和渕神社(わぶちじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)の論社です 大古 香取神社の神船が 常陸より牡鹿郡 和渕山の西辺(船島)に着き その東方に船を留め(船澤)山頂に宮柱を立て神様を祭祀したとも 坂上田村麿将軍が 大同二年(806)遠田郡箆岳へ十一面観音を建立の節に和渕山本宮に「木船明神」を勧請したのがはじまりとも伝えられる
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
和渕神社(Wabuchi shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
宮城県石巻市和渕字和渕町1
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》経津主神(ふつぬしのかみ)
武甕槌神(たけみかづちのかみ)
大己貴神(おほなむちのかみ)
髙龗神(たかをかみ)
《合》須佐之男命 三吉大神 倉稲魂命 火産霊神
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
和渕神社
延喜式内社(牡鹿郡十座のうちの一座)で風土記御用書上げによると田村麿将軍 大同二年(八〇六)遠田郡箆岳へ十一面観音を、建立の節に和渕山本宮に「木船明神」を勧請したのがはじまりと、伝えられる。その後、和渕村の火災により別当屋敷とも類焼し、関係記録は焼出した。
又、産土神和渕神社の由緒と祭典について昭和十七年十月九日発行 和渕神社氏子総代謹誌によると、大古 香取神社の神船、常陸より八重の塩路に乗り牡鹿郡和渕山の西辺(船島)に着き、その東方に船を留め(船澤)山頂に「船澤山 猿霊(さだま)峠(樹霊峠)」に宮柱を立て神様を祭祀したとも伝えられる。年代勧請不詳
祭神 経津主神(ふつぬしのかみ)
同 武甕槌神(たけみかづちのみこと) 国大平(くにさだめ)の武神
同 大巳貴神(おほあなむちのみこと)(大国主命)国立(くにつくり)経営の神
同 龗神(くららのかみ)蛇を除く神この史跡の現状を変えようとするときは、河南町教育委員会へ六十日前に届け出て指示を受けること。
昭和六十三年六月二十九日 河南町教育委員会
現地案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
当社は牡鹿鎮座神名帳によれば「陸奥國古之牡鹿郡鎮座神名帳十座之内、香取伊豆乃御子神社」と称され、また風土にも詳細に記載されていることからも相当古い時代に祀られた、由緒深い神社である。現在鞘堂に鎮座する御本殿は昭和57年県教委が専門職に精査させた結果、安永年間(およそ200年以上)より以前の建築推定と判定がなされた。明治5年3月、旧村社に列せられる。
宮城県神社庁HPより
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・八幡神社〈本殿向かって左〉
・後継子之祠・石塔・古峯神社〈本殿向かって左〉
・金昆羅大権現ほか石碑〈割拝殿の石段下〉
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥国 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)牡鹿郡 10座(大2座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 香取伊豆乃御子神社
[ふ り が な ](かとりいつのみこ かみのやしろ)
[Old Shrine name](Katoriitsu no miko kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
香取・鹿島の御子神(みこがみ)〈苗裔神(びょうえいしん)〉について
古代の日本は 尾張より東は東国で蝦夷の住む処でした 東へ拡大する大和朝廷の歴史は 東国の蝦夷との軋轢の歴史でもあります
関東地方まで勢力を伸ばした大和朝廷は 奈良時代頃~平安初期頃までには 奥州の制圧を目指し 蝦夷(えみし)征伐や移民政策を推し進め 古代日本の中央集権体制を目指しました
このことから東北地方平定には「軍神」として 御神威のある香取・鹿島の神を奉じて 蝦夷征討軍が派遣されました
香取・鹿島の地は 東国〈関東〉の水上交通の拠点とされ 霞ヶ浦〈鹿島・香取の海〉から奥州〈東北地方〉開拓へ 太平洋海上を北へと遡っていったものと考えられています
こうして 香取神宮・鹿島神宮の苗裔神(びょうえいしん)〈御子神(みこがみ)〉が 奥州開拓の拠点として 太平洋沿岸地域および阿武隈川・旧北上川などの大河川の支流域の各地に祀られていきました
平安時代中期の『延喜式神名帳927 AD.』に記載 奥州〈東北地方〉の 香取神宮・鹿島神宮の分祀と考えられる神社
大和国の東の涯(はて)に鎮座した香取・鹿島の2神宮は 古来より大和王権との繋がりが深く 平安時代中期の『延喜式神名帳927 AD.』には 伊勢・香取・鹿島の3神のみが“神宮”と記載されるほどの高い神威を誇りました
