滝祭神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

滝祭神(たきまつりのかみ)は 社殿を持ちませんが『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に゛瀧祭神社(たきまつりのかみのやしろ)゛と載せられている古社です 格式は 皇大神宮(内宮)所管社とされていますが 神饌は別宮に准じられ 幣帛は攝社格に據って祭祀されています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

滝祭神(Takimatsuri no kami

通称名(Common name)

おとりつぎさん
〈俗信・・内宮(正宮)に詣でる前に滝祭神を参拝し 天照大神に願い事を取り次いでいただく信仰あり〉

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市宇治舘町1(内宮境内)

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》瀧祭大神(たきまつりのおかみ)

〈社殿はなく 玉垣の内側に御神体の石が奉祀〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

〈皇大神宮(内宮)所管社〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮要綱』昭和3年〉に記される内容

【抜粋意訳】

皇大神宮所管社 瀧祭神

鎭座地 皇大神宮神域内

殿舎
石  畳 南面・・・壹區
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉  垣 連子板打・・・壹重
右神宮司廰造替

瀧祭神(タキマツリノカミ)は皇大神宮の域内に鎭座す。古來神殿を設けず祭祀せり。卽ち儀式帳度會郡内管社四十處の内に、瀧祭神社〔在に大神宮北川邊、無に御殿〕と見えたり。
もと五十鈴川の西岸にありしを、中古以來東岸に移し奉れりと云ふ。此の神の名は延喜の神名式にも登載せられざる程なれど、早く延曆時代より瀧祭物忌なるものを置かれしこと儀式帳に見え、大神宮式の神嘗祭の御料を記せる條に、斤税一千二百二十二束の内に、大神宮・荒祭宮・月夜見宮•瀧原宮・同竝宮に次ぎて此の神及び朝熊社の各十束を挙げ、竝に神税を用うること見えて、其の待遇の別宮に准せられたるは、深き緣由あることなるヾし。
祭神については、倭姫命世記なる両宮諸社の御形を記せる條に〔瀧祭神 無に寶殿、在に下津底水神也、一名澤女神、亦名美都波神〕と記せり。罔象女神(ミツハメノカミ)は水の神にして、諾冉二尊の生みませる神なること、日本書紀神代卷の一書、及び古事記に見えたり。此の處に水神を祭るは、本宮神嘗祭由貴料の御田宇治郷に在りて五十鈴の河水を家田の堰より曳くが故に、其の水源の瀧の神を鎭めんが爲なるべし。現今は單に瀧祭神と稱して神饌は別宮に准じ、幣帛は攝社格に據りて祭祀せしめらる。

【原文参照】

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

【由  (History)】

『神宮摂末社巡拝』下昭和18年〉に記される内容

【抜粋意訳】

滝祭神(たきまつりのかみ)

 手洗場の南上の所に、一つの社壇がある。御社殿の設けはなく、唯だ石積の社壇があるばかりで、その敷き石の中央には、神石が安置されてゐる。これを瀧祭神と呼んでゐる。皇大神宮の所管社で、延曆儀式帳には、瀧祭神社(たきまつりのかみのやしろ)と御社名を載せてゐる。同書にも太神宮の西の川邊にあり (今は東の川邊にうつす )御殿なしと見えてゐるから、一千年以前の昔から御社殿はなく、だヾ五十鈴川の川岸に、石疊だけで祭られてゐたことが分る。

この神は五十鈴川上流の瀧津瀬(たきつせ)をなして下る水の神で宇治狹長田御常供田灌漑の神である。中世、大祓(おほはらひ)の詞にいふ落瀧(おちたぎ)つ瀬(せ)に坐(ま)す瀬織津姫(せおりつひめ)の神(かみ)になそべられて、みそぎ祓の神の信仰に移ってゐる。手洗場で、手、口をすゝぎ清めた人々は、ここの社壇に参って、心の祓ひを修してから参詣に上るのである。昔から一切成就祓(いっさいじゃうじゅはらひ)といふのが神宮にあって、

極(きは)めて汚(きたな)きも、溜(たま)り穢(けが)れなければ、内外(うちと)の玉垣清(たまがききよ)し淨(きよ)しと申(まを)す

といふ詞を唱へれば、一切の不淨を拂って、身心内外共に清淨になるといふことを傳へてゐる。末社参拜の心掛けは、まさにかくあるべきものである。

 瀧原神の社壇の南に、祓所(はらひど)がある。注連縄(しめなは)を張って、そこより内が、祓所であることを示してゐる。御遷宮の時、御神賣•御裝束及び神官を祓ひ清める所である。

【原文参照】

猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626

猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

滝祭神は 皇大神宮(内宮)所管社です

・皇大神宮(内宮)

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)について

延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』(こうたいじんぐうぎしきちょう)と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです

両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました

滝祭神〈皇大神宮(内宮)所管社〉は 『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に゛瀧祭神社 在 太神宮北川邊無御殿゛と載される古社

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について

お伊勢さん125社について

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

皇大神宮(内宮)の域内に鎮座します

・皇大神宮(内宮)

五十鈴川の御手洗場の近くに鎮座します

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御手洗場で清めます

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滝祭神への入り口は 皆さんが歩む こちらの表参道ではありません

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御手洗場の向かって左側 石段の手前に 森の中に続いている細い参道があり そちらからすぐです

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滝祭神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)に参着

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鳥居はありませんが 一礼をして 境内へ
垣と御門のみで社殿はなく 石畳に祀られています

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玉垣にすすみ お祈りをしま

こちらは賽銭箱がありますので 納めます

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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〈俗信・・内宮(正宮)に詣でる前に滝祭神を参拝し 天照大神に願い事を取り次いでいただく〉とありますので 住所氏名を申し上げて ご参拝の旨をお知らせさせていただき 皇大神宮(内宮)へと向かいます

