天石門別神社(あめのいわとわけ じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御代 四道将軍 大吉備津彦命が 吉備地方平定報賽のため自ら鎮斎したと伝えられます 『三代實録』貞観5年 神階従五位下から従五位上に昇叙せられ 『延喜式』に美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)とある式内社です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
天石門別神社(Ame no Iwatawake shrine)
【通称名(Common name)】
・滝の宮さま(たきのみやさま)
・滝宮神社(たきのみやじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
岡山県美作市滝宮89
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天手力男神(あめのたぢからをのかみ)〈天石門別神〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈美作國三之宮〉
【創 建 (Beginning of history)】
天石門別神社 アメノイワトワケジンジャ
由緒
当社は第10代崇神天皇の御代、四道将軍大吉備津彦命が、吉備地方平定報賽のため、自ら鎮斎したと伝えられている。延喜式内小社。清和天皇の貞観5年、神階従五位下から従五位上に昇叙せられている。
嘉元3年地頭平重継が御社殿を再建。明応8年地頭平国綱が神田武具を寄進。元禄10年津山城主森長俊が御社殿を再建。享保15年から領主の代参が例年のようにあった。明治6年郷社となり、明治13年に県社に列格した。
岡山県神社庁HPより抜粋
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/19404/
由緒
祭神
當神社祭神ハ 天手力男神ニ坐シ 神代ノ昔 天岩戸ヲ開キ奉リ 後永ク皇孫ヲ輔ケテ大功アリシ神ナリ 今畏クモ伊勢大神宮御正殿内右ノ御神座ニ御相殿ノ神トシテ厚ク奉齋セラレ給フ
鎮座ノ由来
當神社ハ 人皇第十代 崇神天皇十年 四道将軍 大吉備津彦尊ノ鎮座シ給ヘル古社ニシテ 御鎮座以来 二千余年ノ歳月ヲ経タリ
社伝ニ曰ク 尊 賊徒平定ノ勅命ヲ奉ジテ 山陽道地方ニ赴キ給フヤ 播磨國氷上ノ里ニ於イテ 道ノ口ノ祭儀ヲ行ヒ 前途ノ平安ヲ祈リ給ヘリ時ニ 神教アリ 即チ 尊之ヨリ征行シ給ハム吉備國ハ 山路峻嶮 賊勢甚ダ熾烈ナリ 依ツテ吾嚮導 シテ赴カシメ奉ラム 吾ハ吉備國 雄神河(吉井川ノ古名)ノ川上落滾ツ早滝ノ下方ニ坐ス 天手力男神ナリト 尊甚ク喜ビ給ヒ神教ノママニ軍ヲ進メ 短時日ニシテ大イニ皇威ヲ伸張シ給ヘリ 復命ノ後 尊ハ此ノ地ニ至リマシ 自ラ祭主トシテ神恩奉謝ト 戦勝祝賀ノ盛儀ヲ齋行シ 永ク大神ヲ鎮祀シ給ヒ 之當神社ノ創始ニシテ 今 本殿背後ノ石塚ハ 即チコノ祭場ノ遺跡タリ
皇室ノ御尊崇
古来皇室ノ御尊崇 一方ナラズ 第五十六代清和天皇ノ貞観五年五月神階 從五位上ニ進メラレ給ヒシコト 正史ニ明文アリ 之今ヲ距ル一千百余年前ノコトナリキ 降ツテ第六十代醍醐天皇 延喜七年 延喜式ノ制定ニ當リテハ 全国神社中ヨリ撰バレシ二八六一社中ニ列セラレ 春秋二季ノ大祭ハ 國費ヲ以ツテ齋祀シ 美作三ノ宮トシテ 境内ノ広域九丁四面 東西南北各正中ニ鳥居ヲ建立シテ 聖俗ヲ明示セラルルト共ニ 神田十町歩ヲ賜ヒテ 祭粢ノ料ニ充テ給ヘリ 現ニ氏子横川ニ鳥居田 及ビ 作東町猿ケ谷ニ神入口(カンニュウグチ)ナル地名ノ存スルハ イヅレモコノ鳥居ノ古趾ニシテ 町内真神ニ神田(カウダ)ト称スル邑里ノ在ルハ コノ時 附与セラレシ神田ノ一部 此処ニ在リシコトノ証左タリ 近キ頃マデ 此ノ地ニ 滝ノ宮一ノ鳥居趾トテ小芝生アリ 古来 氏子区域ヲ十町ト謂ヘル由来ヲ 亦ココニ存スルト云フ
武将并ニ領主ト神社
武威興隆ノ世ニ在リテテモ 武将ノ崇敬頗ル厚ク 鎌倉期 當地ノ地頭 渋谷氏或ハ 社殿ヲ改メ奉リ 或ハ 神田神具祭器等ヲ献納セルコト古書ニ明カナリ 然レドモ 天正十八年 備前長船紀伊守貞行 當地ヲ所行スルヤ 未曾有ノ暴行ヲ以ツテ 神田ヲ始メ社有資産ノスベテヲ没収ス 茲ニ於イテ 社勢俄ニ衰頽 往昔ヨリ伝承セル 四月春季大祭ノ矢夫佐女神事 七月晦日ノ田実祭 九月九日ヨリ十日間ニ渉ル秋季大祭(コノ間ニ福本賀茂大明神即チ 現福本神社ヘハ大御神幸アリ)等盛大ヲ極メシ 諸祭儀ヲ再ビ行フニ由ナク減失セルハ 寔ニ遺憾ノ極ナリトス 慶長八年 森忠政 津山城ニ入ルヤ 厚ク當社ヲ敬仰シ 年々社領五十石ヲ奠奉 ソノ裔伯耆守長俊 元禄四年 本殿改築ノ工ヲ起シ 仝十年二月竣工ス之現在ノ本殿ナリ
民衆ノ信仰
氏子ヲ始メ大衆 亦 深ク信仰シ 殊ニ夏季旱天ニ至レバ必ズ 参拝シテ雨ヲ祈ルヲ例トス 又 大神ノ伊勢神宮ニ共祭セラルル由縁ニ依リ 参宮セント志ス者ハ遠近ヲ問ハズ先ズ當神前ニ額ヅキテ道中ノ安全ヲ祈リテ後 出発シ帰途ニハ絵馬ヲ求メテ之ヲ社前ニ献ジ 以ツテ 報賽ノ誠ヲ至セリ 現ニ絵馬殿ニ掲グルモノノ中大ナルハ 概ネ参宮ノ礼参ニ係ルモノニシテ 當神社ノ交通安全祈願祭ノ基ナリトス
明治十三年県社ト指定セラレ以ツテ終戦ニ及ブ
昭和四十三年九月附近ニ県営ダム建設ノ議アリ 之ガ完成ノ暁社殿ノ水没ス ベキ憂ヘ 仝五十一年一月起工 巨費ヲ投ジテ御模様替大工事ヲ敢行シ 参道ヲ 延長シテ ソノ参入口ニ鳥居并ニ社標碑ヲ建立シ 以ツテ 昿古ノ大業ヲ竣功セリ
維持昭和五十五年六月吉辰
天石門別神社
英田町 文化財保護委員会現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.
【由 緒 (History)】
神社配布『天石門別神社(別名 滝の宮)沿革のあらまし』より抜粋
美作三宮 天石門別神社
御社名 天石門別(アメノイワトワケ)神社
御鎮座以来 御社名の変更されたことはない。鎮座地 岡山県美作市滝宮89番地
御鎮座以来。鎮座地の異動された事実はない。但し、鎮座地の呼称は種々異ったものがあった。即ち、古代大化の頃 英多(アガタ)の地方 和名鈔による英多郡河会(カアイ)郷、鎌倉・室町時代、阿会庄宮地村、旧幕時代、作州宮地村、町村合併まで岡山県英田郡河会村龍宮字滝宮89番地。
祭神は天手力男神、社伝によると御鎮座は 約2,000年余り まえといわれている。その年月日は不詳だが、財田氏家系図の端文によると第10代 崇神天皇の御代に四道将軍 大吉備津彦命が中国地方鎭撫の為西下された際、当神社の祭神、天手力男神の神教と神助により、いち早く其の目的を達せられたので、御礼の為 当神社の神地を選び、御自ら祭主となられ鎭斎せられた古社と伝え
られている。 皇室崇敬の事実としては、清和天皇、貞観5年5月(883年)従5位下より従5位上に 神階を昇叙せられ(三代実録所載)、つづいて醍醐天皇、延喜式の御制定に際しては、その当初に 延喜式内の官社 として全国3.132社の中に加えられ 春秋の月並大祭は国費 を以って執行せられたことが正史に明らか(延喜式)。 武将の崇敬では嘉元年(1.305年)地頭、平重継によって社殿が再建され、降って明応を年8月15日(1,499年)渋谷兵衛尉平国綱、神田を寄進(寄進状现存)。元禄10年2月(1697年)津山城主森長俊、本殿を再建(現在の本殿)、享保15年以降每年9月大祭に領主土岐氏代参者を遣して祭事を執行された。嘉永5年5月領主土岐賴寧、・・・以下略
神社配布『天石門別神社(別名 滝の宮)沿革のあらまし』より抜粋

