妻垣神社(安心院町)

妻垣神社(つまがきじんしゃ)は 宇佐大神(八幡大神)の神託により 天平神護元年(765)閏十月八日 社殿が造営されたのが始まりと伝わります 神武天皇の東征記にある「足一騰宮」との伝承を持つ磐座もあります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 妻垣神社(tsumagaki shrine)
 (つまがきじんしゃ)

 [通称名(Common name)]

 八幡様(はちまんさま)

【鎮座地 (location) 】

大分県宇佐市安心院町妻垣203

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》比咩大神(hime no okami)(玉依姫命(tamayorihime no mikoto)
   八幡大神(hachiman okami)(応神天皇(ojin tenno)
   神功皇后(jingu kogo)

《合》田心姫尊(tagorihime no mikoto)
   天忍穂耳尊(amano oshihomimi no mikoto)
   天穂日命(amano hohi no mikoto)
   活津彦根命(ikutsu hikone no mikoto)
   天津彦根命(amatsu hikone no mikoto)
   熊野樟日命(kumano kusubi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・子孫繁栄 Prosperity of descendants
・縁結び Deepen connections and intimacy with people
・安産 Healthy childbirth
・子宝 Blessed with children like a treasure
・子育ての神 God of parenting
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・宇佐神宮行幸会 境外8摂社

【創 建 (Beginning of history)】

称徳天皇の天平神護元年(765)10月8日、勅使従三位石川豊成に宇佐八幡の託宣がくだり、一柱謄宮に社を建てたのが始まりである。
一柱謄宮を本宮と称し、境外地を下宮と称した。
明治29年9月、県社になった。
比咩大神の御降臨されたのが妻垣山とも言われ、並賢寺以下四坊の神宮寺を擁し、中津藩・島原藩100余村の総社として崇敬されていた。

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から

【由 緒 (history)】

妻垣神社(つまがきじんしゃ) 由緒

鎮座地 宇佐市安心院町妻垣203

御祭神 比咩大神(ひめおおかみ)(玉依姫命たまよりひめのみこと)
    八幡大神(はちまんおおかみ)(応神天皇おうじんてんのう)
    神功皇后(じんぐうこうごう)

元 宮 足一騰宮(あしひとつあがりのみや)
この妻垣(つまがけ)の地は、わが国最古の歴史書「古事記(こじき)」にも「日本書記(にほんしょき)」にも神武天皇(じんむてんのう)がこの地に立ち寄られたことが記されています。神武東征(じんむとうせい)のおり、宇佐国造(うさくにのみやつこ)の祖、宇佐津彦命(うさつひこのみこと)と宇佐津姫命(うさつひめのみこと)の兄妹がお迎えし、足一騰宮を建てて歓待(かんたい)申し上げたのです。

比咩大神(ひめのおおかみ)
神武天皇がこの地に滞在なさったおり 天皇みずから祭祀を行われ、母后(ぼこう)玉依姫命(たまよりひめのみこと)を、ここ共鑰山(ともかぎやま)(別名-妻垣山 つまがきやま)にお祀(まつ)りし、そこを「足一騰宮(あしひとつあがりのみや)」と名付けられました。このことより当社の主祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)であり、比咩大神(ひめのおおかみ)という神名で人々に称えられました。また天平(てんぴょう)5年(733)、比咩大神は宇佐宮(うさぐう)二之御殿(にのごてん)に祀られます。このことより当社は、宇佐宮二之御殿の元宮ともいわれています。

八幡大神(はちまんおおかみ)
宇佐宮の「八幡宇佐宮御託宣集(はちまんうさぐうごたくせんしゅう)」によれば天平神護(てんぴょうしんご)元年(765)、八幡大神こと八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)はこの地に神幸(みゆき)し 比咩大神(ひめおおかみ)と語り合われた、とあります。八幡大菩薩が御託宣を下し、勅使(ちょくし)石川朝臣豊成(いしかわのあそんとよなり)に命じて神殿を共鑰山麓(ともかぎやまふもと)に創建させ、比咩大神と八幡大神をお祀(まつ)りしたのが、妻垣神社のはじまりであります。

神功皇后(じんぐうこうごう)
天長年間(てんちょうねんかん)(824~834)に宇佐宮 三之御殿(さんのごてん)より神功皇后を勧請(かんじょう)し、お祀り申し上げました。

以来、当社は比咩大神、八幡大神、神功皇后の三柱(みはしら)の神を祀って八幡社(はちまんしゃ)と号(ごう)し、宇佐宮八ヶ社(うさぐうはっかしゃ)の一社となっております。

