日本武尊
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大戸神社(香取市大戸)
大戸神社(おおとじんじゃ)は 社伝に 第十二代 景行天皇40年(111)日本武尊 東征の時 蝦夷征討祈願のため大戸〈古くは大津〉の地に勧請し 白鳳二年(662)更に之を再営す と伝わり 江戸時代まで香取神宮の第一末社(明治から摂社)で 当時 他の末社とは違い 神領も香取・大戸と区分され 独自に神主・大禰宜などの神官26人と社僧8人の合計34人が勤めた大きな神社でした
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鹿島御子神社旧蹟(南相馬市鹿島区鹿島町)
鹿島御子神社旧蹟(かしまみこじんじゃ きゅうせき)は 大同元年(西暦806)に現在の社地に社殿を造営し遷座するまでの旧鎮座地です 社伝に「日本武尊命御東征の時 此の鹿島御子神社に武運長久の祈願ありて、其の霊験に依り、乱臣賊子は速やかに征服し得て、其后益々 御子神社は特に軍神として武人崇敬の神となれり」とあるのはこの旧蹟地になります
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鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)〈『延喜式』鹿嶋御子神社〉
鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 命が奥州の地を統御する為 この地〈鹿島の稚児沼〉に仮宮された時 賊徒が放火したが 命は直ちに「火伏せの神事」を以て四方八方に拡がった猛火を鎮めたと云う故事があり 火伏せの神として信仰されます
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山宮浅間神社(富士宮市山宮)
山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の時 山足の地〈山麓全体〉に祀られた浅間大神を 第12代 景行天皇の時 日本武尊が 当地 山宮の地に 磐境を設けて大神を祀り 大同元年(806)坂上田村麿が勅命により 現在の富士山本宮浅間大社の地に社殿を造営し 遷座した富士山の山宮斎場の元宮です 今でも本殿はなく 溶岩を用いた石列が原始的な祭祀形態を留めています
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富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は 第7代 孝霊天皇の時 富士山の噴火で国内が荒れ果てた この山霊を鎮祭する為 第11代 垂仁天皇が 浅間大神を山足の地に祀ったのが創祀 第12代 景行天皇の時には 日本武尊が 山宮の地に大神を祀り 大同元年(806)には 坂上田村麿が勅命に依り 社殿を現在の大宮の地に造営し 神霊を遷座した東海最古の名社です