神社配布『天石門別神社(別名 滝の宮)沿革のあらまし』
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
○岡山縣 美作國 英田郡河會村大字瀧宮
縣社 天石門別(アメノイハトワケノ)神社
祭神 天石門別(アメノイハトワケノ)命
創建年代詳ならずと雖も、本州の三宮にして(美作名所の栞)、延喜の制式内小社に列す (神名帳考證、神社覈録、神祇志料)、十一宮といふ(神祇志料)、三代實録に、「清和天皇 貞観五年五月二十八日庚寅 美作國從五位下 天石門別命神授ニ 從五位上、」と見え、相傳ふ、往昔 大吉備津彦命 吉備國平定の時、この神 靈驗を現したまふ、依て自ら忌膳夫となり社を草創せらる(名勝地誌)、嘉吉三年、北村の地頭 平重継、南村の地頭尼戒心再建立す、此宮に明應八年渋谷半兵衛尉國綱願状あり(美作旧蹟録)、爾来代々の國主より神領を寄附せしが、正親町天皇 天正年間 宇喜多氏の臣長船紀伊守 神田を没収し、神位記、社印、舊記等を奪い去る、靈元天皇の貞享三年に至り國主森氏より社領として玄米六十石を寄附せしが、森氏國除せられて後斷絶す(社傳)、明治六年縣社に列す、古来田植祭の特有神事ありといふ。
社殿は本殿、幣殿、拜殿、神楽殿、説散所、随神門、神庫を具備し、境内地二千六百四十二坪(官有地第一種)あり、社後に飛泉あり、土俗 宮地の瀧と呼ぶ、瀧宮の地名の因て起る所とす(地名辞書)、岩壁の上より落ち下流を瀧川といひ社地を繞りて華表の前を過ぐ、水流石に激して鞺鞳聲をなす慮を琴曳の瀧といふ、宝物には東帶古木像、社鑰、古代馬鞍、鏡、甲冑等あり。
境内神社
早瀧神社 宇受賣神社 稲荷神社 中山神社 總神社
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
スポンサーリンク
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・天石門別神社 本殿

