『出雲國風土記』楯縫郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】19社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『出雲國風土記』楯縫郡(tatenui no kori)条 所載の神社の数は「28社」です 
 「 9社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
 「19社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)

『出雲國風土記』楯縫郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】19社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

目次

許豆乃社 (こづの) (kozuno no) yashiro

・許豆神社 (鹿島神社)

又許豆社 (またこづの) (matakozu no) yashiro

・許豆神社 (稲荷神社)

・許豆神社 (恵美須神社)

又許豆社 (またこつの) (matakotsu no) yashiro

・許豆神社 (恵美須神社)

・許豆神社 (稲荷神社)

久多美社 (くたみ) (kutami no) yashiro

・〈玖潭神社に合祀〉貴女社

・三女社〈久多美神社の境内社〉

同久多美社 (おなじきくたみ) (onajiki kutami no) yashiro

・〈玖潭神社に合祀〉久多美社

・久多美神社

高守社 (たかもり) (takamori no) yashiro

・〈山口神社に合祀〉羽黒山鎮座 高守神社

又高守社 (またたかもり) (mata takamori no) yashiro

・諏訪神社〈山口神社の境内社〉

紫菜嶋社 (のりしま) (norishima no) yashiro

・紫菜島神社〈許豆神社 (稲荷神社)境内へ遷座〉

鞆前社 (ともさき) (tomosaki no) yashiro

・鞆前神社

宿努社 (すくぬ) (sukunu no) yashiro

・宿努神社

埼田社 (さきた) (sakita no) yashiro

・埼田神社

山口社 (やまぐち) (yamaguchi no) yashiro

・山口神社

・〈多久神社に合祀〉拝田神社

葦原社 (あしはら) (ashihara no) yashiro

・葦原神社

又葦原社 (またあしはら) (mata ashihara no) yashiro

・葦原神社

田田社 (ただ) (tada no) yashiro

・田々神社

峴之社 (みねの) (mineno no) yashiro

・峴神社

阿牟知社 (あむち) (amuchi no) yashiro

・〈能呂志神社に合祀〉

葦原社 (あしはら) (ashihara no) yashiro

・葦原神社

田田社 (ただ) (tada no) yashiro

・田々神社

スポンサーリンク

『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-出雲國風土記神名帳(izumo no kuni fudoki jinmeicho)
-

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.