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『宇治山田市史』上巻昭和4年〉に記される伝承

滝祭(たきまつり)神は 別宮に準じていて 摂社の上に格付けがなされています

【抜粋意訳】

滝祭(たきまつり)神 祭神 瀧祭神 皇大神宮域内

 瀧祭神は古來 別宮に準じて神饌を供進し奉れる神なれば、特に別宮の次、攝社の上に列せらるゝのである。

〔延喜式神名帳に所載の社をば格式を重んじて攝社とせられてある。皇大神宮に属するもの三十三所、豊受大神宮に属するもの十七所である。

【原文参照】

宇治山田市 編『宇治山田市史』上巻,宇治山田市,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1266036

『大神宮叢書』第2 前篇昭和10至15年〉に記される伝承

滝祭神社(タキマツリノヤシロ)は 大御神の美加介(ミカゲ)を川合淵の邊に祭るものである
社は無いが 物忌も供奉(ツカヘマツ)り〔後には内人も供奉る〕別宮に准じて嚴重(オゴソカ)なる事他の攝社の例に異なるは 深(フカ)き所以(ユエ)有る故なり と記しています

【抜粋意訳】

大神宮儀式解卷第十四 管度會郡神社行事 官帳社 滝祭神

滝祭神社(タキマツリノヤシロ)

〔在(アリ)に大神宮ノ西川邊。無に御殿〕 

瀧祭は多藝萬都里(タギマツリ)とよむべし。神社は耶志呂(ヤシロ)とも、また音にも訓べし。下皆同じ。瀧祭の神は大御神の美加介(ミカゲ)を川合淵の邊に祭りしなるべし。いつの代祝奉(イハヒマツ)りけん。〔大御神の荒魂を祭る宮を荒祭と稱ふと等(ヒト)しく、大御神の御霊(タマ)を瀧ち流るゝ早川に祭りしより、瀧祭とあがめ申す歟。下〔職掌辨任〕他の宮々の内人、物忌の姓名職掌はいはねど、當神社物忌、同父等は注して本宮の祠職と分別なきさまなり。然いはば荒祭宮内人物忌などもここにあるべしと云べけれど、荒祭は宮殿ありて管四院の中に挙たればいはぬなるべし。〕

或説、瀧祭は水派女(ミヅハメノメ)神を祭(マツル)といひ、又 哭澤女(ナクサハメノ)神を祭といへども、たしかなる書には見えず。日本紀纂疏、天瓊瓊矛(アメノヌホコ)納に于瀧祭に、とあるは覚束なし。此の儀式次の社々は神名を注(シル)せど、當神社は神の名(ミナ)もいはぬは、〔荒祭及瀧原同竝伊雜等の宮々など神名をいはぬも同じ。〕愚考の如くなればなるべし。

瀧川に祭る御霊(ミカゲ)なれば、推當(オシアテ)にいはヾ瀨織津姫(セオリツヒメ)とも、又 大神御蔭川(オホミカミミカゲカハノ)神などもいひつべけれど、とにかくに御名(ミナ)をば稱(イ)はぬこそ古(フルキ)意なれ。

當神社こゝには官帳に入るといひたれど、社無き故に神名式にも見えす。大神宮式も所攝廿四社とし、瀧祭神社無し。但同式、〔九月神嘗祭〕、斤税一千二百廿二束云々、瀧祭十束、同條明衣分配、瀧祭物忌、同父、各絹一疋と見えたれば、延喜の比とても官社の列(ツラ)なる事著(シル)し。たヾ社無きまゝに幣帛も上(タテマツ)られず。仍漏(モラ)せしなり。年中行事、〔六月十六日夜〕、次各於に廳舎の前の石橋に、先著に鬘木綿、在に瀧祭拜八度手両端、又〔同十九日〕、瀧祭御神態云々、今夜無レ告初鳥を聞、密々参事、有に其の謂歟云々、彼の宮祭禮、去る十六日の夜被レ行畢、然に重奉レ祭之條、有に其謂歟、とあるを以ても、他(ホカ)に異(コト)なる神にて深き旨あるべくおもへり。
〇在に大神宮西川邊は大神宮 乃爾志乃加波廻倍爾安里(のにしのかはのべにあり)とよむべし。今の瀧祭の拜所は川合淵の少し北川の東涯なり。その神は川合淵より今の畠町の南、瀧祭の淵までの間に坐(マシマ)すなるべし。〔畠町の南に在る淵を今世も多伎麻萬都里(タキマツリ)といへり。古今かはらず。又今 瀧祭拜所とて川合淵の少北にあるも近世の事ならず。年中行事、六月晦祓、各衣冠ヲ著シ、先ー鳥居ノ前河端ノ岸ノ上、以レ南為上、西向列居シテ、例ノ所瀧祭西ノ淵ノ端二テ、 Hノ陰ルヲ相待テ列参シ、南上西向著坐、といひしは、川合淵の少し北川の東涯なる拜所をさしていふ。畠町の南なる瀧祭淵をさしいふにはあらず。〕

〇無に御殿は 美阿良加那志(ミアラカナシ)とよむべし。當神社御殿無し、拜處あるのみなり。然るに物忌も供奉(ツカヘマツ)り、〔後には内人も供奉る。〕別宮に准じて嚴重(オゴソカ)なる事他の攝社の例に異なるは、深(フカ)き所以(ユエ)有る故なり。

【原文参照】

神宮司庁 編『大神宮叢書』第2 前篇,西濃印刷岐阜支店,昭和10至15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239691

滝祭神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内) (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

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