宇治神社(うぢじんじゃ)は 創祀について古来二説あり 一つは那自賣神社〈皇大神宮(内宮)末社〉の跡地に土地の神を祀ったというもので 宇治橋の鳥居から約350mと内宮のすぐ近くに鎮座します 境内には 葦立弖(あしたて)社〈皇大神宮(内宮)末社〉に擬したされる゛足神さま゛〈足神神社〉足腰の病にご利益があり 内宮を参拝したあとに詣でる人が後を絶ちません
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
宇治神社(Uji shrine)&足神神社(Ashigami shrine)
【通称名(Common name)】
足神さん
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市宇治今在家町172
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大山祇神(おほやまずみのみこと)
《合》御裳須曽姫命,宇摩志阿志訶備比古遅神,速秋津日子神,速秋津比女神,新川比賣神,宇迦之御魂神,水波売神,大山祇神,素盞嗚尊,応神天皇,火産霊神,玉移良比賣神,菅原道真,和気清麻呂,楠木正成,天児屋根命,藤原鎌足,羽倉東麿,岡部真渕,本居宣長,平田篤胤,祭神不詳,天見通命、彌武彦神
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
〈足神神社〉足腰の病にご利益・足の疲労平癒(ひろうへいゆ)を祈る
【格 式 (Rules of dignity) 】
・宇治神社は〈豊受大神宮(外宮)別宮〉の旧地
【創 建 (Beginning of history)】
宇治(うじ)神社
所 在 伊勢市宇治今在家町字丸山
主祭神 大山祇神(おおやまずみのかみ)
ほかに御裳須曽姫命(みもすそひめのみこと)・素戔嗚尊(すさのうのみこと)・菅原道眞公・荒木田守武命などを合祀例 祭 八月二十一日
特殊神事 一月十七日弓の事始式
六月三十日 茅輪(ちのわ)神事(夏越祓 なごしのはらい)創祀に二説あります。
その一つは、皇大神宮末社 那自賣(なじめ)神社の跡地に土地の神をまつったというもの(宇治昔語など)。
その二は、万治三(一六六〇)年七月二十九日宇治洪水の時、神路山にあった小祠がここに漂着したというもの(五十鈴遺響など)。明治四十一年三月以降近隣の数十社を合祀して、宇治四ヶ町の鎮守社となってきました。
主祭神の大山祇神(おおやまずみのかみ)は山の神、そして合祀されている神々は水の神や火の神から菅原道眞や藤原鎌足など歴史上の人物も加えてまつってきました。人々はこうして、自然の力と人間の智慧を尊崇してきました。なお、当社奉祀の「足神さん」は、祈願者が多く、わらじを献ずる慣習もつづいています。
境内の案内板より
由緒
当社の創祀については、古来二説ある。
一つは皇大神宮末社那自売神社の旧地であるという説(名自売は納米《なししね》の転訛という)で
今一つは、万治3年(1660)7月29日、宇治洪水の時に、神路山に在った小祠が比処に漂着したのを祭祀したのだという説である。
いずれにしても、当社は、以前は中之切町字森に鎮座した社で、社地は、東西9間、南北7間、面積45坪2合5勺で、饗土ノ山神社とも称したと伝えられている。
明治16年8月、元不動明王院の鎮守であった弓場天神を当社瑞垣内に、別に小祀を造立して奉祀した。
明治41年3月、館町鎮座の求神社(御裳須曽姫命)、足神社(宇摩志阿斯詞備比古遅神)、水神社(速秋津比古神・速秋津比女神)、今在家町鎮座の鏡石神社(新川比売命)石津賀神社(神名不詳)、山神社(大山祗神)稲荷社(宇迦之御魂神)、佐野姫社(同)水神社(水波売神)、中之切町鎮座の蘭神社(素盞鳴尊)、浦田町鎮座の八幡社(応神天皇)、稲荷社(宇迦之御魂神)、秋葉社(火産霊神)、瀧倉神社(玉移良比女神)、山神社(大山祗神)、崇忠神社(菅原道真・和気清麿・楠正成・天児屋根命・大職冠鎌足)を、同年七月、館町鎮座の荒木田一門氏神社(天見通命・弥武彦神)を合祀し、明治43年12月、現在地今在家町に移転し、明治45年5月、境内社弓場菅原社(菅原道真)を合祀し、今日に至る。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
足神さん
足神神社
「神宮典略」によると、本社は「皇大神宮末社」葦立弖(あしたて)社に擬し、一説には宝暦年間(一七五一〜一七六四年)磯部街道笹原茶屋の亭主が、老狐が足を傷して治療に手を尽くしたが、その効無く悶死(もんし)したが亭主は、之を厚く葬(ほうむ)り山神に祖霊と祀り崇敬した。