Please do not reproduce without prior permission.
・〈本殿向って右 境内社〉八幡神社《主》誉田和気神

Please do not reproduce without prior permission.
・〈本殿向って左 境内社〉5社合殿
向って右から
・〈境内社〉総神社《主》河会郷鎮座諸神《配》八岐彦神 八岐姫神 塞神 久奈戸神
・〈境内社〉早滝神社《主》瀬織津姫神《配》闇淤迦美神
・〈境内社〉稲荷神社《主》宇迦之御魂神《配》猿田彦神 大宮能売神
・〈境内社〉宇受売神社《主》天鈿女神
・〈境内社〉大歳神社《主》大歳神

Please do not reproduce without prior permission.
・天石門別神社 拜殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
・参道石段

Please do not reproduce without prior permission.
・手水舎

Please do not reproduce without prior permission.
・境内 鳥居

Please do not reproduce without prior permission.
・御正殿旧跡〔旧社殿の跡地〕

Please do not reproduce without prior permission.
・磐座〔御神体岩〕

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
・琴弾の滝

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
・〈境内社〉御楯神社《主》護国の英霊

Please do not reproduce without prior permission.
・一の鳥居

Please do not reproduce without prior permission.
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
スポンサーリンク
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
天石門別神に神階が授けられています
【抜粋意訳】
卷七 貞觀五年(八六三)五月廿八日庚寅
○廿八日庚寅
美作國 從五位下 天石門別神 奈癸神 大佐々神 並に授くに從五位上
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)美作國 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)英多郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 天石門別神社
[ふ り が な ](あめいはとわけの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kusanaki no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
スポンサーリンク
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(いはとわけのかみ)」の呼称を持つ神社について
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に「いはとわけのかみ」の呼称を持つ延喜式内社は 12ヶ所あります
①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社
③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社
④延喜式内社 近江國 伊香郡 天岩門別命神社
⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社
⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社
⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社
⑧⑨延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕
⑪延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社
⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社
各々の論社について
①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕(あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)の論社について
・嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)
・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)
②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社について
・天津石門別神社(高市郡高取町越智)
・天太玉命神社(橿原市忌部町)
③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社(あまの いはとはけの かみのやしろ)の論社について
・天石門別神社(茨木市元町)
④延喜式内社 近江國 伊香郡 天石門別命神社(あめ いはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社について
・森本神社(長浜市高月町森本)
⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について
・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
・白河神社(白河市旗宿関ノ森)
・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
〈旧鎮座地とも云う〉
・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》
《参考》・石都々古和気神社(石川町)
⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめいはかとひこの かみのやしろ)の論社について
・大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈石見國三之宮〉
⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)の論社について
・天石門別神社(美作市滝宮)〈美作國三之宮〉
⑧⑨延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について
備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社が どちらの論社に当るのか判別はできていません
・石門別神社(岡山市北区大供表町)
・石門別神社(岡山市北区奥田南町)
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕(あまの いはとわけ やくらひめの かみのやしろ)の論社について
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
・上一宮大粟神社(神山町)
〈一宮神社(徳島市)の元宮とされる〉
・一宮神社(徳島市)
⑪延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社(あまの いはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社について
・雨降神社(徳島市不動西町)
・龍王祠〈廃社〉
徳島市の徳島中央公園(城山)〉にあった竜王祠は 徳島城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀
・竜王さんのクス(もと徳島城城山に鎮座した竜王祠〈廃社〉の付近)
・国瑞彦神社(徳島市伊賀町)
※式内社(阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社)の論社二つ
①境内社゛龍王神社゛〈現在は 廃社 本殿に合祀されている〉
※国瑞彦神社の境内社゛龍王神社゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされていた
②竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座
・豊玉比賣神社(徳島市眉山町)〈春日神社 境内〉
竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまの いはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について
・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)
・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)
スポンサーリンク
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陽本線 和気駅から県道46号経由で北上して約21.9km 車での所要時間は28~30分程
備前市側から県道46号を北上して美作市に入ります