その御神威を背景として 奥州〈東北地方〉制圧が行なわれていったのでしょう 香取神宮・鹿島神宮の分祀〈苗裔神を祀るこれらの分社〉は 蝦夷征討軍によって分祀されたものと考えられています
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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国〈香取苗裔神〉式内社2社の論社
〈本宮〉 香取神宮(名神大 月次 新嘗)(かとりの かむのみや)
・香取神宮(香取市)下総国一之宮
牡鹿郡(をしかの こおり)香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)
・香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)
・和渕神社(石巻市和渕町)
栗原郡(くりはらの こおり)香取御兒神社(かとりみこ かみのやしろ)
・香取御児神社〈旧鎮座地〉(栗原市築館久伝)
・香取御児神社〈鹿島神社に合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)
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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国〈鹿島苗裔神〉式内社8社の論社
〈本宮〉 鹿島神宮(名神大 月次 新嘗)(かしまの かむのみや)
・鹿島神宮(鹿嶋市)常陸国一之宮
黒川郡 鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)
・・鹿島天足別神社(富谷市大亀)
曰理郡 鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)
・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山)
・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
・月山神社(亘理町吉田作田)
〈亘理町吉田字作田に鎮座の鹿島社を合祀〉
曰理郡 鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)
・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山)
・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
曰理郡 鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)
・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)
・八雲神社(亘理町)
〈鹿島天足和気神社の旧鎮座地三門山に祀られていた石祠が境内に祀られている〉
信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)
・鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑)
・鹿島神社(福島市小田鹿島山)
・鹿島神社(福島市岡島竹ノ内)
・鹿島神社(伊達郡国見町藤田町尻二)
磐城郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)
・鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)
牡鹿郡 鹿嶋御兒神社(かしまのみこの かみのやしろ)
・鹿島御児神社(石巻市日和が丘)
行方郡 鹿嶋御子神社(かしまみこの かみのやしろ)
・鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)
・鹿島御子神社旧蹟碑(南相馬市鹿島区鹿島町)
『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922〈国立研究開発法人 科学技術振興機構〉に 記される 苗裔神(びょうえいしん)について
悪路王(あくろおう)とは 鎌倉時代に記された東国社会の伝承に登場する陸奥国の〈実在とも伝説上とも〉人物とされます
別名として 悪来王 悪毒王 阿久留王などとも記されています
鎌倉時代以降の 鹿島神宮や鎌倉幕府など東国社会の文献に 名前が登場し『鹿島神宮文書』では「悪来王」が藤原頼経によって討たれたと記され
『吾妻鏡』では「悪路王」は蝦夷(えみし)の賊首で 赤頭とともに坂上田村麻呂と藤原利仁によって征伐されたと記されます
文中に「常陸の鹿島郡 鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實と 下総香取大神と並び 苗裔の諸神多く奥州に祀らるる〈38社〉」と 三代実録 貞観八年正月の条を紹介し 現在〈1922〉は その陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず と記されています