足の疲労平癒(ひろうへいゆ)を祈れば必ず加護ありと遠来より祈る者が多くなり草鞋(わらじ)を献ずる慣例があった。
今尚、宇治神社に其の信仰状態を表し多くの陸上選手や足の悪い人達が健脚・健康を祈って訪れる。
撫石
・禊(みそぎ)や祈祷のとき、からだを撫でて、穢(けが)れや災いを移して身代わりとして川に流す形代と同様にこの石を撫でて足の平癒を祈って、足神さんのご加護をいただいて下さい。
境内の案内板より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・蓬莱稲荷神社
蓬莱稲荷神社
現在の五十鈴川郵便局と藤屋窓月堂との露地(宇治中之切町旧進修小学校地内)にあったものを移したものであります。
元来は、今在家町丸山にあったものを、(一六八四年〜一六八八年 林崎文庫設立時は、稲荷神社が有った)
天明二年(一七八二年)修築時に移されたものであります。内宮権禰冝で副物忌父職(そえものいみのちち)を兼帯したことから蓬莱家の社であったと思われる。
現地案内板より
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
宇治神社&足神神社(伊勢市宇治今在家町)は 皇大神宮(内宮)から五十鈴川を隔てた反対岸〈西岸〉宇治橋の鳥居からすぐ近くに鎮座します
・皇大神宮(内宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
宇治神社は 皇大神宮末社 那自賣神社(なじめじんじゃ)の旧地であると云う
宇治神社の創祀については 古来二説あり
一つは 皇大神宮末社 那自賣神社の旧地であるという説(名自売は納米《なししね》の転訛という)
〈那自賣神社の跡地に土地の神をまつったというもの(宇治昔語など)〉
那自賣神社(なじめじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)末社〉について
宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・那自賣神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》大水上御祖命(おおみなかみのみおやのみこと)御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
足神神社は 葦立弖(あしたて)社〈皇大神宮(内宮)末社〉に擬したことが始まり とされる
足神神社
「神宮典略」によると、本社は「皇大神宮末社」葦立弖(あしたて)社に擬し、一説には宝暦年間(一七五一〜一七六四年)磯部街道笹原茶屋の亭主が、老狐が足を傷して治療に手を尽くしたが、その効無く悶死(もんし)したが亭主は、之を厚く葬(ほうむ)り山神に祖霊と祀り崇敬した。
境内の案内板より抜粋
葦立弖神社 (あしだてじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)末社〉について
國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・葦立弖神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》玉移良比女命(たまやらひめのみこと)
〈宇治都比女命(うじつひめのみこと)の御子神 この地方の産土神〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
皇大神宮(内宮)から五十鈴川を隔てた反対岸〈西岸〉
皇大神宮(内宮)宇治橋の鳥居から宇治橋前のロータリーを左へ すぐ近く 約350m 徒歩5分程度
五ヶ所街道へ進むとすぐ右手に鎮座します
宇治神社&足神神社(伊勢市宇治今在家町)に参着
社号標には゛宇治神社゛と刻字され
神明鳥居が建ちます 一礼をして鳥居をくぐり 参道の石段を上がり参道を進みます
参道の右手に゛社務所゛があり ゛足神さん゛と記された奉納旗が沢山 風にたなびいています
石段の脇に゛足神さん゛〈足神神社〉が祀られています
母の膝が悪かったので お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
石段を上がり 宇治神社の 拝殿にすすみます
賽銭を納め お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 瑞垣に囲まれた正殿が鎮座します
その向かって 右手にも 瑞垣に囲まれた正殿が鎮座します どちらの敷地にも 古い社が建ちますが 隣り合わせの敷地なので こちらは古殿地なのだろうか?
