延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社
⑤延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社
⑥延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神

①延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社について

・天穂日命神社(伏見区石田森西)

・石田神社(八幡市岩田里)

・石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)

②延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座(いはたの かみのやしろ みくら)の論社について

・石田神社(東大阪市岩田町)

③延喜式内社 伊勢國多気郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・石田神社 舊跡(明和町養川)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉

・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉〉

・神垣神社(松阪市高木町)

④延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)〈廃絶とも云〉の論社について

・廃絶とされる 所在など不明

〈参考論社〉・石田神社(鯖江市石田上町)

・八幡神社(敦賀市三島町)

⑤延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・石田神社(鯖江市石田上町)

・春日神社(福井市石畠町)

⑥延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・伊波多神社(吉野郡天川村和田)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

地下鉄 東西線 石田駅から約170m 徒歩での所要時間は2~3分程度

鎮座地は 「石田の森(いわたのもり)」と呼ばれ『万葉集』に多く詠まれた名所でした 又 「石田社」とも呼ばれ 久世郡の式内社「石田神社」は当社とする説があります

今は開発も進み 往時を偲ぶのは難しいかもしれませんが 社頭は鬱蒼としています

天穂日命神社(伏見区石田森西)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて境内へ進むと小さな石橋があり それを越えると社殿の前に出ます

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拝所は 本殿覆い屋に設けられています

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本殿覆い屋にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿に掲げられている「天穂日命神社 年間行事表」

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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

天穂日命神社(伏見区石田森西)は 二つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社
②延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社について 所在は゛石田村石田森に在す、今 田中明神とす、〈現 石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)〉と記しています

【抜粋意訳】

天穗日命神社

天穂日は 阿麻乃保比と訓べし、延喜年の日本紀寛宴に、得 天穂日命、矢田部公望、「阿麻能褒農美云々とり、」宣長は阿女とたれど、今は寛宴和歌に從ふ、

〇祭神明らか也

○石田村石田森に在す、今 田中明神とす、山城志

  今云 縣宮、」名勝志に、土人云、所祭宇治左府頼長公也云々、
 これも平野坐縣神を、穂日命といふより推考ふれば、らざるに非るか、』
 ざれど、土人の説をきく時は然らず、或人云、上離宮は、即ち朝日山の麓なり、山城風土記に、所謂 朝日山神社にて、式にいふ天穂日命なる事決しと云り、朝日山神社は、天穂日命を祭るとはあれど、ぞれを上離宮とは定めがたし、

 〔連胤按るに、石田森は、萬葉集九に、山品之、石田乃小野之、母蘇原云々、同十二に、山科乃、石田社爾、布靡越者云々、同十九に、山科之、石田之森之、須女神爾云々とあるなど思へば、いと古く見えて (ハヤ)く神社と聞ゆれぱ、志ばらく山城志に從ふ、

類社
 因幡國高草郡、出雲国能義郡 天穂日命神社、各一座

神位 官社
 三代実録、貞観十五日壬子、山城國正六位上 天穗日命神 預官社、
 同月十八日乙卯、授 山城國 天穗日命神 從五位下、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 石田神社〔大 月次 新嘗〕について 所在は゛岩田村に在す、今 綴喜郡に属す、今 御霊と称す、゛〈現 石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)〉と記しています

【抜粋意訳】

石田神社〔大 月次 新嘗〕

石田は伊波太と訓べし、〔萬葉集十二に、山代石田社心鈍手向為在妹相難

○祭神 石田氏祖神歟

〇岩田村に在す、今 綴喜郡に属す、今 御霊と称す、山城志

○日本紀、垂仁天皇三十四年、先是娶 仙背苅幡戸、生三男、〔中略〕五十足彦命、是子 石田君之始祖也、

 考証云、今在 木幡東北、栗栖與 木幡交也、俗 神明営在 森中、云るは山科の石田にて宇治郡なるを、石田の名同じきにより考へ違へる僻説也、

類社
 河内国若江郡 石田神社座、
 伊勢國多氣郡、越前国敦賀郡、同國坂井郡 石田神社、各一座
 大和国吉野郡 伊波多神社、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社について 所在は゛今 石田村石田森にあり、田中明神といふ、゛〈現 石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)〉と記しています

【抜粋意訳】

天穗日命神社、

 石田村石田森にあり、田中明神といふ、〔山城天照大御神の皇子 天穗日命を祭る、〔日本書紀、古事記、延喜式、〕

清和天皇 貞観四年六月壬子、正六位上 天穗日命を官社に列奉り、乙卯、從五位下を授く、〔三代実録〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493

式内社 石田神社〔大 月次 新嘗〕について 所在は゛ 綴喜郡岩田村にあり 本村の氏神とす、゛〈現 石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)〉と記しています

【抜粋意訳】

石田神社、

 綴喜郡岩田村にあり 本村の氏神とす、山城名勝志、山城志、行嚢鈔、山城式社考、〕

盖 石田君祖 五十日足彦命を祀る、是は垂仁天皇 山背の荊幡戸邊に娶て生坐る皇子也、〔日本書紀〕

醍醐天皇 延喜の制、大社に列り、月次新嘗の官幣に預る、〔延喜式〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

①延喜式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社について 所在は゛石田村石田森 (紀伊郡醍醐村大字石田 )゛〈現 天穂日命神社(伏見区石田森西)〉と記しています

【抜粋意訳】

天穗日命神社  田中明神

祭神 天穗日命

 今按 勸修寺領占圖に四條十里上 石田里五條十里下 石田里六條十里布豆田里とある 下石田と布豆田の界に田中森と云がみえ 今社の鎭座地を石田村石田森と云によらば 此社は禹葉集に山科之 石田之森(イハタノモリ)之 須女神(スメカミ)と云るもの是ならん歟 然しば石田森の神 即 天穂日命にて後には石田森を田中森とも稱せしより田中明神とも申せるなるべし

神位 清和天皇 貞観四年六月十五日 壬子山城國正六位上 天穂日命神預ニ 宜社 同月十八日乙卯授二 山城國 天穗日命神 從五位下

社格 村社

所在 石田村石田森 (紀伊郡醍醐村大字石田 )

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 石田神社〔大 月次 新嘗〕について 所在は゛綴喜郡岩田  御靈みえ゛〈現 石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)〉と記しています

しかし゛山城延喜式社考に實地に至りてるに往古の宮跡は松井邑郷境にありて 今は東邑西邑 二箇所に社あり゛どちらとも言えないとしており
東邑の祠は〈現 石田神社(八幡市岩田里)
西邑の祠は〈現 石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)

【抜粋意訳】

石田(イハタノ)神社〔大 月次 新嘗〕

祭神

 今按 社傳に祭神 磐裂神とあれど 石田の石字によりて云るものなるべければ信がたし日本紀〔垂仁巻〕三十四年先是 娶ニ 山背ノ苅幡戸邊(カリタハベヲ)生ニ 三男 云云 五十日足彦(イカタラシヒコノ) 是千 石田君之祖也〔按 子の字は 衍字なるべしあるによる時は石田君の氏人  五十足彦命を祭れるならん

祭日 九月九日
社格

所在

 山城 綴喜郡岩田  御靈みえ
 河毛敏雄の山城延喜式社考に實地に至りてるに往古の宮跡は松井邑郷境にありて 今は東邑西邑 二箇所に社あり 其次第は先東に移し 後西に移したるものと見よりて を本社定むべし 尤 此あたりもは久世なるとたしかにありと云り されど東西二村に神社二あれば今何れとも定めがたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

天穂日命神社(伏見区石田森西) (hai)」(90度のお辞儀)

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山城国 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

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