【抜粋意訳】
常陸の鹿島郡に鎮まります鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實なりとす。言ふを要せず、神代の時 荒振神たちをことむけたまひし 縁由ある鹿島大神は中古 征夷の陸奥に邁進せらるるに伴ひて 其の神威を此方面に被及し 其の同功 一體の徳を伝ふる
下総香取大神と並び、苗裔の諸神多く奥州に祀らるるに至り「貞観八年正月 鹿島神宮宮司の奏詞に大神苗裔の神 陸奥に在る者三十八社 弘仁以来幣を奉らざるを以て神崇大に著はる」との事、三代実録に見ゆ。
(所謂 陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず。延喜式神名帳に見ゆる 黒川郡 鹿島天足別(カシマアマタラシワケノ)神社・亘理郡 鹿島伊都乃比氣(カシマイツノヒケノ)神社・同郡 鹿島緒名太(カシマヲナタノ)神社・同郡 鹿島天足和氣(カシマアマタラシワケノ)神社・信夫郡 鹿島神社・磐城郡 鹿島神社・牡鹿郡 鹿島御兒(カシマミコノ)神社・行方郡 鹿島御子(カシマミコノ)神社は正さしく其の一部なるべく
又 香取大神の苗裔と認むべきは 牡鹿郡 香取伊豆乃御子(カトリイツノミコノ)神社・栗原郡 香取御兒(カトリミコノ)神社とす)祭頭祭に就きて新編常陸國志補に曰く・・・・・・・・
【原文参照】
『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922〈国立研究開発法人 科学技術振興機構〉より
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR気仙沼線 和渕駅近く 約750m程度 車で約3分
旧北上川と江合川の合流地点の西岸の高台に鎮座しています
和渕神社(石巻市和渕町)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり 石段を上がります
石段を上がった正面には延喜式の社号標があります
「延喜式内社 香取伊豆御子神社」と刻まれています
標柱にも「延喜式内社 香取伊豆御子神社」と記され
側面には「延喜式神名帳に記載されている式内社で牡鹿十座のうち一社である。大同二年 坂上田村麻呂創建とも云う。」と書かれています
割拝殿への石段を上がります
割拝殿を抜けると 手入れのされた植込みの中 桜が満開で 一段高い地に社殿が祀られています
拝殿にすすみます
社殿の前には 丸みを帯びた 狛犬が構えています
拝殿の扁額は青銅製でしょうか「和渕神社」とあります
髙龗神(たかをかみ)も祀られている拝殿の彫刻は 見事な龍神が刻まれています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
外観からは 拝殿の奥は 幣殿と 本殿の覆屋となっています
この高台からの斜面が 古墳のような人工的な斜面のような気がして写真に納めました
社殿に一礼をして 割拝殿から参道を戻ります
割拝殿を抜けると 左手には 旧北上川が流れていて 石巻の平野が目の前に広がっています
太古に神々が上陸されたと伝わる「大古 香取神社の神船、常陸より八重の塩路に乗り牡鹿郡和渕山の西辺(船島)に着き、その東方に船を留め(船澤)山頂に「船澤山 猿霊(さだま)峠(樹霊峠)に宮柱を立て神様を祭祀したとも伝えられる」が目に浮かぶようです
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 香取伊豆乃御子神社について 社名のみが記され その他は不詳となっています
【抜粋意訳】
香取伊豆(カトリイツ)乃御子神社
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 香取伊豆乃御子神社について 祭神は不詳 所在は 和渕大明神〈現 和渕神社(石巻市和渕町)〉と記しています
【抜粋意訳】
香取伊豆乃御子神社
香取は 加登利と訓べし 伊豆乃御子は假字なり
〇祭神詳ならず 香取の斎神なるべし
〇深谷和淵村に在す 今 和渕大明神と称す 今 桃生郡に属す
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 香取伊豆乃御子神社について 祭神は 経津主神
所在について 和渕村〈現 和渕神社(石巻市和渕町)〉であるが 村内に同名の神社はなく 牡鹿郡 萩の濱村大字折の濱に同名の神社〈現 香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)〉が あると記しています
【抜粋意訳】
香取伊豆乃御子神社
祭神 経津主神
祭日 三月七日
社格 (同村には該社なし折の濱字裳の上に同名社あり村社)
所在 和渕村和渕
〇今 陸前國(牡鹿郡 萩の濱村大字折の濱)
【原文参照】
和渕神社(石巻市和渕町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)