Please do not reproduce without prior permission.
すぐに岡山国際サーキットの入口があります

Please do not reproduce without prior permission.
県道46号はT字路となっていて 観音寺・天石門別神社・琴弾の滝の方向へ右折〈東へ〉

Please do not reproduce without prior permission.
たきのみやトンネルを抜けると すぐに参道入口となっています

Please do not reproduce without prior permission.
参道の入口には社号標と一の鳥居が建ちます
天石門別神社(美作市滝宮)に参着

Please do not reproduce without prior permission.
境内は 河会川の対岸にあります

Please do not reproduce without prior permission.
河会川を渡ります
ちょうど河川の浚渫工事をしているようでした

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
車を降りて 参道を進みます

Please do not reproduce without prior permission.
参道を進んでいくと 琴弾の滝の案内板の先に 二の鳥居が建っています

Please do not reproduce without prior permission.
鳥居をくぐり抜けると突き当りに手水舎があり 手前に社殿へと石段があります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
拜殿の奥に幣殿 本殿があり 本殿の隣に〈境内社〉八幡神社があり 本殿と境内社の間から石段があり 琴弾の滝へと下りていけます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
石段を降りると・御正殿旧跡〔旧社殿の跡地〕があります
これは「昭和43年附近に県営ダム建設の決議があり 完成の暁には社殿が水没する憂いがあり 昭和52年現在の盛土した地に遷座した」それ以前の社殿の跡地

Please do not reproduce without prior permission.
・磐座〔御神体岩〕は 吉備津彦尊が自ら当地に天手力男神を祀った祭祀跡とされています

Please do not reproduce without prior permission.
琴弾の滝へと続いています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
滝へと下りて行きます

Please do not reproduce without prior permission.
御正殿旧跡〔旧社殿の跡地〕まで戻り 境内参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 天石門別神社について 所在は゛川會郷宮地村に在す、゛〈現 天石門別神社(美作市滝宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
天石門別神社
天石門別は阿米乃伊波止和氣と訓べし
○祭神明か也
○川會郷宮地村に在す、〔作陽志、式社考、〕
考讃に、國造本紀云、大伯國造、吉備中縣國造、並神魂命孫、』姓氏錄云、神魂命兒 天石考讃に、國造本紀云、大伯國造、吉備中縣國造、並神魂命孫、』姓氏錄云、神魂命兒 天石都倭居命也、當國 及 備前國有ニ 石門別神社 者申於此也と云り、
類社
大和國高市郡 天津石門別神社の條見合すべし神位
三代實錄、貞観五年五月廿八日庚寅、美作國從五位下 天石門別神 授ニ 從五位上、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 天石門別神社について 所在は゛今 川會庄宮地村に在り、十一宮といふ、゛〈現 天石門別神社(美作市滝宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
○英多郡一座
天石門別(アマノイワトワケノ)神社、
今 川會庄宮地村に在り、十一宮といふ、〔作州風土略、作州記、神名帳考証、〕
神魂命の子 天石門別命を祀る、〔参酌新撰姓氏録、延喜式、〇按 姓氏録、天石都倭居命に作る、〕清和天皇 貞觀五年庚寅、從五位下 天石門別に従五位上を授く、〔三代実録〕
凡 二月四日 四月三日祭を行ふ、〔神社明細帳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 天石門別神社について 所在は゛瀧宮村 (英田郡河合村大字瀧宮)゛〈現 天石門別神社(美作市滝宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
○英多郡一座 小
天石門別神社
祭神 天手力男命
神位
清和天皇 貞觀五年五月廿八日庚寅 美作國從五位下 天石門別神 授從五位上祭日 二月四日 四月三日
社格 郷社(明治十三年九月十五日縣社許可) (縣社)所在 瀧宮村 (英田郡河合村大字瀧宮)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
天石門別神社(美作市滝宮)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.