嘉暦(かりゃく)3年(1328)、足利尊氏(あしかがたかうじ)は武運の再興を願って宇佐宮に参籠(さんろう)し、当社で流鏑馬(やぶさめ)の神事をとり行いました。
天正(てんしょう)9年(1581)、豊後大友軍の兵火によって社殿、神宮寺のすべてを焼失しましたが、その後、中津城主 黒田長政(くろだながまさ)公によって社殿が再建されました。
明治(めいじ)12年(1879)9月17日、当社は縣社(けんしゃ)に列せられ、宇佐両院の宗社(そうしゃ)として今日に至っております。

境内案内板より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

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 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています

「行幸会(gyokoe)」の行幸順は 次のように伝わります


宇佐八幡→①田笛社→②鷹居社→③郡瀬社→④泉社→⑤乙咩社→⑥大根川社→(薦神社)→⑦妻垣社→⑧小山田社→宇佐八幡

かつては 宇佐八幡の境外8摂社とされていました

詳しくは「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について の記事をご覧ください

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「騰宮学館(togu gakkan)」について

大正二年(1913)林正木氏が 境内に・神職・教員を養成する騰宮学館(とうぐうがっかん)を創立し 小学校教員養成科と神職養成科が設けられました

当時 日本には 神職を養成する機関として 神宮皇學館(三重)と國學院(東京)の2ヶ所しかなかく 騰宮学館には 満州を含む全国から学徒が集まったといわれます

国家神道を奉じていた当時の日本で 交通の便の悪かった安心院に 日本で三番目の神職養成科を設けるのは 容易な事では無かった筈です

「騰宮学館(togu gakkan)」は「足一騰宮(ashihitotsuagari no miya)」にちなんだ名前ですので やはり この地が聖地として認知されていたことになるのだと思われます

昭和15年(1940)の皇紀2600年の奉祝時に作曲された交響曲「海道東征(かいどうとうせい)」にも 「足一騰宮(ashihitotsuagari no miya)」が歌詞としても登場していることからも 当時の崇敬がわかります

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

安心院ICから県道42号から県道50号経由 約3.1km 車7分程度
県道50号の途中に何ヶ所かに「縣社 妻垣神社 古跡 足一騰宮」と書かれた大きな案内看板が建ってますので判り易いです

県道50号を左折すると 参道の坂下に「一の鳥居」が建っています

車の場合は 参道を通らず迂回します

参道の階段の上には「狛犬」「石灯篭」と「二の鳥居」が建ちます

一礼して鳥居をくぐります

妻垣神社(tsumagaki shrine)に到着

朱色の玉垣が廻され 神門があります

朱色の神門の前にも石灯篭があり どことなく神仏習合時の名残りが漂います

神門をくぐり抜けます 境内の拝殿も朱色で 社殿・神門ともに東南の方向にある磐座「足一騰宮」を向いています

拝殿にすすみます 扁額には「妻垣神社」とあります

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

社殿を左右から拝します

社務所に立ち寄り 西南方向にあるもう一つの神門をくぐり抜けて 振り返り一礼します

神武天皇の東征にある「足一騰宮」との伝承を持つ磐座は 共鑰山(tomokagi yama)(別名-妻垣山 tsumagaki yama)にあります

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『八幡宇佐宮御託宣集(hachiman usanomiya gotakusenshu)』に記される
「安心院(ajimu)」の伝承

「安心院(ajimu)」という地名が起こった伝承が記されます

【原文】
安心院都麻垣者比咩大神之御在所也。御修業行之時。於此所語合利生之給。
有安樂御心之故云爾也。有社。有寺。己佛神事恒例。今都麻垣社是也

「意訳」
「 安心院(あじむ)都麻垣(つまがき)は 比咩大神の御在所(おましどころ)なり
八幡大神が御修業行の時 この所に利生(神や仏がすべての生きるものに与える救い)を 比咩大神(三女神)と語り合ひ給ひ 安楽(常に心安らか 浮き沈みのない心の状態)の御心(みこころ)ありました
故に 安心院(あじむ)と云ふなり
社あり 寺あり すでに佛神の事は恒例なり 今の都麻垣社(つまがきのやしろ)これなり  」

宇佐大神(八幡大神)の神託により社殿が造営されたのが始まりと伝わります

妻垣神社(tsumagaki shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

安心院盆地は 宇佐氏発祥の地で 宇佐氏が奉斎した二つの古社「三女神社 “三女神降臨伝承”」と「妻垣神社 “一柱騰宮伝承”」があります
もう一つの安心院の古社 三女神社の記事をご覧ください

宇佐国造の祖である菟挟津彦(usatsu hiko)・蒐侠津媛(usatsu hime)が 宇佐川の川上に 一柱騰宮(ashihitotsu agarinomiya)の仮宮(宇佐神宮の呉橋南岸)を建て歓待した伝承の残る 宇佐神宮の記事もご覧ください

「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について に戻る

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