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『宇治山田市史 下巻』〈昭和4年(1929)〉に記される伝承
宇治神社(伊勢市宇治今在家町)について 宇治山(うじやま)神社と記されていて 合祀された各神社の由来についても詳細が語られています
【抜粋意訳】
宇治山(うじやま)神社
所在大字今在家町字丸山
祭神大山祇(おほやまずみ)神
右古來奉祀スル所
御裳須曾姫(みもすそひめ)命 宇摩志阿志訶備比古遅神速秋津日子神速秋津比女神新川比賣神宇迦之御魂神三座 水波賣神大山祇神二座 素盞嗚尊応神天皇火産霊神玉移良比賣神菅原道真和気清麿 楠正成天兒屋根命 大織冠鎌足羽倉東麿岡部真渕本居宣長平田篤胤不詳一座
右明治四十一年三月廿六日合祀
天見通命 彌武彦神
右同年七月二口合祀菅原道真
右同四十五年五月十六日合祀當社、以前は大字中之切町字森に在った。社地、東西九間南北七間、面積四十五坪二合五勺、饗土ノ山神社とも稱した。明治十六年八月、元不動堂明王院の鎭守たりし弓場天神を、當社瑞垣内に別に小祠を造立して奉祀し、同四十一年三月九日、許可を受けて同月廿六日に館町無格社求神社・同足神神社・同水神社・今在家町無格社鏡石神社・同境内社石津賀神社・無格社山神神社・同稻荷神社・同境内社佐野姫稻荷神社・無格社水神社・中之切町無格社蘭神祉・浦田町無格社八幡神社・同稻荷神社・同秋葉神祉・同瀧倉神社・同境内社大山祇神社・無格社崇忠神祉を合祀し、又同年四月十五日許可を受けて、同年七月二日館町無格社荒木田一門氏神社を合祀し、同四十三年六月十日許可を受けて、十二月十一日今在家町字丸山百七拾二番地に移轉した。又四十五年五月十三日許可を受け、同月十六日當社境内社弓場菅原神社をも合祀した。
本社の創祭については古來二説ある。一は皇大神宮末社那自賣(なじめ)神社の舊地だと云ふもの〔毎事間〕〔宇治昔語〕 一は万治三年七月廿九日宇治洪水の時、神路山に在った小祠が此處に漂着したのを祭祀したのだと云ふもの〔郷談〕〔皇大神宮参詣順路図会〕〔五鈴遺響〕である。次に合祀社について沿革を述べる。
求神社 ・・・・・・・
足神社 一名 葦立弖神社
元は館町字中島路に在り、祭神は宇摩志阿斯訶備比古遅神、或は足神稻荷、又は山神とも云ふ。一説には皇大神宮末社葦立弖神社に擬し〔神宮典畧〕、一説にはもと山神に老狐を祀つたものと傳ふ。〔社記〕
磯部街道、笹原茶屋近き所に、山神ありき、老狐足を傷ひて起つことあたはず、山神森中に臥して苦悶せるを見し茶屋の亨主、之を努はりて治療に手を盡くしゝも 其効なく老狐は遂に悶死せり、茲に於て亨主、之を葬ひたり、山神祠に其霊を祀りて、足神稻荷と崇めぬ、是れ寶曆年代の事に係る。爾後足の病労平癒を祈れば、必ず加護ありとて遠近より來り祈る者漸く多くなり、車夫労働者の如きは、巨大なる草桂を献するの慣例あり、今筒宇治山神社に、 其信仰狀態を表しつつあるを看る、奇とすべし。〔社記〕
※以下略
水神社・・・
荒木田一門氏神社・・・
鏡石神社・・・
山神社・・・
稻荷社・・・
佐野姫社・・・
水神社・・・
蘭神社・・・
八幡社・・・
稻荷社・・・
秋葉社・・・
瀧倉神社・・・
山神社・・・
崇忠神社・・・
【原本参照】
宇治神社&足神神社(伊勢市宇治今在家町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)